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「楽になさって、フィリーネ様。この場には私たちしかいないのですもの」
「はい……」
ここはアーレンス侯爵邸。お嬢様に突然、お茶会の招待状が届いたのは数日前のこと。侯爵家からのお呼びとあらばお断りするわけにはいかず、戦々恐々としながら訪れたお嬢さまと私を待っていたのは、フランツィスカ様の温かいお出迎えでした。
「あの日はお風邪など召されなかったかしら?」
「はい、大丈夫でした。本当にありがとうございます」
「実はね、前々からあなたのお名前は知っていたのよ。私、グラーツ伯爵令息とは同じクラスなものですから」
フランツィスカ様曰く、アルベルト様は事あるごとに「婚約者が我儘過ぎる」と愚痴を言っているそうです。さらには「そんな彼女を許している自分は寛大だ。俺が正しい道へ躾てやらないと」なんて偉そうに話しているとか。
あのクソ虫のたわ言に、日々大人しく従っているお嬢様のどこが我儘だと!?
何て腹立たしいのでしょう。毛虫やミミズの方がまだ可愛げがあります。調理場の黒い奴と同じくらい、憎々しいですわ。
……あの男、すぐに殺るべきでは?
「それにね、翌日彼が自慢げに話していたのよ。『あまりにも生意気を言うものだから、帰りは置いてきぼりにした。逆らったことを反省させないと』って」
一部の男子生徒は「よくやった!」「生意気な女にはお仕置きしないとな!」と同調していたそうですが、ほとんどの生徒はそんな彼の言動に眉を顰めていたそうです。
……やはりあの害虫、今すぐ殺るべきでは??
フランツィスカ様は、うつむいてしまったフィリーネお嬢様へ優しく問いかけました。
「あなたは彼との婚約に納得しているのかしら?もしそうではないのなら、私が力を貸しても良いと思っていますのよ」
結局、お嬢様はフランツィスカ様の提案を断りました。自分はアルベルト様を慕っているから、と。
それからも何度かアーレンス侯爵邸に呼ばれましたが、お嬢様の答えはいつも同じでした。「アルベルト様は悪くありませんわ。私が至らないから……」と。そんなお姿を見るたびに、私はもどかしい思いを抱えていました。
フィリーネお嬢様にとって、アルベルト様は初恋の君です。格別な想いがあるのは分かります。ですが今のお嬢様が健全な精神状態であるとは、私には思えないのです。
夫から虐げられていた知人がいます。彼女は暴力を振るわれ浮気をされ、周囲がどんなに離縁を進めても「あの人は私がついてなければ駄目なのよ」と言うだけでした。ここまでくると一種の洗脳ですわ。
心配したご両親が無理矢理夫から引き離して実家で静養させたところ、ある日憑き物でも落ちたかのように「私、何であんな人に尽くしていたのかしら?」と言ったそうです。その後、彼女はすぐに離縁致しました。
お嬢様もきっと同じなのです。婚約者からの洗脳を、何としても解かねばなりません。
「お嬢様。アルベルト様との婚約を考え直すべきです。多少は揉めるかもしれませんが、フランツィスカ様のご協力を得られるのであればきっと解消まで持ち込めます」
「イルゼ……。私、アルベルト様と別れる気は無いわ」
「婚約の時点ですらこの状態なのです。結婚なさったら、今よりもっと難癖をつけられるでしょう。それも、毎日のように」
「アルベルト様は、私を愛しているから色々注意して下さるのよ。彼の言う通りに出来ない私が悪いの」
「違います!」
思わず叫ぶように答えてしまった私を、フィリーネ様はぽかんとしながら見つめていました。
「お嬢様に至らない点などありません。あるはずがないのです。アルベルト様は”初恋の君”に幻想を持っている。そして、その虚像をお嬢様に押し付けているだけなのです。頭の中にしか存在しない、都合の良い女……現実に生きる者が、そんな女性になれるわけはないでしょう。お嬢様は一生、あの男の幻想に振り回されて生きるおつもりですか?」
「一生……」と呟いて、お嬢様が考え込まれました。
揺らいでおられるのです。ここは一気に畳みかけねば!
「お嬢様にも理想の殿方像がおありでしょう。幼い頃に、それを初恋の君へ重ねた覚えはありませんか?」
誰だってあるでしょう。友人の兄君や学院の先輩。そんな憧れの存在に、理想の異性像を投影したことを。
「それは、まあ……なくもないわ」
「アルベルト様はその理想に沿う方でしたか?あるいは一度でも、お嬢様の望まれる男性になれるよう、努力されたことはありますか?」
お嬢様はハッとした顔になりました。
「近しくない存在だからこそ、私たちはその人に理想を重ね合わせることができるのです。成長するまで再会しなかったが故に、アルベルト様がお嬢様に対して妄想を膨らませてしまったのは、仕方のないことかもしれません。だけど普通は現実を受け入れ、相手に理想を押し付けるようなことはしないのですよ」
「言われてみればそうだわ……。アルベルト様は一度だって、私の意志も希望も考慮して下さらなかった。いえ、そもそも私から理想に沿って欲しいなんて願ったこともないわ。どうしてそれに気づかなかったのかしら」
「アルベルト様は、未だに理想と現実の違いを受け入れられないのでしょう。愛とは、相手のあるがままを受け入れることだと私は思っております。あの男はお嬢様ではなく、幻想の中のフィリーネ様を愛しているだけなのです」
頑なで矮小で、頭でっかちの癖に精神は未成熟な子供のまま。
そんな男は、私のお嬢様に相応しくありません。
「お嬢様、すぐに旦那様へ相談しましょう!」
「はい……」
ここはアーレンス侯爵邸。お嬢様に突然、お茶会の招待状が届いたのは数日前のこと。侯爵家からのお呼びとあらばお断りするわけにはいかず、戦々恐々としながら訪れたお嬢さまと私を待っていたのは、フランツィスカ様の温かいお出迎えでした。
「あの日はお風邪など召されなかったかしら?」
「はい、大丈夫でした。本当にありがとうございます」
「実はね、前々からあなたのお名前は知っていたのよ。私、グラーツ伯爵令息とは同じクラスなものですから」
フランツィスカ様曰く、アルベルト様は事あるごとに「婚約者が我儘過ぎる」と愚痴を言っているそうです。さらには「そんな彼女を許している自分は寛大だ。俺が正しい道へ躾てやらないと」なんて偉そうに話しているとか。
あのクソ虫のたわ言に、日々大人しく従っているお嬢様のどこが我儘だと!?
