9 / 129
第209話 プリシラの決意
しおりを挟む
プリシラは夢を見ていた。
エミルがどこか遠くの牢獄に囚われている夢だ。
寒々しい石床に裸足で座りながらエミルは泣いていた。
エミルは必死に鉄格子の隙間から手を伸ばすも、その手は虚しく宙をかくばかりだ。
エミルの口から必死に姉のプリシラを呼ぶ声が響き渡る。
だというのにプリシラにはそれを見ていることだけしか出来なかった。
それが悔しくて悲しくて、プリシラは懸命にエミルに手を伸ばす。
しかしその手は一向にエミルには届かず、プリシラは思わず弟の名を叫ぶのだった。
☆☆☆☆☆☆
「エミル!」
目が覚めると同時にプリシラはベッドから跳ね起きた。
先ほど自室に戻ってから少し眠ってしまったようで、いつの間にか部屋の中は薄暗くなっている。
日が西の彼方へ沈んでいこうとしていた。
「エミル……」
プリシラはベッドの上でざわつく胸を押さえ、今しがた見ていた夢を思い返す。
エミルが泣いていた。
自分を呼んで泣いていた。
プリシラはやるせなさに拳を握り締め、ベッドの上に叩きつける。
(エミルは今もきっと寂しがって苦しんでいるのに……王国でどんなひどい目にあっているかも分からないのに……)
プリシラはベッドから降りて部屋の壁に備え付けられた鏡の前に立つ。
そして鏡に映る自分がひどく冴えない表情をしていることに嫌気が差した。
喉の渇きを感じ、テーブルの上に置かれた水差しを取るとそこから水を飲む。
窓からは侍女らが調理中の夕食の良い香りが漂ってきたが、食欲はまったく湧かなかった。
プリシラは手にした水差しを机に置き、ふとその机に置かれた物に目を止めた。
それは……小さな枝で組み立てられた、手の平に乗るくらいの小さな家の模型だ。
手先の器用なエミルがプリシラの13歳の誕生日を祝って作ったものだった。
小さな家の玄関扉にはエミルが幼い手で彫ったプリシラの名前が刻まれている。
そして玄関の反対側に位置する木窓には、ほんの小さなカスミソウの花弁が貼り付けられていた。
幸福を意味するカスミソウの花弁はとうに枯れて色褪せてしまっているが、エミルがプリシラの幸福を願って貼り付けたものだ。
姉様の13歳が幸せな1年になりますように。
口下手なエミルが恥ずかしそうにそう言ってくれたのを、昨日のことのように覚えている。
プリシラは不意に胸の奥からこみ上げる感情を覚え、涙が零れぬように上を向いて堪えた。
(そうだ……泣いている場合じゃない。エミルは……アタシを待っている)
プリシラは歯を食いしばり、再び鏡に目を向けた。
両手で自分の頬をバシッと張る。
鏡の中にはすでに先ほどまでの冴えない顔はない。
「あなたは勇ましきブリジットと賢きボルドの娘プリシラ。弟を取り戻すために恐れるものなど何もない」
そう口にしてみると不思議と覚悟が決まった。
赤く腫れた目には強い光が宿っている。
プリシラは長剣を腰帯に差し、手早く最低限の身支度を整えた。
もうすぐ夕食の準備が整ったと侍女が呼びに来るだろう。
そうなる前にプリシラは窓から飛び出して裏口に着地すると、夕暮れの街を駆け出した。
(もう一度だ。もう一度エミルを救いに行くんだ)
プリシラは強い決意を胸にある場所へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
夕暮れ時のダニアの都。
その中心部に学舎ユーフェミアがある。
かつてのダニア本家の評議会であった十刃会の長、故ユーフェミアの名を冠したこの学舎は、ダニアの中でも学問・知性に優れた者たちが集う場所だ。
ここを卒業した者たちはダニア政府の中枢を担う人材となっていく。
現在所属する中でも最も優秀な学徒であり、将来は現・議長ウィレミナの後継者になることを有力視されているのがエステルだ。
彼女はつい3週間前まで、エミル捜索隊の一員として任務に就いていた。
その任務が失敗に終わり、捜索隊は解散した。
そして隊員たちは各々元の所属先に戻っていったのだ。
エステルはこの学舎に戻り、再び勉学に勤しむ日々を送っていた。
しかし彼女は感じていた。
以前ほど勉学に身が入らないことを。
午後の授業が終わった後、いつもならば夕飯前に図書室で読書に励むエステルなのだが、最近は本を読む気にもならず夕方になると外に出てブラブラと散歩をするようになっていた。
そんなエステルの現状とは裏腹に、彼女には良い話が舞い込んで来ている。
在学秘書見習いとしてウィレミナ議長のもとで実務を学ばないかというウィレミナ本人からの打診だった。
学徒の身でありながら実際に評議会に出入りし、ウィレミナの手伝いをしながら実務的な経験が積める最高の栄誉だ。
エステルが優秀であるからこその異例の打診だった。
以前のエステルであったら有頂天になっていただろう。
だが今はどういうわけか心が躍らない。
エステルは夕暮れ時の冷たくなってきた空気を吸いながら空を見上げた。
一番星が明るい輝きを放っている。
(あの時……もう少しうまくやれていれば)
エステルは自身の不調の原因が分かっていた。
エミル奪還作戦の最終局面となったあの海賊船での戦い。
あの日の隊の立ち回り方をもっと上手く出来たのではないかと、今さら考えても仕方のないことを繰り返し考えてしまうのだ。
結果、エミルを救うことが出来ず、今も気がかりなままだ。
あの場面でエステルの知力は役に立たなかった。
学舎で磨き上げてきたはずのそれも、積み重ねてきた努力も、結果を出すには至らなかったのだ。
そのことがエステルの心を重くしていた。
(結局、ああいう場面でものを言うのは武力だ……学問じゃない)
現実の一端を知ったエステルはそれ以来、机の上にかじりつくようにして勉学に励んでいた以前の自分を見失ってしまった。
以前は脇目も振らずに突き進んでいた学問の道を進む足に、迷いの枷がかけられたようだ。
「ふぅ……こんな状態でウィレミナ議長のお誘いを受けていいものか」
そう言うとウィレミナは絹拵えの学徒服の懐に大切に忍ばせておいた書状を取り出す。
評議会の議長であるウィレミナの赤い蜜蝋印の押された打診書だ。
気持ちが揺らぐとエステルはこの書面を見つめて己を律するのだ。
(そうだ……アタシが一族の役に立つにはこの道しかない。今さら迷うな)
そう自分自身に言い聞かせ、学舎に戻ろうとした時だった。
不意に背後から声をかけられたのだ。
「エステル!」
振り返るとそこに立っていたのは、美しい金髪を夕風に靡かせたプリシラだった。
エミルがどこか遠くの牢獄に囚われている夢だ。
寒々しい石床に裸足で座りながらエミルは泣いていた。
エミルは必死に鉄格子の隙間から手を伸ばすも、その手は虚しく宙をかくばかりだ。
エミルの口から必死に姉のプリシラを呼ぶ声が響き渡る。
だというのにプリシラにはそれを見ていることだけしか出来なかった。
それが悔しくて悲しくて、プリシラは懸命にエミルに手を伸ばす。
しかしその手は一向にエミルには届かず、プリシラは思わず弟の名を叫ぶのだった。
☆☆☆☆☆☆
「エミル!」
目が覚めると同時にプリシラはベッドから跳ね起きた。
先ほど自室に戻ってから少し眠ってしまったようで、いつの間にか部屋の中は薄暗くなっている。
日が西の彼方へ沈んでいこうとしていた。
「エミル……」
プリシラはベッドの上でざわつく胸を押さえ、今しがた見ていた夢を思い返す。
エミルが泣いていた。
自分を呼んで泣いていた。
プリシラはやるせなさに拳を握り締め、ベッドの上に叩きつける。
(エミルは今もきっと寂しがって苦しんでいるのに……王国でどんなひどい目にあっているかも分からないのに……)
プリシラはベッドから降りて部屋の壁に備え付けられた鏡の前に立つ。
そして鏡に映る自分がひどく冴えない表情をしていることに嫌気が差した。
喉の渇きを感じ、テーブルの上に置かれた水差しを取るとそこから水を飲む。
窓からは侍女らが調理中の夕食の良い香りが漂ってきたが、食欲はまったく湧かなかった。
プリシラは手にした水差しを机に置き、ふとその机に置かれた物に目を止めた。
それは……小さな枝で組み立てられた、手の平に乗るくらいの小さな家の模型だ。
手先の器用なエミルがプリシラの13歳の誕生日を祝って作ったものだった。
小さな家の玄関扉にはエミルが幼い手で彫ったプリシラの名前が刻まれている。
そして玄関の反対側に位置する木窓には、ほんの小さなカスミソウの花弁が貼り付けられていた。
幸福を意味するカスミソウの花弁はとうに枯れて色褪せてしまっているが、エミルがプリシラの幸福を願って貼り付けたものだ。
姉様の13歳が幸せな1年になりますように。
口下手なエミルが恥ずかしそうにそう言ってくれたのを、昨日のことのように覚えている。
プリシラは不意に胸の奥からこみ上げる感情を覚え、涙が零れぬように上を向いて堪えた。
(そうだ……泣いている場合じゃない。エミルは……アタシを待っている)
プリシラは歯を食いしばり、再び鏡に目を向けた。
両手で自分の頬をバシッと張る。
鏡の中にはすでに先ほどまでの冴えない顔はない。
「あなたは勇ましきブリジットと賢きボルドの娘プリシラ。弟を取り戻すために恐れるものなど何もない」
そう口にしてみると不思議と覚悟が決まった。
赤く腫れた目には強い光が宿っている。
プリシラは長剣を腰帯に差し、手早く最低限の身支度を整えた。
もうすぐ夕食の準備が整ったと侍女が呼びに来るだろう。
そうなる前にプリシラは窓から飛び出して裏口に着地すると、夕暮れの街を駆け出した。
(もう一度だ。もう一度エミルを救いに行くんだ)
プリシラは強い決意を胸にある場所へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
夕暮れ時のダニアの都。
その中心部に学舎ユーフェミアがある。
かつてのダニア本家の評議会であった十刃会の長、故ユーフェミアの名を冠したこの学舎は、ダニアの中でも学問・知性に優れた者たちが集う場所だ。
ここを卒業した者たちはダニア政府の中枢を担う人材となっていく。
現在所属する中でも最も優秀な学徒であり、将来は現・議長ウィレミナの後継者になることを有力視されているのがエステルだ。
彼女はつい3週間前まで、エミル捜索隊の一員として任務に就いていた。
その任務が失敗に終わり、捜索隊は解散した。
そして隊員たちは各々元の所属先に戻っていったのだ。
エステルはこの学舎に戻り、再び勉学に勤しむ日々を送っていた。
しかし彼女は感じていた。
以前ほど勉学に身が入らないことを。
午後の授業が終わった後、いつもならば夕飯前に図書室で読書に励むエステルなのだが、最近は本を読む気にもならず夕方になると外に出てブラブラと散歩をするようになっていた。
そんなエステルの現状とは裏腹に、彼女には良い話が舞い込んで来ている。
在学秘書見習いとしてウィレミナ議長のもとで実務を学ばないかというウィレミナ本人からの打診だった。
学徒の身でありながら実際に評議会に出入りし、ウィレミナの手伝いをしながら実務的な経験が積める最高の栄誉だ。
エステルが優秀であるからこその異例の打診だった。
以前のエステルであったら有頂天になっていただろう。
だが今はどういうわけか心が躍らない。
エステルは夕暮れ時の冷たくなってきた空気を吸いながら空を見上げた。
一番星が明るい輝きを放っている。
(あの時……もう少しうまくやれていれば)
エステルは自身の不調の原因が分かっていた。
エミル奪還作戦の最終局面となったあの海賊船での戦い。
あの日の隊の立ち回り方をもっと上手く出来たのではないかと、今さら考えても仕方のないことを繰り返し考えてしまうのだ。
結果、エミルを救うことが出来ず、今も気がかりなままだ。
あの場面でエステルの知力は役に立たなかった。
学舎で磨き上げてきたはずのそれも、積み重ねてきた努力も、結果を出すには至らなかったのだ。
そのことがエステルの心を重くしていた。
(結局、ああいう場面でものを言うのは武力だ……学問じゃない)
現実の一端を知ったエステルはそれ以来、机の上にかじりつくようにして勉学に励んでいた以前の自分を見失ってしまった。
以前は脇目も振らずに突き進んでいた学問の道を進む足に、迷いの枷がかけられたようだ。
「ふぅ……こんな状態でウィレミナ議長のお誘いを受けていいものか」
そう言うとウィレミナは絹拵えの学徒服の懐に大切に忍ばせておいた書状を取り出す。
評議会の議長であるウィレミナの赤い蜜蝋印の押された打診書だ。
気持ちが揺らぐとエステルはこの書面を見つめて己を律するのだ。
(そうだ……アタシが一族の役に立つにはこの道しかない。今さら迷うな)
そう自分自身に言い聞かせ、学舎に戻ろうとした時だった。
不意に背後から声をかけられたのだ。
「エステル!」
振り返るとそこに立っていたのは、美しい金髪を夕風に靡かせたプリシラだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【リクエスト作品】邪神のしもべ 異世界での守護神に邪神を選びました…だって俺には凄く気高く綺麗に見えたから!
石のやっさん
ファンタジー
主人公の黒木瞳(男)は小さい頃に事故に遭い精神障害をおこす。
その障害は『美醜逆転』ではなく『美恐逆転』という物。
一般人から見て恐怖するものや、悍ましいものが美しく見え、美しいものが醜く見えるという物だった。
幼い頃には通院をしていたが、結局それは治らず…今では周りに言わずに、1人で抱えて生活していた。
そんな辛い日々の中教室が光り輝き、クラス全員が異世界転移に巻き込まれた。
白い空間に声が流れる。
『我が名はティオス…別世界に置いて創造神と呼ばれる存在である。お前達は、異世界ブリエールの者の召喚呪文によって呼ばれた者である』
話を聞けば、異世界に召喚された俺達に神々が祝福をくれると言う。
幾つもの神を見ていくなか、黒木は、誰もが近寄りさえしない女神に目がいった。
金髪の美しくまるで誰も彼女の魅力には敵わない。
そう言い切れるほど美しい存在…
彼女こそが邪神エグソーダス。
災いと不幸をもたらす女神だった。
今回の作品は『邪神』『美醜逆転』その二つのリクエストから書き始めました。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ダンジョン美食倶楽部
双葉 鳴
ファンタジー
長年レストランの下働きとして働いてきた本宝治洋一(30)は突如として現れた新オーナーの物言いにより、職を失った。
身寄りのない洋一は、飲み仲間の藤本要から「一緒にダンチューバーとして組まないか?」と誘われ、配信チャンネル【ダンジョン美食倶楽部】の料理担当兼荷物持ちを任される。
配信で明るみになる、洋一の隠された技能。
素材こそ低級モンスター、調味料も安物なのにその卓越した技術は見る者を虜にし、出来上がった料理はなんとも空腹感を促した。偶然居合わせた探索者に振る舞ったりしていくうちに【ダンジョン美食倶楽部】の名前は徐々に売れていく。
一方で洋一を追放したレストランは、SSSSランク探索者の轟美玲から「味が落ちた」と一蹴され、徐々に落ちぶれていった。
※カクヨム様で先行公開中!
※2024年3月21で第一部完!
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる