こんな国、捨てて差し上げますわ

藍田ひびき

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前編

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「ユリアーナ!本日をもって、お前との婚約を破棄する!」

 煌びやかな衣装を纏った高貴な人々が集う夜会の場で、その場に似つかわしくない大声が響き渡った。
 声の主は優雅な銀髪をなびかせた、すらりとした長身の見目麗しい男性。その最高級の素材を使った礼服から、高貴な身分であることは嫌でも察せられる。
 一方で声をかけられた方はといえば、ぱさついた茶髪に艶のない肌で痩せぎすの、お世辞にも美しいとは言えない少女であった。着ているドレスはかなり古い型で、流行のドレスを纏った淑女たちの中で随分と浮いて見える。
 
「アルベリク殿下!そのように重大な事柄を、陛下のご了承もなく……!それに、ユリアーナは『豊穣の聖女』ですぞ。彼女を手放すことがどういう結果を招くか、お分かりにならないのですか」
「口を出すな、ピエリック神殿長。それに、聖女というならばフランシーヌがいるではないか」
「神殿長の仰るとおりですわ。妹のフランシーヌに『豊穣の聖女』は務まりません」

 それまで黙ってやりとりを聞いていた聖女ユリアーナが、初めて口を開いた。痩せた身体から出る声は小さく、時々掠れた声が混じる。
 唐突に始まった騒動を好奇の目で眺めていた者たちは、ユリアーナの一言一句を聞き漏らすまいと息を顰めて見守っていた。

「何を言うか!フランシーヌは各地に赴いて様々な救済を行っている。民からの信望も厚い。神殿に籠もっているだけで何もしないお前より、よほど王太子妃に相応しいであろう」
「私には『豊穣の聖女』の勤めがある故、神殿から出るわけには」
「勤めなど、神殿の女神像へ祈りを捧げるだけではないか。子供でも出来るわ!」
「そんな……」

 必死で言い募るユリアーナに対して、アルベリク王子は憎々し気な目を向けて冷たく言い放つ。
 
「殿下。そこまで仰るのであれば……ユリアーナとフランシーヌ、どちらの魔力が優れているか、その目でご確認なさっては?婚約云々については、その結果を考慮して頂きたく」
「ふん。神殿長がそこまで言うなら仕方ない。ユリアーナ、一度だけ機会を与えよう。明日、妹と共に登城せよ。お前とフランシーヌのどちらの魔力が優れているか試してやる。もしフランシーヌの方が上であれば、その場で婚約破棄の書類にサインして貰うぞ」


◆ ◆


「幼いお前を引き取って育ててやったというのに……この役立たずが!」
「申し訳ございません、神殿長」

 ユリアーナを怒鳴りつけたのは神殿長のピエリック・アルノーだ。
 彼はこのエヴラール王国の国教であるティネルケ教の最高神官であり、ユリアーナとフランシーヌの保護者でもある。だが太い腹を揺すりながら顔を歪める様は豚の如き醜悪さで、とても聖職者には見えない。

「アルベリク殿下にも困ったものだ。我が神殿から輩出した聖女が王妃となれば、神殿も殿下への助力を惜しまないものを……」

 何が助力なものか、とユリアーナは内心毒づく。ピエリック神殿長が自身の権勢を更に高めるべく、ユリアーナを王太子妃へと強硬に推したのは周知の事実である。
 
「とにかくだ。明日は何としても、お前の魔力が妹より優れていることを証明せよ。もし失敗して婚約が破棄されるようものなら、もはやここへ置いておくことはできん。どこへなりとも出て行け」
「承知致しました」

 神殿長室を退室したユリアーナは、小さく「……元より、そのつもりよ」と呟く。そこへ「お姉様」と声を掛ける者があった。

「フランシーヌ」

 ユリアーナの妹、聖女フランシーヌ。明るく艶々としたブラウンの髪の毛はすらりと垂れ、豊かな胸と細い腰に彩られた身体は女性から見てもハッとするほどの美しさだ。白一色の巫女服を纏ってなお、その輝きは損なわれない。それどころか彼女の清楚な美貌をより際立たせていた。
 
「アルベリク殿下から婚約を破棄されたと聞きました。ごめんなさい、私そんなつもりじゃ……」
「分かっているわ」
 
 ユリアーナは固い表情でそう答える。姉の厳しい態度に怯えたのか、フランシーヌは震え、目を潤ませてさえいた。傍から見れば、妹に嫉妬した上に心無い言葉を投げかける姉――そう、物語に出てくる悪役令嬢に見えるかもしれないわね。などとユリアーナは思いながら、溜息をついた。


◆ ◆


 このエヴラール王国には聖女の伝説がある。
 数百年前、未曾有の干魃がこの国を襲った。何年も作物が碌に育たず、餓死者が続出。もはや国が滅ぶかというところまで疲弊したその時、一人の女性がエヴラールを訪れた。

 彼女は豊穣の女神ティネルケの巫女であった。巫女がティネルケへ祈りを捧げると、たちどころに痩せた土地は息を吹き返した。さらに彼女は各地を回り、死を待つばかりだった人々へ治癒の術をかけて回ったという。
 当時の国王は巫女に『豊穣の聖女』の称号を与え、彼女を王太子と結婚させた。そのおかげで滅びかけたエヴラールは以前のように、いやそれ以上に繁栄することとなったのだ。
 その後も不作に見舞われるたびに聖女が生まれ落ち、この国を救ってきたという。

 そして当代の国王の御代。またも干魃が発生した。
 まともな執政者であれば、灌漑を整備しようとするだろう。あるいは天候不順に強い作物の栽培を推進するか、別の産業を活性化して食料は他国から輸入するルートを確立しておいただろう。

 だが聖女という存在に頼ってきたこの国は、そのような対策を高じることは一切無かった。王家のやった事といえば、神殿に命じてティネルケ神への大掛かりな祈祷を行わせただけである。
 
 そうこうするうちに、聖女候補が見つかったという朗報がもたらされた。
 候補は二人で、ユリアとフランという名前の姉妹。神殿で保護されており、神殿長自らが二人とも聖女に相応しい魔力を持っていると太鼓判を押した。

 国王は大層喜び、彼女たちにそれぞれユリアーナ、フランシーヌという名前を与えた。そして姉のユリアーナを『豊穣の聖女』へ任命し、幼い王太子の婚約者と定めたのである。

 だが長じるにつれ、王太子アルベリクはこの婚約に不満を持ち始めた。
 ユリアーナは毎日神殿に籠もって祈りを捧げており、神殿と王宮以外の場所へ赴くことはほとんど無い。アルベリクと接するのは定期的に行われる茶会か、王家が主催する夜会の時だけだ。接点の少ない二人では会話が弾むはずもなく、また貧相な身体に似合わないドレスを着た彼女を連れ歩くのを、アルベリクはひどく恥ずかしく感じた。

 一方で妹のフランシーヌは、見目麗しい少女に成長していく。彼女は各地を回って病人の治療や荒れた土地の快復に力を注いでおり、民からは「救済の聖女」と呼ばれて慕われていた。
 
 ある時、姉と共に王宮へ訪れたフランシーヌに出会い、アルベリクは一目で彼女に心を奪われた。女性らしくメリハリのある身体に透き通るような肌、鈴を転がしたような声……それに比べると、ユリアーナの何と見すぼらしいことか。
 アルベリクはユリアーナに茶会へ妹を同行するように命じ、何とかフランシーヌと親しくなろうとした。花や宝石を贈ったこともある。婚約者の目の前で。

 婚約者をフランシーヌに変えてくれと、アルベリクは何度も父親に訴えた。だが国王は「ユリアーナとフランシーヌ、どちらもこの国には必要な存在なのだ。ユリアーナと仲良くするように」と窘めるだけだった。
 
 なぜフランシーヌでは駄目なのかとアルベリクは憤った。民からこれほどまでに信捧され、華やかな容姿と明るい性格の彼女の方が自分の妃に相応しいのに。
 民衆からすれば、見たこともない聖女よりも自分たちに近しい存在で、かつ益をもたらすフランシーヌを慕うのは当然である。そこへ思い至ることができないほど、アルベリクはフランシーヌへの恋に囚われていた。

 そうして国王が国内視察のために王宮を開けた機会を狙って、ユリアーナへ婚約破棄を突きつけたのだ。
 
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