恋の記録

藤谷 郁

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レザーソール

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うららかな春の日。
私は書棚に本を並べ終えると、今日から寝起きする1DKの部屋を見回した。


「ふうっ、引越し作業はこれで完了。意外と早く終わったよね」


鉄筋コンクリート造りの五階建。築二十年のアパートのため外観はそれなりだが、きれいにリフォームされた部屋は新築同然だ。

前のアパートから持ってきた家電や家具のほうが、古ぼけて見える。

小さなキッチンで湯を沸かし、大学時代から愛用する水色のマグカップにコーヒーを入れた。インスタントでも、封を切ったばかりの粉は良い香りがする。

ベランダに出て、最上階からの景色を眺めつつ、作業後の一杯を味わった。

静かな住宅街に、春の陽射しが降り注いでいる。

遠くに目をやると、異動先の店が入る駅ビルが、ぼんやりと望めた。冬月ふゆづき書店本町駅店は、本店に比べたら床面積が狭く、扱う本の種類も少ない中規模店だ。


私、一条いちじょう春菜はるなは二十五歳。入社以来三年間、本店で書店員としての経験を積んできた。

電子書籍やネット通販に押され、書店はどこも苦しい状況だが、現場でしか表せない魅力がある。例えば、特集やイベント。

積極的に企画立案し、担当ジャンルの売上アップに貢献したと自負している。

大規模店は客の反応、そして売上の数字が大きく、仕事のやりがいも格別だった。だけど私は、異動となった今も意気込んでいる。

実績を認められ、副店長に抜擢されたのだから、一生懸命に働いて本部の期待に応えたい。


「それに、新しい出会いもあればいいなあ……なーんて」


この頃、彼氏がほしいと思い始めている。

大学卒業後、念願の書店員になった私は、仕事に夢中になるあまりプライベートをないがしろにしてきた。

学生の頃付き合っていた彼氏とは自然解消し、いつの間にかフリーの身である。 


空になったマグカップを手に、本店勤務の三年間を振り返ってみる。

同僚に若い男性はいたが、仕事仲間以上の感情は持てずに終わった。というより、男性として意識する余裕が無かったのかもしれない。


「仕事以上に夢中になれる男の人に、出会いたい。でもそんな人、いるのかしら」


今後も、しばらくは忙しい日々が続くだろう。
余裕ができたらアンテナを伸ばしてみようとか、つらつら考える。

理想の男性は、大人で、優しくて、恋人を大切にする人。

むくむくと妄想が膨らんでくる。
仕事人間と思われがちだが、私は意外にもロマンチストなのだ。


「なーんて……そんな都合のいい展開、あるわけないよね。片付けも終わったし、街でランチでも食べようっと」


エプロンを外し、ポロシャツとパンツを脱いでワンピースに着替えた。軽くメイクをして、結んでいたセミロングの髪を解いて肩に垂らす。


「そうだ、お気に入りのパンプスを履いていこう」


身支度を整えると、戸締りをしてからアパートの部屋を出た。



メゾン城田しろたは単身者向けのアパートだ。外廊下に七枚のドアが窮屈そうに並んでいる。

建物の両側に階段があるが、五階の住人はほとんど利用しないだろう。

私の部屋は一番奥に位置するため、エレベーターを使う場合、他の六部屋の前を通らなければならない。



「ん?」


エレベーターが着くのを待っていると、背後でドアが開き、すぐに閉まる音がした。

何となく振り向いてみるが、廊下はシンとしている。

数秒後、施錠する音が聞こえた。
静かな環境に、それは意外なほど大きく響いた。


「?」


誰かが部屋から出ようとして、私がいるのを見て部屋に引っ込んだ。

そんな、微妙なタイミングに思える。


挨拶するのが面倒で、隣人と会わないように行動している――


と、いつだったか、ここと似たようなアパートで暮らす友人が言っていた。とてもシャイで、人付き合いが苦手な子だった。


(あの子と同じようなタイプの人が住んでるのかも)


などと想像するうちにエレベーターの扉が開き、私はさっさと乗り込んだ。

薄暗い照明の、小さな籠である。黄ばんだ操作ボタンが、設備の古さを物語っていた。

エレベーターはノンストップで一階に到着。形ばかりのエントランスを抜けて外に出ると、明るい陽射しにさらされる。

アパートの前にこぢんまりとした公園があり、子ども連れの若い夫婦がお喋りするのが見えた。

のんびりとした光景に和みつつ、徒歩五分の駅へと進んだ。
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