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第一章
04 メロ藍人
しおりを挟む生放送が終了すると、すぐさま撤収作業が始まった。演者たちが次々とスタジオから去って行く中、素早くカメラのチェックや片付けを行っていく。
床にしゃがみ込んで機材を片付けていると、突然背中をバシッと強く叩かれた。
「いでぇっ!」
「おう、よくやったな」
片手で背中をさすりながら振り返ると、笑みを浮かべた鬼村が立っていた。その表情からも、上機嫌なのが見て取れる。
「お前の撮ったところが最高視聴率だな」
鬼村が言っている最高視聴率のシーンとは、間違いなく藍人の接写シーンだろう。だが、先ほどの藍人の姿を思い出すと、妙に咽喉が詰まるような、皮膚がざわつくような感覚を覚えて、素直に喜べなかった。
保は何ともいえない表情のまま立ち上がると、片手で後頭部をボリボリと掻いた。
「はぁ……でも、まぁ、あれは偶然というか、被写体が良かっただけですから」
「被写体の魅力を引き出すのも、カメラマンの腕だからな」
卑屈なことを言う保に向かって、鬼村が言い聞かせるような口調で返す。その言葉に、保はますます顔をへしょっと萎れさせた。
そのとき、早上がりのはずだったサツキちゃんが慌ただしい足取りで、こちらへと戻ってくるのが見えた。
「芦名さん、これ見てください! さっき撮った映像が、SNSで拡散されまくってますよ!」
興奮気味に言いながら、サツキちゃんがスマホを差し出してくる。画面を覗き込むと、先ほどの藍人の画像が貼られた投稿が大量に見えた。
切なげな泣き笑いの表情、強い執着心を滲ませた無表情、そして嗜虐的な薄笑いの表情だ。その画像と一緒に――
『メロい、メロすぎ……』
『藍人ってこんな表情もできるの!?』
『Sっ気のある藍人の破壊力ヤバい』
『男だけど、目だけで妊娠するかと思った』
――という赤裸々すぎるコメントが綴られている。
「みんなさっきの映像を撮って、『#メロ藍人』っていうハッシュタグで投稿しまくってるみたいです。もう数万件の投稿があがってて、トレンド一位になってます」
言いながら、サツキちゃんがスマホをスワイプする。どれだけスクロールしても、藍人の画像が終わらない。
保がその画面を呆然と眺めていると、鬼村が下顎を撫でながら感慨深そうに呟いた。
「こりゃ凄まじいな」
凄まじいというか、ここまで来るともう恐ろしい。あのたった一分にも満たない映像で、ここまで世間が熱狂の渦に呑み込まれるのか。
「清水さんは、これでますます忙しくなるだろうな」
「それは、とても有り難いです」
鬼村がしみじみと呟いた直後、涼やかな声が耳に届いた。その声に、ギクリと身体が強張る。
ギギギッと軋んだ動きで顔を向けると、愛想良く微笑んだ藍人が立っていた。やんわりと細められた視線と目が合って、保はまた彫像のように固まった。
「清水さん、お疲れ様です」
「おつかれさまですっ!」
驚いた様子で挨拶する鬼村に続いて、サツキちゃんが語尾が跳ね上がった声をあげる。だが、保は口をぽかんと開いたまま動けなかった。鬼村がうながすように保の背中を叩いてきて、ようやく咽喉から声が出る。
「おっ、疲れさまです……」
引き攣った声で言うと、藍人は保ににっこりと笑いかけてきた。どうしてだか、その百点満点な笑顔がやたらと怖い。海の中で、サメに『今からお前を食うからな』と笑顔で宣言されているような気分だ。
「お疲れ様です。先ほどは収録ありがとうございました」
そう言って、藍人が深々と頭を下げてくる。その姿を見て、保だけでなく鬼村やサツキちゃんまでギョッと目を見開いた。芸歴一年目の新人ならともかく、七年目にもなる演者がここまでスタッフに深くお辞儀するのは珍しい。スタッフにこういう丁寧な対応ができるからこそ、売れっ子になれるのだろうが。
「いえ、こちらこそ良い映像を撮らせていただいて」
鬼村が驚きを滲ませた声で答えると、藍人は柔らかく目を細めた。
「良い映像を撮ってもらって感謝するのは、僕の方です。演者の魅力が視聴者の方に伝わるのは、カメラチームの方々が最適なカメラワークで撮ってくださるおかげですから。いつも皆さんに助けられて、仕事ができています」
謙虚かつさり気なく技術チームを持ち上げる藍人の返答に、鬼村が分かりやすく頬を緩ませる。鬼村のその表情を見ると、藍人は保へとチラリと視線を向けた。その眼差しに、ピクリと肩が跳ねそうになる。
「それで、できれば今後のためにも、芦名さんと二人でお話ができればと思ったんですが」
「芦名と?」
「はい。今回、自分でも不思議なくらい素直に表情を出すことができたので、映像を撮った芦名さんにも色々とお話をおうかがいできたら有難いです」
作業中に申し訳ないんですが。と眉尻を下げて続ける藍人を見ても、保は反応を返せなかった。
――ちょっと待て。なんで藍人が俺の名前を知ってるんだ?
また妙な汗が、じわりと皮膚から滲み出してくる。
鬼村は不思議そうに目を瞬かせた後、すぐに愛想の良い声で答えた。
「こいつで良ければどうぞ。今日は、このまま上がりにさせますんで」
「えっ、ちょっ、反省会はいいんですかっ?」
鬼村の言葉に、慌てて声をあげる。いつもなら片付けが終わった後に、実際の放送を見ながら反省会を開くのが流れだ。
だが、鬼村は『いい、いい』とばかりに片手を雑に振った。
「また次の出勤日にすりゃいい。忙しい清水さんが時間を割いてくれるって言うんだから、そっちを優先するのは当たり前だろ」
普段は演者にすら厳しい鬼村なのに、藍人には親戚のおじちゃんみたいに優しくなっている。
「すいません、お気遣いありがとうございます」
藍人が頬をほころばせると、鬼村は照れ臭そうな様子で視線を逸らした。そのまま、軽く挨拶をして足早に立ち去っていく。サツキちゃんもぺこりと勢いよく頭を下げて、鬼村に続いていった。
去って行く二人の姿を、あんぐりと口を開いたまま見つめる。直後、肩にそっと掌が置かれた。
「芦名保さん」
フルネームで呼ばれて、ひえっ、と悲鳴が漏れそうになった。
ぎこちない動作で顔を向けると、視界の斜め上に藍人の顔が見えた。至近距離で見ても、やはり毛穴一つ見えない美しい顔立ちをしている。しかも、生で見て初めて気付いたが、藍人は背も高い。身長百七十二センチの保から、十センチ以上は高い位置に目線がある。というか、そもそも足が長い。長すぎる。自分と腰の位置が全然違う。
この足、ブラジルまで伸びてるんじゃないか? とか非現実なことを考えていると、不意に藍人が口角を吊り上げた。先ほどの撮影時に見た、酷薄さを滲ませた表情に、ギクリと身体が強張る。
「貴方も分かってますよね?」
確かめるような声音に、ぞわぞわと背筋を悪寒が這い上がってくる。無意識に後ずさろうとするが、肩に置かれた藍人の掌にじんわりと力が込められて、縫い止められたみたいに足が動かなくなった。
「な、なにがですかぁ?」
視線を斜め上に向けたまま、シラを切る。自分は阿呆なので何にも分かりませ~ん、とばかりにへらへらとした表情を浮かべていると、藍人は何も言わずに笑みを深めた。だが、口元は笑っているのに、目は全然笑っていない。
――こっ、怖い、怖すぎる……。この人、メデューサの子孫か何かか?
保が石になっていると、藍人はもう片方の手を伸ばしてきた。氷みたいに冷たい指先がゆっくりと保のうなじに触れてくる。同時に、磁力が引き合うみたいなチリチリとした痺れが走って、鼻腔いっぱいにサンダルウッドのような爽やかで甘い香りが潜り込んできた。
それが藍人のフェロモンだと気付いた瞬間、体内から一気に熱が込み上げてきた。オメガとしての素質が薄い保は、今までアルファのフェロモンというものを嗅ぎ取ったことがなかった。だが、今は噎せ返るような藍人の香りに溺れそうになっている。
ふらつく保の肩を支えながら、藍人が耳元で唇を開く。
「このまま分からないフリを続けるようなら、この場で貴方のうなじに噛み付きますが、どうしますか?」
藍人が緩く首を傾げて、優しい声で囁く。声音は親切そのものだが、言っている内容は完全に脅しだ。
選択を迫るようにこちらを見つめてくる藍人を見返して、保はひくりと唇を引き攣らせた。
「あの、とりあえず……話し合いからお願いします……」
弱々しい声でそう伝えると、藍人は満足したように柔らかく微笑んだ。
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