80 / 176
63 我の愛しい死神
しおりを挟む
◆我の愛しい死神
幸せな日々から、一転、奈落の底へ突き落された。
王城に戻ったぼくと陛下は、ホールで、アイリスの腕を掴むバミネを見た。
人を見て、こんなふうに思っちゃいけないのかもしれないが。とにかく不快感が、波のように次々と押し寄せてくるな。
悪役令息の本領発揮とばかりに、バミネは下品で、嫌な言葉しか吐かなかった。
ま、股を開くとか。性悪とか。鳥ガラとか…。
と、鳥ガラに鳥ガラって言ったら、ぐっさり胸に突き刺さって、傷つくんだからなぁ?
図星はあかんよ、図星は。
さらに、アイリスを貴族のジジイに売る発言は。
究極の悪口雑言かと思ったが。さらに上があるとはね。
「…あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう脳筋の王めっ」
は?
黙れ、帰れ、と口にする陛下に、バミネはそう言うのだが。
は? としか思えなかった。いったい、なんの話?
「死に装束? 僕は、婚礼衣装を…」
その、口にするのもおぞましい、痛烈な言葉に。頭が真っ白になって。
なにも考えられなくなった。
なにも、考えたくない。
「おや、陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作る無礼者は、即刻この城を去れ、と」
鬼の首を取ったかのように、バミネはすっごく楽しそうに、誇らしげに、ぼくに言ってくる。
ハッと息をのんだあと。ぼくは、呼吸がうまくできなくなった。
指ひとつ動かせなくなるほどに、血液が凍ってしまったみたいに、脳みそが壊死したかのように。立ったままの死体になった。
だが、にぶく回る頭の隅に、心当たりがあって。
城へ来た当初、陛下に剣を突きつけられた。
あれは冗談だって、あとから言ってくれたけれど。
もしかして、本気だった?
死に装束を作る無礼者を、成敗しようとしていたのか?
ぼくを死神と称したのも。
その衣装で、我を墓場へ案内する、と言ったのも。
ぼくが、忠誠を誓った日。
おまえは我の死神だから。我が死ぬとき、我のそばにいるのはおまえでなければならない。と言ったのも…。
もしも、そうだったなら。
ぼくはあの日、陛下がどれだけ悲壮な想いで、その言葉を告げたのか、わかっていなかった。
ただ、死ぬまで。陛下が年老いて、寿命を迎えるその日まで、そばにいてもいいという許しを得たのだと。そう思って。
嬉しく、思って…。
でも、バミネが。ぼくは婚礼衣装だと思っていたが。バミネが、死に装束を仕立てているつもりだったのなら。
バミネはすでに、本気で陛下を殺す算段をしている?
その日を視野に入れている?
陛下の、御命は…。ぼくの仕立てが終わるとき、まで? 陛下もそれを、予感している?
そばにいることを受け入れてもらった、ぼくは。浮き立つ気持ちのままに、陛下にお礼を言ったが。
そのときの陛下の顔は、どこかせつなげだった。
そう、確かに思ったのに。
そのときは、その意味がわからなくて。無邪気に喜んで。
ぼくは、なんて。馬鹿で。能天気だったのだろうっ。
その後も、バミネと陛下が、なにやら言い合っていたけれど。
ぼくは、そのことが全然頭に入ってこなくて。
いつのまにか、チョンも足元にいたけれど。なにを言っているのか、わからなくて。
死に装束という言葉が。あまりにも鋭利で。あまりにも過重で。ぼくの心を切り刻んで踏み潰して粉砕する。
時間も場所も音も、なにもかもがぐんにゃりと歪んでしまうほどに。
自分を保てなくなるほどに。
衝撃的な言葉だ。
その言葉だけで、死んでしまえたら。そんなふうに思って。
いっそ、その言葉の刃で、ぼくの心臓を突き刺して、止めて。そんなふうに思って。
目の前が、真っ暗になる。
すぐにも、その場に崩れ落ちてしまいたかった。
けれど…その前にやることがある。
自分の体なのに、なんだか重いな。
そう思いながら。ぼくは無理矢理足を動かして。階段に足をかけた。
「兄上っ、大丈夫ですか? 顔色が悪いです。バミネの言うことなんか、無視すればいいのです。兄上は、なにも悪くないのですよ?」
チョンが、一生懸命慰めてくれるが。
言葉に傷ついたとか、そういう表面的なことではないのだ。
ただ。なにも知らなかったぼくを、ぼくが恥じているだけ。
無知ほど、害悪なものはない。
ぼくの存在が、そこにあるだけで、どれほど陛下を傷つけたと思う?
