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Ⅰ 待ちわびた日
1 待ちわびた日
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「誰か! この不届き者を、王宮より追放しなさい!」
私の見つめる先で、ベリア国の王妃が激高している。
王妃の前には、青ざめた男が一人。
「ち、違います! こんなはずでは……そのバラは、ソル王子に渡すつもりで……!」
失態を犯した男が、兵士に引きずられていく。
ベリアの王子ソルは、戸惑いながらも明らかに安心している。
当然だ。
自身を嘲り、虐げてきた侍従が消えるのだから。
ソルの隣で、彼の婚約者である私は拳を握った。
うまくいった。
私が力を使ったことに、誰も気付いていない。
安心して、私の王子様。
あなたを傷つける者は、一人残らず退ける。
そう決めたのだ。
ソルが私を迎えに来た、あの日に──
◇
九つの国と十三の民族を抱く、ノークティカ帝国。
その皇女が、属国ベリアの王子と婚約した。
絵に描いたような政略結婚である。
当事者の第二皇女ルナティア──私にとっては、夢の生活の始まりだけれど。
今日は、まさしくその幕開け。
ベリアの第一王子が迎えに来る日だ。
私の腰まで伸びた銀髪は、侍女が丹念にとかしてくれた。
ドレスは鮮やかな赤で、袖口から大ぶりのフリルが広がっている。
生まれて初めて入る、要塞のような皇宮。
その客間のソファで王子を待っていると、隅に立つ見張りの兵士二人が、ヒソヒソと話し始めた。
「ルナティア様、全然姿勢が崩れないぞ。緊張してるのかな」
「そりゃそうだ。十八年間、皇宮裏の新月宮からほとんど出たことがないんだから」
人であれば聞こえないほどの小声だ。
私の背後に立つ護衛兵も、気づいていないだろう。
しかし私は人ではない。
耳が、兵士の会話を拾ってしまう。
「ある意味“箱入り”か。なのに、噂の第一王子と結婚とはね」
「拒否できないんだろうさ。母親のルナ様は平民だから、なおさらだよ。従者も最低限しかつかないらしい。おかわいそうにな」
何がかわいそうなものか。
私はこんなにも浮き立っているというのに。
ベリアの第一王子ソル・ベリオス──不勉強な怠け者。
毎日自室で飲んだくれ、大使を迎える時も出てこない。
……というのはベリア王妃の主張で、大使の見立てによれば、ソルは冷遇されているという。
彼の部屋は王宮の隅にあり、使用人たちはソルが存在しないかのように振る舞うらしい。
それに、大使は一度だけ聞いたそうだ。
『ああ、出来の悪い主人を持つと疲れる! さっさと死んでくれませんかね、ソル殿下?』
王宮の奥で、誰かがそう怒鳴っているのを。
私の父、ノークティカ皇帝は、縁談を持ち込んできた宰相の胸倉をつかんだ。
「どちらにせよ最低な結婚相手だ」と。
その父帝の腕に、私は飛びついた。
『お父様、ソル王子と結婚させてください!』
両親は目を丸くしたが、なぜ驚くのだろう。
皆から無視される王子のそばにいれば、私の“正体”について誰も気に留めないのに。
ソルに「死んでくれ」と言った者は、私の“力”で追い払っておこう。
ソルの周りは平和になり、人も減る。
残るは気心の知れた私の臣下だけ。
考えるだけで解放感が全身に広がる。
ああ、今すぐ立ち上がって踊り出したい!
……というわけにもいかないので、静かに座り続けていると、客間のドアがノックされた。
「お入りください」
私が応えると、兵士がドアを開けた。
「失礼いたします」
細身の青年が、小太りの中年男性を連れて入ってきた。
中年男性は赤茶色の上着を羽織り、いかにも従者という格好だ。
彼を従える青年は、銀の刺繍が入ったワインレッドの上着を身につけている。
一介の貴族の衣装ではない。
ベリア王家の証である紫の瞳を見れば、彼が何者か考えるまでもないが。
──ようやく会えた。私の王子様。
二十一歳だと聞いているが、面立ちは小動物のようだ。
背丈は兵士並みだが、私と同じ十八──いや、年下に見える。
可愛い、という言葉がひとりでに心に浮かぶ。
私はソルを見上げて微笑んだ。
ソルの頬がふわりと染まる。
その様子に、胸が小さくときめいた。
罵倒されて育ったのなら、性格が歪んでいるのかと思っていた。
それはそれで、からかって愛でるつもりだった。
なのに素直に照れられると、こちらまで照れくさくなる。
「ゴホン!」
侍従の咳払いで、私たちはハッと我に返る。
ソルは、慌てて姿勢を正した。
「初めまして、ルナティア皇女殿下ですね。ベリア国第一王子、ソル・ベリオスです」
そう言って、彼は完璧な所作でお辞儀をした。
私は危うく目を見張りそうになった。
冷遇されているのなら、礼儀作法も教わっていないはずなのに。
実は教師がついているのだろうか。
いや、それはおかしい。
束ねられた黒髪は、彼の背中で揺れている。
よく見れば、手も少し荒れている。
世話を焼く者がいないのだ。
では、ソルはなぜ礼儀作法を知っているのだろう?
疑問を笑顔の下に隠し、私はソファから立ち上がった。
「初めまして、ソル王子殿下。ノークティカ帝国第二皇女、ルナティア・ディル・ノークティカです。この日を待ちわびておりました」
そう言って微笑んだ、次の瞬間。
私とソルは、同時に息を呑んだ。
「何ということを! 皇女殿下、申し訳ございませんっ!」
ソルの侍従が叫び、深々と頭を下げたのだ。
それからすぐに、侍従は顔を上げた。
どう見ても、私への謝罪をする表情ではない。
ソルを蔑み、どう貶めてやろうかと企む顔にしか見えなかった。
私の見つめる先で、ベリア国の王妃が激高している。
王妃の前には、青ざめた男が一人。
「ち、違います! こんなはずでは……そのバラは、ソル王子に渡すつもりで……!」
失態を犯した男が、兵士に引きずられていく。
ベリアの王子ソルは、戸惑いながらも明らかに安心している。
当然だ。
自身を嘲り、虐げてきた侍従が消えるのだから。
ソルの隣で、彼の婚約者である私は拳を握った。
うまくいった。
私が力を使ったことに、誰も気付いていない。
安心して、私の王子様。
あなたを傷つける者は、一人残らず退ける。
そう決めたのだ。
ソルが私を迎えに来た、あの日に──
◇
九つの国と十三の民族を抱く、ノークティカ帝国。
その皇女が、属国ベリアの王子と婚約した。
絵に描いたような政略結婚である。
当事者の第二皇女ルナティア──私にとっては、夢の生活の始まりだけれど。
今日は、まさしくその幕開け。
ベリアの第一王子が迎えに来る日だ。
私の腰まで伸びた銀髪は、侍女が丹念にとかしてくれた。
ドレスは鮮やかな赤で、袖口から大ぶりのフリルが広がっている。
生まれて初めて入る、要塞のような皇宮。
その客間のソファで王子を待っていると、隅に立つ見張りの兵士二人が、ヒソヒソと話し始めた。
「ルナティア様、全然姿勢が崩れないぞ。緊張してるのかな」
「そりゃそうだ。十八年間、皇宮裏の新月宮からほとんど出たことがないんだから」
人であれば聞こえないほどの小声だ。
私の背後に立つ護衛兵も、気づいていないだろう。
しかし私は人ではない。
耳が、兵士の会話を拾ってしまう。
「ある意味“箱入り”か。なのに、噂の第一王子と結婚とはね」
「拒否できないんだろうさ。母親のルナ様は平民だから、なおさらだよ。従者も最低限しかつかないらしい。おかわいそうにな」
何がかわいそうなものか。
私はこんなにも浮き立っているというのに。
ベリアの第一王子ソル・ベリオス──不勉強な怠け者。
毎日自室で飲んだくれ、大使を迎える時も出てこない。
……というのはベリア王妃の主張で、大使の見立てによれば、ソルは冷遇されているという。
彼の部屋は王宮の隅にあり、使用人たちはソルが存在しないかのように振る舞うらしい。
それに、大使は一度だけ聞いたそうだ。
『ああ、出来の悪い主人を持つと疲れる! さっさと死んでくれませんかね、ソル殿下?』
王宮の奥で、誰かがそう怒鳴っているのを。
私の父、ノークティカ皇帝は、縁談を持ち込んできた宰相の胸倉をつかんだ。
「どちらにせよ最低な結婚相手だ」と。
その父帝の腕に、私は飛びついた。
『お父様、ソル王子と結婚させてください!』
両親は目を丸くしたが、なぜ驚くのだろう。
皆から無視される王子のそばにいれば、私の“正体”について誰も気に留めないのに。
ソルに「死んでくれ」と言った者は、私の“力”で追い払っておこう。
ソルの周りは平和になり、人も減る。
残るは気心の知れた私の臣下だけ。
考えるだけで解放感が全身に広がる。
ああ、今すぐ立ち上がって踊り出したい!
……というわけにもいかないので、静かに座り続けていると、客間のドアがノックされた。
「お入りください」
私が応えると、兵士がドアを開けた。
「失礼いたします」
細身の青年が、小太りの中年男性を連れて入ってきた。
中年男性は赤茶色の上着を羽織り、いかにも従者という格好だ。
彼を従える青年は、銀の刺繍が入ったワインレッドの上着を身につけている。
一介の貴族の衣装ではない。
ベリア王家の証である紫の瞳を見れば、彼が何者か考えるまでもないが。
──ようやく会えた。私の王子様。
二十一歳だと聞いているが、面立ちは小動物のようだ。
背丈は兵士並みだが、私と同じ十八──いや、年下に見える。
可愛い、という言葉がひとりでに心に浮かぶ。
私はソルを見上げて微笑んだ。
ソルの頬がふわりと染まる。
その様子に、胸が小さくときめいた。
罵倒されて育ったのなら、性格が歪んでいるのかと思っていた。
それはそれで、からかって愛でるつもりだった。
なのに素直に照れられると、こちらまで照れくさくなる。
「ゴホン!」
侍従の咳払いで、私たちはハッと我に返る。
ソルは、慌てて姿勢を正した。
「初めまして、ルナティア皇女殿下ですね。ベリア国第一王子、ソル・ベリオスです」
そう言って、彼は完璧な所作でお辞儀をした。
私は危うく目を見張りそうになった。
冷遇されているのなら、礼儀作法も教わっていないはずなのに。
実は教師がついているのだろうか。
いや、それはおかしい。
束ねられた黒髪は、彼の背中で揺れている。
よく見れば、手も少し荒れている。
世話を焼く者がいないのだ。
では、ソルはなぜ礼儀作法を知っているのだろう?
疑問を笑顔の下に隠し、私はソファから立ち上がった。
「初めまして、ソル王子殿下。ノークティカ帝国第二皇女、ルナティア・ディル・ノークティカです。この日を待ちわびておりました」
そう言って微笑んだ、次の瞬間。
私とソルは、同時に息を呑んだ。
「何ということを! 皇女殿下、申し訳ございませんっ!」
ソルの侍従が叫び、深々と頭を下げたのだ。
それからすぐに、侍従は顔を上げた。
どう見ても、私への謝罪をする表情ではない。
ソルを蔑み、どう貶めてやろうかと企む顔にしか見えなかった。
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