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学院編:オヴェルニー学院
【109話】シリル戦
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おかしい、とアーサーはすぐに分かった。対戦相手のシリルは、アーサーと戦う前からブルブルと震えている。なにかに怯えているようだ。
「シリルくん?どうしたの?体調よくないの?」
心配したアーサーが声をかけると、シリルはびくりと体を強張らせた。そして独り言かのように小さい声で何かを呟いている。
「仕方ないんだ…言うこと聞かないと…」
「?」
《よーい、はじめ!!》
試合開始の合図が鳴り、アーサーとシリルは剣を構えた。シリルは「うわあああ!」と叫びながらアーサーに突進した。大声に面食らったアーサーは一瞬反応が遅れ、シリルの剣先が頬にかすった。ピッと血が飛んだが、たいした傷ではない。
しかしその瞬間、アーサーの体中から汗が噴き出した。眩暈、吐き気、そして、体の痺れ。アーサーはふらついた体を剣で支えながら、自分の体の容態を冷静に診た。久々に摂取した大好きなものに思わず顔がほころんでしまう。
「…うん、毒だね」
「うううっ!」
シリルは必死の表情でアーサーに向かってきた。アーサーは震える足で攻撃を躱す。剣を振り上げようとしたが、感覚のなくなった手であの重い剣は振ることができなかった。途中ですっぽりと手から剣が抜け、床に落ちる。
ガランガラン、と音を立てて床で揺れている剣を全員が見た。みなが驚いて静まり返っている。リリー寮の生徒たちは顔を真っ青にした。
《ど…どうしたんでしょうかアーサー選手。連戦で疲れてしまったか?!握力がなくなっているようだ!剣を落としてしまった…!これはピンチ!!》
《シリル選手チャンスだがどうする?おお、剣を振るがアーサー選手、かろうじて躱しました。しかし苦しそうな模様、先ほどの軽やかさがありません》
《…おっとアーサー選手、鼻血を出していますね。さっきの攻防で顔をぶつけてしまったのでしょうか》
実況を聞いて慌てて鼻を擦ると、どす黒い血が袖に付着した。体内からも何かがこみ上げてくる。口に逆流してきたそれを飲み込み、シリルに小声で話しかけた。喉が焼けて声がうまく出てこない。
「毒は…禁止だって言ってなかったっけ…?」
「し、仕方ないんだ…!こうでもしないと…僕は…僕の家族が…」
シリルは今にも泣きそうな声をしていた。相変わらず剣を握っている手はガタガタと震えている。アーサーはシリルの言葉を聞いて今シリルの身に何が起きているのか理解した。
「ああ…なるほど」
この毒の症状、幼少時代に何度も受けたことがある。懐かしささえ感じた。間違いなく王族が使う猛毒だ。シリルの様子とこの猛毒で、シリルがウィルク王子に脅されていることは明白だ。アーサーは観客に座っている王子をぎろりと睨みつける。
「生徒を脅してこんなことさせるなんて。さすがにおいたが過ぎるよ、ウィルク」
「な、なんで平気そうに喋ってられるんだよ…!立っていられないほどの猛毒だぞ、これは!」
アーサーは自分の口に指を当て、シリルに向かって「シー」と言った。
「そんなこと喋ったら不正がバレちゃうよ。僕は大丈夫だから、普通に戦って」
「な…」
(ウィルクはシリルを脅してる。シリルの口ぶりから、家族を巻き込まれてるはずだ。僕が勝ったらシリルに何をされるか分からない)
アーサーは感覚のなくなった両手で剣を握った。猛毒をくらっているのに一見平気そうに見えるアーサーが恐ろしく感じたシリルは、アーサー向かって剣を突き出した。アーサーは目を瞑りぼそりと呟いた。
「ダフ、ごめんね」
(しまった!剣筋を計算してなかった!このままだとアーサーに剣をはらわれる…!)
シリルが剣を突き出した位置は、ちょうどアーサーが剣を構えている場所だった。アーサーは構えている剣の角度をわずかに変えてシリルの剣を受け止めようとした。しかしアーサーの剣はシリルの攻撃に耐え切れず手から吹き飛んでしまう。武器を失ったアーサーの腹に、シリルが全力で剣を突き刺した。
「うっ」
アーサーの背中から剣先がのぞいている。剣に付着していた毒がさらにアーサーを蝕み口から大量の血が零れ落ちた。
(血でよかった…!これだったら刺されたからだってみんなは思うはずだ。吐しゃ物だったら怪しまれてた)
アーサーを応援していた女子生徒たちが「きゃぁぁぁ!!」と悲鳴を上げた。ジュリア姫は指を噛みながら顔をしかめている。ライラは親友の兄が大けがをおっているところを見たくなくてチャドに顔を押し付けている。チャドとノアは恐る恐るモニカを見た。彼らはモニカが泣きわめくかと思っていたが、モニカは泣きも騒ぎもせずじっとアーサーの様子を見ていた。モニカにとって兄が瀕死の状態になることは見慣れたことだと彼らは知らない。
(シリルの一太刀をくらってから体がふらついた。そのあとアーサーは笑ったわ。アーサーが体力切れなんて起こすわけない。じゃあ剣を落としたのは…?それに鼻血…。まさか…)
「ああ、だからあんなに嬉しそうに笑ったのね。あのバカ」
モニカはそう言って観客席から飛び出した。
◇◇◇
腹部に受けた傷を治療するために救急チームが駆け付けたが、毒を受けていることがバレたくなかったのでアーサーは平気そうに振舞った。
「大丈夫です!治療は必要ありません」
「大丈夫なわけないでしょう!!おなかに剣が刺さっているのよ!!」
「あっ、剣返さないとね。はい、シリル」
アーサーはそう言って体から剣を引き抜いてシリルに返した。傷口から大量の血が噴き出し救急チームの人たちが絶叫した。
「ぎゃああ!!あんた何してんのよ!!回復する前に剣抜いたらだめでしょうが!!」
「あの!本当に大丈夫ですから!!」
「アーサー!!」
競技場の入り口でモニカが兄の名前を呼んだ。アーサーはホッとして逃げるようにモニカの元へ走り去った。救急チームの人が「ちょっとあなた!!本当に死んじゃうわよ!!」と追いかけてくる。
「本当に大丈夫なんですって!!僕の妹回復魔法使えるんで!!」
「なんですって?!」
「だから妹に治してもらいますから!!さよなら!!」
「ちょっと待ちなさい!!ちょっとーーー!!」
競技場には、「死んじゃっても知らないからね!」と怒っている救急チームと、呆けて座り込んでいるシリルが残された。
「わざと…剣の角度を変えた…まるで僕が剣をはじき落とせるように…」
《なんとーーーー!!!まさかのアーサー選手!第一試合で敗戦!!》
《体力切れ…でしょうか。アーサー選手、思うように体が動いていなかったようでしたね。悔しいでしょうね》
《ということでシリル選手の勝利!!おめでとう!!では次の試合に参りましょう!次はー…》
◇◇◇
「はぁっ…はぁっ…ケホっ…」
競技場から離れた庭の隅で、モニカに介抱されたアーサーが吐血している。全身の感覚を失っていて指一本動かせないほど毒が体中に回ってしまっていた。肌も変色してきている。その上シリルに受けた腹の傷もある。出血量もひどい。意識を保っていることが不思議なほどだった。
「まったく。毒を受けてあんな嬉しそうな顔して。このバカ」
モニカが回復魔法をかけながらアーサーの頭をぺちんと叩いた。アーサーは「えへへ」と掠れた声で笑う。
「これ、僕だから大丈夫だったけど…他の子だったらやばかったんじゃないかな…ゲボッ」
アーサーがモニカのスカートの上に大量の血を吐き出した。生暖かい血がモニカの太ももを伝う。
「こんな血を吐いて、鼻血流して、体中真っ黒に変色して何が大丈夫よ!この毒…私の毒魔法よりずっと強い…」
