蛮族女王の娘《プリンセス》 第3部【王国編】(完結編)

枕崎 純之助

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第209話 プリシラの決意

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 プリシラは夢を見ていた。
 エミルがどこか遠くの牢獄ろうごくとらわれている夢だ。
 寒々しい石床に裸足はだしで座りながらエミルは泣いていた。
 エミルは必死に鉄格子てつごうし隙間すきまから手を伸ばすも、その手はむなしく宙をかくばかりだ。

 エミルの口から必死に姉のプリシラを呼ぶ声が響き渡る。
 だというのにプリシラにはそれを見ていることだけしか出来なかった。
 それが悔しくて悲しくて、プリシラは懸命けんめいにエミルに手を伸ばす。
 しかしその手は一向にエミルには届かず、プリシラは思わず弟の名を叫ぶのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

「エミル!」

 目が覚めると同時にプリシラはベッドからね起きた。
 先ほど自室に戻ってから少し眠ってしまったようで、いつの間にか部屋の中は薄暗くなっている。
 日が西の彼方かなたしずんでいこうとしていた。

「エミル……」

 プリシラはベッドの上でざわつく胸を押さえ、今しがた見ていた夢を思い返す。
 エミルが泣いていた。
 自分を呼んで泣いていた。
 プリシラはやるせなさに拳を握り締め、ベッドの上に叩きつける。

(エミルは今もきっとさびしがって苦しんでいるのに……王国でどんなひどい目にあっているかも分からないのに……)

 プリシラはベッドから降りて部屋の壁に備え付けられたかがみの前に立つ。
 そしてかがみに映る自分がひどくえない表情をしていることに嫌気が差した。
 のどかわきを感じ、テーブルの上に置かれた水差しを取るとそこから水を飲む。
 窓からは侍女らが調理中の夕食の良い香りがただよってきたが、食欲はまったくかなかった。

 プリシラは手にした水差しを机に置き、ふとその机に置かれた物に目を止めた。
 それは……小さな枝で組み立てられた、手の平に乗るくらいの小さな家の模型だ。
 手先の器用なエミルがプリシラの13歳の誕生日を祝って作ったものだった。

 小さな家の玄関とびらにはエミルが幼い手でったプリシラの名前が刻まれている。
 そして玄関の反対側に位置する木窓には、ほんの小さなカスミソウの花弁はなびらが貼り付けられていた。
 幸福を意味するカスミソウの花弁はなびらはとうに枯れて色褪いろあせてしまっているが、エミルがプリシラの幸福を願って貼り付けたものだ。

 姉様の13歳が幸せな1年になりますように。
 口下手なエミルが恥ずかしそうにそう言ってくれたのを、昨日のことのように覚えている。
 プリシラは不意に胸の奥からこみ上げる感情を覚え、涙がこぼれぬように上を向いてこらえた。

(そうだ……泣いている場合じゃない。エミルは……アタシを待っている)

 プリシラは歯を食いしばり、再びかがみに目を向けた。
 両手で自分のほほをバシッと張る。
 かがみの中にはすでに先ほどまでの冴えない顔はない。

「あなたは勇ましきブリジットと賢きボルドの娘プリシラ。弟を取り戻すために恐れるものなど何もない」

 そう口にしてみると不思議ふしぎと覚悟が決まった。
 赤くれた目には強い光が宿っている。
 プリシラは長剣を腰帯に差し、手早く最低限の身支度みじたくを整えた。
 もうすぐ夕食の準備が整ったと侍女が呼びに来るだろう。
 そうなる前にプリシラは窓から飛び出して裏口に着地すると、夕暮れの街を駆け出した。

(もう一度だ。もう一度エミルを救いに行くんだ)

 プリシラは強い決意を胸にある場所へと向かうのだった。 

 ☆☆☆☆☆☆

 夕暮れ時のダニアの都。
 その中心部に学舎ユーフェミアがある。
 かつてのダニア本家の評議会であった十刃会の長、故ユーフェミアの名をかんしたこの学舎は、ダニアの中でも学問・知性に優れた者たちがつどう場所だ。
 ここを卒業した者たちはダニア政府の中枢ちゅうすうになう人材となっていく。

 現在所属する中でも最も優秀な学徒であり、将来は現・議長ウィレミナの後継者になることを有力視されているのがエステルだ。
 彼女はつい3週間前まで、エミル捜索そうさく隊の一員として任務にいていた。
 その任務が失敗に終わり、捜索そうさく隊は解散した。
 そして隊員たちは各々元の所属先に戻っていったのだ。

 エステルはこの学舎に戻り、再び勉学にいそしむ日々を送っていた。
 しかし彼女は感じていた。
 以前ほど勉学に身が入らないことを。
 午後の授業が終わった後、いつもならば夕飯前に図書室で読書にはげむエステルなのだが、最近は本を読む気にもならず夕方になると外に出てブラブラと散歩をするようになっていた。

 そんなエステルの現状とは裏腹に、彼女には良い話が舞い込んで来ている。
 在学秘書見習いとしてウィレミナ議長のもとで実務を学ばないかというウィレミナ本人からの打診だった。
 学徒の身でありながら実際に評議会に出入りし、ウィレミナの手伝いをしながら実務的な経験が積める最高の栄誉えいよだ。
 エステルが優秀であるからこその異例の打診だった。

 以前のエステルであったら有頂天になっていただろう。
 だが今はどういうわけか心がおどらない。
 エステルは夕暮れ時の冷たくなってきた空気を吸いながら空を見上げた。
 一番星が明るいかがやきを放っている。

(あの時……もう少しうまくやれていれば)

 エステルは自身の不調の原因が分かっていた。
 エミル奪還作戦の最終局面となったあの海賊船での戦い。
 あの日の隊の立ち回り方をもっと上手く出来たのではないかと、今さら考えても仕方のないことを繰り返し考えてしまうのだ。
 結果、エミルを救うことが出来ず、今も気がかりなままだ。

 あの場面でエステルの知力は役に立たなかった。
 学舎でみがき上げてきたはずのそれも、積み重ねてきた努力も、結果を出すには至らなかったのだ。
 そのことがエステルの心を重くしていた。

(結局、ああいう場面でものを言うのは武力だ……学問じゃない)

 現実の一端を知ったエステルはそれ以来、机の上にかじりつくようにして勉学にはげんでいた以前の自分を見失ってしまった。
 以前は脇目も振らずに突き進んでいた学問の道を進む足に、迷いのかせがかけられたようだ。

「ふぅ……こんな状態でウィレミナ議長のお誘いを受けていいものか」

 そう言うとウィレミナは絹ごしらえの学徒服のふところに大切に忍ばせておいた書状を取り出す。
 評議会の議長であるウィレミナの赤い蜜蝋みつろう印の押された打診書だ。
 気持ちが揺らぐとエステルはこの書面を見つめておのれを律するのだ。

(そうだ……アタシが一族の役に立つにはこの道しかない。今さら迷うな)

 そう自分自身に言い聞かせ、学舎に戻ろうとした時だった。
 不意に背後から声をかけられたのだ。

「エステル!」

 振り返るとそこに立っていたのは、美しい金髪を夕風になびかせたプリシラだった。
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