恋の記録

藤谷 郁

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幸せの部屋

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翌朝――

目を覚ました私は、自分が今どこにいるのかわからず、しばらくの間ぼうっとしていた。

状況が把握できたのは、隣に眠る智哉さんに気付いてから。

あっと声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。彼も私も、パジャマを着ていない。素裸だ。それはつまり、昨夜の営みを証明している。


(そうだった……全部、思い出した)


智哉さんにアパートまで迎えに来てもらい、彼のマンションに移動した。そして、初めてのキスを交わしたのだ。

あっというまに火がついた。

二人とも部屋に入るなり抱きしめ合い、ためらうことなく求め合った。

相手に遠慮するとか、段階を踏むとか、いつもの私ならあれこれ考えてしまうのに、彼のキス一つで理性が吹き飛んだ。


(あまりにも大胆すぎる……こんな超展開、信じられないよ)


半身を起こして、智哉さんの寝顔を見つめた。乱れた髪と伸びた髭が、いつもと違う彼を作り上げている。

ワイルドで男らしくて、とてもセクシーな雰囲気。

私は、この人の魅力に抗えず、本能に従った。信じられなくても、そんな私もいたのだと認める。

素敵な一夜だった。


「シャワーをお借りしますね」


耳元で囁くと、微かに「うん」と聞こえた。でも目は閉じたままなので、夢の中で返事をしたのだろう。彼の眠りを妨げぬよう、静かにベッドを抜け出した。



バスルームで熱いシャワーを浴びた。何だか、肌がすべすべになった気がする。というより、身体全体が充実して、瑞々しく生まれ変わったような気分。

智哉さんのおかげかもしれない。心からそう思える今の自分を、幸せだと感じた。


バスタオルで体を拭いた後、Tシャツと綿パンに着替えた。洗面台の鏡を見ながら髪を乾かし、軽くメイクする。

深い関係になっても、智哉さんに素顔を晒す勇気はない。大学時代の彼氏には、友達の延長で恋人になったせいか最初からすっぴんだったのに、ずいぶんな違いだと思う。


廊下に出ようとした時、ノックが聞こえた。


「智哉さん?」


ドアをあけると、智哉さんが立っていた。


「おはよう、ハル。早起きだね」

「おっ、おはよう……ございます」


彼はパジャマのズボンを穿いているが、上半身は裸だ。明るい朝の中で見る生々しい姿に、私は妙な緊張を覚え、思わず目を逸らしてしまう。


「お先に、シャワーをいただきました」

「ああ、昨夜はたくさん汗を搔いたからな。スッキリしただろ?」

「はい……えっ?」


見上げると、智哉さんはいたずらっぽく笑う。照れる私を、からかったのだ。


「もうっ、智哉さん。あ……!」


うろたえる私を抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩く。彼はスマートに見えて、意外と逞しい。男の人の匂いに包まれ、頭の芯が蕩けそうになった。

鼓動が速くなるのが、彼にもきっと伝わっている。


「コーヒーを淹れたから、飲んできなよ。目が覚めるぞ」

「……ありがとう」


私を解放すると、彼はバスルームに入ってドアを閉めた。悠々とした態度に感心するけれど、ちょっぴり悔しい。

何たる揺さぶり。何たる余裕。

初めて大人の男性と付き合う私は、ひたすらうろたえ、緊張するばかり。でも、それが喜びであり、恋のときめきなのだから、どうしようもない。


「とりあえず、コーヒーを飲もう」


雲の上を行く足取りで、キッチンに向かった。



今日は金曜日。私は早番の出勤時間だが、智哉さんは店長会議に出席するため、少し遅れて家を出ると言う。


「会場は本店ですか?」

「そう、東京本店の会議室。三か月に一度、全店舗の店長が集まって、販売状況を報告するんだ」


互いのスケジュールを話題に、二人で作った朝食を食べる。メニューはホットサンドと果物。智哉さんも、朝はパン派だという。

それにしても、昨日まで相手の予定などほとんど知らなかったのに、一緒に住むとなると、自然に把握するようになるのだ。

いきなり家族になったみたいで、そわそわした。


「やっぱり本部の要望に応えるのは、どこも大変ですよね」

「そうだな。でも僕の店は売上げが悪くないし、楽な方だと思う。ハルのところ……冬月書店の店長は、確か、古池さんだったね」

「えっ、お知り合いなんですか?」


意外に思って訊くと、智哉さんは顔を横に振る。


「去年の冬に駅ビル全体のイベント説明会があって、隣の席だったから覚えてるんだ。物腰穏やかな、部下の面倒見が良さそうなタイプじゃないか」

「え、ええ……」


つい、口ごもってしまった。

古池店長は、確かにそんなタイプである。はたから見れば。


「どうした。何か問題でもあるのか」


じっと見てくる智哉さんに、笑顔を作った。まさか、店長にセクハラの疑いがあるなんて言えない。


「ううん。よく気の付く人だから、助かってます。私は副店長になったばかりで、慣れないことが多くて……」


ホットサンドをかじり、語尾を濁した。

智哉さんは首を傾げるが、特に追及せず、コーヒーを含んだ。


「仕事の悩みとか、僕で良ければ相談に乗るよ。一人で悩まず、なんでも話してくれ」


きっと、不穏な何かを感じ取ったのだ。しかし無理に聞き出そうとしないところが、彼の優しさである。


「ありがとう、智哉さん。仕事に関しては悩みが尽きないけど、今が踏ん張りどころだから、頑張ってみます」

「ああ。でも、頑張りすぎるなよ」


もう、店長のことなど、どうでも良かった。

智哉さんは、そこにいるだけで私に勇気をくれる。身も心も、愛情のエネルギーでいっぱいに満たされていく。

朝食を終える頃、彼の存在が、昨日より大きくなっていることに気付いた。
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