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第一章
03 君が僕の運命だ
しおりを挟むリハーサルが終わった後、スタジオに次々と演者たちが入り始めた。
「ドラマ『インフィニティ・スクール』の青山怜子さんです!」
演者が入ると、スタッフが出演作と名前を読み上げていく。その度に、保はカメラを覗き込んでいた顔をあげて「おはようございまーす!」と声を返した。
演者たちは共演者と談笑したり、自分の立ち位置を確認したり、スタジオの端っこでコーヒーを飲んだりと、各々(おのおの)が本番までの時間を過ごしている。中には自分のマネージャーに怒鳴っている女優もいて、保はできるだけそちらに視線を向けないよう気を付けた。
騒がしいスタジオの中で、保は気を抜かずにカメラ割りの最終チェックを行っていた(カメラ割りというのは、複数台あるカメラの中から、どのカメラがどの位置・角度で撮(うつ)すかを台本に書き込んだものだ)
液晶タブレットに映し出されたカメラ割りを確認しながら、ENGカメラと呼ばれる業務用ビデオカメラを乗せた台座(ペデスタルドリー)を実際に動かしていく。保の傍らでは、カメラアシスタントのサツキちゃんという新入社員の女の子が、足下のケーブルを絡ませないように必死に動いていた。
シミュレーションに集中していると、ふとスタッフの声が耳に届いた。
「ドラマ『藍とともに沈む』の清水藍人さんです!」
その名前が耳に入った瞬間、無意識に全身が硬直するのを感じた。
「おはようございます」
何度もテレビ越しに聞いた、張りのある爽やかな声が耳に入ってくる。
声の方へ顔を向けた瞬間、保はジュッと眼球を焼かれるような衝撃を受けた。
『星だ。一等星が見える』
頭の中に、そんな言葉が浮かぶ。それくらい生で見る藍人は、星のようにキラキラと光り輝いていた。
「わっ、清水藍人だっ。私、初めて見ますっ」
隣でカメアシのサツキちゃんがはしゃいだ声をあげる。顔を動かさないまま視線だけ横に向けると、サツキちゃんは束ねたケーブルを両腕に抱いたまま、恋い焦がれるような眼差しで藍人を見つめていた。
その目を見て、一瞬でサーッと血の気が引いていくような感覚を覚えた。自分が女の子と同じような目で藍人を見ているのかと思うと、なんだかひどく滑稽なような、恥ずかしい気持ちになった。
とっさに藍人から視線を逸らして、小声で呟く。
「サツキちゃん、『清水さん』な。仕事中は演者さんを呼び捨てにしないように気を付けて」
そう冷静に指摘すると、サツキちゃんは露骨に『しまった』という表情を浮かべた。
「あ、すいません……」
「いや、うっかり言っちゃう気持ちは分かるから。次から気を付ければ大丈夫だよ」
ぎこちなく笑いかけて、もう一度カメラに集中しようとする。だが、その直前に、女性の強張った声が聞こえてきた。
「清水さん、どうかしましたかっ?」
焦った声に視線を向けると、藍人が上半身を丸めたまま口元を押さえている姿が視界に入った。藍人の傍らにはマネージャーらしきスーツ姿の小柄な女性が立っており、体勢を崩した藍人の背中に手を当てている。
藍人は片手で口元を塞いだまま、何かを探すように周囲を見渡していた。キョロキョロというよりもギョロギョロという擬音の方が正しそうな、どこか逼迫(ひっぱく)した空気を感じさせる忙しない仕草だ。
だが、慌てた様子でディレクターやADが駆け寄っていくと、藍人はスッと背筋を伸ばした。話しかけるディレクター陣に向かって、藍人が笑顔のまま首を左右に振る。唇の動きから見るに、『大丈夫です』と応えているようだ。
それを見て、保はほっと息を漏らした。だが、視線を逸らそうとした瞬間、不意に藍人の目がこちらへと向けられた。その眼差しに、一瞬ギョッと仰け反りそうになる。
いつも優しげに細められている藍人の目が、今は獲物を見定める肉食獣のように大きく見開かれていた。完全に開き切った琥珀色の瞳孔が、まっすぐ保を見据えている。
保が蛇に睨まれた蛙のように硬直していると、カメラの横を小走りに通り過ぎる影が視界に入った。
「藍人さーん! お久しぶりでぇーす!」
明るい声をあげながら、片腕をぶんぶんと無邪気に振っているのは、最近人気が出始めたアイドルグループ『LULI(ルリルリ)×2 POP(ポップ)』のメンバーの子だ。そういえば、先ほどスマホで確認したときに、藍人と同じドラマの出演欄に彼女の名前があった気がする。名前は確か『道川(みちかわ)ミリ』だっただろうか。
藍人がガン見していたのは保ではなく、おそらく彼女だったのだろう。と理解して、ようやく身体の硬直がとける。
「道川さん、おはようございます」
「えー、さん付けとか他人行儀ですよー。今日は同じチームなんだし、あたしのことはミミリンって呼んでくださいってばぁ」
他人行儀な挨拶をする藍人に対して、ミミリンは馴れ馴れしい口調で返した。両手を腰に当てて、怒ったみたいに頬まで膨らませている。
その演技がかった動作を見て、保は思わず感心してしまった。彼女はアイドルグループの中でも無邪気キャラを担(にな)っているようだったが、まさかカメラ外でも同じキャラを通しているとは。
苦笑いを浮かべる藍人の腕を、ミミリンが当たり前のように両手で掴もうとする。だが、その前に、隣に立っていた女性マネージャーが藍人の背中をすっと押した。
「清水さん、台本の最終確認をするっておっしゃってましたよね? ここは他の方の邪魔になりそうですし、あちらに行きましょう」
マネージャーが口早に言いながら、藍人をミミリンから遠ざけていく。それを見て、ずいぶんと上手いマネージャーだなと思った。距離感の近い同業者から、さり気なく自社のタレントを遠ざけている。それぐらいできなければ、人気俳優のマネージャーなどできないのだろう。
何度かこちらの方を振り返りながら、藍人の姿が遠ざかっていく。
保はもう一度深く息を吐き出すと、カメラに向き合った。隣では、サツキちゃんがポゥッとした表情で藍人の方を眺めている。
「カメラ動かすよ」
保がそう声をかけると、サツキちゃんは現実に戻ったように、慌てて足下のケーブルをたぐり寄せた。
それから三十分後に、番組の生放送が始まった。凄まじいライトの光量を浴びながら、MCや演者たちが番組を回していく。
保はひたすらカメラを覗き込んだまま、一番最適な位置から演者たちを撮(うつ)していった。二時間の間、一瞬たりとも気が抜けず、緊張と高揚のせいで、着ている黒いTシャツがじっとりと汗で湿っていくのを感じる。
そうして、つつがなく生放送は進み、最後に番組の目的である各ドラマの宣伝が始まった。もうここまで来ると、五カメは動かず全体図のみ撮ればいいので固定で良くなる。大きなミスなく撮(うつ)し切ったことに、保は、はあぁぁ、と大きく息を漏らした。隣では、床にしゃがみ込んだサツキちゃんが、手の甲で額の汗を拭っている。
ベテランの先輩カメラマンがカメラを担いで、ひな壇にいる演者たちに寄っていく。ひな壇の位置的にクレーンカメラを使うことができないので、ここはカメラを持って演者に近付くしかないのだ。
そして、最後の宣伝は、藍人が出演するドラマだった。だが、カメラマンが藍人に寄っていく直前、慌てた様子でバックへと戻ってくるのが見えた。何かトラブルが起こったらしき様子を見て、背筋が凍り付く。
すぐさま左耳につけたインカムから、サブ(副調整室)にいるディレクターの声が聞こえてきた。
『寄りのカメラに不具合が発生した。予備のカメラをすぐに出せ』
ディレクターの指示の後、インカムから鬼村の声が響く。
『五カメの芦名、お前が一番予備機に近い。お前が行け』
その声が聞こえた瞬間、保は反射的に予備カメラに向かって走っていた。生放送だ。一秒たりとも視聴者を待たすわけにはいかない。MCが番組を繋いでいる間に、十キロ近くあるカメラを肩に担いで、ひな壇へと全速力で向かう。
「それでは最後に、月曜九時から放送される『藍とともに沈む』のご紹介です!」
ちょうど保がひな壇についたところで、MCが声を張り上げた。それを合図に、カメラレンズをまっすぐ藍人へと向ける。
台本には、ドラマの説明をするのは藍人だと書いてあったはずだ。だが、カメラを向けられても、藍人は唇を開かなかった。ただ、まっすぐカメラを凝視している。
前置きというには長すぎる沈黙に異変を感じたのか、周囲がざわつくのが聞こえてきた。
「あれー……藍人さん? まさか、今更緊張してる?」
MCが控えめながらも冗談めかした声で問い掛けると、少しだけ周りから小さな笑い声があがった。それでも、藍人はピクリとも動かない。瞬きもせずに、カメラをじっと見据えるばかりだ。その隣では、共演者の女優やミミリンがちらちらと不安げな眼差しで藍人を見上げていた。
カメラを支える掌に、じわりと冷たい汗が滲み出してくる。
まさか台本の台詞が、頭からすっぽ抜けてしまったのか。それとも、藍人にはカメラの上部にある赤いタリーランプ(そのカメラの映像が放送されていると示すランプ)が見えていないのか――今、この映像が日本中に流されているんだぞ!
保はカメラの横から顔を覗かせると、藍人に向かって口をパクパクと動かした。
『番宣! 番宣して!』
声を出さずに、唇だけを忙しなく動かす。
保と直接目があった瞬間、不意に藍人の表情がくしゃりと崩れた。今までテレビで見てきた完璧な微笑みではない。今にも儚(はかな)く消えてしまいそうな、泣き笑いの表情でカメラを見つめている。それはひどく人間らしいのに、どこか目を逸らせない危うさを滲ませた表情だった。
ずっと待ちわびていた相手を見つけたような藍人の切なげな微笑みを見て、保は呼吸をすることも忘れて固まった。
「やっぱり、君だ」
ぽつりと藍人の唇から言葉が零れ落ちる。その直後、藍人はひな壇のブースから出て、保の方へと一歩近付いてきた。とっさに距離を取ろうと後ずさろうとした瞬間、藍人がふっと表情を消して、カメラを両手で掴んでくる。カメラ越しに、琥珀色の瞳がまっすぐ保を見据えていた。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
先ほどまでの縋り付くような声音から打って変わって、妄執(もうしゅう)を滲ませた仄暗(ほのぐら)い声で言い放つ。深く暗い色をたたえた瞳からは、底のない真っ暗な穴を覗き込んだようなおぞましさを感じた。
「君が、僕の運命だ」
まるで脳味噌の皺一本一本に刻み込むような口調に、ぞわっと一瞬で全身の産毛が総毛立つ。
あまりの恐ろしさに保が唇を小さく戦慄かせたとき、不意に藍人がパッとカメラから両手を離した。同時に、いつも通りの爽やかな笑顔を浮かべる。
「というのが、『藍とともに沈む』で僕が演じさせていただく神村(かみむら)亮(りょう)というキャラクターです。恋に落ちた神村は、久瀬(くぜ)京香(きょうか)さん演じるヒロイン・篠原(しのはら)紗江子(さえこ)に執着して、次第に壊れていきます。どこか危うく、おぞましく、哀しい男です」
そつなく説明する藍人は、完全に普段通りの様子だった。その変わりように唖然としつつも、保はハッと我に返ってカメラを撮ることに集中した。
「はぁ~、すごい番宣でしたね! 今まで完璧なイケメン役が多かった藍人さんが、恋に溺れるキャラクターを演じるのは新境地ですね」
MCが感嘆した声で言うと、藍人はにこやかな声で答えた。
「そうですね。ただ、僕の本質としては、こちらの方が近いのかなと思います。僕自身はとても独占欲が強くて、好きな相手を片時(かたとき)も離したくないという重たいタイプなので」
そう言って、藍人が口角をチラリと吊り上げて、流し目でカメラを見やる。かすかに嗜虐心を滲ませた酷薄な笑みに、周りにいた女性演者たちが「キャー!」と演技抜きで歓声をあげるのが聞こえた。
MCの隣にいる女性アナウンサーが、興奮した様子で唇を開く。
「今の藍人さんに、画面の向こうの女性視聴者さんもメロメロになってること間違いなしですよっ!」
女性アナウンサーが両頬を押さえて叫ぶ。とっさにカメラを向けると、藍人の横にいた共演女優やミミリンも頬を赤らめて、うっとりとした眼差しで藍人を見上げていた。
だが、藍人は左右にいる女性陣には目もくれず、カメラに向かってにっこりと微笑みかけた。
「来月四月七日、月曜九時から放送開始される『藍とともに沈む』を是非よろしくお願いします」
そう言って、藍人がひらひらと手を振る。直後、番組のフィナーレを示すように、パンッと音を立てて頭上から紙吹雪が降り注いだ。
色とりどりの紙吹雪が降る中、保は慎重な足取りで後ずさった。その間も、柔く細められた藍人の眼差しが自分に突き刺さっているように思えて、背中を伝う冷汗が止まらなかった。
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