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33 本日の萌えを反芻するオタク ③
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「…マヌ毛だな」
そう言って、イアン様がぼくの前髪を引っ張った。
はあぁぁあぁぁっ!!
髪の毛、直すの忘れてたっ。
シヴァーディが急にサロンに入ってきて、顔に傷があるのを見てしまったら、早く治さなきゃって無我夢中で。前髪結わえてたの、すっかり失念ってやつだった。
ひどいっ、騎士様、教えてくれればいいのに。っていうか?
「マヌ毛? アホ毛じゃなくて?」
こちらの世界では、アホ毛をマヌ毛と言うのだろうか?
そう思って、たずねると。
陛下は逆に、本土ではアホ毛と言うのかと聞いてきた。
いいえ。アホ毛は一部アニメ業界の専門用語です、たぶん。
「アホ毛、変な名前だな?」
また、イアン様が大きな口を開けて、無邪気に笑い始めた。
推しが、アホ毛とつぶやいて笑うとか…はぁ、可愛い。
格好いい推しのイアン様が、心のままに、年相応な顔で笑う姿。
ご褒美でしかない。尊い。ヤバい。可愛い。格好イイ。語彙消失。
あ、今のうちに、アホ毛を直しておこう。
笑い終えた陛下は、咳払いをして。リセットした。
「クロウ、大事ないか?」
何事もなかったように、イケメンキラキラモードに戻る陛下。さすがです。
これが、無理矢理大筋に引き戻す、噂の、ゲームの強制力ってやつですね? オッケー、戻しましょう。
大事ですか? ありますよっ。
「麗しの騎士様がお名前を教えてくれました。これは大きな出来事ですっ」
言い切ると。陛下は可哀想な子を見るような顔をする。
八の字眉でも格好良いけど。なんで?
「そうではなくて、怪我などはないか?」
「シヴァーディ様が、僕に怪我などさせるわけありません」
麗しの騎士様は、物語の主人公を余裕で張れるほどの、アイキン人気ナンバーツーの御方。
あっ、ナンバーワンはもちろん陛下ですが。
高潔で、騎士道精神を貫く、ストイックな御仁ですから。モブを斬るなどという、愚かで無駄な行いは致しません。
でも、ぼくをなにやら暗殺者と思い込んでいる、陛下なので。
もしかしたら、ぼくがシヴァーディと対決した、とか思っちゃいました?
ないない。ぼくも命は惜しいです。
第一、モブが騎士様に太刀打ちできるわけもなく。そんなことを考えるなんて…。
「おかしなイアン様ですね?」
いくらなんでもあり得ないっしょ?
そうしたら、陛下は軽く笑って。
「確かに、我はおかしいな」
と、つぶやき。ぼくをなんでか、抱き締めたのだった。
そのとき、唐突に思った。
陛下は、二次元の、画面の向こう側の、遠くにいる人ではなく。
ここに。触れられるほど近くに。リアルに、存在している御方なのだと。
だって、腕の力が強く、ぼくの体が、ぎゅぅってなるし。
ぼくの頬にあたる、陛下の胸が、たくましくて。温かくて。強く鼓動を刻んでいる。
それが、すごく実感できるから。
ヤバいよ。こんなの、勘違いしちゃうよ。
以前シオンに、陛下が好きなのかと聞かれて。そういうんじゃないって答えたけど。
イアン様は、ぼくの推しだよ?
元から好印象しかないんだ。
その推しが、リアルにいるのが、まず奇跡で、あり得ないことなんだけど。
だって、推しっていうのは基本、画面の中にいるキャラなわけだよ。いろいろな、魅力的なキャラクターを、ぼくは画面越しに好きになってきたけど。それは本物の恋愛じゃないって、ちゃんとわかっていたつもりだ。
でも。イアン様は、目の前にいて、動いて、話して、心があって、ぼくのことを考えてくれて、ぼくを瞳に写して、今こうして抱き締めている。
ね? 勘違いするでしょ? 恋、しちゃうでしょ?
でも。わからないんだ。だってぼくは、恋愛した経験がないんだからね。
リアルな人に、恋をした経験がないというか。
あれ? これって、初恋って言っていいのかな?
でもでも、陛下に抱き締められたら、誰だってドキドキするんじゃね?
恋じゃなくても、ドキドキするんじゃね?
それを恋心に、カウントしてもいいものか?