恐れさせたと思う?
嫌悪だったと思う?
「クロウ?」
陛下に声をかけられた。顔を見なくても、心配そうな声で。本当に、お優しい方だ。
でも、ぼくは貴方の顔が見れません。
涙が込み上げるけど、グッとこらえて。ぼくは小走りに階段を駆け上がった。
ぼくは、衣装作りに誠心誠意取り組んでいたのだ。なのに、心の支柱が、粉々に砕かれてしまった。
階段を登りきり、右に曲がって、真っ直ぐサロンに入っていく。
そして用具箱から裁ちハサミを取り出すと、トルソーにかかっていた作りかけの衣装に向かって、ハサミを振り上げる。
こんなもの、あってはならないっ。
自分が作り出したものに、これほどの嫌悪を持ったことなど。今まで一度もない。
でも。とにかく。
一刻も早く。
この服を、この世から消し去ってしまいたかった。
「セドリック、止めろっ」
しかし。陛下の言で、ぼくはセドリックに制圧され。床に押さえこまれた。
ハサミは衣装に届かず、切ることは叶わなかったし。
思い切り床に叩きつけられてしまって。ぼくは一瞬、気が遠くなった。
「あぁぁ、兄上が死んでしまうぅ。この、クソ馬鹿力、なんてことすんだ、早くどけ、このゴリラっ」
ぶっちゃけ、気を失ってしまいたかったが。
人間って、そんなに簡単に、気を失わないものだよね?
それに、チョンが断末魔みたいな声、つぅか、怪獣みたいな、今まで聞いたことないような声で鳴くから。
変なこと言って、笑かそうとするから。もう。
兄としても、ケジメ的な意味でも、気を失っていられないな、というか…。
「燃やしてください」
陛下とセドリックが言い合っている中。声を出したのだが。
あんまりにも掠れた声だったから、聞き取ってもらえなかったみたいで。ぼくは、叫んだ。
「セドリック様っ、服を、燃やしてくださいっ」
なんか、すっごく体力消耗する。
悲しいと。心が痛いと。体まで動かなくなるものなんだな。
もう、指一本、動かないよ。
頭を起こすのも、つらいよ。
そして、ガクリとぼくは頭を下げる。
そうしたら、重力を感じたみたいに、大粒の涙が目からボトボトッと落ちた。
最初、これがなにか、わからなかった。
それぐらい。久しぶりに泣いたような気がするなぁ。
なんか、心と体が乖離しているような感覚だった。
今、思考しているのは九郎で。泣いているのはクロウ、みたいな。
あぁ、やっぱり。クロウは陛下のことが大好きだよね?