何て腹立たしいのでしょう。毛虫やミミズの方がまだ可愛げがあります。調理場の黒い奴と同じくらい、憎々しいですわ。
……あの男、すぐに殺るべきでは?
「それにね、翌日彼が自慢げに話していたのよ。『あまりにも生意気を言うものだから、帰りは置いてきぼりにした。逆らったことを反省させないと』って」
一部の男子生徒は「よくやった!」「生意気な女にはお仕置きしないとな!」と同調していたそうですが、ほとんどの生徒はそんな彼の言動に眉を顰めていたそうです。
……やはりあの害虫、今すぐ殺るべきでは??
フランツィスカ様は、うつむいてしまったフィリーネお嬢様へ優しく問いかけました。
「あなたは彼との婚約に納得しているのかしら?もしそうではないのなら、私が力を貸しても良いと思っていますのよ」
結局、お嬢様はフランツィスカ様の提案を断りました。自分はアルベルト様を慕っているから、と。
それからも何度かアーレンス侯爵邸に呼ばれましたが、お嬢様の答えはいつも同じでした。「アルベルト様は悪くありませんわ。私が至らないから……」と。そんなお姿を見るたびに、私はもどかしい思いを抱えていました。
フィリーネお嬢様にとって、アルベルト様は初恋の君です。格別な想いがあるのは分かります。ですが今のお嬢様が健全な精神状態であるとは、私には思えないのです。
夫から虐げられていた知人がいます。彼女は暴力を振るわれ浮気をされ、周囲がどんなに離縁を進めても「あの人は私がついてなければ駄目なのよ」と言うだけでした。ここまでくると一種の洗脳ですわ。
心配したご両親が無理矢理夫から引き離して実家で静養させたところ、ある日憑き物でも落ちたかのように「私、何であんな人に尽くしていたのかしら?」と言ったそうです。その後、彼女はすぐに離縁致しました。
お嬢様もきっと同じなのです。婚約者からの洗脳を、何としても解かねばなりません。
「お嬢様。アルベルト様との婚約を考え直すべきです。多少は揉めるかもしれませんが、フランツィスカ様のご協力を得られるのであればきっと解消まで持ち込めます」
「イルゼ……。私、アルベルト様と別れる気は無いわ」
「婚約の時点ですらこの状態なのです。結婚なさったら、今よりもっと難癖をつけられるでしょう。それも、毎日のように」
「アルベルト様は、私を愛しているから色々注意して下さるのよ。彼の言う通りに出来ない私が悪いの」
「違います!」
思わず叫ぶように答えてしまった私を、フィリーネ様はぽかんとしながら見つめていました。
「お嬢様に至らない点などありません。あるはずがないのです。アルベルト様は”初恋の君”に幻想を持っている。そして、その虚像をお嬢様に押し付けているだけなのです。頭の中にしか存在しない、都合の良い女……現実に生きる者が、そんな女性になれるわけはないでしょう。お嬢様は一生、あの男の幻想に振り回されて生きるおつもりですか?」
「一生……」と呟いて、お嬢様が考え込まれました。
揺らいでおられるのです。ここは一気に畳みかけねば!
「お嬢様にも理想の殿方像がおありでしょう。幼い頃に、それを初恋の君へ重ねた覚えはありませんか?」
誰だってあるでしょう。友人の兄君や学院の先輩。そんな憧れの存在に、理想の異性像を投影したことを。
「それは、まあ……なくもないわ」
「アルベルト様はその理想に沿う方でしたか?あるいは一度でも、お嬢様の望まれる男性になれるよう、努力されたことはありますか?」
お嬢様はハッとした顔になりました。
「近しくない存在だからこそ、私たちはその人に理想を重ね合わせることができるのです。成長するまで再会しなかったが故に、アルベルト様がお嬢様に対して妄想を膨らませてしまったのは、仕方のないことかもしれません。だけど普通は現実を受け入れ、相手に理想を押し付けるようなことはしないのですよ」
「言われてみればそうだわ……。アルベルト様は一度だって、私の意志も希望も考慮して下さらなかった。いえ、そもそも私から理想に沿って欲しいなんて願ったこともないわ。どうしてそれに気づかなかったのかしら」
「アルベルト様は、未だに理想と現実の違いを受け入れられないのでしょう。愛とは、相手のあるがままを受け入れることだと私は思っております。あの男はお嬢様ではなく、幻想の中のフィリーネ様を愛しているだけなのです」
頑なで矮小で、頭でっかちの癖に精神は未成熟な子供のまま。
そんな男は、私のお嬢様に相応しくありません。
「お嬢様、すぐに旦那様へ相談しましょう!」
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