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第一章
02 これはまずい
しおりを挟む「芦名! 早くケーブルこっちに持ってこい!」
「はい、すんません! すぐに持っていきます!」
聞こえてきた怒声に、保は両腕にカメラ用のケーブルを抱えたまま声を張り上げた。
この後、二時間スペシャルの生放送を控えているスタジオ内は騒がしく、各裏方たちが準備に奔走している。大道具はひな壇の金具を入念に締め、小道具は各テーブルにクイズ用のボタンを設置し、そして保たちカメラマングループは七台にも及ぶ撮影カメラを調整している。
保は足下のケーブルにつまづかないよう気を付けながら、カメラチーフの元へと駆け寄っていった。スタジオの床は、様々な機材やコードが絡まり合いながら散乱していて、まるでトラップだらけのダンジョンのようだ。
「芦名、五カメの調整は終わったか?」
「はい、終わりました」
カメラチーフの鬼村(きむら)へとケーブルを渡しながら、直立不動の姿勢で答える。
大学卒業後、保が映像業界に入ってそろそろ五年経つが、入った当初はその体育会系な世界に正直驚いた。クリエイティブな仕事というよりもぶっちゃけ肉体労働に近いし、上下関係も中高の部活並みにキッチリしている。実際のところ、十キロ以上あるカメラや三脚を担いだりもするので、体力がなければ続けていけない仕事だと思う。
ここではカメラチーフは神。質問には三秒以内に返事をし、口答えは決して許されない。
鬼村は無言のまま、大股で五カメへと近付いた。四十歳後半だというのに筋骨隆々な肉体をしており、野外撮影のせいで肌は赤黒く焼けている。その名前や厳つい顔立ちも相まって、正直赤鬼のようにも見える。
鬼村が五カメをチェックしてから、小さくうなずく。
「いいじゃねえか」
その言葉が聞こえた瞬間、保は安堵のあまり膝から力が抜けてへたり込みそうになった。
この道一筋で生きてきた四十代の鬼村は、よく言えば職人気質で、悪く言えばややパワハラ気質なベテランカメラマンだった。ヘマをすると盛大に怒鳴られるが、その代わり仕事を上手くこなせたときはきちんと評価し、褒めてくれる。
それに、数ヶ月前に東京に上京して一人暮らしをしている保を気遣って、晩飯にもよく誘ってくれる。仕事に関しては完全に鬼だが、なんだかんだで面倒見の良い人なのだ。
「お前、ここのスタジオ何回目だ」
「三回目です」
「じゃあ、位置取りも大体頭に入ってるよな」
確かめるように鬼村が問い掛けてくる。その前置きに妙な緊張を覚えつつ、保はうなずきを返した。
「はい、頭に入ってると思います」
「思います?」
ギロリと鬼村がねめつけるように保を見据えてくる。その眼差しに、保は慌てて言い直した。
「ばっちり頭に入ってます」
「良し。佐藤の野郎が、昨日腰やってまともに動けねぇとか抜かしやがったから、お前、今日五カメ行け」
「え」
とっさに返事が頭からすっぽ抜けた。
保が地方局からこの都内の局に転職してきて、まだほんの数ヶ月だ。基本的にはカメラアシスタントをしていて、数回補助付きでカメラを任せてもらったことはあったが、まさかこんな生放送でカメラを担当させてもらえるとは思ってもいなかった。
保が口を半開きにして固まっていると、鬼村は眉間に深々と皺を刻んだ。
「ヘマしやがったら、俺がお前の首を千切り取るからな」
それは仕事をクビにするという暗喩なのだろうか。それとも本気で物理的に首を千切るという意味なのだろうか。鬼村の気持ち的には後者な気がする。
保は正気を取り戻すように首を左右に振ると、背筋をピンと伸ばして答えた。
「はい、死んでもヘマしません」
「良し。今回の撮影では五カメに寄りはねぇし、遠目からの撮影ばかりだからいけるな」
寄りというのは、演者に近付いてアップを撮ることだ。演者を次々と撮(うつ)していくのでカメラの動きも忙しなく、もちろんピントボケも許されないため、ベテランに任されることが多い。保はそこから外して、動きが割合少ない全体の撮影を任してくれるらしい。
保は両手を後ろで組んだまま、深くうなずいた。
「はい、いけます」
「頭に入れてると思うが、リハ前に台本とカメラ割りをもう一回確認しとけよ。他のカメラにトラブルが起きたときは、お前がフォローしに行く可能性だってあるんだからな」
「はいっ」
威勢よく答えると、鬼村は垂れ下がっていた口角を少しだけ吊り上げた。そうすると、厳つさの奥からかすかな柔らかさが滲み出してくる。
鼓舞するように保の胸をドンッと叩きながら、鬼村が言う。
「上手くやれたら、飯奢ってやるよ」
「えっ、とうとう鬼村さんオススメの高級懐石に連れて行ってくれるんですか?」
おどけた口調で返すと、鬼村はその強面を緩めて、保の髪を片手でぐしゃりと乱してきた。まるで犬にするみたいに、わしゃわしゃと髪の毛を掻き回される。
「お前は相変わらず生意気な野郎だな」
「可愛いがり甲斐のある後輩でしょう」
笑いながら言い返すと、調子に乗るなとばかりにベシッと頭を叩かれた。わざとらしく「いてぇ」と声をあげると、鬼村が咽喉の奥で小さく笑う声が聞こえてくる。
「おら、さっさと他のカメラの調整しに行け。」
片手を軽く振りながら、鬼村がぶっきらぼうに言い放つ。その言葉に、保は「はいっ」と歯切れの良い声で答えた。
おや、これはまずい。と気付いたのは、休憩中に番組の台本を液晶タブレットで再確認していたときだ。
今日撮影するのは、四月から放送されるドラマに出る出演者を集めてのスペシャルクイズ番組の生放送だった。いうなれば、ドラマの宣伝のためのバラエティということだ。
その出演者の一覧に、忘れようがない名前が載っている。
【ドラマ『藍とともに沈む』チーム――清水(しみず)藍人(あいと)】
七年前、保が十八歳だったときに『運命』だと認識した相手が、どうやら今日このスタジオに現れるらしい。
「またドラマの主演かぁ」
というか、初めてテレビで見かけて以来、ドラマでも映画でも、この男が主役級以外の役柄を演じているのを見たことがない。
昼食の唐揚げ弁当を片手で食べ進めつつ、もう片方の手でスマホを操作してドラマの詳細を確認する。どうやら今回のドラマも恋愛系で、引っ込み思案で地味なOLを上司役の藍人がイケてる女性に大変身させるという展開らしい。最初は、ただ上司のオモチャにされているだけだろうとヒロインは思うが、そのうち上司の執着愛に気付き始め――というストーリーらしい。
七年経っても清水藍人という俳優は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が巣食う芸能界でしっかりと生き残っているようだった。今は二十七歳になったはずだが、その美貌は二十歳の頃から一切衰えることなく、むしろ原石が宝石へと磨き上げられるように、歳を増した分だけ輝きが増しているように思える。
そして顔だけの役者かと思いきや、演技での評価も意外と高かった。ただ、女性人気が高すぎるからか、恋愛系のドラマや映画にばかり出演するせいで『王子様役しかできない俳優』などとヤッカミ半分な評価をされることもあるが。実際、藍人が演じる役は、優しくて、爽やかで、いつも穏やかに微笑んでいる完全無欠なイケメンが多い。
「でも、イケメンなんだから、イケメン役のオファーが来るのは仕方ないだろぉ……」
無意識に藍人をフォローするようなひとりごとが零れてしまう。とっくの昔に諦めてはいるが、それでも自分の運命(仮)が周りから悪い評価を与えられるのは、無性に胸がざわついて嫌だった。
でかい唐揚げを奥歯の辺りで咀嚼しながら、最近掲載された藍人のインタビュー記事を見つけて流し読みしていく。
『藍人さんは、現在メディアに引っ張りだこになっていますが、休日はどのように過ごされているんですか?』
『あまり外に出るのが好きなタイプではないので、家で映画を観たり、寝てばかりいますね』
ふんふん、案外インドア派なのか。
『そして、藍人さんのファンが一番気になっていることだとは思いますが……現在恋人はいらっしゃるんですか?』
お決まりだとはいえ、無意味な質問だと思う。こんなこと聞いたって、本当のことなんか絶対に答えられないだろうに。まぁ、インタビューの様式美みたいなものなんだろうか。
『いいえ、今は忙しすぎて、仕事が恋人みたいなものですね』
ほら、やっぱり定型文を返されている。だが、その次も、藍人の言葉が続けて書かれていた。
『それに、僕はずっと【運命】を探しているんです』
『運命、というのは【運命の番(つがい)】のことですか?』
インタビュアーの質問の後に、(※三年前に藍人さんは自身のバース性をアルファだと公表している)との注釈が入れられている。だが、その注釈は正しくないと知っている。
実際は三年前、オメガのファンがヒート(発情)を起こした状態で襲撃し、ラット(アルファの強制発情)を起こした藍人が病院に運び込まれたせいで、バース性が発覚したのだ。
そのオメガのうなじを噛まないように、自身の血まみれな左腕に深々と噛み付いた藍人の写真が週刊誌にすっぱ抜かれて、ファンがSNSで悲鳴をあげていたのを思い出す。それから一ヶ月ほど、藍人の腕には真っ白な包帯が痛々しく巻かれていた。あれは芸能界の中でも、最悪の部類に入るバースアウティング事件だった。
そして、その事件以降、藍人はいたるメディアで『運命を探している』と公言するようになったのだ。
『そうです。不純な動機かもしれませんが、僕が俳優業を始めたきっかけも運命を見つけるためです。いつか僕の運命が、テレビで僕のことを見つけて会いに来てくれる――なんていうのは、ちょっと夢見がちすぎますかね?』
うん、夢見がちだよ。と頭の中で冷たくツッコむ。
だって、あんたはきっと考えてもいないだろう? 自分の運命がこんな平凡な男オメガだなんて。きっと清楚な美少女オメガか色気たっぷりな美女オメガが、自分の目の前に現れると思ってるんだろう? 俺みたいな奴が実際目の前に現れたら、きっと見て見ぬフリをして目を逸らしてしまうんだ。
捻くれた思考を浮かべながら、ケッと小さく吐き捨てる。眉根を寄せつつも、保は嫌な情報をシャットダウンするようにスマホを裏向きに伏せた。それから、台本の出演者一覧をもう一度眺める。
「でも……遠くからでも、生で姿を見れるのは嬉しい、かもなぁ」
ぽつりと本音が零れる。実際、当時の先輩のすすめで地方局から都内の局に転職したときに、『もしかしたら藍人に会えるかも』という考えは頭をよぎったのだ。
だが、だからといって、自分が藍人に運命として認識されるかも、なんていう浅はかな期待は抱いていなかった。そんな期待は抱くだけ無駄だし、自分を余計に傷付けるだけだ。だから時々、夜空の星でも眺めるみたいに、遠くからその姿を見れるだけで十分だ。
甘い想像を追い払うように、保は片手でベシベシと自分の頬を叩いた。
「仕事に集中、仕事に集中しろ」
ヘマは許されない。言い聞かせるように繰り返して、わずかに残っていた弁当を一気にかき込む。もごもごと冷えた米粒を咀嚼しているうちに、藍人のことは頭から薄れていった。
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