いやいや、陛下が初恋とか、身の程知らずにもほどがあるよ。うん。
そうだよ。ぼくは、だから、考えないようにしていたんだ。
シオンに匂わされても、違うよって。否定して。自分の気持ちを見ないようにして。
だって、そうしないと、絶対に、確実に、傷つくじゃん。
イアン様には、手が届かない。
イアン様は、もう誰かと結婚が決まっていて。
それが、陛下のお相手じゃなくても。アイリスとの恋は絶対に成就するのだもの。
主人公ちゃんは、偉大なのだ。
だから…ぼくのターンは回ってこない。うん。やっぱり…勘違いだってことにしておこう。
「イアン様…」
ちょっと悲しい気分で、ぼくは陛下を見上げた。
そうしたら、陛下の顔が近づいてきて…。
あぁ、アップになっても、不備がどこにもないなんて、どういうことですか?
肌のきめが細かくて、陶器のようにつるつるなんですけどぉ?
どうしてこれほどまでに完璧な仕上がりなのでしょう。
対しての、ぼく。公式の悪意を感じざるを得ません。
と、見惚れていたら。
「にゃおーん」
シオンが鳴いた。
鳴いた? な、なんですとぉ?
夕食後だから、シオンはチョンではないのです。猫の鳴き真似だから、ぼくの耳にも、にゃおーんです。
つか、あの甲高い声じゃない。寄せてはいるが、真似しきれていないんですけどぉ?
それで、ぼくの心臓は、ギュンと縮こまった。
AED並みの衝撃ですよ、シオンさんっっ!
「どこかで、あの猫が怒っているようだぞ?」
いつもより低めの声だから、陛下は怒っていると判断したようだ。でも。
「お、お、お、お気になさらず」
無茶苦茶へたくそな誤魔化しを、してしまった。陛下は納得してくれたから良かったけれど。冷や汗ものです。
陛下がサロンを出たあと。ぼくは自室の扉をキッと睨んだ。
二センチ開いたドアの隙間から、ジト目のシオンが見ていて。唇をへの字に引き結んで。扉をパタリと閉めた。
怖っ。つか、怒りたいの、こっちなんですけどっ。
それから、サロンにひとりになったぼくは。
推しのめくるめく美麗シーンを、アルバムのごとく脳裏に展開させて、ほぉぅ…と満足のため息をつくのだった。
以上、萌えの反芻でした。
本日は萌えを堪能できた、大変素晴らしい一日だったな。御馳走様でした。
そう言って、イアン様がぼくの前髪を引っ張った。
はあぁぁあぁぁっ!!
髪の毛、直すの忘れてたっ。
シヴァーディが急にサロンに入ってきて、顔に傷があるのを見てしまったら、早く治さなきゃって無我夢中で。前髪結わえてたの、すっかり失念ってやつだった。
ひどいっ、騎士様、教えてくれればいいのに。っていうか?
「マヌ毛? アホ毛じゃなくて?」
こちらの世界では、アホ毛をマヌ毛と言うのだろうか?
そう思って、たずねると。
陛下は逆に、本土ではアホ毛と言うのかと聞いてきた。
いいえ。アホ毛は一部アニメ業界の専門用語です、たぶん。
「アホ毛、変な名前だな?」
また、イアン様が大きな口を開けて、無邪気に笑い始めた。
推しが、アホ毛とつぶやいて笑うとか…はぁ、可愛い。
格好いい推しのイアン様が、心のままに、年相応な顔で笑う姿。
ご褒美でしかない。尊い。ヤバい。可愛い。格好イイ。語彙消失。
あ、今のうちに、アホ毛を直しておこう。
笑い終えた陛下は、咳払いをして。リセットした。
「クロウ、大事ないか?」
何事もなかったように、イケメンキラキラモードに戻る陛下。さすがです。
これが、無理矢理大筋に引き戻す、噂の、ゲームの強制力ってやつですね? オッケー、戻しましょう。
大事ですか? ありますよっ。
「麗しの騎士様がお名前を教えてくれました。これは大きな出来事ですっ」
言い切ると。陛下は可哀想な子を見るような顔をする。
八の字眉でも格好良いけど。なんで?
「そうではなくて、怪我などはないか?」
「シヴァーディ様が、僕に怪我などさせるわけありません」
麗しの騎士様は、物語の主人公を余裕で張れるほどの、アイキン人気ナンバーツーの御方。
あっ、ナンバーワンはもちろん陛下ですが。
高潔で、騎士道精神を貫く、ストイックな御仁ですから。モブを斬るなどという、愚かで無駄な行いは致しません。
でも、ぼくをなにやら暗殺者と思い込んでいる、陛下なので。
もしかしたら、ぼくがシヴァーディと対決した、とか思っちゃいました?
ないない。ぼくも命は惜しいです。
第一、モブが騎士様に太刀打ちできるわけもなく。そんなことを考えるなんて…。
「おかしなイアン様ですね?」
いくらなんでもあり得ないっしょ?
そうしたら、陛下は軽く笑って。
「確かに、我はおかしいな」
と、つぶやき。ぼくをなんでか、抱き締めたのだった。
そのとき、唐突に思った。
陛下は、二次元の、画面の向こう側の、遠くにいる人ではなく。
ここに。触れられるほど近くに。リアルに、存在している御方なのだと。
だって、腕の力が強く、ぼくの体が、ぎゅぅってなるし。
ぼくの頬にあたる、陛下の胸が、たくましくて。温かくて。強く鼓動を刻んでいる。
それが、すごく実感できるから。
ヤバいよ。こんなの、勘違いしちゃうよ。
以前シオンに、陛下が好きなのかと聞かれて。そういうんじゃないって答えたけど。
イアン様は、ぼくの推しだよ?
元から好印象しかないんだ。
その推しが、リアルにいるのが、まず奇跡で、あり得ないことなんだけど。
だって、推しっていうのは基本、画面の中にいるキャラなわけだよ。いろいろな、魅力的なキャラクターを、ぼくは画面越しに好きになってきたけど。それは本物の恋愛じゃないって、ちゃんとわかっていたつもりだ。
でも。イアン様は、目の前にいて、動いて、話して、心があって、ぼくのことを考えてくれて、ぼくを瞳に写して、今こうして抱き締めている。
ね? 勘違いするでしょ? 恋、しちゃうでしょ?
でも。わからないんだ。だってぼくは、恋愛した経験がないんだからね。
リアルな人に、恋をした経験がないというか。
あれ? これって、初恋って言っていいのかな?
でもでも、陛下に抱き締められたら、誰だってドキドキするんじゃね?
恋じゃなくても、ドキドキするんじゃね?
それを恋心に、カウントしてもいいものか?
いやいや、陛下が初恋とか、身の程知らずにもほどがあるよ。うん。
そうだよ。ぼくは、だから、考えないようにしていたんだ。
シオンに匂わされても、違うよって。否定して。自分の気持ちを見ないようにして。
だって、そうしないと、絶対に、確実に、傷つくじゃん。
イアン様には、手が届かない。
イアン様は、もう誰かと結婚が決まっていて。
それが、陛下のお相手じゃなくても。アイリスとの恋は絶対に成就するのだもの。
主人公ちゃんは、偉大なのだ。
だから…ぼくのターンは回ってこない。うん。やっぱり…勘違いだってことにしておこう。
「イアン様…」
ちょっと悲しい気分で、ぼくは陛下を見上げた。
そうしたら、陛下の顔が近づいてきて…。
あぁ、アップになっても、不備がどこにもないなんて、どういうことですか?
肌のきめが細かくて、陶器のようにつるつるなんですけどぉ?
どうしてこれほどまでに完璧な仕上がりなのでしょう。
対しての、ぼく。公式の悪意を感じざるを得ません。
と、見惚れていたら。
「にゃおーん」
シオンが鳴いた。
鳴いた? な、なんですとぉ?
夕食後だから、シオンはチョンではないのです。猫の鳴き真似だから、ぼくの耳にも、にゃおーんです。
つか、あの甲高い声じゃない。寄せてはいるが、真似しきれていないんですけどぉ?
それで、ぼくの心臓は、ギュンと縮こまった。
AED並みの衝撃ですよ、シオンさんっっ!
「どこかで、あの猫が怒っているようだぞ?」
いつもより低めの声だから、陛下は怒っていると判断したようだ。でも。
「お、お、お、お気になさらず」
無茶苦茶へたくそな誤魔化しを、してしまった。陛下は納得してくれたから良かったけれど。冷や汗ものです。
陛下がサロンを出たあと。ぼくは自室の扉をキッと睨んだ。
二センチ開いたドアの隙間から、ジト目のシオンが見ていて。唇をへの字に引き結んで。扉をパタリと閉めた。
怖っ。つか、怒りたいの、こっちなんですけどっ。
それから、サロンにひとりになったぼくは。
推しのめくるめく美麗シーンを、アルバムのごとく脳裏に展開させて、ほぉぅ…と満足のため息をつくのだった。
以上、萌えの反芻でした。
本日は萌えを堪能できた、大変素晴らしい一日だったな。御馳走様でした。
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