だから、申し訳なくて、顔を上げられないし。死に装束を作っていた自分を許せないし。
とにかく、悲しいんだ。
「ならぬ」
だから、陛下に。
思いがけないことを言われて。
ぼくは目を丸くした。
だって、陛下にとっても。こんな、死に装束なんて、ない方がいいに決まっている。
ぼくが衣装を作り上げなければ、陛下だって、殺されることはなくなるかも。
こんなもの。こんなもの…。
あまりにも申し訳なくて。陛下の顔を見られないと思っていたが。
床に倒れたぼくを、優しく抱き起こしてくれた陛下が。腕の中で、ぼくを柔らかく包んでくれたから。
ぼくは思い切って顔を上げ、陛下に戸惑いの目を向けた。
ぼくが死神だと自覚して、初めて陛下の顔を見る。
怖い顔をしているかも。
ずっと、嫌悪の目で見られていたのかも。
そう思うと。陛下が今まで自分に、どんな顔を向けていたのか、そんなこともわからなくなった。
だから、陛下の顔を見るのが怖かったけど。
そばで、ぼくをみつめる陛下は。いつもどおりの柔らかな眼差しで。
そうだ、陛下はいつも。ぼくを、厳しく美麗な眼差しながらも、その瞳の奥に優しい光をたたえて、みつめてくれていたと。そう、思い出した。
怖い顔や嫌悪の目など、この頃はしていなかったっけ。
今は、少し心配そうに、ぼくを見てくれている。
ホッとした。今、冷たい目で見られたら。視線で、余裕で死ねるもんな。
「…でも」
「我のものを傷つけるのは、許さぬ」
衣装を燃やしてと言った、ぼくへの答えだ。
確かに、陛下のものを、勝手にどうにもできませんが。
でも、これは。こんなものはっ。
「僕はっ、死に装束を作るために、ここへ来たのではありません」
言葉をつむぐたび、涙が、とめどなくあふれる。
知らなかったとはいえ、なんてものを作り出してしまったのかっ。
息が苦しくて、たまらない。
口の中に、苦い物があふれている。
そんなふうに慟哭するぼくの涙を、陛下は親指で拭ってくれた。
ぼくは、嗚咽をのみこんで、必死に陛下に訴える。
「こ、婚礼衣装だと、思っていたのです。陛下が、幸せになるように、と。一針、一針、心を込め…な、なのに…」
「わかっている」
恋に気づいてから、陛下が結婚することに、もやもやしていたことはあったけど。
城に入る前から、手掛けてきた前身ごろの刺繍などは、本当に、そういう気持ちで縫っていた。
晴れの日に、陛下が一番輝いて見えるように。
「ご結婚の話は、あったのですよね? し、死に装束なんて、ぼくの聞き間違いですよね? それか、バミネの嫌がらせですよ、ね?」
期待を込めて聞いてみる。
死神認定も、アイキンのゲーム誘導で。
死に装束を作るからという理由ではない。偶然なのですよね?
「結婚話は、最初からなかったのだ」
だが、陛下は肯定してはくださらなかった。
やっぱり、死に装束を作りに来た仕立て屋だから。ぼくは、死神だったのだっ。
黒くてガリガリだったからじゃ、なかったんだっ。
「…そんな…」
ぼくは、この上もなく絶望し。マジで、失神しそうになった。
でも、人間は簡単に、失神しないものです。
つか、バミネの考えること、エグくね?
死に装束とか、普通考えつかないよ。
あぁ、もう。あいつ、マジ、嫌い。
あいつのこと、最初から嫌いだったけど。
ひとりの人間に対して、ここまでの憎しみを感じたのは、前世も含めて初めてだよ。
キューッ、きらいぃぃ。
恐れ多いと感じながらも、ぼくは陛下を身近に感じたくて。すがるように、ギュッと彼の上着を握り込んだ。
すると陛下は、ぼくの背中に手を回し、テンテンしてくれる。おお優しいぃぃ。
「どうして、早く言ってくださらなかったのですか? し、死に装束だと、わかっていたら。こんな依頼は受けなかったのに」
「そうしたら、我とクロウが出会えなかったではないか? 我は、おまえと出会えて、嬉しかったし。おまえの笑顔を曇らせたくなかったから。そのことは黙っていた。みんなにも、口止めしていた」
周囲に目をやると、騎士様たちも、ラヴェルも、アイリスもアルフレドも、みんないて。みんなうなずいていた。
「僕は、陛下にとって、死神なのでしょう? なのに。どうして僕を…僕なんかを…」
無意識であっても、目の前で自分の死に装束を作るような者など。普通なら、視界にも入れたくないだろう。
なのに、陛下はぼくを好きだと言ってくれた。
真に、死神だったというのに。
そばにいさせてとお願いした、浅はかなぼくを許し。
そばにいてほしいと願ってもくれた。どうして?
問うように、陛下をみつめると。
ぼくを気遣う、穏やかな目の色で。
懐古を呼ぶ、海色のキラキラした瞳に、ぼくの顔を映して。そっと囁いた。
「おまえは、我の愛しい死神だからだ」
幸せな日々から、一転、奈落の底へ突き落された。
王城に戻ったぼくと陛下は、ホールで、アイリスの腕を掴むバミネを見た。
人を見て、こんなふうに思っちゃいけないのかもしれないが。とにかく不快感が、波のように次々と押し寄せてくるな。
悪役令息の本領発揮とばかりに、バミネは下品で、嫌な言葉しか吐かなかった。
ま、股を開くとか。性悪とか。鳥ガラとか…。
と、鳥ガラに鳥ガラって言ったら、ぐっさり胸に突き刺さって、傷つくんだからなぁ?
図星はあかんよ、図星は。
さらに、アイリスを貴族のジジイに売る発言は。
究極の悪口雑言かと思ったが。さらに上があるとはね。
「…あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう脳筋の王めっ」
は?
黙れ、帰れ、と口にする陛下に、バミネはそう言うのだが。
は? としか思えなかった。いったい、なんの話?
「死に装束? 僕は、婚礼衣装を…」
その、口にするのもおぞましい、痛烈な言葉に。頭が真っ白になって。
なにも考えられなくなった。
なにも、考えたくない。
「おや、陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作る無礼者は、即刻この城を去れ、と」
鬼の首を取ったかのように、バミネはすっごく楽しそうに、誇らしげに、ぼくに言ってくる。
ハッと息をのんだあと。ぼくは、呼吸がうまくできなくなった。
指ひとつ動かせなくなるほどに、血液が凍ってしまったみたいに、脳みそが壊死したかのように。立ったままの死体になった。
だが、にぶく回る頭の隅に、心当たりがあって。
城へ来た当初、陛下に剣を突きつけられた。
あれは冗談だって、あとから言ってくれたけれど。
もしかして、本気だった?
死に装束を作る無礼者を、成敗しようとしていたのか?
ぼくを死神と称したのも。
その衣装で、我を墓場へ案内する、と言ったのも。
ぼくが、忠誠を誓った日。
おまえは我の死神だから。我が死ぬとき、我のそばにいるのはおまえでなければならない。と言ったのも…。
もしも、そうだったなら。
ぼくはあの日、陛下がどれだけ悲壮な想いで、その言葉を告げたのか、わかっていなかった。
ただ、死ぬまで。陛下が年老いて、寿命を迎えるその日まで、そばにいてもいいという許しを得たのだと。そう思って。
嬉しく、思って…。
でも、バミネが。ぼくは婚礼衣装だと思っていたが。バミネが、死に装束を仕立てているつもりだったのなら。
バミネはすでに、本気で陛下を殺す算段をしている?
その日を視野に入れている?
陛下の、御命は…。ぼくの仕立てが終わるとき、まで? 陛下もそれを、予感している?
そばにいることを受け入れてもらった、ぼくは。浮き立つ気持ちのままに、陛下にお礼を言ったが。
そのときの陛下の顔は、どこかせつなげだった。
そう、確かに思ったのに。
そのときは、その意味がわからなくて。無邪気に喜んで。
ぼくは、なんて。馬鹿で。能天気だったのだろうっ。
その後も、バミネと陛下が、なにやら言い合っていたけれど。
ぼくは、そのことが全然頭に入ってこなくて。
いつのまにか、チョンも足元にいたけれど。なにを言っているのか、わからなくて。
死に装束という言葉が。あまりにも鋭利で。あまりにも過重で。ぼくの心を切り刻んで踏み潰して粉砕する。
時間も場所も音も、なにもかもがぐんにゃりと歪んでしまうほどに。
自分を保てなくなるほどに。
衝撃的な言葉だ。
その言葉だけで、死んでしまえたら。そんなふうに思って。
いっそ、その言葉の刃で、ぼくの心臓を突き刺して、止めて。そんなふうに思って。
目の前が、真っ暗になる。
すぐにも、その場に崩れ落ちてしまいたかった。
けれど…その前にやることがある。
自分の体なのに、なんだか重いな。
そう思いながら。ぼくは無理矢理足を動かして。階段に足をかけた。
「兄上っ、大丈夫ですか? 顔色が悪いです。バミネの言うことなんか、無視すればいいのです。兄上は、なにも悪くないのですよ?」
チョンが、一生懸命慰めてくれるが。
言葉に傷ついたとか、そういう表面的なことではないのだ。
ただ。なにも知らなかったぼくを、ぼくが恥じているだけ。
無知ほど、害悪なものはない。
ぼくの存在が、そこにあるだけで、どれほど陛下を傷つけたと思う?
恐れさせたと思う?
嫌悪だったと思う?
「クロウ?」
陛下に声をかけられた。顔を見なくても、心配そうな声で。本当に、お優しい方だ。
でも、ぼくは貴方の顔が見れません。
涙が込み上げるけど、グッとこらえて。ぼくは小走りに階段を駆け上がった。
ぼくは、衣装作りに誠心誠意取り組んでいたのだ。なのに、心の支柱が、粉々に砕かれてしまった。
階段を登りきり、右に曲がって、真っ直ぐサロンに入っていく。
そして用具箱から裁ちハサミを取り出すと、トルソーにかかっていた作りかけの衣装に向かって、ハサミを振り上げる。
こんなもの、あってはならないっ。
自分が作り出したものに、これほどの嫌悪を持ったことなど。今まで一度もない。
でも。とにかく。
一刻も早く。
この服を、この世から消し去ってしまいたかった。
「セドリック、止めろっ」
しかし。陛下の言で、ぼくはセドリックに制圧され。床に押さえこまれた。
ハサミは衣装に届かず、切ることは叶わなかったし。
思い切り床に叩きつけられてしまって。ぼくは一瞬、気が遠くなった。
「あぁぁ、兄上が死んでしまうぅ。この、クソ馬鹿力、なんてことすんだ、早くどけ、このゴリラっ」
ぶっちゃけ、気を失ってしまいたかったが。
人間って、そんなに簡単に、気を失わないものだよね?
それに、チョンが断末魔みたいな声、つぅか、怪獣みたいな、今まで聞いたことないような声で鳴くから。
変なこと言って、笑かそうとするから。もう。
兄としても、ケジメ的な意味でも、気を失っていられないな、というか…。
「燃やしてください」
陛下とセドリックが言い合っている中。声を出したのだが。
あんまりにも掠れた声だったから、聞き取ってもらえなかったみたいで。ぼくは、叫んだ。
「セドリック様っ、服を、燃やしてくださいっ」
なんか、すっごく体力消耗する。
悲しいと。心が痛いと。体まで動かなくなるものなんだな。
もう、指一本、動かないよ。
頭を起こすのも、つらいよ。
そして、ガクリとぼくは頭を下げる。
そうしたら、重力を感じたみたいに、大粒の涙が目からボトボトッと落ちた。
最初、これがなにか、わからなかった。
それぐらい。久しぶりに泣いたような気がするなぁ。
なんか、心と体が乖離しているような感覚だった。
今、思考しているのは九郎で。泣いているのはクロウ、みたいな。
あぁ、やっぱり。クロウは陛下のことが大好きだよね?
だから、申し訳なくて、顔を上げられないし。死に装束を作っていた自分を許せないし。
とにかく、悲しいんだ。
「ならぬ」
だから、陛下に。
思いがけないことを言われて。
ぼくは目を丸くした。
だって、陛下にとっても。こんな、死に装束なんて、ない方がいいに決まっている。
ぼくが衣装を作り上げなければ、陛下だって、殺されることはなくなるかも。
こんなもの。こんなもの…。
あまりにも申し訳なくて。陛下の顔を見られないと思っていたが。
床に倒れたぼくを、優しく抱き起こしてくれた陛下が。腕の中で、ぼくを柔らかく包んでくれたから。
ぼくは思い切って顔を上げ、陛下に戸惑いの目を向けた。
ぼくが死神だと自覚して、初めて陛下の顔を見る。
怖い顔をしているかも。
ずっと、嫌悪の目で見られていたのかも。
そう思うと。陛下が今まで自分に、どんな顔を向けていたのか、そんなこともわからなくなった。
だから、陛下の顔を見るのが怖かったけど。
そばで、ぼくをみつめる陛下は。いつもどおりの柔らかな眼差しで。
そうだ、陛下はいつも。ぼくを、厳しく美麗な眼差しながらも、その瞳の奥に優しい光をたたえて、みつめてくれていたと。そう、思い出した。
怖い顔や嫌悪の目など、この頃はしていなかったっけ。
今は、少し心配そうに、ぼくを見てくれている。
ホッとした。今、冷たい目で見られたら。視線で、余裕で死ねるもんな。
「…でも」
「我のものを傷つけるのは、許さぬ」
衣装を燃やしてと言った、ぼくへの答えだ。
確かに、陛下のものを、勝手にどうにもできませんが。
でも、これは。こんなものはっ。
「僕はっ、死に装束を作るために、ここへ来たのではありません」
言葉をつむぐたび、涙が、とめどなくあふれる。
知らなかったとはいえ、なんてものを作り出してしまったのかっ。
息が苦しくて、たまらない。
口の中に、苦い物があふれている。
そんなふうに慟哭するぼくの涙を、陛下は親指で拭ってくれた。
ぼくは、嗚咽をのみこんで、必死に陛下に訴える。
「こ、婚礼衣装だと、思っていたのです。陛下が、幸せになるように、と。一針、一針、心を込め…な、なのに…」
「わかっている」
恋に気づいてから、陛下が結婚することに、もやもやしていたことはあったけど。
城に入る前から、手掛けてきた前身ごろの刺繍などは、本当に、そういう気持ちで縫っていた。
晴れの日に、陛下が一番輝いて見えるように。
「ご結婚の話は、あったのですよね? し、死に装束なんて、ぼくの聞き間違いですよね? それか、バミネの嫌がらせですよ、ね?」
期待を込めて聞いてみる。
死神認定も、アイキンのゲーム誘導で。
死に装束を作るからという理由ではない。偶然なのですよね?
「結婚話は、最初からなかったのだ」
だが、陛下は肯定してはくださらなかった。
やっぱり、死に装束を作りに来た仕立て屋だから。ぼくは、死神だったのだっ。
黒くてガリガリだったからじゃ、なかったんだっ。
「…そんな…」
ぼくは、この上もなく絶望し。マジで、失神しそうになった。
でも、人間は簡単に、失神しないものです。
つか、バミネの考えること、エグくね?
死に装束とか、普通考えつかないよ。
あぁ、もう。あいつ、マジ、嫌い。
あいつのこと、最初から嫌いだったけど。
ひとりの人間に対して、ここまでの憎しみを感じたのは、前世も含めて初めてだよ。
キューッ、きらいぃぃ。
恐れ多いと感じながらも、ぼくは陛下を身近に感じたくて。すがるように、ギュッと彼の上着を握り込んだ。
すると陛下は、ぼくの背中に手を回し、テンテンしてくれる。おお優しいぃぃ。
「どうして、早く言ってくださらなかったのですか? し、死に装束だと、わかっていたら。こんな依頼は受けなかったのに」
「そうしたら、我とクロウが出会えなかったではないか? 我は、おまえと出会えて、嬉しかったし。おまえの笑顔を曇らせたくなかったから。そのことは黙っていた。みんなにも、口止めしていた」
周囲に目をやると、騎士様たちも、ラヴェルも、アイリスもアルフレドも、みんないて。みんなうなずいていた。
「僕は、陛下にとって、死神なのでしょう? なのに。どうして僕を…僕なんかを…」
無意識であっても、目の前で自分の死に装束を作るような者など。普通なら、視界にも入れたくないだろう。
なのに、陛下はぼくを好きだと言ってくれた。
真に、死神だったというのに。
そばにいさせてとお願いした、浅はかなぼくを許し。
そばにいてほしいと願ってもくれた。どうして?
問うように、陛下をみつめると。
ぼくを気遣う、穏やかな目の色で。
懐古を呼ぶ、海色のキラキラした瞳に、ぼくの顔を映して。そっと囁いた。
「おまえは、我の愛しい死神だからだ」
215
あなたにおすすめの小説
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
【本編完結】死に戻りに疲れた美貌の傾国王子、生存ルートを模索する
とうこ
BL
その美しさで知られた母に似て美貌の第三王子ツェーレンは、王弟に嫁いだ隣国で不貞を疑われ哀れ極刑に……と思ったら逆行!? しかもまだ夫選びの前。訳が分からないが、同じ道は絶対に御免だ。
「隣国以外でお願いします!」
死を回避する為に選んだ先々でもバラエティ豊かにkillされ続け、巻き戻り続けるツェーレン。これが最後と十二回目の夫となったのは、有名特殊な一族の三男、天才魔術師アレスター。
彼は婚姻を拒絶するが、ツェーレンが呪いを受けていると言い解呪を約束する。
いじられ体質の情けない末っ子天才魔術師×素直前向きな呪われ美形王子。
転移日本人を祖に持つグレイシア三兄弟、三男アレスターの物語。
小説家になろう様にも掲載しております。
※本編完結。ぼちぼち番外編を投稿していきます。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
ちっちゃな婚約者に婚約破棄されたので気が触れた振りをして近衛騎士に告白してみた
風
BL
第3王子の俺(5歳)を振ったのは同じく5歳の隣国のお姫様。
「だって、お義兄様の方がずっと素敵なんですもの!」
俺は彼女を応援しつつ、ここぞとばかりに片思いの相手、近衛騎士のナハトに告白するのだった……。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
噂の冷血公爵様は感情が全て顔に出るタイプでした。
春色悠
BL
多くの実力者を輩出したと云われる名門校【カナド学園】。
新入生としてその門を潜ったダンツ辺境伯家次男、ユーリスは転生者だった。
___まあ、残っている記憶など塵にも等しい程だったが。
ユーリスは兄と姉がいる為後継者として期待されていなかったが、二度目の人生の本人は冒険者にでもなろうかと気軽に考えていた。
しかし、ユーリスの運命は『冷血公爵』と名高いデンベル・フランネルとの出会いで全く思ってもいなかった方へと進みだす。
常に冷静沈着、実の父すら自身が公爵になる為に追い出したという冷酷非道、常に無表情で何を考えているのやらわからないデンベル___
「いやいやいやいや、全部顔に出てるんですけど…!!?」
ユーリスは思い出す。この世界は表情から全く感情を読み取ってくれないことを。いくら苦々しい表情をしていても誰も気づかなかったことを。
寡黙なだけで表情に全て感情の出ているデンベルは怖がられる度にこちらが悲しくなるほど落ち込み、ユーリスはついつい話しかけに行くことになる。
髪の毛の美しさで美醜が決まるというちょっと不思議な美醜観が加わる感情表現の複雑な世界で少し勘違いされながらの二人の行く末は!?
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる