44 / 71
5章
第43話 ルイボスティーの香り
しおりを挟む
◇◇◇
テスト期間を挟み、クラッシュシンバルの音が前よりも悪くなってしまった海茅。叩いても叩いても、以前と同じような響きは鳴らない。
練習しなければ取り戻せないと分かってはいるが、理想とかけ離れた音を自分が鳴らしていると考えると苦痛でしかなく、気を強く持っていないとつい手を止めてしまう。
つい数か月前も、海茅はこんな汚い音を鳴らしていた。だがその時はこんなに苦しくなかった。表現したい響きがなく、どんどん上達していくシンバルの音に楽しみしか感じなかった。
海茅は自習練中、教師控室でこっそり泣いた。
クラッシュシンバルに嫌われたような気持ちになった。
相棒だと思っていたクラッシュシンバルを、叩きたくないと思ってしまうことも辛い。
その時、ノックのあとに明日香が部屋に入ってきた。
「失礼します。先生、ちょっと相談が――」
シンバルを抱きしめたまま体を強張らせる海茅と明日香の目がぴったり合わる。
明日香はすぐに海茅が泣いていることに気付いた。
「彼方さん、どうしたの……?」
「な、なんでもないよ。それより先生は今はいないよ。たぶん職員室だと思う」
顧問の居場所を聞いても、明日香は控室から出ようとしなかった。
「えっと、私……でもいい?」
「な、なにが?」
「話聞くの。それとも誰か……あ、喜田さん呼んでこようか?」
海茅はふるふると首を横に振った。優紀に泣いているところを見せたくない。また弱い人だと思われてしまう。というより、本当は誰にも見られたくなかった。
海茅が首を振るだけで何も言わないので、明日香は気まずそうに頬をかいた。
「ごめん……。大きなお世話だったよね」
「う、ううん。こっちこそごめん。気遣ってくれてありがとう」
明日香は海茅のことが心配で部屋を出られないようだった。
今の海茅には、あの時の明日香の気持ちが分かるような気がした。身近すぎる人には話せない、程よい距離のある人に話したい気持ち。
「如月さん……。ちょっと、話聞いてくれる……?」
海茅のお願いに、明日香は嬉しそうにも泣きそうにも見える顔で頷いた。
シンバルの音が変わってしまったこと。あんなに好きだったシンバル練習が辛いこと。顧問に音が汚いと言われるんじゃないかと考えると、合奏に出るのが不安なこと。部員にシンバルの音が汚いとこっそり思われているんじゃないかと考えてしまうこと――
海茅は、降り始めの雨のように、ぽつぽつとまばらな言葉を明日香に落とした。支離滅裂で分かりづらいところもあっただろう。しかし明日香は、海茅の言葉を遮ることなく耳を傾けた。
「……赤点取った上にこんなシンバルの音じゃ、みんなにどう思われてるか……。きっとパーカッションのみんなも私の音が悪いことに気付いてる。でも何も言わないの。それがまた怖い」
もしこんな気持ちを優紀に話したら、また彼女に「海茅ちゃんの悪いとこ出てるよ」と叱られるに違いない。先輩たちが何も言わないのは、呆れられているからに違いない。
もともと不安になりがちの海茅だが、得意なシンバルが上手くいかなくなってから、余計に悪い方向に考えが止まらなくなってしまっていた。
思っていることを全て吐き出した海茅は、おそるおそる明日香を窺い見た。
明日香は眉間に皺を寄せ、低い声を漏らす。
「彼方さん……」
考えすぎだよ。ネガティブすぎ。そう思うなら練習すれば。……明日香の言葉を先読みして、海茅は項垂れた。
しかし明日香は何度も深く頷き、海茅の手を握った。
「すっっっごく分かる。その気持ち」
テスト期間を挟み、クラッシュシンバルの音が前よりも悪くなってしまった海茅。叩いても叩いても、以前と同じような響きは鳴らない。
練習しなければ取り戻せないと分かってはいるが、理想とかけ離れた音を自分が鳴らしていると考えると苦痛でしかなく、気を強く持っていないとつい手を止めてしまう。
つい数か月前も、海茅はこんな汚い音を鳴らしていた。だがその時はこんなに苦しくなかった。表現したい響きがなく、どんどん上達していくシンバルの音に楽しみしか感じなかった。
海茅は自習練中、教師控室でこっそり泣いた。
クラッシュシンバルに嫌われたような気持ちになった。
相棒だと思っていたクラッシュシンバルを、叩きたくないと思ってしまうことも辛い。
その時、ノックのあとに明日香が部屋に入ってきた。
「失礼します。先生、ちょっと相談が――」
シンバルを抱きしめたまま体を強張らせる海茅と明日香の目がぴったり合わる。
明日香はすぐに海茅が泣いていることに気付いた。
「彼方さん、どうしたの……?」
「な、なんでもないよ。それより先生は今はいないよ。たぶん職員室だと思う」
顧問の居場所を聞いても、明日香は控室から出ようとしなかった。
「えっと、私……でもいい?」
「な、なにが?」
「話聞くの。それとも誰か……あ、喜田さん呼んでこようか?」
海茅はふるふると首を横に振った。優紀に泣いているところを見せたくない。また弱い人だと思われてしまう。というより、本当は誰にも見られたくなかった。
海茅が首を振るだけで何も言わないので、明日香は気まずそうに頬をかいた。
「ごめん……。大きなお世話だったよね」
「う、ううん。こっちこそごめん。気遣ってくれてありがとう」
明日香は海茅のことが心配で部屋を出られないようだった。
今の海茅には、あの時の明日香の気持ちが分かるような気がした。身近すぎる人には話せない、程よい距離のある人に話したい気持ち。
「如月さん……。ちょっと、話聞いてくれる……?」
海茅のお願いに、明日香は嬉しそうにも泣きそうにも見える顔で頷いた。
シンバルの音が変わってしまったこと。あんなに好きだったシンバル練習が辛いこと。顧問に音が汚いと言われるんじゃないかと考えると、合奏に出るのが不安なこと。部員にシンバルの音が汚いとこっそり思われているんじゃないかと考えてしまうこと――
海茅は、降り始めの雨のように、ぽつぽつとまばらな言葉を明日香に落とした。支離滅裂で分かりづらいところもあっただろう。しかし明日香は、海茅の言葉を遮ることなく耳を傾けた。
「……赤点取った上にこんなシンバルの音じゃ、みんなにどう思われてるか……。きっとパーカッションのみんなも私の音が悪いことに気付いてる。でも何も言わないの。それがまた怖い」
もしこんな気持ちを優紀に話したら、また彼女に「海茅ちゃんの悪いとこ出てるよ」と叱られるに違いない。先輩たちが何も言わないのは、呆れられているからに違いない。
もともと不安になりがちの海茅だが、得意なシンバルが上手くいかなくなってから、余計に悪い方向に考えが止まらなくなってしまっていた。
思っていることを全て吐き出した海茅は、おそるおそる明日香を窺い見た。
明日香は眉間に皺を寄せ、低い声を漏らす。
「彼方さん……」
考えすぎだよ。ネガティブすぎ。そう思うなら練習すれば。……明日香の言葉を先読みして、海茅は項垂れた。
しかし明日香は何度も深く頷き、海茅の手を握った。
「すっっっごく分かる。その気持ち」
0
あなたにおすすめの小説
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
【完結】キスの練習相手は幼馴染で好きな人【連載版】
猫都299
児童書・童話
沼田海里(17)は幼馴染でクラスメイトの一井柚佳に恋心を抱いていた。しかしある時、彼女は同じクラスの桜場篤の事が好きなのだと知る。桜場篤は学年一モテる文武両道で性格もいいイケメンだ。告白する予定だと言う柚佳に焦り、失言を重ねる海里。納得できないながらも彼女を応援しようと決めた。しかし自信のなさそうな柚佳に色々と間違ったアドバイスをしてしまう。己の経験のなさも棚に上げて。
「キス、練習すりゃいいだろ? 篤をイチコロにするやつ」
秘密や嘘で隠されたそれぞれの思惑。ずっと好きだった幼馴染に翻弄されながらも、その本心に近付いていく。
※現在完結しています。ほかの小説が落ち着いた時等に何か書き足す事もあるかもしれません。(2024.12.2追記)
※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。(2024.12.2追記)
※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+、Nolaノベル、ツギクルに投稿しています。
※【応募版】を2025年11月4日からNolaノベルに投稿しています。現在修正中です。元の小説は各話の文字数がバラバラだったので、【応募版】は各話3500~4500文字程になるよう調節しました。67話(番外編を含む)→23話(番外編を含まない)になりました。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
黒地蔵
紫音みけ🐾書籍発売中
児童書・童話
友人と肝試しにやってきた中学一年生の少女・ましろは、誤って転倒した際に頭を打ち、人知れず幽体離脱してしまう。元に戻る方法もわからず孤独に怯える彼女のもとへ、たったひとり救いの手を差し伸べたのは、自らを『黒地蔵』と名乗る不思議な少年だった。黒地蔵というのは地元で有名な『呪いの地蔵』なのだが、果たしてこの少年を信じても良いのだろうか……。目には見えない真実をめぐる現代ファンタジー。
※表紙イラスト=ミカスケ様
笑いの授業
ひろみ透夏
児童書・童話
大好きだった先先が別人のように変わってしまった。
文化祭前夜に突如始まった『笑いの授業』――。
それは身の毛もよだつほどに怖ろしく凄惨な課外授業だった。
伏線となる【神楽坂の章】から急展開する【高城の章】。
追い詰められた《神楽坂先生》が起こした教師としてありえない行動と、その真意とは……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる