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62 ならぬ(イアンside)
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◆ならぬ(イアンside)
恋人つなぎという、良きものを。クロウに教えてもらった。
指を絡める、その握り方は。普通に手をつなぐよりも、手のひらの体温がしっかりと伝わって、触れ合う面積も多いような感じがする。
なにより、ちょっとやそっと動いたくらいでは、離れない。固い絆が、結ばれたような感覚が素晴らしい。
名前もそうだが。より、クロウと。本当の恋人に近づいていくような、そんな気になった。
胸がくすぐったい想いで、クロウと笑い合う。春の陽だまりのような、温かい時間。
しかし、無粋な防御門の轟音により、ほのぼのタイムに終止符が打たれた。
誰かが王城を訪れたようだ。
嫌な予感しかしないが…。仕方なく、散策を中断して。我たちは、住居城館へ足を向けた。
恋人つなぎはそのままで。森を早足で抜けていく。
先ほどまでの青空に、雲がかかり始めていた。
エントランスに足を踏み入れると。クロウと過ごしたことで、好感に満ちていた我の気持ちが。不快さに、かき消されてしまった。
ホールにいる、アイリスの手を掴んでいるバミネの姿が、目に入ったからだ。
「お帰りなさいませ、陛下。おやおや、この短い間に、俺が差し向けた仕立て屋を、お気に召したようですなぁ?」
やつの言葉に反応して、クロウは慌てて、恋人つなぎを離してしまった。
不快極まりない。
「先触れもなく、城へ上がり込むとは、無礼だぞ。すぐに、アイリス嬢から離れて、立ち去れ」
我はバミネを一喝したが。
やつはニヤニヤと薄笑いをするばかりだ。
「急な要件ゆえ、失礼をいたしました。実は、令嬢の縁談が決まりましてな。フローレンス子爵から、王城で行儀見習いをしている娘を、連れ帰って欲しいと言われたのです」
「だから、私は帰らないってば。お父様が決めた縁談なんて、どうせろくなものではないわっ」
「おとなしく言うことを聞けっ」
バミネは抵抗するアイリスの頬を平手打ちした。
女性を平気で殴るなんて、本当に野蛮な男だ。
「あ、アイリス様っ」
クロウが、アイリスを心配して。床に倒れ伏すアイリスに駆け寄っていった。
床に膝をつき、クロウは倒れ込むアイリスの体を支えてあげながら、バミネを睨む。
「可愛らしい女の子を殴るなんて、外道がすることだ。アイリス様は貴族令嬢ですよ? おまえは、曲がりなりにも騎士だろう? 御令嬢に手を上げるなんて、騎士道の礼節に反する行いだ」
「はっ、御令嬢? 王に取り入って、股を開く性悪女が。令嬢を気取るんじゃねぇよ」
片頬を上げて、下卑た表情で笑うバミネを。
クロウは、きょとんと見やる。
意味が分かっていないのだろうな。しかし、思い至ったようで、顔を真っ赤にした。
「はぁ? 女の子になってこと言うんだ? 破廉恥なっ」
「おいおい、さっきから。おまえは俺に、ずいぶんな言い様だな? 仕立て屋の分際で、公爵様に口を利く資格などおまえにはなかろう? クロウ」
「公爵様は御存命だろう? ならおまえは、ただの公爵令息。立場的にはアイリス様となんら変わらない、貴族の子供でしかないはずですが? つか、アイリス様に謝れっ」
クロウは、バミネに一歩も引かず。バチバチと火花が散る、舌鋒戦を挑んでいる。
我の出る幕がない。
そこに、アルフレドが騒ぎを聞きつけて、駆け寄ってきた。
手には、包丁を持ったままだ。
「やめろっ、アイリスは俺の嫁だ。縁談なんぞ、お断りだぜ」
「アルフレド様っ」
アルフレドのたくましい腕に、アイリスはしがみつき。涙目でバミネを睨んだ。
アイリスをかばっていたクロウも立ち上がり、ホッと胸を撫でおろしている。
