87 / 236
軽やかなヒール
1
しおりを挟む
「今日は夕方から雨が降るらしいよ」
玄関でレザーパンプスを履こうとする私に、智哉さんが声をかけた。
「そうなの? じゃあ、別の靴にしようかな」
昨日に続き、智哉さんが磨いてくれたレザーソールに勇気をもらいたかったのだが、残念だ。
「合皮のパンプスか……色もデザインも今の服装に合うけれど、通勤にはもう少しフラットな靴がいいな。アパートから持ってきたのはこれだけ?」
「うん。職場に仕事用のスニーカーを置いてあるし、とりあえず二足あればいいかなと思って」
今夜、アパートに荷物を取りに行くつもりだった。引越し会社にも電話して、早く見積もりを済ませようと考えている。
「その時に、ローファーを持ち帰るわ」
私が言うと智哉さんは、「いや、それよりも」と、別の提案をした。
「どうせなら新調しよう。仕事が終わったら、僕の店に来てくれ。君にぴったりの靴を選んであげるよ」
「ええっ?」
もしや、プレゼントしてくれるの?
目で問う私に、彼が当然のように頷く。
「それと、アパートにも付き合う。タクシーで乗りつけて、できるだけたくさんの荷物を運んでしまおう」
「ありがとう、智哉さん」
何から何まで、素早く段取りしてくれる。なぜこんなにも親切なのだろうと、彼の優しさにあらためて感謝の念を抱いた。
「よし。そろそろ行こうか」
「あっ、帰りに雨が降るなら、傘がいるよね」
「うん……あれっ?」
私が玄関の収納ボックスから傘を取り出すのを見て、智哉さんが目を瞬かせる。手にしたのはコンビニのビニール傘だ。
「前に言ってた、お気に入りの傘はどうしたんだ」
「あの傘、コンビニで買い物する間に、盗まれてしまったの」
「盗まれた?」
智哉さんも傘を持ち、二人で玄関を出た。駅ビルへの道すがら、傘を失ったいきさつを話す。
「それはひどいな。ずいぶん気に入ってたんだろ?」
「うん。デザインが可愛くて、お店で一目惚れして買ったのに」
「ふうん。どんなデザインなんだ」
「ええとね、ピンク地に黒のストライプで、柄がほっそりしてる。あと、ブランド名の刺繍があって……」
智哉さんは興味深けに耳を寄せてきた。
傘は実用品であると同時に、靴やバッグと同じファッション小物である。
「でも、透明なビニール傘って便利ね。周りがよく見えるから、人にぶつかる心配がないし」
「ハルは前向きだな」
楽しく会話するうちに、ビルに到着。
通用口のほうに進むと、前を歩く土屋さんの後ろ姿が見えた。急に現実に引き戻された気がして、歩調が遅くなる。
「ハル……?」
「大丈夫。あと少しの辛抱だもの」
智哉さんが歩調を合わせてくれた。無理に元気付けようとしないのは、彼流の思いやりだ。
「仕事が終わったら、まっすぐ『ドゥマン』においで。待ってるよ」
「うん」
私達がエレベーターに近付くと、扉が閉まるところだった。土屋さんが乗っていたけれど、横を向いているので、こちらに気付かない。
どこか疲れた様子で、顔色も悪いように見えた。
「昨夜話したこと、彼女に確かめたほうがいいな」
「そうよね」
妊娠疑惑についてだ。
土屋さんの個人的な問題だが、相手が店長なら放ってはおけない。
女性として、上司として、彼女と向き合いたい。
「一条さん、おはようございます!」
九階の廊下を歩いていると、背後からパタパタと足音が追いかけてきた。
「あれっ、山賀さん。同じエレベーターに乗ってたんだ」
「ええ、まあ。それより、昨夜は遅い時間に失礼しました」
電話のことである。
「こちらこそ。最後は愚痴になってしまって、ごめんなさい」
「いいえ。私も店長には頭にきてますから」
山賀さんは立ち止まり、こっそりと囁く。二人とも気持ちは同じだった。
「今日は日曜日だから学校は休みね」
「ええ、夕方まで働きますよ!」
とても張り切っている。頑張りすぎてガス欠にならなければいいが。
「さっき、彼氏さんと一緒でしたね。仲良く出勤できていいなあ」
「ええ?」
冷かすように言うので、思わず照れてしまう。
「水樹智哉さん……素敵な男性だなあ。エレベーターの中でも、一条さんを守るみたいに、寄り添ってましたもん」
「そ、そうだった?」
「土屋さんにちょっかいをかけられても、見向きもしませんよ。本当に、一条さんを愛してるって感じで」
「……あはは」
急にどうしたのだろう。
私は面映ゆくなり、羨ましそうに見つめてくる山賀さんから目を逸らし、パンプスを前に進めた。
玄関でレザーパンプスを履こうとする私に、智哉さんが声をかけた。
「そうなの? じゃあ、別の靴にしようかな」
昨日に続き、智哉さんが磨いてくれたレザーソールに勇気をもらいたかったのだが、残念だ。
「合皮のパンプスか……色もデザインも今の服装に合うけれど、通勤にはもう少しフラットな靴がいいな。アパートから持ってきたのはこれだけ?」
「うん。職場に仕事用のスニーカーを置いてあるし、とりあえず二足あればいいかなと思って」
今夜、アパートに荷物を取りに行くつもりだった。引越し会社にも電話して、早く見積もりを済ませようと考えている。
「その時に、ローファーを持ち帰るわ」
私が言うと智哉さんは、「いや、それよりも」と、別の提案をした。
「どうせなら新調しよう。仕事が終わったら、僕の店に来てくれ。君にぴったりの靴を選んであげるよ」
「ええっ?」
もしや、プレゼントしてくれるの?
目で問う私に、彼が当然のように頷く。
「それと、アパートにも付き合う。タクシーで乗りつけて、できるだけたくさんの荷物を運んでしまおう」
「ありがとう、智哉さん」
何から何まで、素早く段取りしてくれる。なぜこんなにも親切なのだろうと、彼の優しさにあらためて感謝の念を抱いた。
「よし。そろそろ行こうか」
「あっ、帰りに雨が降るなら、傘がいるよね」
「うん……あれっ?」
私が玄関の収納ボックスから傘を取り出すのを見て、智哉さんが目を瞬かせる。手にしたのはコンビニのビニール傘だ。
「前に言ってた、お気に入りの傘はどうしたんだ」
「あの傘、コンビニで買い物する間に、盗まれてしまったの」
「盗まれた?」
智哉さんも傘を持ち、二人で玄関を出た。駅ビルへの道すがら、傘を失ったいきさつを話す。
「それはひどいな。ずいぶん気に入ってたんだろ?」
「うん。デザインが可愛くて、お店で一目惚れして買ったのに」
「ふうん。どんなデザインなんだ」
「ええとね、ピンク地に黒のストライプで、柄がほっそりしてる。あと、ブランド名の刺繍があって……」
智哉さんは興味深けに耳を寄せてきた。
傘は実用品であると同時に、靴やバッグと同じファッション小物である。
「でも、透明なビニール傘って便利ね。周りがよく見えるから、人にぶつかる心配がないし」
「ハルは前向きだな」
楽しく会話するうちに、ビルに到着。
通用口のほうに進むと、前を歩く土屋さんの後ろ姿が見えた。急に現実に引き戻された気がして、歩調が遅くなる。
「ハル……?」
「大丈夫。あと少しの辛抱だもの」
智哉さんが歩調を合わせてくれた。無理に元気付けようとしないのは、彼流の思いやりだ。
「仕事が終わったら、まっすぐ『ドゥマン』においで。待ってるよ」
「うん」
私達がエレベーターに近付くと、扉が閉まるところだった。土屋さんが乗っていたけれど、横を向いているので、こちらに気付かない。
どこか疲れた様子で、顔色も悪いように見えた。
「昨夜話したこと、彼女に確かめたほうがいいな」
「そうよね」
妊娠疑惑についてだ。
土屋さんの個人的な問題だが、相手が店長なら放ってはおけない。
女性として、上司として、彼女と向き合いたい。
「一条さん、おはようございます!」
九階の廊下を歩いていると、背後からパタパタと足音が追いかけてきた。
「あれっ、山賀さん。同じエレベーターに乗ってたんだ」
「ええ、まあ。それより、昨夜は遅い時間に失礼しました」
電話のことである。
「こちらこそ。最後は愚痴になってしまって、ごめんなさい」
「いいえ。私も店長には頭にきてますから」
山賀さんは立ち止まり、こっそりと囁く。二人とも気持ちは同じだった。
「今日は日曜日だから学校は休みね」
「ええ、夕方まで働きますよ!」
とても張り切っている。頑張りすぎてガス欠にならなければいいが。
「さっき、彼氏さんと一緒でしたね。仲良く出勤できていいなあ」
「ええ?」
冷かすように言うので、思わず照れてしまう。
「水樹智哉さん……素敵な男性だなあ。エレベーターの中でも、一条さんを守るみたいに、寄り添ってましたもん」
「そ、そうだった?」
「土屋さんにちょっかいをかけられても、見向きもしませんよ。本当に、一条さんを愛してるって感じで」
「……あはは」
急にどうしたのだろう。
私は面映ゆくなり、羨ましそうに見つめてくる山賀さんから目を逸らし、パンプスを前に進めた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
私の優しいお父さん
有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。
少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。
昔、私に何があったんだろう。
お母さんは、どうしちゃったんだろう。
お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。
いつか、思い出す日が来るのかな。
思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる