79 / 176
62 ならぬ(イアンside)
しおりを挟む
◆ならぬ(イアンside)
恋人つなぎという、良きものを。クロウに教えてもらった。
指を絡める、その握り方は。普通に手をつなぐよりも、手のひらの体温がしっかりと伝わって、触れ合う面積も多いような感じがする。
なにより、ちょっとやそっと動いたくらいでは、離れない。固い絆が、結ばれたような感覚が素晴らしい。
名前もそうだが。より、クロウと。本当の恋人に近づいていくような、そんな気になった。
胸がくすぐったい想いで、クロウと笑い合う。春の陽だまりのような、温かい時間。
しかし、無粋な防御門の轟音により、ほのぼのタイムに終止符が打たれた。
誰かが王城を訪れたようだ。
嫌な予感しかしないが…。仕方なく、散策を中断して。我たちは、住居城館へ足を向けた。
恋人つなぎはそのままで。森を早足で抜けていく。
先ほどまでの青空に、雲がかかり始めていた。
エントランスに足を踏み入れると。クロウと過ごしたことで、好感に満ちていた我の気持ちが。不快さに、かき消されてしまった。
ホールにいる、アイリスの手を掴んでいるバミネの姿が、目に入ったからだ。
「お帰りなさいませ、陛下。おやおや、この短い間に、俺が差し向けた仕立て屋を、お気に召したようですなぁ?」
やつの言葉に反応して、クロウは慌てて、恋人つなぎを離してしまった。
不快極まりない。
「先触れもなく、城へ上がり込むとは、無礼だぞ。すぐに、アイリス嬢から離れて、立ち去れ」
我はバミネを一喝したが。
やつはニヤニヤと薄笑いをするばかりだ。
「急な要件ゆえ、失礼をいたしました。実は、令嬢の縁談が決まりましてな。フローレンス子爵から、王城で行儀見習いをしている娘を、連れ帰って欲しいと言われたのです」
「だから、私は帰らないってば。お父様が決めた縁談なんて、どうせろくなものではないわっ」
「おとなしく言うことを聞けっ」
バミネは抵抗するアイリスの頬を平手打ちした。
女性を平気で殴るなんて、本当に野蛮な男だ。
「あ、アイリス様っ」
クロウが、アイリスを心配して。床に倒れ伏すアイリスに駆け寄っていった。
床に膝をつき、クロウは倒れ込むアイリスの体を支えてあげながら、バミネを睨む。
「可愛らしい女の子を殴るなんて、外道がすることだ。アイリス様は貴族令嬢ですよ? おまえは、曲がりなりにも騎士だろう? 御令嬢に手を上げるなんて、騎士道の礼節に反する行いだ」
「はっ、御令嬢? 王に取り入って、股を開く性悪女が。令嬢を気取るんじゃねぇよ」
片頬を上げて、下卑た表情で笑うバミネを。
クロウは、きょとんと見やる。
意味が分かっていないのだろうな。しかし、思い至ったようで、顔を真っ赤にした。
「はぁ? 女の子になってこと言うんだ? 破廉恥なっ」
「おいおい、さっきから。おまえは俺に、ずいぶんな言い様だな? 仕立て屋の分際で、公爵様に口を利く資格などおまえにはなかろう? クロウ」
「公爵様は御存命だろう? ならおまえは、ただの公爵令息。立場的にはアイリス様となんら変わらない、貴族の子供でしかないはずですが? つか、アイリス様に謝れっ」
クロウは、バミネに一歩も引かず。バチバチと火花が散る、舌鋒戦を挑んでいる。
我の出る幕がない。
そこに、アルフレドが騒ぎを聞きつけて、駆け寄ってきた。
手には、包丁を持ったままだ。
「やめろっ、アイリスは俺の嫁だ。縁談なんぞ、お断りだぜ」
「アルフレド様っ」
アルフレドのたくましい腕に、アイリスはしがみつき。涙目でバミネを睨んだ。
アイリスをかばっていたクロウも立ち上がり、ホッと胸を撫でおろしている。
アルフレドの左腕の中に、アイリスはおさまり。
右手に持つ包丁の切っ先を、彼はビシッとバミネに向けた。
修羅場を切り抜けてきたという噂が、アルフレドにはあるが。青色の瞳が、ほの暗く陰り。迫力のオーラを醸し出す。
「俺は平民で、王家とは関りねぇから、陛下を脅すような真似は、効かねぇぜ? 三枚におろして、冷凍庫に吊るしてやろうか? 死体が出なければ、おまえが傷つけられた証拠など、なくなるぜ」
「…脂身が」
アルフレドが啖呵を切る中。アイリスの場違いなつぶやきが、やけに耳に残った。
アルフレドにアイリスを奪われ。連れ帰れなくなった、バミネは。悔しげに奥歯を噛むが。
クロウを見て、また片頬を上げる、嫌な笑い方をした。
「三枚におろすのは、俺ではなく、クロウが先だろうが? 陛下に股を開いた性悪は、どうやらアイリスではなく、クロウだったようだ。大事な陛下を穢した男を、野放しにはできないだろう?」
やれやれという様子で、バミネはアルフレドに忠告するが。
バミネの言葉なんかに揺れるような、料理人ではない。
笑いを引きつらせながら、バミネは言葉を重ねていく。
「しかし、計算違いだったなぁ? この女は、それほど美人ではないが。女に飢えた陛下は、すぐにも手を出すと思っていた。陛下のお手付きの女を、貴族のジジイに高く売りつける算段だったのに、予定が外れた」
バミネの、あまりにも極悪非道な計画に。いつも明るいアイリスも、ひえっと肩をすくめた。
アルフレドは、そんなアイリスを守るように、肩を抱き寄せる。
どうやら、この場だけのことではなく、本当に恋人同士のようだ。
「もしや、クロウ。陛下に命乞いをして、代わりに体を捧げたか? 見下げ果てたやつだ」
「黙れ、バミネ。用が済んだら、さっさとここから出ていけ」
クロウに矛先を変えたバミネを、我は一刻も早く遠ざけたかった。
不快だという気持ちを、思い切りぶつけるが。
バミネは、王である我に、頭を下げることもなく。嫌味なだみ声で、終始、慇懃無礼な態度で通す。
「陛下、俺はがっかりしましたよ。クロウを成敗したという報告が、いつ来るかと。楽しみに待っていたのに。まさか、懐柔されているとはね? あんな鳥ガラみたいな男の体でも、満足できるというのなら。肉欲に、相当飢えていらっしゃるようだ?」
「黙れ、その汚い口を閉じろ」
我は、気が気でなかった。
バミネが、いつ、あのことを言うのかと。
言わずに、この城を去って欲しかった。
だから、とにかく、バミネを帰らせようとしたのに…。
バミネは大きな腹を揺さぶって、笑った。
「ハハッ、俺に、そのようなことを言える立場ですかぁ? 陛下。まぁ、あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう、脳筋の王めっ」
瞬間、我は心の内で、舌打ちした。
クロウの笑顔を守るため、せっかく言わないでおいたことを。簡単に暴露され。
腹立たしさと、クロウへの心配の気持ちで、心がかきむしられる。
クロウは、いつもの調子で。大事な言葉を、聞き逃していたらいい。と思う。
案の定、しばらくはバミネがなにを言ったのか、わかっていない表情をしていたが。
あの美しい、闇に星が散りばめられているような黒い瞳から、光が消えた。
「死に装束? 僕は…婚礼衣装を…」
「おや? 陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作るような無礼者は、即刻この城を去れ、と」
驚愕して、なにも言えなくなったクロウに。
バミネは、トドメをさす直前の、はなはだ愉快だと表する笑顔で、追い打ちをかける。
「おまえがこの城で屍と成り果てるのを、今か今かと待っていた。俺は、言ったんだよ。陛下に、心のままに振る舞えと。気に入らぬ者は、即刻切り捨てると思っていたが…まさか、体で篭絡するとは。生き残るためとはいえ、必死だな? クロウ」
我は、やつの穢れた言葉を耳に入れるつもりはなかった。
しかし、クロウの悪口だけは、軽視できない。
「黙れ、バミネ。これ以上、なにか口にしたら、許さぬ」
「許さぬ? とは、どういうことですかなぁ? 王よ。貴方にはもはや、すべてに関する決定権などないというのに?」
勝ち誇ったバミネの、その王を見下すいやらしい目つきが、我慢ならない。
我は地を這う、恐ろしげな声を出し、威嚇する。
「決定権などいらぬ。ここでおまえを、成敗すればよいのだ」
冷徹であり、迫力も出し、王の威光を持って、我は断言する。
「もうすぐ、嵐が来る。おまえの死体は、海に捨ててしまおう。大波が、おまえを沖に流してくれる。海の藻屑と成り果てるがよい。ゆえに、おまえは、ここで人知れず、死ね」
我に睥睨されたバミネは、あのふざけた笑みを消し去り。腰を抜かして座り込んだ。
そこに、抜剣したシヴァーディとセドリックが剣を突きつける。
「先ほどから、陛下に対する愚弄の数々、聞き捨てなりません」
「あぁ、陛下がお命じになれば、すぐにも、俺がこの手で…」
「存分に、やれ」
我は、余程残忍な顔をしていたのだろう。
バミネは、苦虫をかみ潰したような、醜悪な顔つきをさらす。
「待て、俺が船に戻らなかったら、父上に話が行くようにしてあるっ。くそっ、今日のところは引き上げてやっても良いが。あぁ、しかし。クロウは納期の四月一日に、引き上げるからな? 陛下に、抱き人形の娯楽を与えるつもりはありませんので。クロウ、それまでに仕事を終わらせなかったら。母の形見のネックレスは渡さない。わかったなっ?」
「まだ言うか? その口、引き裂いてやるっ」
セドリックが威嚇の剣を振り下ろすと、紙一重で剣先をかわしたバミネが、床を這う哀れな姿で城を出ていった。
「にゃーーーぅうぅ」
不快の元がいなくなり、ホッとしたのもつかの間。猫が甲高く鳴いた。
振り返ると、クロウが。ふらりと階段に足をかけているところだった。
黒猫は、クロウの足元で、せわしなく彼に声をかけているように見える。
「クロウ…?」
我が声をかけると。
ビクリとして。だが、青い顔色のまま、足を速めて小走りに駆け上がっていった。
「様子がおかしい」
我と、そこにいる者たちは、慌ててクロウを追いかけた。
バミネに、心無い言葉をいっぱい浴びせられた。
清廉なクロウは、傷つき、悲しみに沈んでしまうのではないか?
白皙の顔に、血色がなかった。どうなってしまうのか、とても心配だ。
クロウは真っ直ぐ、二階のサロンに入る。
いつもはゆったりとした動きのクロウが、このときばかりは素早くて。
用具箱から裁ちばさみを取り出すと、衣装がかかっている人台に向けて、振り上げた。
「セドリック、止めろっ」
クロウの一番近くにいたセドリックに、命令すると。
彼は反射的に動いて。ハサミを持つ彼の手を掴み、反対の手をクロウの首に押しつけて、そのまま床に倒れ込んだ。
反動で、ハサミは床に落ち。
セドリックの下敷きになったクロウは。気を失っている。
文句をつけるように、チョンが、ギャーウギャーウと、怪獣のように鳴いた。すまぬ。
「やりすぎだ、セドリック」
猫に言われるまでもなく。我は、セドリックの下からクロウを救出し。腕の中に抱き込んだ。
セドリックが力任せに押さえ込んだので、彼が傷ついていないか、気が気でない。
クロウの腕は、細く頼りないから、すぐにも折れてしまいそうだ。
「しかし、陛下の御前で刃物を取り出すのは、あってはならないことだ」
セドリックは、申し訳ないといった様子で、赤い髪を手でかくが。言い訳もする。
「おまえも剣を抜いただろう?」
「相手はバミネだ。俺が陛下に剣を向けないことくらい、わかるでしょうが?」
「クロウだって、そのような…」
「…してください」
我とセドリックが言い合っている間に、クロウが目を覚ました。
蚊の鳴くような声で、なにかを言ったが…そのあと再び、絹を裂くような、悲痛な叫びを上げる。
「セドリック様っ、服を、燃やしてっ」
クロウは我の腕の中で、身動きしなかった。
動けないのではなく、ぐったりとして、指一本動かす気力もないという様子だった。
そして、死人のように、ガクリと頭を下げる。
力なく項垂れ、前髪が顔にかかって、表情が見えにくくなるが。
我がのぞき込むと、まるで、魂が抜けたような顔をしていた。
ピカピカと輝いていた黒瞳も。真実を知って、凍りついている。
なんて、痛々しい表情だろう。
こんなクロウを見たくなかったから、我は、死に装束の話をしなかったのだ。
婚礼衣装を作っていると言って、嬉しそうにしていた。
誇らしげで、己の技術に自信をみなぎらせているクロウを、ずっと見ていたかった。
あの春の陽だまりのような、温かい世界が。バミネの心無い言葉で、崩壊してしまった。
色を失った、クロウの瞳から。ボロボロと大粒の涙がこぼれる。
我が剣を突きつけても、泣かなかったのに。
微笑ましいほどのひたむきさで、衣装を仕立てていた。
ちょっと小首をかしげて、ほんのり微笑んで。愛しげに生地をみつめ。丁寧に針を刺す。そんな彼の姿を、我は見てきた。
だからこそ、彼の複雑な気持ちが、ひしひしと胸に迫る。
理不尽な力で、踏みつけにされた、クロウの心の痛みを察し。
我は、クロウの涙を親指で拭うと。揺れる黒い瞳に視線を合わせ。告げた。
『ならぬ』と。
恋人つなぎという、良きものを。クロウに教えてもらった。
指を絡める、その握り方は。普通に手をつなぐよりも、手のひらの体温がしっかりと伝わって、触れ合う面積も多いような感じがする。
なにより、ちょっとやそっと動いたくらいでは、離れない。固い絆が、結ばれたような感覚が素晴らしい。
名前もそうだが。より、クロウと。本当の恋人に近づいていくような、そんな気になった。
胸がくすぐったい想いで、クロウと笑い合う。春の陽だまりのような、温かい時間。
しかし、無粋な防御門の轟音により、ほのぼのタイムに終止符が打たれた。
誰かが王城を訪れたようだ。
嫌な予感しかしないが…。仕方なく、散策を中断して。我たちは、住居城館へ足を向けた。
恋人つなぎはそのままで。森を早足で抜けていく。
先ほどまでの青空に、雲がかかり始めていた。
エントランスに足を踏み入れると。クロウと過ごしたことで、好感に満ちていた我の気持ちが。不快さに、かき消されてしまった。
ホールにいる、アイリスの手を掴んでいるバミネの姿が、目に入ったからだ。
「お帰りなさいませ、陛下。おやおや、この短い間に、俺が差し向けた仕立て屋を、お気に召したようですなぁ?」
やつの言葉に反応して、クロウは慌てて、恋人つなぎを離してしまった。
不快極まりない。
「先触れもなく、城へ上がり込むとは、無礼だぞ。すぐに、アイリス嬢から離れて、立ち去れ」
我はバミネを一喝したが。
やつはニヤニヤと薄笑いをするばかりだ。
「急な要件ゆえ、失礼をいたしました。実は、令嬢の縁談が決まりましてな。フローレンス子爵から、王城で行儀見習いをしている娘を、連れ帰って欲しいと言われたのです」
「だから、私は帰らないってば。お父様が決めた縁談なんて、どうせろくなものではないわっ」
「おとなしく言うことを聞けっ」
バミネは抵抗するアイリスの頬を平手打ちした。
女性を平気で殴るなんて、本当に野蛮な男だ。
「あ、アイリス様っ」
クロウが、アイリスを心配して。床に倒れ伏すアイリスに駆け寄っていった。
床に膝をつき、クロウは倒れ込むアイリスの体を支えてあげながら、バミネを睨む。
「可愛らしい女の子を殴るなんて、外道がすることだ。アイリス様は貴族令嬢ですよ? おまえは、曲がりなりにも騎士だろう? 御令嬢に手を上げるなんて、騎士道の礼節に反する行いだ」
「はっ、御令嬢? 王に取り入って、股を開く性悪女が。令嬢を気取るんじゃねぇよ」
片頬を上げて、下卑た表情で笑うバミネを。
クロウは、きょとんと見やる。
意味が分かっていないのだろうな。しかし、思い至ったようで、顔を真っ赤にした。
「はぁ? 女の子になってこと言うんだ? 破廉恥なっ」
「おいおい、さっきから。おまえは俺に、ずいぶんな言い様だな? 仕立て屋の分際で、公爵様に口を利く資格などおまえにはなかろう? クロウ」
「公爵様は御存命だろう? ならおまえは、ただの公爵令息。立場的にはアイリス様となんら変わらない、貴族の子供でしかないはずですが? つか、アイリス様に謝れっ」
クロウは、バミネに一歩も引かず。バチバチと火花が散る、舌鋒戦を挑んでいる。
我の出る幕がない。
そこに、アルフレドが騒ぎを聞きつけて、駆け寄ってきた。
手には、包丁を持ったままだ。
「やめろっ、アイリスは俺の嫁だ。縁談なんぞ、お断りだぜ」
「アルフレド様っ」
アルフレドのたくましい腕に、アイリスはしがみつき。涙目でバミネを睨んだ。
アイリスをかばっていたクロウも立ち上がり、ホッと胸を撫でおろしている。
アルフレドの左腕の中に、アイリスはおさまり。
右手に持つ包丁の切っ先を、彼はビシッとバミネに向けた。
修羅場を切り抜けてきたという噂が、アルフレドにはあるが。青色の瞳が、ほの暗く陰り。迫力のオーラを醸し出す。
「俺は平民で、王家とは関りねぇから、陛下を脅すような真似は、効かねぇぜ? 三枚におろして、冷凍庫に吊るしてやろうか? 死体が出なければ、おまえが傷つけられた証拠など、なくなるぜ」
「…脂身が」
アルフレドが啖呵を切る中。アイリスの場違いなつぶやきが、やけに耳に残った。
アルフレドにアイリスを奪われ。連れ帰れなくなった、バミネは。悔しげに奥歯を噛むが。
クロウを見て、また片頬を上げる、嫌な笑い方をした。
「三枚におろすのは、俺ではなく、クロウが先だろうが? 陛下に股を開いた性悪は、どうやらアイリスではなく、クロウだったようだ。大事な陛下を穢した男を、野放しにはできないだろう?」
やれやれという様子で、バミネはアルフレドに忠告するが。
バミネの言葉なんかに揺れるような、料理人ではない。
笑いを引きつらせながら、バミネは言葉を重ねていく。
「しかし、計算違いだったなぁ? この女は、それほど美人ではないが。女に飢えた陛下は、すぐにも手を出すと思っていた。陛下のお手付きの女を、貴族のジジイに高く売りつける算段だったのに、予定が外れた」
バミネの、あまりにも極悪非道な計画に。いつも明るいアイリスも、ひえっと肩をすくめた。
アルフレドは、そんなアイリスを守るように、肩を抱き寄せる。
どうやら、この場だけのことではなく、本当に恋人同士のようだ。
「もしや、クロウ。陛下に命乞いをして、代わりに体を捧げたか? 見下げ果てたやつだ」
「黙れ、バミネ。用が済んだら、さっさとここから出ていけ」
クロウに矛先を変えたバミネを、我は一刻も早く遠ざけたかった。
不快だという気持ちを、思い切りぶつけるが。
バミネは、王である我に、頭を下げることもなく。嫌味なだみ声で、終始、慇懃無礼な態度で通す。
「陛下、俺はがっかりしましたよ。クロウを成敗したという報告が、いつ来るかと。楽しみに待っていたのに。まさか、懐柔されているとはね? あんな鳥ガラみたいな男の体でも、満足できるというのなら。肉欲に、相当飢えていらっしゃるようだ?」
「黙れ、その汚い口を閉じろ」
我は、気が気でなかった。
バミネが、いつ、あのことを言うのかと。
言わずに、この城を去って欲しかった。
だから、とにかく、バミネを帰らせようとしたのに…。
バミネは大きな腹を揺さぶって、笑った。
「ハハッ、俺に、そのようなことを言える立場ですかぁ? 陛下。まぁ、あんたの死に装束を作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう、脳筋の王めっ」
瞬間、我は心の内で、舌打ちした。
クロウの笑顔を守るため、せっかく言わないでおいたことを。簡単に暴露され。
腹立たしさと、クロウへの心配の気持ちで、心がかきむしられる。
クロウは、いつもの調子で。大事な言葉を、聞き逃していたらいい。と思う。
案の定、しばらくはバミネがなにを言ったのか、わかっていない表情をしていたが。
あの美しい、闇に星が散りばめられているような黒い瞳から、光が消えた。
「死に装束? 僕は…婚礼衣装を…」
「おや? 陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作るような無礼者は、即刻この城を去れ、と」
驚愕して、なにも言えなくなったクロウに。
バミネは、トドメをさす直前の、はなはだ愉快だと表する笑顔で、追い打ちをかける。
「おまえがこの城で屍と成り果てるのを、今か今かと待っていた。俺は、言ったんだよ。陛下に、心のままに振る舞えと。気に入らぬ者は、即刻切り捨てると思っていたが…まさか、体で篭絡するとは。生き残るためとはいえ、必死だな? クロウ」
我は、やつの穢れた言葉を耳に入れるつもりはなかった。
しかし、クロウの悪口だけは、軽視できない。
「黙れ、バミネ。これ以上、なにか口にしたら、許さぬ」
「許さぬ? とは、どういうことですかなぁ? 王よ。貴方にはもはや、すべてに関する決定権などないというのに?」
勝ち誇ったバミネの、その王を見下すいやらしい目つきが、我慢ならない。
我は地を這う、恐ろしげな声を出し、威嚇する。
「決定権などいらぬ。ここでおまえを、成敗すればよいのだ」
冷徹であり、迫力も出し、王の威光を持って、我は断言する。
「もうすぐ、嵐が来る。おまえの死体は、海に捨ててしまおう。大波が、おまえを沖に流してくれる。海の藻屑と成り果てるがよい。ゆえに、おまえは、ここで人知れず、死ね」
我に睥睨されたバミネは、あのふざけた笑みを消し去り。腰を抜かして座り込んだ。
そこに、抜剣したシヴァーディとセドリックが剣を突きつける。
「先ほどから、陛下に対する愚弄の数々、聞き捨てなりません」
「あぁ、陛下がお命じになれば、すぐにも、俺がこの手で…」
「存分に、やれ」
我は、余程残忍な顔をしていたのだろう。
バミネは、苦虫をかみ潰したような、醜悪な顔つきをさらす。
「待て、俺が船に戻らなかったら、父上に話が行くようにしてあるっ。くそっ、今日のところは引き上げてやっても良いが。あぁ、しかし。クロウは納期の四月一日に、引き上げるからな? 陛下に、抱き人形の娯楽を与えるつもりはありませんので。クロウ、それまでに仕事を終わらせなかったら。母の形見のネックレスは渡さない。わかったなっ?」
「まだ言うか? その口、引き裂いてやるっ」
セドリックが威嚇の剣を振り下ろすと、紙一重で剣先をかわしたバミネが、床を這う哀れな姿で城を出ていった。
「にゃーーーぅうぅ」
不快の元がいなくなり、ホッとしたのもつかの間。猫が甲高く鳴いた。
振り返ると、クロウが。ふらりと階段に足をかけているところだった。
黒猫は、クロウの足元で、せわしなく彼に声をかけているように見える。
「クロウ…?」
我が声をかけると。
ビクリとして。だが、青い顔色のまま、足を速めて小走りに駆け上がっていった。
「様子がおかしい」
我と、そこにいる者たちは、慌ててクロウを追いかけた。
バミネに、心無い言葉をいっぱい浴びせられた。
清廉なクロウは、傷つき、悲しみに沈んでしまうのではないか?
白皙の顔に、血色がなかった。どうなってしまうのか、とても心配だ。
クロウは真っ直ぐ、二階のサロンに入る。
いつもはゆったりとした動きのクロウが、このときばかりは素早くて。
用具箱から裁ちばさみを取り出すと、衣装がかかっている人台に向けて、振り上げた。
「セドリック、止めろっ」
クロウの一番近くにいたセドリックに、命令すると。
彼は反射的に動いて。ハサミを持つ彼の手を掴み、反対の手をクロウの首に押しつけて、そのまま床に倒れ込んだ。
反動で、ハサミは床に落ち。
セドリックの下敷きになったクロウは。気を失っている。
文句をつけるように、チョンが、ギャーウギャーウと、怪獣のように鳴いた。すまぬ。
「やりすぎだ、セドリック」
猫に言われるまでもなく。我は、セドリックの下からクロウを救出し。腕の中に抱き込んだ。
セドリックが力任せに押さえ込んだので、彼が傷ついていないか、気が気でない。
クロウの腕は、細く頼りないから、すぐにも折れてしまいそうだ。
「しかし、陛下の御前で刃物を取り出すのは、あってはならないことだ」
セドリックは、申し訳ないといった様子で、赤い髪を手でかくが。言い訳もする。
「おまえも剣を抜いただろう?」
「相手はバミネだ。俺が陛下に剣を向けないことくらい、わかるでしょうが?」
「クロウだって、そのような…」
「…してください」
我とセドリックが言い合っている間に、クロウが目を覚ました。
蚊の鳴くような声で、なにかを言ったが…そのあと再び、絹を裂くような、悲痛な叫びを上げる。
「セドリック様っ、服を、燃やしてっ」
クロウは我の腕の中で、身動きしなかった。
動けないのではなく、ぐったりとして、指一本動かす気力もないという様子だった。
そして、死人のように、ガクリと頭を下げる。
力なく項垂れ、前髪が顔にかかって、表情が見えにくくなるが。
我がのぞき込むと、まるで、魂が抜けたような顔をしていた。
ピカピカと輝いていた黒瞳も。真実を知って、凍りついている。
なんて、痛々しい表情だろう。
こんなクロウを見たくなかったから、我は、死に装束の話をしなかったのだ。
婚礼衣装を作っていると言って、嬉しそうにしていた。
誇らしげで、己の技術に自信をみなぎらせているクロウを、ずっと見ていたかった。
あの春の陽だまりのような、温かい世界が。バミネの心無い言葉で、崩壊してしまった。
色を失った、クロウの瞳から。ボロボロと大粒の涙がこぼれる。
我が剣を突きつけても、泣かなかったのに。
微笑ましいほどのひたむきさで、衣装を仕立てていた。
ちょっと小首をかしげて、ほんのり微笑んで。愛しげに生地をみつめ。丁寧に針を刺す。そんな彼の姿を、我は見てきた。
だからこそ、彼の複雑な気持ちが、ひしひしと胸に迫る。
理不尽な力で、踏みつけにされた、クロウの心の痛みを察し。
我は、クロウの涙を親指で拭うと。揺れる黒い瞳に視線を合わせ。告げた。
『ならぬ』と。
200
あなたにおすすめの小説
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
【本編完結】死に戻りに疲れた美貌の傾国王子、生存ルートを模索する
とうこ
BL
その美しさで知られた母に似て美貌の第三王子ツェーレンは、王弟に嫁いだ隣国で不貞を疑われ哀れ極刑に……と思ったら逆行!? しかもまだ夫選びの前。訳が分からないが、同じ道は絶対に御免だ。
「隣国以外でお願いします!」
死を回避する為に選んだ先々でもバラエティ豊かにkillされ続け、巻き戻り続けるツェーレン。これが最後と十二回目の夫となったのは、有名特殊な一族の三男、天才魔術師アレスター。
彼は婚姻を拒絶するが、ツェーレンが呪いを受けていると言い解呪を約束する。
いじられ体質の情けない末っ子天才魔術師×素直前向きな呪われ美形王子。
転移日本人を祖に持つグレイシア三兄弟、三男アレスターの物語。
小説家になろう様にも掲載しております。
※本編完結。ぼちぼち番外編を投稿していきます。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
ちっちゃな婚約者に婚約破棄されたので気が触れた振りをして近衛騎士に告白してみた
風
BL
第3王子の俺(5歳)を振ったのは同じく5歳の隣国のお姫様。
「だって、お義兄様の方がずっと素敵なんですもの!」
俺は彼女を応援しつつ、ここぞとばかりに片思いの相手、近衛騎士のナハトに告白するのだった……。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
噂の冷血公爵様は感情が全て顔に出るタイプでした。
春色悠
BL
多くの実力者を輩出したと云われる名門校【カナド学園】。
新入生としてその門を潜ったダンツ辺境伯家次男、ユーリスは転生者だった。
___まあ、残っている記憶など塵にも等しい程だったが。
ユーリスは兄と姉がいる為後継者として期待されていなかったが、二度目の人生の本人は冒険者にでもなろうかと気軽に考えていた。
しかし、ユーリスの運命は『冷血公爵』と名高いデンベル・フランネルとの出会いで全く思ってもいなかった方へと進みだす。
常に冷静沈着、実の父すら自身が公爵になる為に追い出したという冷酷非道、常に無表情で何を考えているのやらわからないデンベル___
「いやいやいやいや、全部顔に出てるんですけど…!!?」
ユーリスは思い出す。この世界は表情から全く感情を読み取ってくれないことを。いくら苦々しい表情をしていても誰も気づかなかったことを。
寡黙なだけで表情に全て感情の出ているデンベルは怖がられる度にこちらが悲しくなるほど落ち込み、ユーリスはついつい話しかけに行くことになる。
髪の毛の美しさで美醜が決まるというちょっと不思議な美醜観が加わる感情表現の複雑な世界で少し勘違いされながらの二人の行く末は!?
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる