【完結】幽閉の王を救えっ、でも周りにモブの仕立て屋しかいないんですけどぉ?

北川晶

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62 ならぬ(イアンside)

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     ◆ならぬ(イアンside)

 恋人つなぎという、良きものを。クロウに教えてもらった。
 指を絡める、その握り方は。普通に手をつなぐよりも、手のひらの体温がしっかりと伝わって、触れ合う面積も多いような感じがする。
 なにより、ちょっとやそっと動いたくらいでは、離れない。固い絆が、結ばれたような感覚が素晴らしい。
 名前もそうだが。より、クロウと。本当の恋人に近づいていくような、そんな気になった。

 胸がくすぐったい想いで、クロウと笑い合う。春の陽だまりのような、温かい時間。
 しかし、無粋な防御門の轟音により、ほのぼのタイムに終止符が打たれた。
 誰かが王城を訪れたようだ。
 嫌な予感しかしないが…。仕方なく、散策を中断して。我たちは、住居城館へ足を向けた。

 恋人つなぎはそのままで。森を早足で抜けていく。
 先ほどまでの青空に、雲がかかり始めていた。

 エントランスに足を踏み入れると。クロウと過ごしたことで、好感に満ちていた我の気持ちが。不快さに、かき消されてしまった。
 ホールにいる、アイリスの手を掴んでいるバミネの姿が、目に入ったからだ。

「お帰りなさいませ、陛下。おやおや、この短い間に、俺が差し向けた仕立て屋を、お気に召したようですなぁ?」
 やつの言葉に反応して、クロウは慌てて、恋人つなぎを離してしまった。
 不快極まりない。

「先触れもなく、城へ上がり込むとは、無礼だぞ。すぐに、アイリス嬢から離れて、立ち去れ」
 我はバミネを一喝したが。
 やつはニヤニヤと薄笑いをするばかりだ。

「急な要件ゆえ、失礼をいたしました。実は、令嬢の縁談が決まりましてな。フローレンス子爵から、王城で行儀見習いをしている娘を、連れ帰って欲しいと言われたのです」
「だから、私は帰らないってば。お父様が決めた縁談なんて、どうせろくなものではないわっ」
「おとなしく言うことを聞けっ」
 バミネは抵抗するアイリスの頬を平手打ちした。
 女性を平気で殴るなんて、本当に野蛮な男だ。

「あ、アイリス様っ」
 クロウが、アイリスを心配して。床に倒れ伏すアイリスに駆け寄っていった。
 床に膝をつき、クロウは倒れ込むアイリスの体を支えてあげながら、バミネを睨む。

「可愛らしい女の子を殴るなんて、外道がすることだ。アイリス様は貴族令嬢ですよ? おまえは、曲がりなりにも騎士だろう? 御令嬢に手を上げるなんて、騎士道の礼節に反する行いだ」
「はっ、御令嬢? 王に取り入って、股を開く性悪女が。令嬢を気取るんじゃねぇよ」

 片頬を上げて、下卑た表情で笑うバミネを。
 クロウは、きょとんと見やる。
 意味が分かっていないのだろうな。しかし、思い至ったようで、顔を真っ赤にした。

「はぁ? 女の子になってこと言うんだ? 破廉恥なっ」
「おいおい、さっきから。おまえは俺に、ずいぶんな言い様だな? 仕立て屋の分際で、公爵様に口を利く資格などおまえにはなかろう? クロウ」
「公爵様は御存命だろう? ならおまえは、ただの公爵令息。立場的にはアイリス様となんら変わらない、貴族の子供でしかないはずですが? つか、アイリス様に謝れっ」

 クロウは、バミネに一歩も引かず。バチバチと火花が散る、舌鋒戦を挑んでいる。
 我の出る幕がない。

 そこに、アルフレドが騒ぎを聞きつけて、駆け寄ってきた。
 手には、包丁を持ったままだ。
「やめろっ、アイリスは俺の嫁だ。縁談なんぞ、お断りだぜ」
「アルフレド様っ」
 アルフレドのたくましい腕に、アイリスはしがみつき。涙目でバミネを睨んだ。
 アイリスをかばっていたクロウも立ち上がり、ホッと胸を撫でおろしている。

 アルフレドの左腕の中に、アイリスはおさまり。
 右手に持つ包丁の切っ先を、彼はビシッとバミネに向けた。
 修羅場を切り抜けてきたという噂が、アルフレドにはあるが。青色の瞳が、ほの暗く陰り。迫力のオーラを醸し出す。
「俺は平民で、王家とは関りねぇから、陛下を脅すような真似は、効かねぇぜ? 三枚におろして、冷凍庫に吊るしてやろうか? 死体が出なければ、おまえが傷つけられた証拠など、なくなるぜ」
「…脂身が」

 アルフレドが啖呵を切る中。アイリスの場違いなつぶやきが、やけに耳に残った。

 アルフレドにアイリスを奪われ。連れ帰れなくなった、バミネは。悔しげに奥歯を噛むが。
 クロウを見て、また片頬を上げる、嫌な笑い方をした。

「三枚におろすのは、俺ではなく、クロウが先だろうが? 陛下に股を開いた性悪は、どうやらアイリスではなく、クロウだったようだ。大事な陛下を穢した男を、野放しにはできないだろう?」

 やれやれという様子で、バミネはアルフレドに忠告するが。
 バミネの言葉なんかに揺れるような、料理人ではない。
 笑いを引きつらせながら、バミネは言葉を重ねていく。

「しかし、計算違いだったなぁ? この女は、それほど美人ではないが。女に飢えた陛下は、すぐにも手を出すと思っていた。陛下のお手付きの女を、貴族のジジイに高く売りつける算段だったのに、予定が外れた」

 バミネの、あまりにも極悪非道な計画に。いつも明るいアイリスも、ひえっと肩をすくめた。
 アルフレドは、そんなアイリスを守るように、肩を抱き寄せる。
 どうやら、この場だけのことではなく、本当に恋人同士のようだ。

「もしや、クロウ。陛下に命乞いをして、代わりに体を捧げたか? 見下げ果てたやつだ」
「黙れ、バミネ。用が済んだら、さっさとここから出ていけ」
 クロウに矛先を変えたバミネを、我は一刻も早く遠ざけたかった。
 不快だという気持ちを、思い切りぶつけるが。

 バミネは、王である我に、頭を下げることもなく。嫌味なだみ声で、終始、慇懃無礼な態度で通す。

「陛下、俺はがっかりしましたよ。クロウを成敗したという報告が、いつ来るかと。楽しみに待っていたのに。まさか、懐柔されているとはね? あんな鳥ガラみたいな男の体でも、満足できるというのなら。肉欲に、相当飢えていらっしゃるようだ?」
「黙れ、その汚い口を閉じろ」

 我は、気が気でなかった。
 バミネが、いつ、あのことを言うのかと。
 言わずに、この城を去って欲しかった。
 だから、とにかく、バミネを帰らせようとしたのに…。
 バミネは大きな腹を揺さぶって、笑った。

「ハハッ、俺に、そのようなことを言える立場ですかぁ? 陛下。まぁ、あんたのを作っている者と、情交を楽しむ厚顔さがあるのだ。後先考えず、俺に歯向かう、脳筋の王めっ」
 瞬間、我は心の内で、舌打ちした。
 クロウの笑顔を守るため、せっかく言わないでおいたことを。簡単に暴露され。
 腹立たしさと、クロウへの心配の気持ちで、心がかきむしられる。
 クロウは、いつもの調子で。大事な言葉を、聞き逃していたらいい。と思う。
 案の定、しばらくはバミネがなにを言ったのか、わかっていない表情をしていたが。

 あの美しい、闇に星が散りばめられているような黒い瞳から、光が消えた。

「死に装束? 僕は…婚礼衣装を…」
「おや? 陛下はおっしゃらなかったのか? 死に装束を作るような無礼者は、即刻この城を去れ、と」

 驚愕して、なにも言えなくなったクロウに。
 バミネは、トドメをさす直前の、はなはだ愉快だと表する笑顔で、追い打ちをかける。

「おまえがこの城でしかばねと成り果てるのを、今か今かと待っていた。俺は、言ったんだよ。陛下に、心のままに振る舞えと。気に入らぬ者は、即刻切り捨てると思っていたが…まさか、体で篭絡ろうらくするとは。生き残るためとはいえ、必死だな? クロウ」

 我は、やつのけがれた言葉を耳に入れるつもりはなかった。
 しかし、クロウの悪口だけは、軽視できない。
「黙れ、バミネ。これ以上、なにか口にしたら、許さぬ」
「許さぬ? とは、どういうことですかなぁ? 王よ。貴方にはもはや、すべてに関する決定権などないというのに?」
 勝ち誇ったバミネの、その王を見下すいやらしい目つきが、我慢ならない。
 我は地を這う、恐ろしげな声を出し、威嚇する。

「決定権などいらぬ。ここでおまえを、成敗すればよいのだ」

 冷徹であり、迫力も出し、王の威光を持って、我は断言する。
「もうすぐ、嵐が来る。おまえの死体は、海に捨ててしまおう。大波が、おまえを沖に流してくれる。海の藻屑もくずと成り果てるがよい。ゆえに、おまえは、ここで人知れず、死ね」
 我に睥睨へいげいされたバミネは、あのふざけた笑みを消し去り。腰を抜かして座り込んだ。
 そこに、抜剣したシヴァーディとセドリックが剣を突きつける。

「先ほどから、陛下に対する愚弄の数々、聞き捨てなりません」
「あぁ、陛下がお命じになれば、すぐにも、俺がこの手で…」
「存分に、やれ」
 我は、余程残忍な顔をしていたのだろう。
 バミネは、苦虫をかみ潰したような、醜悪な顔つきをさらす。

「待て、俺が船に戻らなかったら、父上に話が行くようにしてあるっ。くそっ、今日のところは引き上げてやっても良いが。あぁ、しかし。クロウは納期の四月一日に、引き上げるからな? 陛下に、抱き人形の娯楽を与えるつもりはありませんので。クロウ、それまでに仕事を終わらせなかったら。母の形見のネックレスは渡さない。わかったなっ?」
「まだ言うか? その口、引き裂いてやるっ」
 セドリックが威嚇の剣を振り下ろすと、紙一重で剣先をかわしたバミネが、床を這う哀れな姿で城を出ていった。

「にゃーーーぅうぅ」
 不快の元がいなくなり、ホッとしたのもつかの間。猫が甲高く鳴いた。

 振り返ると、クロウが。ふらりと階段に足をかけているところだった。
 黒猫は、クロウの足元で、せわしなく彼に声をかけているように見える。
「クロウ…?」
 我が声をかけると。
 ビクリとして。だが、青い顔色のまま、足を速めて小走りに駆け上がっていった。

「様子がおかしい」
 我と、そこにいる者たちは、慌ててクロウを追いかけた。
 バミネに、心無い言葉をいっぱい浴びせられた。
 清廉なクロウは、傷つき、悲しみに沈んでしまうのではないか?
 白皙の顔に、血色がなかった。どうなってしまうのか、とても心配だ。

 クロウは真っ直ぐ、二階のサロンに入る。
 いつもはゆったりとした動きのクロウが、このときばかりは素早くて。
 用具箱から裁ちばさみを取り出すと、衣装がかかっている人台に向けて、振り上げた。

「セドリック、止めろっ」
 クロウの一番近くにいたセドリックに、命令すると。
 彼は反射的に動いて。ハサミを持つ彼の手を掴み、反対の手をクロウの首に押しつけて、そのまま床に倒れ込んだ。
 反動で、ハサミは床に落ち。
 セドリックの下敷きになったクロウは。気を失っている。

 文句をつけるように、チョンが、ギャーウギャーウと、怪獣のように鳴いた。すまぬ。
「やりすぎだ、セドリック」
 猫に言われるまでもなく。我は、セドリックの下からクロウを救出し。腕の中に抱き込んだ。

 セドリックが力任せに押さえ込んだので、彼が傷ついていないか、気が気でない。
 クロウの腕は、細く頼りないから、すぐにも折れてしまいそうだ。
「しかし、陛下の御前で刃物を取り出すのは、あってはならないことだ」
 セドリックは、申し訳ないといった様子で、赤い髪を手でかくが。言い訳もする。

「おまえも剣を抜いただろう?」
「相手はバミネだ。俺が陛下に剣を向けないことくらい、わかるでしょうが?」
「クロウだって、そのような…」
「…してください」
 我とセドリックが言い合っている間に、クロウが目を覚ました。
 蚊の鳴くような声で、なにかを言ったが…そのあと再び、絹を裂くような、悲痛な叫びを上げる。

「セドリック様っ、服を、燃やしてっ」

 クロウは我の腕の中で、身動きしなかった。
 動けないのではなく、ぐったりとして、指一本動かす気力もないという様子だった。

 そして、死人のように、ガクリと頭を下げる。
 力なく項垂れ、前髪が顔にかかって、表情が見えにくくなるが。
 我がのぞき込むと、まるで、魂が抜けたような顔をしていた。
 ピカピカと輝いていた黒瞳も。真実を知って、凍りついている。

 なんて、痛々しい表情だろう。

 こんなクロウを見たくなかったから、我は、死に装束の話をしなかったのだ。
 婚礼衣装を作っていると言って、嬉しそうにしていた。
 誇らしげで、己の技術に自信をみなぎらせているクロウを、ずっと見ていたかった。

 あの春の陽だまりのような、温かい世界が。バミネの心無い言葉で、崩壊してしまった。

 色を失った、クロウの瞳から。ボロボロと大粒の涙がこぼれる。
 我が剣を突きつけても、泣かなかったのに。
 微笑ましいほどのひたむきさで、衣装を仕立てていた。
 ちょっと小首をかしげて、ほんのり微笑んで。愛しげに生地をみつめ。丁寧に針を刺す。そんな彼の姿を、我は見てきた。
 だからこそ、彼の複雑な気持ちが、ひしひしと胸に迫る。

 理不尽な力で、踏みつけにされた、クロウの心の痛みを察し。
 我は、クロウの涙を親指で拭うと。揺れる黒い瞳に視線を合わせ。告げた。

『ならぬ』と。

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