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軽やかなヒール
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「ところで、土屋さんは今日、出勤しますかね?」
「一つ前のエレベーターに乗るのを見たわ」
「そうですか。具合、悪そうでしたか?」
「顔色が悪かった」
山賀さんが、ため息をつく。その気持ちも、私はよく理解することができた。
更衣室のドアを開けると、社員が一人入れ違いで出てきたが、土屋さんの姿が見当たらない。
「もう着替えたのかしら」
変だなと思っている間に、山賀さんもロッカーにバッグを仕舞い、ささっと着替えてしまう。着替えといっても、バイトさんはエプロンを付けるだけなので支度は簡単だ。
「すみません。急ぎの仕事があるので、先に行きますね」
「あ、うん」
山賀さんは早々と更衣室を出てしまった。
ずいぶん慌てている。土屋さんの妊娠をどのように確かめるべきか、相談したかったのだが。
「しょうがない、後にしよう。それにしても急ぎの仕事ってなんだろ。開店まで、まだ余裕があるのに」
よく分からないが、私も山賀さんに釣られるように、急いで制服に着替えた。そして、事務所に行く前に店長対策をおさらいする。
「昨日みたいに圧力をかけてきたら、上手くかわす。どうしてもダメなら、逃げればいい」
バッグを開けて、封筒を取り出す。ガッツノベルの新作ゲラが入った封筒だ。
私はこれを、ライトノベルの担当者に預けるつもりでいる。土屋さん、あるいはバイトさんでも構わない。
新作ゲラは、売り場担当者が読んでこそ意味があるのだ。
更衣室を出て廊下を歩いて行くと、事務所のドアの前に、ライトノベル担当のバイトさんが立っていた。私に気付き、慌てて駆け寄ってくる。
「おはよう。どうしたの、こんなところで」
「副店長、またです」
「えっ?」
バイトさんが、うんざりした表情になった。
「土屋チーフですよ。体調不良で、欠勤するって」
「はあ? いやでも、さっき出勤したでしょ」
「それが、事務所で店長と揉めて、そのあと帰っちゃったんです」
「なんですって。一体どういうことなの」
バイトさんは「分かりません」と首を傾げて、
「ドアの外にいたので、よく聞こえなかったけど……チーフが、『私はどうすればいいの』とか、『ひどいわ』とか、ヒステリックに叫んでいました」
不穏な言葉を聞き、ドキッとする。
(もしかしたら、妊娠したことを店長に告げて、産むなとか言われたんじゃ……)
「あのう、副店長」
「えっ?」
黙り込んだ私を、バイトさんが怪訝そうに見てくる。
「店長が昨日、ガッツノベルのゲラを副店長に渡したそうですね。ライトノベルのチーフを兼任されるんですか?」
「まさか!」
バイトさんは、土屋さんがチーフの座を私に奪われそうだから、店長に突っかかったと想像したようだ。冗談じゃない。
「私はチーフになりません。ゲラも、店長に押し付けられただけ。ライトノベルのスタッフに読んでもらうつもりよ」
封筒を持つ手を振り上げた。
「そ、そうですよね。変なことを言ってすみません」
私の勢いに押され、バイトさんがたじろぐ。本気で疑われたわけではなさそうだ。
「土屋さんの件は私から店長に話して、どうにかしてもらいます。今日は山賀さんがいるし、人手は足りると思うので、なんとか頑張って。困ったことがあれば、相談してください」
「分かりました。では、お願いします」
バイトさんは、とりあえずという感じで売り場に戻った。
(店長と土屋さんは、近々いなくなる。だけど、仕事は最後まできっちりとやってもらうわ)
事務所のドアを開けて、古池店長のデスクへと歩いた。何事もなかったかのように、パソコンでメールのチェックをしている。
「おはようございます」
私が挨拶をすると店長は顔を上げて、「おはようございます」と、普通に返した。しかし、私が持っている封筒を見て、にやりと笑う。
「早速、読んでいただけたようですね」
昨夜の圧力が効いたと思ったらしい。
「一つ前のエレベーターに乗るのを見たわ」
「そうですか。具合、悪そうでしたか?」
「顔色が悪かった」
山賀さんが、ため息をつく。その気持ちも、私はよく理解することができた。
更衣室のドアを開けると、社員が一人入れ違いで出てきたが、土屋さんの姿が見当たらない。
「もう着替えたのかしら」
変だなと思っている間に、山賀さんもロッカーにバッグを仕舞い、ささっと着替えてしまう。着替えといっても、バイトさんはエプロンを付けるだけなので支度は簡単だ。
「すみません。急ぎの仕事があるので、先に行きますね」
「あ、うん」
山賀さんは早々と更衣室を出てしまった。
ずいぶん慌てている。土屋さんの妊娠をどのように確かめるべきか、相談したかったのだが。
「しょうがない、後にしよう。それにしても急ぎの仕事ってなんだろ。開店まで、まだ余裕があるのに」
よく分からないが、私も山賀さんに釣られるように、急いで制服に着替えた。そして、事務所に行く前に店長対策をおさらいする。
「昨日みたいに圧力をかけてきたら、上手くかわす。どうしてもダメなら、逃げればいい」
バッグを開けて、封筒を取り出す。ガッツノベルの新作ゲラが入った封筒だ。
私はこれを、ライトノベルの担当者に預けるつもりでいる。土屋さん、あるいはバイトさんでも構わない。
新作ゲラは、売り場担当者が読んでこそ意味があるのだ。
更衣室を出て廊下を歩いて行くと、事務所のドアの前に、ライトノベル担当のバイトさんが立っていた。私に気付き、慌てて駆け寄ってくる。
「おはよう。どうしたの、こんなところで」
「副店長、またです」
「えっ?」
バイトさんが、うんざりした表情になった。
「土屋チーフですよ。体調不良で、欠勤するって」
「はあ? いやでも、さっき出勤したでしょ」
「それが、事務所で店長と揉めて、そのあと帰っちゃったんです」
「なんですって。一体どういうことなの」
バイトさんは「分かりません」と首を傾げて、
「ドアの外にいたので、よく聞こえなかったけど……チーフが、『私はどうすればいいの』とか、『ひどいわ』とか、ヒステリックに叫んでいました」
不穏な言葉を聞き、ドキッとする。
(もしかしたら、妊娠したことを店長に告げて、産むなとか言われたんじゃ……)
「あのう、副店長」
「えっ?」
黙り込んだ私を、バイトさんが怪訝そうに見てくる。
「店長が昨日、ガッツノベルのゲラを副店長に渡したそうですね。ライトノベルのチーフを兼任されるんですか?」
「まさか!」
バイトさんは、土屋さんがチーフの座を私に奪われそうだから、店長に突っかかったと想像したようだ。冗談じゃない。
「私はチーフになりません。ゲラも、店長に押し付けられただけ。ライトノベルのスタッフに読んでもらうつもりよ」
封筒を持つ手を振り上げた。
「そ、そうですよね。変なことを言ってすみません」
私の勢いに押され、バイトさんがたじろぐ。本気で疑われたわけではなさそうだ。
「土屋さんの件は私から店長に話して、どうにかしてもらいます。今日は山賀さんがいるし、人手は足りると思うので、なんとか頑張って。困ったことがあれば、相談してください」
「分かりました。では、お願いします」
バイトさんは、とりあえずという感じで売り場に戻った。
(店長と土屋さんは、近々いなくなる。だけど、仕事は最後まできっちりとやってもらうわ)
事務所のドアを開けて、古池店長のデスクへと歩いた。何事もなかったかのように、パソコンでメールのチェックをしている。
「おはようございます」
私が挨拶をすると店長は顔を上げて、「おはようございます」と、普通に返した。しかし、私が持っている封筒を見て、にやりと笑う。
「早速、読んでいただけたようですね」
昨夜の圧力が効いたと思ったらしい。
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