アルフレドの左腕の中に、アイリスはおさまり。
右手に持つ包丁の切っ先を、彼はビシッとバミネに向けた。
修羅場を切り抜けてきたという噂が、アルフレドにはあるが。青色の瞳が、ほの暗く陰り。迫力のオーラを醸し出す。
「俺は平民で、王家とは関りねぇから、陛下を脅すような真似は、効かねぇぜ? 三枚におろして、冷凍庫に吊るしてやろうか? 死体が出なければ、おまえが傷つけられた証拠など、なくなるぜ」
「…脂身が」
アルフレドが啖呵を切る中。アイリスの場違いなつぶやきが、やけに耳に残った。
アルフレドにアイリスを奪われ。連れ帰れなくなった、バミネは。悔しげに奥歯を噛むが。
クロウを見て、また片頬を上げる、嫌な笑い方をした。
「三枚におろすのは、俺ではなく、クロウが先だろうが? 陛下に股を開いた性悪は、どうやらアイリスではなく、クロウだったようだ。大事な陛下を穢した男を、野放しにはできないだろう?」
やれやれという様子で、バミネはアルフレドに忠告するが。
バミネの言葉なんかに揺れるような、料理人ではない。
笑いを引きつらせながら、バミネは言葉を重ねていく。
「しかし、計算違いだったなぁ? この女は、それほど美人ではないが。女に飢えた陛下は、すぐにも手を出すと思っていた。陛下のお手付きの女を、貴族のジジイに高く売りつける算段だったのに、予定が外れた」
バミネの、あまりにも極悪非道な計画に。いつも明るいアイリスも、ひえっと肩をすくめた。
アルフレドは、そんなアイリスを守るように、肩を抱き寄せる。
どうやら、この場だけのことではなく、本当に恋人同士のようだ。
「もしや、クロウ。陛下に命乞いをして、代わりに体を捧げたか? 見下げ果てたやつだ」
「黙れ、バミネ。用が済んだら、さっさとここから出ていけ」
クロウに矛先を変えたバミネを、我は一刻も早く遠ざけたかった。
不快だという気持ちを、思い切りぶつけるが。
バミネは、王である我に、頭を下げることもなく。嫌味なだみ声で、終始、慇懃無礼な態度で通す。
「陛下、俺はがっかりしましたよ。クロウを成敗したという報告が、いつ来るかと。楽しみに待っていたのに。まさか、懐柔されているとはね? あんな鳥ガラみたいな男の体でも、満足できるというのなら。肉欲に、相当飢えていらっしゃるようだ?」
「黙れ、その汚い口を閉じろ」
我は、気が気でなかった。
バミネが、いつ、あのことを言うのかと。
言わずに、この城を去って欲しかった。
だから、とにかく、バミネを帰らせようとしたのに…。
バミネは大きな腹を揺さぶって、笑った。
「ハハッ、俺に、そのようなことを言える立場ですかぁ? 陛下。まぁ、あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう、脳筋の王めっ」
瞬間、我は心の内で、舌打ちした。
クロウの笑顔を守るため、せっかく言わないでおいたことを。簡単に暴露され。
腹立たしさと、クロウへの心配の気持ちで、心がかきむしられる。
クロウは、いつもの調子で。大事な言葉を、聞き逃していたらいい。と思う。
案の定、しばらくはバミネがなにを言ったのか、わかっていない表情をしていたが。
あの美しい、闇に星が散りばめられているような黒い瞳から、光が消えた。
「死に装束? 僕は…婚礼衣装を…」
「おや? 陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作るような無礼者は、即刻この城を去れ、と」
驚愕して、なにも言えなくなったクロウに。
バミネは、トドメをさす直前の、はなはだ愉快だと表する笑顔で、追い打ちをかける。
「おまえがこの城で屍と成り果てるのを、今か今かと待っていた。俺は、言ったんだよ。陛下に、心のままに振る舞えと。気に入らぬ者は、即刻切り捨てると思っていたが…まさか、体で篭絡するとは。生き残るためとはいえ、必死だな? クロウ」
我は、やつの穢れた言葉を耳に入れるつもりはなかった。
しかし、クロウの悪口だけは、軽視できない。
「黙れ、バミネ。これ以上、なにか口にしたら、許さぬ」
「許さぬ? とは、どういうことですかなぁ? 王よ。貴方にはもはや、すべてに関する決定権などないというのに?」
勝ち誇ったバミネの、その王を見下すいやらしい目つきが、我慢ならない。
我は地を這う、恐ろしげな声を出し、威嚇する。
「決定権などいらぬ。ここでおまえを、成敗すればよいのだ」
冷徹であり、迫力も出し、王の威光を持って、我は断言する。
「もうすぐ、嵐が来る。おまえの死体は、海に捨ててしまおう。大波が、おまえを沖に流してくれる。海の藻屑と成り果てるがよい。ゆえに、おまえは、ここで人知れず、死ね」
我に睥睨されたバミネは、あのふざけた笑みを消し去り。腰を抜かして座り込んだ。
そこに、抜剣したシヴァーディとセドリックが剣を突きつける。
「先ほどから、陛下に対する愚弄の数々、聞き捨てなりません」
「あぁ、陛下がお命じになれば、すぐにも、俺がこの手で…」
「存分に、やれ」
我は、余程残忍な顔をしていたのだろう。
バミネは、苦虫をかみ潰したような、醜悪な顔つきをさらす。
「待て、俺が船に戻らなかったら、父上に話が行くようにしてあるっ。くそっ、今日のところは引き上げてやっても良いが。あぁ、しかし。クロウは納期の四月一日に、引き上げるからな? 陛下に、抱き人形の娯楽を与えるつもりはありませんので。クロウ、それまでに仕事を終わらせなかったら。母の形見のネックレスは渡さない。わかったなっ?」
「まだ言うか? その口、引き裂いてやるっ」
セドリックが威嚇の剣を振り下ろすと、紙一重で剣先をかわしたバミネが、床を這う哀れな姿で城を出ていった。
「にゃーーーぅうぅ」
不快の元がいなくなり、ホッとしたのもつかの間。猫が甲高く鳴いた。
振り返ると、クロウが。ふらりと階段に足をかけているところだった。
黒猫は、クロウの足元で、せわしなく彼に声をかけているように見える。
「クロウ…?」
我が声をかけると。
ビクリとして。だが、青い顔色のまま、足を速めて小走りに駆け上がっていった。
「様子がおかしい」
我と、そこにいる者たちは、慌ててクロウを追いかけた。
バミネに、心無い言葉をいっぱい浴びせられた。
清廉なクロウは、傷つき、悲しみに沈んでしまうのではないか?
白皙の顔に、血色がなかった。どうなってしまうのか、とても心配だ。
クロウは真っ直ぐ、二階のサロンに入る。
いつもはゆったりとした動きのクロウが、このときばかりは素早くて。
用具箱から裁ちばさみを取り出すと、衣装がかかっている人台に向けて、振り上げた。
「セドリック、止めろっ」
クロウの一番近くにいたセドリックに、命令すると。
彼は反射的に動いて。ハサミを持つ彼の手を掴み、反対の手をクロウの首に押しつけて、そのまま床に倒れ込んだ。
反動で、ハサミは床に落ち。
セドリックの下敷きになったクロウは。気を失っている。
文句をつけるように、チョンが、ギャーウギャーウと、怪獣のように鳴いた。すまぬ。
「やりすぎだ、セドリック」
猫に言われるまでもなく。我は、セドリックの下からクロウを救出し。腕の中に抱き込んだ。
セドリックが力任せに押さえ込んだので、彼が傷ついていないか、気が気でない。
クロウの腕は、細く頼りないから、すぐにも折れてしまいそうだ。
「しかし、陛下の御前で刃物を取り出すのは、あってはならないことだ」
セドリックは、申し訳ないといった様子で、赤い髪を手でかくが。言い訳もする。
「おまえも剣を抜いただろう?」
「相手はバミネだ。俺が陛下に剣を向けないことくらい、わかるでしょうが?」
「クロウだって、そのような…」
「…してください」
我とセドリックが言い合っている間に、クロウが目を覚ました。
蚊の鳴くような声で、なにかを言ったが…そのあと再び、絹を裂くような、悲痛な叫びを上げる。
「セドリック様っ、服を、燃やしてっ」
クロウは我の腕の中で、身動きしなかった。
動けないのではなく、ぐったりとして、指一本動かす気力もないという様子だった。
そして、死人のように、ガクリと頭を下げる。
力なく項垂れ、前髪が顔にかかって、表情が見えにくくなるが。
我がのぞき込むと、まるで、魂が抜けたような顔をしていた。
ピカピカと輝いていた黒瞳も。真実を知って、凍りついている。
なんて、痛々しい表情だろう。
こんなクロウを見たくなかったから、我は、死に装束の話をしなかったのだ。
婚礼衣装を作っていると言って、嬉しそうにしていた。
誇らしげで、己の技術に自信をみなぎらせているクロウを、ずっと見ていたかった。
あの春の陽だまりのような、温かい世界が。バミネの心無い言葉で、崩壊してしまった。
色を失った、クロウの瞳から。ボロボロと大粒の涙がこぼれる。
我が剣を突きつけても、泣かなかったのに。
微笑ましいほどのひたむきさで、衣装を仕立てていた。
ちょっと小首をかしげて、ほんのり微笑んで。愛しげに生地をみつめ。丁寧に針を刺す。そんな彼の姿を、我は見てきた。
だからこそ、彼の複雑な気持ちが、ひしひしと胸に迫る。
理不尽な力で、踏みつけにされた、クロウの心の痛みを察し。
我は、クロウの涙を親指で拭うと。揺れる黒い瞳に視線を合わせ。告げた。
『ならぬ』と。
恋人つなぎという、良きものを。クロウに教えてもらった。
指を絡める、その握り方は。普通に手をつなぐよりも、手のひらの体温がしっかりと伝わって、触れ合う面積も多いような感じがする。
なにより、ちょっとやそっと動いたくらいでは、離れない。固い絆が、結ばれたような感覚が素晴らしい。
名前もそうだが。より、クロウと。本当の恋人に近づいていくような、そんな気になった。
胸がくすぐったい想いで、クロウと笑い合う。春の陽だまりのような、温かい時間。
しかし、無粋な防御門の轟音により、ほのぼのタイムに終止符が打たれた。
誰かが王城を訪れたようだ。
嫌な予感しかしないが…。仕方なく、散策を中断して。我たちは、住居城館へ足を向けた。
恋人つなぎはそのままで。森を早足で抜けていく。
先ほどまでの青空に、雲がかかり始めていた。
エントランスに足を踏み入れると。クロウと過ごしたことで、好感に満ちていた我の気持ちが。不快さに、かき消されてしまった。
ホールにいる、アイリスの手を掴んでいるバミネの姿が、目に入ったからだ。
「お帰りなさいませ、陛下。おやおや、この短い間に、俺が差し向けた仕立て屋を、お気に召したようですなぁ?」
やつの言葉に反応して、クロウは慌てて、恋人つなぎを離してしまった。
不快極まりない。
「先触れもなく、城へ上がり込むとは、無礼だぞ。すぐに、アイリス嬢から離れて、立ち去れ」
我はバミネを一喝したが。
やつはニヤニヤと薄笑いをするばかりだ。
「急な要件ゆえ、失礼をいたしました。実は、令嬢の縁談が決まりましてな。フローレンス子爵から、王城で行儀見習いをしている娘を、連れ帰って欲しいと言われたのです」
「だから、私は帰らないってば。お父様が決めた縁談なんて、どうせろくなものではないわっ」
「おとなしく言うことを聞けっ」
バミネは抵抗するアイリスの頬を平手打ちした。
女性を平気で殴るなんて、本当に野蛮な男だ。
「あ、アイリス様っ」
クロウが、アイリスを心配して。床に倒れ伏すアイリスに駆け寄っていった。
床に膝をつき、クロウは倒れ込むアイリスの体を支えてあげながら、バミネを睨む。
「可愛らしい女の子を殴るなんて、外道がすることだ。アイリス様は貴族令嬢ですよ? おまえは、曲がりなりにも騎士だろう? 御令嬢に手を上げるなんて、騎士道の礼節に反する行いだ」
「はっ、御令嬢? 王に取り入って、股を開く性悪女が。令嬢を気取るんじゃねぇよ」
片頬を上げて、下卑た表情で笑うバミネを。
クロウは、きょとんと見やる。
意味が分かっていないのだろうな。しかし、思い至ったようで、顔を真っ赤にした。
「はぁ? 女の子になってこと言うんだ? 破廉恥なっ」
「おいおい、さっきから。おまえは俺に、ずいぶんな言い様だな? 仕立て屋の分際で、公爵様に口を利く資格などおまえにはなかろう? クロウ」
「公爵様は御存命だろう? ならおまえは、ただの公爵令息。立場的にはアイリス様となんら変わらない、貴族の子供でしかないはずですが? つか、アイリス様に謝れっ」
クロウは、バミネに一歩も引かず。バチバチと火花が散る、舌鋒戦を挑んでいる。
我の出る幕がない。
そこに、アルフレドが騒ぎを聞きつけて、駆け寄ってきた。
手には、包丁を持ったままだ。
「やめろっ、アイリスは俺の嫁だ。縁談なんぞ、お断りだぜ」
「アルフレド様っ」
アルフレドのたくましい腕に、アイリスはしがみつき。涙目でバミネを睨んだ。
アイリスをかばっていたクロウも立ち上がり、ホッと胸を撫でおろしている。
アルフレドの左腕の中に、アイリスはおさまり。
右手に持つ包丁の切っ先を、彼はビシッとバミネに向けた。
修羅場を切り抜けてきたという噂が、アルフレドにはあるが。青色の瞳が、ほの暗く陰り。迫力のオーラを醸し出す。
「俺は平民で、王家とは関りねぇから、陛下を脅すような真似は、効かねぇぜ? 三枚におろして、冷凍庫に吊るしてやろうか? 死体が出なければ、おまえが傷つけられた証拠など、なくなるぜ」
「…脂身が」
アルフレドが啖呵を切る中。アイリスの場違いなつぶやきが、やけに耳に残った。
アルフレドにアイリスを奪われ。連れ帰れなくなった、バミネは。悔しげに奥歯を噛むが。
クロウを見て、また片頬を上げる、嫌な笑い方をした。
「三枚におろすのは、俺ではなく、クロウが先だろうが? 陛下に股を開いた性悪は、どうやらアイリスではなく、クロウだったようだ。大事な陛下を穢した男を、野放しにはできないだろう?」
やれやれという様子で、バミネはアルフレドに忠告するが。
バミネの言葉なんかに揺れるような、料理人ではない。
笑いを引きつらせながら、バミネは言葉を重ねていく。
「しかし、計算違いだったなぁ? この女は、それほど美人ではないが。女に飢えた陛下は、すぐにも手を出すと思っていた。陛下のお手付きの女を、貴族のジジイに高く売りつける算段だったのに、予定が外れた」
バミネの、あまりにも極悪非道な計画に。いつも明るいアイリスも、ひえっと肩をすくめた。
アルフレドは、そんなアイリスを守るように、肩を抱き寄せる。
どうやら、この場だけのことではなく、本当に恋人同士のようだ。
「もしや、クロウ。陛下に命乞いをして、代わりに体を捧げたか? 見下げ果てたやつだ」
「黙れ、バミネ。用が済んだら、さっさとここから出ていけ」
クロウに矛先を変えたバミネを、我は一刻も早く遠ざけたかった。
不快だという気持ちを、思い切りぶつけるが。
バミネは、王である我に、頭を下げることもなく。嫌味なだみ声で、終始、慇懃無礼な態度で通す。
「陛下、俺はがっかりしましたよ。クロウを成敗したという報告が、いつ来るかと。楽しみに待っていたのに。まさか、懐柔されているとはね? あんな鳥ガラみたいな男の体でも、満足できるというのなら。肉欲に、相当飢えていらっしゃるようだ?」
「黙れ、その汚い口を閉じろ」
我は、気が気でなかった。
バミネが、いつ、あのことを言うのかと。
言わずに、この城を去って欲しかった。
だから、とにかく、バミネを帰らせようとしたのに…。
バミネは大きな腹を揺さぶって、笑った。
「ハハッ、俺に、そのようなことを言える立場ですかぁ? 陛下。まぁ、あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう、脳筋の王めっ」
瞬間、我は心の内で、舌打ちした。
クロウの笑顔を守るため、せっかく言わないでおいたことを。簡単に暴露され。
腹立たしさと、クロウへの心配の気持ちで、心がかきむしられる。
クロウは、いつもの調子で。大事な言葉を、聞き逃していたらいい。と思う。
案の定、しばらくはバミネがなにを言ったのか、わかっていない表情をしていたが。
あの美しい、闇に星が散りばめられているような黒い瞳から、光が消えた。
「死に装束? 僕は…婚礼衣装を…」
「おや? 陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作るような無礼者は、即刻この城を去れ、と」
驚愕して、なにも言えなくなったクロウに。
バミネは、トドメをさす直前の、はなはだ愉快だと表する笑顔で、追い打ちをかける。
「おまえがこの城で屍と成り果てるのを、今か今かと待っていた。俺は、言ったんだよ。陛下に、心のままに振る舞えと。気に入らぬ者は、即刻切り捨てると思っていたが…まさか、体で篭絡するとは。生き残るためとはいえ、必死だな? クロウ」
我は、やつの穢れた言葉を耳に入れるつもりはなかった。
しかし、クロウの悪口だけは、軽視できない。
「黙れ、バミネ。これ以上、なにか口にしたら、許さぬ」
「許さぬ? とは、どういうことですかなぁ? 王よ。貴方にはもはや、すべてに関する決定権などないというのに?」
勝ち誇ったバミネの、その王を見下すいやらしい目つきが、我慢ならない。
我は地を這う、恐ろしげな声を出し、威嚇する。
「決定権などいらぬ。ここでおまえを、成敗すればよいのだ」
冷徹であり、迫力も出し、王の威光を持って、我は断言する。
「もうすぐ、嵐が来る。おまえの死体は、海に捨ててしまおう。大波が、おまえを沖に流してくれる。海の藻屑と成り果てるがよい。ゆえに、おまえは、ここで人知れず、死ね」
我に睥睨されたバミネは、あのふざけた笑みを消し去り。腰を抜かして座り込んだ。
そこに、抜剣したシヴァーディとセドリックが剣を突きつける。
「先ほどから、陛下に対する愚弄の数々、聞き捨てなりません」
「あぁ、陛下がお命じになれば、すぐにも、俺がこの手で…」
「存分に、やれ」
我は、余程残忍な顔をしていたのだろう。
バミネは、苦虫をかみ潰したような、醜悪な顔つきをさらす。
「待て、俺が船に戻らなかったら、父上に話が行くようにしてあるっ。くそっ、今日のところは引き上げてやっても良いが。あぁ、しかし。クロウは納期の四月一日に、引き上げるからな? 陛下に、抱き人形の娯楽を与えるつもりはありませんので。クロウ、それまでに仕事を終わらせなかったら。母の形見のネックレスは渡さない。わかったなっ?」
「まだ言うか? その口、引き裂いてやるっ」
セドリックが威嚇の剣を振り下ろすと、紙一重で剣先をかわしたバミネが、床を這う哀れな姿で城を出ていった。
「にゃーーーぅうぅ」
不快の元がいなくなり、ホッとしたのもつかの間。猫が甲高く鳴いた。
振り返ると、クロウが。ふらりと階段に足をかけているところだった。
黒猫は、クロウの足元で、せわしなく彼に声をかけているように見える。
「クロウ…?」
我が声をかけると。
ビクリとして。だが、青い顔色のまま、足を速めて小走りに駆け上がっていった。
「様子がおかしい」
我と、そこにいる者たちは、慌ててクロウを追いかけた。
バミネに、心無い言葉をいっぱい浴びせられた。
清廉なクロウは、傷つき、悲しみに沈んでしまうのではないか?
白皙の顔に、血色がなかった。どうなってしまうのか、とても心配だ。
クロウは真っ直ぐ、二階のサロンに入る。
いつもはゆったりとした動きのクロウが、このときばかりは素早くて。
用具箱から裁ちばさみを取り出すと、衣装がかかっている人台に向けて、振り上げた。
「セドリック、止めろっ」
クロウの一番近くにいたセドリックに、命令すると。
彼は反射的に動いて。ハサミを持つ彼の手を掴み、反対の手をクロウの首に押しつけて、そのまま床に倒れ込んだ。
反動で、ハサミは床に落ち。
セドリックの下敷きになったクロウは。気を失っている。
文句をつけるように、チョンが、ギャーウギャーウと、怪獣のように鳴いた。すまぬ。
「やりすぎだ、セドリック」
猫に言われるまでもなく。我は、セドリックの下からクロウを救出し。腕の中に抱き込んだ。
セドリックが力任せに押さえ込んだので、彼が傷ついていないか、気が気でない。
クロウの腕は、細く頼りないから、すぐにも折れてしまいそうだ。
「しかし、陛下の御前で刃物を取り出すのは、あってはならないことだ」
セドリックは、申し訳ないといった様子で、赤い髪を手でかくが。言い訳もする。
「おまえも剣を抜いただろう?」
「相手はバミネだ。俺が陛下に剣を向けないことくらい、わかるでしょうが?」
「クロウだって、そのような…」
「…してください」
我とセドリックが言い合っている間に、クロウが目を覚ました。
蚊の鳴くような声で、なにかを言ったが…そのあと再び、絹を裂くような、悲痛な叫びを上げる。
「セドリック様っ、服を、燃やしてっ」
クロウは我の腕の中で、身動きしなかった。
動けないのではなく、ぐったりとして、指一本動かす気力もないという様子だった。
そして、死人のように、ガクリと頭を下げる。
力なく項垂れ、前髪が顔にかかって、表情が見えにくくなるが。
我がのぞき込むと、まるで、魂が抜けたような顔をしていた。
ピカピカと輝いていた黒瞳も。真実を知って、凍りついている。
なんて、痛々しい表情だろう。
こんなクロウを見たくなかったから、我は、死に装束の話をしなかったのだ。
婚礼衣装を作っていると言って、嬉しそうにしていた。
誇らしげで、己の技術に自信をみなぎらせているクロウを、ずっと見ていたかった。
あの春の陽だまりのような、温かい世界が。バミネの心無い言葉で、崩壊してしまった。
色を失った、クロウの瞳から。ボロボロと大粒の涙がこぼれる。
我が剣を突きつけても、泣かなかったのに。
微笑ましいほどのひたむきさで、衣装を仕立てていた。
ちょっと小首をかしげて、ほんのり微笑んで。愛しげに生地をみつめ。丁寧に針を刺す。そんな彼の姿を、我は見てきた。
だからこそ、彼の複雑な気持ちが、ひしひしと胸に迫る。
理不尽な力で、踏みつけにされた、クロウの心の痛みを察し。
我は、クロウの涙を親指で拭うと。揺れる黒い瞳に視線を合わせ。告げた。
『ならぬ』と。
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裏乙女ゲー?モブですよね? いいえ主人公です。
みーやん
BL
何日の時をこのソファーと過ごしただろう。
愛してやまない我が妹に頼まれた乙女ゲーの攻略は終わりを迎えようとしていた。
「私の青春学園生活⭐︎星蒼山学園」というこのタイトルの通り、女の子の主人公が学園生活を送りながら攻略対象に擦り寄り青春という名の恋愛を繰り広げるゲームだ。ちなみに女子生徒は全校生徒約900人のうち主人公1人というハーレム設定である。
あと1ヶ月後に30歳の誕生日を迎える俺には厳しすぎるゲームではあるが可愛い妹の為、精神と睡眠を削りながらやっとの思いで最後の攻略対象を攻略し見事クリアした。
最後のエンドロールまで見た後に
「裏乙女ゲームを開始しますか?」
という文字が出てきたと思ったら目の視界がだんだんと狭まってくる感覚に襲われた。
あ。俺3日寝てなかったんだ…
そんなことにふと気がついた時には視界は完全に奪われていた。
次に目が覚めると目の前には見覚えのあるゲームならではのウィンドウ。
「星蒼山学園へようこそ!攻略対象を攻略し青春を掴み取ろう!」
何度見たかわからないほど見たこの文字。そして気づく現実味のある体感。そこは3日徹夜してクリアしたゲームの世界でした。
え?意味わかんないけどとりあえず俺はもちろんモブだよね?
これはモブだと勘違いしている男が実は主人公だと気付かないまま学園生活を送る話です。
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
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