モニカは涙を溜めながら必死に歌を歌う。猛毒と外傷の同時治癒は魔力のコントロールができるようになったモニカでもかなり時間を要した。
「シリル…どうしてこんなことを…!許せない…」
「いや、彼も被害者だ…。シリルはウィルクに脅されてたみたい。どんな手を使ってでも勝てとでも言われたんじゃない?」
「ああ…だからわざと負けたのね」
「…ばれちゃったか」
「分かるわよ…不自然に剣の角度を変えたんだもの」
「さすがだね、モニカ」
「だめ。失血がひどいわ。増血薬を…ああ、アーサーのアイテムボックスの中だわ」
「ある程度治してくれたら大丈夫だから。エリクサーを飲めば…ってそれもアイテムボックスの中だ」
「アーサー!!!」
背後から大声がしてモニカはびくりと振り返った。血相を変えたダフが二人のもとへ駆け寄ってくる。
「ああ!ここにいたのか!治癒もしてもらわずに競技場を出て行くから何事かと思ったが…」
「モニカ!僕の姿をダフに見せないで!毒だってバレちゃう…!」
アーサーはモニカに小声でそう言って妹の服の中に潜り込んで顔を隠した。
「アーサー。俺は耳が良いから聞こえてるぞ。だから隠さなくていい」
「えっ…」
ダフはモニカの服を引っ張り上げてアーサーの顔を見た。胸元まで服を捲られたモニカが「きゃー!なにしてんのよぉ!!」と顔を真っ赤にしてダフの頬に平手打ちをした。ダフは痛がりもせず変色して血まみれのアーサーの顔に手を添えた。
「やっぱり毒か。お前の様子がおかしかったからまさかとは思ったが…」
「ダフ!このことは誰にも言わないで!!シリルは悪くないんだ!」
「ああ。俺もシリルがこんなことするやつじゃないことを知ってる。あいつは俺の次に剣を愛している男だ。姑息な真似をして勝とうとなんてしない。きっと裏で何かあったはずだ。おそらく3回戦で…いや、それ以上は言わない方が良いな。…だが、お前がシリルを庇ってくれるとは思わなかったぞ。救急チームに世話を受けなかったのも、シリルが毒を使ったことを隠すためか?」
アーサーは肯定も否定もせず微笑んだ。それを見てダフも泣きそうな顔をしてかすかに笑う。
「お前がわざと負けたのもシリルを守るためだな」
「…ごめんねダフ。試合を軽んじたわけじゃないんだ」
「分かってる。3回戦までのお前の戦いをずっと見ていた。素晴らしかった。お前は自分の命を危険に晒してまでシリルを守ろうとした。なにを謝ることがあるんだ」
「ありがとう…ダフ」
「しかし…それでもシリルがやったことは許されないことだ。しかるべき処置はとったほうがいいと思うが」
「ううん。もとはと言えば僕が悪いんだ。僕がシリルを巻き込んでしまったんだよ。彼は被害者でしかない。だから誰にも言わないで。お願い」
ダフはしばらく黙り込んだ。アーサーとシリル、二人の気持ちを考えているのだろう。アーサーはその間も必死にシリルは悪くないと主張した。最終的にダフは頷いた。
「…分かった。そこまで言うなら黙ってよう。まあ俺たちが黙っていようがシリルは自分のしたことを先生に報告するだろうがな」
「えっ?」
「あいつはそういうやつだ。不正なんてものを一番嫌うやつだ」
「報告したら怒られちゃうよ…」
「怒られるどころじゃない。退学は免れない」
「そ、そんなのだめ!!ダフ!!シリルを説得して!僕はそんなこと望んでないよ!!本当にシリルは悪くないんだ!!」
それまで会話に入らず治癒に専念していたモニカから氷魔法があふれ出した。彼女が座っているまわりの芝が凍り付く。突然の氷魔法にダフは驚き、アーサーは妹が激怒していることを察して「ひぅっ」とびくついた。モニカは回復魔法を続けながらダフに話しかけた。
「ダフさん。シリルを説得してくださいな。自分のしたことを誰にも言わないって。じゃないとあんまりだわ。脅されて、愛する剣を汚されて、挙句の果てに退学ですって?そんなこと私が許さないわ」
ダフが「だが…」と躊躇っていたら、更に氷魔法が溢れ出て半径5メートルの芝がカチカチに凍り付いた。その上近くに立っていた木に雷が落ちて倒れたのでダフは慌てて首を縦に振った。それを見たモニカはにっこりと笑ってお礼を言ったが、目は全く笑っていなかった。
妹が暴走しかけていることに危険を感じ、アーサーはダフにこの場から離れるよう言った。ダフは最後にアーサーとギュッとハグをしてから去っていった。きっとシリルに会いに行くのだろう。
ダフがいなくなった途端庭に強風が吹き荒れ、学院の傍にある森に豪雨が降り始め雷が5本同時に落ちた。アーサーはビクビクしながらモニカの膝の上で大人しく回復魔法を受けていた。
「あの子はアーサーの命だけじゃなくシリルの人生までも無茶苦茶にするところだったわ。そんなことが許されるかしら。王子というだけでそこまで人をバカにできるものかしら。ねえアーサー。これってとっても恥ずかしいことだわ。悲しいことだわ。彼は私たちの弟よ。なんとかしなきゃいけない。ここままじゃだめ」
「僕になにしたっていい。でも、人を巻き込んでぐちゃぐちゃにするのはダメだ。このままあの子が王位についたことを考えたらゾッとする。僕、こんなにはらがたったのははじめてだ」
「私もよ」
モニカの回復魔法のおかげでアーサーはほとんど完治した。ひどい貧血はまだ治っておらず顔色も悪いが、体の感覚がもとに戻ったアーサーは立ち上がって伸びをした。先ほどの戦いに思いを馳せて口元を緩めている。アーサーの心の声がそのまま口に出てしまった。
「うーん、それにしても、久々の毒は…なかなか良かったなあ…シリルに頼んで、あの毒、もう一回…」
「アーサー?それ以上言ったらどうなるか分かってる?」
「あれっ?!僕いま口に出してた?」
「モロに出てたわよ…。はあ、アーサーのここだけは、本当に理解できないわ…」
「シリルくん?どうしたの?体調よくないの?」
心配したアーサーが声をかけると、シリルはびくりと体を強張らせた。そして独り言かのように小さい声で何かを呟いている。
「仕方ないんだ…言うこと聞かないと…」
「?」
《よーい、はじめ!!》
試合開始の合図が鳴り、アーサーとシリルは剣を構えた。シリルは「うわあああ!」と叫びながらアーサーに突進した。大声に面食らったアーサーは一瞬反応が遅れ、シリルの剣先が頬にかすった。ピッと血が飛んだが、たいした傷ではない。
しかしその瞬間、アーサーの体中から汗が噴き出した。眩暈、吐き気、そして、体の痺れ。アーサーはふらついた体を剣で支えながら、自分の体の容態を冷静に診た。久々に摂取した大好きなものに思わず顔がほころんでしまう。
「…うん、毒だね」
「うううっ!」
シリルは必死の表情でアーサーに向かってきた。アーサーは震える足で攻撃を躱す。剣を振り上げようとしたが、感覚のなくなった手であの重い剣は振ることができなかった。途中ですっぽりと手から剣が抜け、床に落ちる。
ガランガラン、と音を立てて床で揺れている剣を全員が見た。みなが驚いて静まり返っている。リリー寮の生徒たちは顔を真っ青にした。
《ど…どうしたんでしょうかアーサー選手。連戦で疲れてしまったか?!握力がなくなっているようだ!剣を落としてしまった…!これはピンチ!!》
《シリル選手チャンスだがどうする?おお、剣を振るがアーサー選手、かろうじて躱しました。しかし苦しそうな模様、先ほどの軽やかさがありません》
《…おっとアーサー選手、鼻血を出していますね。さっきの攻防で顔をぶつけてしまったのでしょうか》
実況を聞いて慌てて鼻を擦ると、どす黒い血が袖に付着した。体内からも何かがこみ上げてくる。口に逆流してきたそれを飲み込み、シリルに小声で話しかけた。喉が焼けて声がうまく出てこない。
「毒は…禁止だって言ってなかったっけ…?」
「し、仕方ないんだ…!こうでもしないと…僕は…僕の家族が…」
シリルは今にも泣きそうな声をしていた。相変わらず剣を握っている手はガタガタと震えている。アーサーはシリルの言葉を聞いて今シリルの身に何が起きているのか理解した。
「ああ…なるほど」
この毒の症状、幼少時代に何度も受けたことがある。懐かしささえ感じた。間違いなく王族が使う猛毒だ。シリルの様子とこの猛毒で、シリルがウィルク王子に脅されていることは明白だ。アーサーは観客に座っている王子をぎろりと睨みつける。
「生徒を脅してこんなことさせるなんて。さすがにおいたが過ぎるよ、ウィルク」
「な、なんで平気そうに喋ってられるんだよ…!立っていられないほどの猛毒だぞ、これは!」
アーサーは自分の口に指を当て、シリルに向かって「シー」と言った。
「そんなこと喋ったら不正がバレちゃうよ。僕は大丈夫だから、普通に戦って」
「な…」
(ウィルクはシリルを脅してる。シリルの口ぶりから、家族を巻き込まれてるはずだ。僕が勝ったらシリルに何をされるか分からない)
アーサーは感覚のなくなった両手で剣を握った。猛毒をくらっているのに一見平気そうに見えるアーサーが恐ろしく感じたシリルは、アーサー向かって剣を突き出した。アーサーは目を瞑りぼそりと呟いた。
「ダフ、ごめんね」
(しまった!剣筋を計算してなかった!このままだとアーサーに剣をはらわれる…!)
シリルが剣を突き出した位置は、ちょうどアーサーが剣を構えている場所だった。アーサーは構えている剣の角度をわずかに変えてシリルの剣を受け止めようとした。しかしアーサーの剣はシリルの攻撃に耐え切れず手から吹き飛んでしまう。武器を失ったアーサーの腹に、シリルが全力で剣を突き刺した。
「うっ」
アーサーの背中から剣先がのぞいている。剣に付着していた毒がさらにアーサーを蝕み口から大量の血が零れ落ちた。
(血でよかった…!これだったら刺されたからだってみんなは思うはずだ。吐しゃ物だったら怪しまれてた)
アーサーを応援していた女子生徒たちが「きゃぁぁぁ!!」と悲鳴を上げた。ジュリア姫は指を噛みながら顔をしかめている。ライラは親友の兄が大けがをおっているところを見たくなくてチャドに顔を押し付けている。チャドとノアは恐る恐るモニカを見た。彼らはモニカが泣きわめくかと思っていたが、モニカは泣きも騒ぎもせずじっとアーサーの様子を見ていた。モニカにとって兄が瀕死の状態になることは見慣れたことだと彼らは知らない。
(シリルの一太刀をくらってから体がふらついた。そのあとアーサーは笑ったわ。アーサーが体力切れなんて起こすわけない。じゃあ剣を落としたのは…?それに鼻血…。まさか…)
「ああ、だからあんなに嬉しそうに笑ったのね。あのバカ」
モニカはそう言って観客席から飛び出した。
◇◇◇
腹部に受けた傷を治療するために救急チームが駆け付けたが、毒を受けていることがバレたくなかったのでアーサーは平気そうに振舞った。
「大丈夫です!治療は必要ありません」
「大丈夫なわけないでしょう!!おなかに剣が刺さっているのよ!!」
「あっ、剣返さないとね。はい、シリル」
アーサーはそう言って体から剣を引き抜いてシリルに返した。傷口から大量の血が噴き出し救急チームの人たちが絶叫した。
「ぎゃああ!!あんた何してんのよ!!回復する前に剣抜いたらだめでしょうが!!」
「あの!本当に大丈夫ですから!!」
「アーサー!!」
競技場の入り口でモニカが兄の名前を呼んだ。アーサーはホッとして逃げるようにモニカの元へ走り去った。救急チームの人が「ちょっとあなた!!本当に死んじゃうわよ!!」と追いかけてくる。
「本当に大丈夫なんですって!!僕の妹回復魔法使えるんで!!」
「なんですって?!」
「だから妹に治してもらいますから!!さよなら!!」
「ちょっと待ちなさい!!ちょっとーーー!!」
競技場には、「死んじゃっても知らないからね!」と怒っている救急チームと、呆けて座り込んでいるシリルが残された。
「わざと…剣の角度を変えた…まるで僕が剣をはじき落とせるように…」
《なんとーーーー!!!まさかのアーサー選手!第一試合で敗戦!!》
《体力切れ…でしょうか。アーサー選手、思うように体が動いていなかったようでしたね。悔しいでしょうね》
《ということでシリル選手の勝利!!おめでとう!!では次の試合に参りましょう!次はー…》
◇◇◇
「はぁっ…はぁっ…ケホっ…」
競技場から離れた庭の隅で、モニカに介抱されたアーサーが吐血している。全身の感覚を失っていて指一本動かせないほど毒が体中に回ってしまっていた。肌も変色してきている。その上シリルに受けた腹の傷もある。出血量もひどい。意識を保っていることが不思議なほどだった。
「まったく。毒を受けてあんな嬉しそうな顔して。このバカ」
モニカが回復魔法をかけながらアーサーの頭をぺちんと叩いた。アーサーは「えへへ」と掠れた声で笑う。
「これ、僕だから大丈夫だったけど…他の子だったらやばかったんじゃないかな…ゲボッ」
アーサーがモニカのスカートの上に大量の血を吐き出した。生暖かい血がモニカの太ももを伝う。
「こんな血を吐いて、鼻血流して、体中真っ黒に変色して何が大丈夫よ!この毒…私の毒魔法よりずっと強い…」
モニカは涙を溜めながら必死に歌を歌う。猛毒と外傷の同時治癒は魔力のコントロールができるようになったモニカでもかなり時間を要した。
「シリル…どうしてこんなことを…!許せない…」
「いや、彼も被害者だ…。シリルはウィルクに脅されてたみたい。どんな手を使ってでも勝てとでも言われたんじゃない?」
「ああ…だからわざと負けたのね」
「…ばれちゃったか」
「分かるわよ…不自然に剣の角度を変えたんだもの」
「さすがだね、モニカ」
「だめ。失血がひどいわ。増血薬を…ああ、アーサーのアイテムボックスの中だわ」
「ある程度治してくれたら大丈夫だから。エリクサーを飲めば…ってそれもアイテムボックスの中だ」
「アーサー!!!」
背後から大声がしてモニカはびくりと振り返った。血相を変えたダフが二人のもとへ駆け寄ってくる。
「ああ!ここにいたのか!治癒もしてもらわずに競技場を出て行くから何事かと思ったが…」
「モニカ!僕の姿をダフに見せないで!毒だってバレちゃう…!」
アーサーはモニカに小声でそう言って妹の服の中に潜り込んで顔を隠した。
「アーサー。俺は耳が良いから聞こえてるぞ。だから隠さなくていい」
「えっ…」
ダフはモニカの服を引っ張り上げてアーサーの顔を見た。胸元まで服を捲られたモニカが「きゃー!なにしてんのよぉ!!」と顔を真っ赤にしてダフの頬に平手打ちをした。ダフは痛がりもせず変色して血まみれのアーサーの顔に手を添えた。
「やっぱり毒か。お前の様子がおかしかったからまさかとは思ったが…」
「ダフ!このことは誰にも言わないで!!シリルは悪くないんだ!」
「ああ。俺もシリルがこんなことするやつじゃないことを知ってる。あいつは俺の次に剣を愛している男だ。姑息な真似をして勝とうとなんてしない。きっと裏で何かあったはずだ。おそらく3回戦で…いや、それ以上は言わない方が良いな。…だが、お前がシリルを庇ってくれるとは思わなかったぞ。救急チームに世話を受けなかったのも、シリルが毒を使ったことを隠すためか?」
アーサーは肯定も否定もせず微笑んだ。それを見てダフも泣きそうな顔をしてかすかに笑う。
「お前がわざと負けたのもシリルを守るためだな」
「…ごめんねダフ。試合を軽んじたわけじゃないんだ」
「分かってる。3回戦までのお前の戦いをずっと見ていた。素晴らしかった。お前は自分の命を危険に晒してまでシリルを守ろうとした。なにを謝ることがあるんだ」
「ありがとう…ダフ」
「しかし…それでもシリルがやったことは許されないことだ。しかるべき処置はとったほうがいいと思うが」
「ううん。もとはと言えば僕が悪いんだ。僕がシリルを巻き込んでしまったんだよ。彼は被害者でしかない。だから誰にも言わないで。お願い」
ダフはしばらく黙り込んだ。アーサーとシリル、二人の気持ちを考えているのだろう。アーサーはその間も必死にシリルは悪くないと主張した。最終的にダフは頷いた。
「…分かった。そこまで言うなら黙ってよう。まあ俺たちが黙っていようがシリルは自分のしたことを先生に報告するだろうがな」
「えっ?」
「あいつはそういうやつだ。不正なんてものを一番嫌うやつだ」
「報告したら怒られちゃうよ…」
「怒られるどころじゃない。退学は免れない」
「そ、そんなのだめ!!ダフ!!シリルを説得して!僕はそんなこと望んでないよ!!本当にシリルは悪くないんだ!!」
それまで会話に入らず治癒に専念していたモニカから氷魔法があふれ出した。彼女が座っているまわりの芝が凍り付く。突然の氷魔法にダフは驚き、アーサーは妹が激怒していることを察して「ひぅっ」とびくついた。モニカは回復魔法を続けながらダフに話しかけた。
「ダフさん。シリルを説得してくださいな。自分のしたことを誰にも言わないって。じゃないとあんまりだわ。脅されて、愛する剣を汚されて、挙句の果てに退学ですって?そんなこと私が許さないわ」
ダフが「だが…」と躊躇っていたら、更に氷魔法が溢れ出て半径5メートルの芝がカチカチに凍り付いた。その上近くに立っていた木に雷が落ちて倒れたのでダフは慌てて首を縦に振った。それを見たモニカはにっこりと笑ってお礼を言ったが、目は全く笑っていなかった。
妹が暴走しかけていることに危険を感じ、アーサーはダフにこの場から離れるよう言った。ダフは最後にアーサーとギュッとハグをしてから去っていった。きっとシリルに会いに行くのだろう。
ダフがいなくなった途端庭に強風が吹き荒れ、学院の傍にある森に豪雨が降り始め雷が5本同時に落ちた。アーサーはビクビクしながらモニカの膝の上で大人しく回復魔法を受けていた。
「あの子はアーサーの命だけじゃなくシリルの人生までも無茶苦茶にするところだったわ。そんなことが許されるかしら。王子というだけでそこまで人をバカにできるものかしら。ねえアーサー。これってとっても恥ずかしいことだわ。悲しいことだわ。彼は私たちの弟よ。なんとかしなきゃいけない。ここままじゃだめ」
「僕になにしたっていい。でも、人を巻き込んでぐちゃぐちゃにするのはダメだ。このままあの子が王位についたことを考えたらゾッとする。僕、こんなにはらがたったのははじめてだ」
「私もよ」
モニカの回復魔法のおかげでアーサーはほとんど完治した。ひどい貧血はまだ治っておらず顔色も悪いが、体の感覚がもとに戻ったアーサーは立ち上がって伸びをした。先ほどの戦いに思いを馳せて口元を緩めている。アーサーの心の声がそのまま口に出てしまった。
「うーん、それにしても、久々の毒は…なかなか良かったなあ…シリルに頼んで、あの毒、もう一回…」
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「あれっ?!僕いま口に出してた?」
「モロに出てたわよ…。はあ、アーサーのここだけは、本当に理解できないわ…」
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弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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