1 / 5
1. 要らないと言われました
しおりを挟む
「アイリス、お前とは離縁する」
「そうですか」
淡々と答えた私に、夫ケヴィンが驚いたような顔をした。
何を驚くことがあるのかしら。
とっくに私たちの夫婦関係は破綻している。いつ離縁を言い出されても、おかしくないと思っていた。
「ですが、良いのですか?メイランド男爵家からの援助が無くなりますわよ」
「構わん。もう赤字からは回復した。新しい事業も順調だ」
気を取り直したのか、夫は椅子にふんぞり返って薄笑いを浮かべた。
「お前はただでさえ容姿が地味な上に、家政を取り纏めることも出来なかった。そんな無能な女にいつまでも居座られては困るんだ。メイランド男爵の助力が無くてもやっていけるようになった今、お前はもう必要ない」
あまりの言い様に、頭に血が上る。
しかし隣に立つ侍女メイベルが鬼の形相で彼を睨みつけているのを見て、逆に頭が冷えた。
「分かりました」とだけ答え、私は離縁届にサインをする。
私がどれだけこの家のために努めてきたのか。
メイランドからの支援が無くなればどうなるか。
教えてやる気などない。無能な妻の言葉なんて、要らないでしょうから。
「なんて恩知らずな……!困窮していたサージェント家が立ち直ったのは、アイリス様とメイランド家のおかげですのに」
メイベルはぷりぷりと怒りながら荷物を纏めている。
主人の前で感情を見せるなど本来ならば侍女失格なのだろうが、先程は彼女が先に怒ってくれたおかげで冷静になれた。
サージェント伯爵家は古くは王族が降嫁したこともあるという、由緒正しい家柄だ。領地には宝石を産み出す鉱山が多数有り、それを使った宝飾品で財を成した。
しかしその栄華も今は昔。
採掘量は変わらないものの売り上げは落ち込み、凋落の一途を辿っている。
それを打開すべく、サージェント伯爵は息子ケヴィンとの縁談を裕福な我が家へ持ちかけた。
しかし当のケヴィンはそれが大層不満だったらしい。
「俺は、もっと美しく高貴な家柄の女性を妻に迎えたかったんだ」
初夜を迎えようとするその時に、顔を歪めた夫にそう言われた。
その後は一度も床を共にしていない。
見かねた義父が注意したらしいが、「君が父に頼んだのか?なんとはしたない……これだから下賤な男爵家の娘など嫌だったんだ。抱いて欲しいなら、せめてその陰気な見た目をなんとかしろ」と心底見下すような目を向けられた。
私は何も頼んでいない。思いやりのかけらもない男との閨事など、私だって願い下げだ。
夫からは顔を合わせる度に難癖を付けられる。
「いつも陰気な顔で鬱陶しい。視界に入るのも不快だ」
「顔が地味なんだから、せめてもう少し着飾れば良いものを。少しは母上を見習え」
「帳簿もロクに付けられないらしいな。母上にばかり負担を掛けて、申し訳ないと思わないのか」
それでも義父が生きているうちはマシだったと思う。
伯爵が病に倒れ亡くなり、ケヴィンが伯爵位を継ぐと私への当たりはさらに強くなった。
義父の手前大人しくしていた義母も、ねちねちと嫌味をぶつけてくる。
「ケヴィンには、もっと良いところのご令嬢をと思っていたのに」
「食事の作法がなってないわ。男爵家ではどんな躾をされてきたのかしら」
当主とその母親がそんな態度なものだから、使用人たちも私を軽んじるようになった。
侍女は私に関する仕事だけ雑。冷め切った料理を出され、部屋の掃除もおざなりだ。
「ケヴィン坊ちゃんに岡惚れして、金の力で妻の座を手に入れた悪女」と聞こえよがしに言われたこともある。
夫にどうにかして欲しいといっても無駄だった。
むしろ「我が儘ばかり言って使用人を困らせるな!」と怒鳴られる始末。
だから私は父を頼り、実家の侍女メイベルを寄越して貰った。
それを知った夫が「俺へのあてつけか?お前の分の予算を増やすつもりはないからな」と言ってきたから、メイベルの給金は父が出していると答えたら言葉に詰まっていたわね。
我ながらこんな生活を三年も、よく続けていられたと思う。
だけど、それももう終わり。
今となっては子供が出来なかったのは幸いだったわ。
「奥様。嫁がれてから購入したものは、持って行っても良いと旦那様が」
ノックと共に入ってきた執事アンガスが、遠慮がちにそう伝えてきた。
「この家で買える程度の物など要らないわ。捨てるなり売るなり、そちらの自由にして頂戴」
「そう、ですね……。このような次第になってしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「貴方が悪いわけではないわ」
前伯爵が亡くなった後、メイベルの他はこの屋敷で彼だけが私の味方だった。
彼がケヴィンに何度も忠言していたのを知っている。夫が耳を貸すことはなかったけれど。
わずかの手荷物を持って馬車に乗る私とメイベルを見送り、老執事は深々と頭を下げた。
「そうですか」
淡々と答えた私に、夫ケヴィンが驚いたような顔をした。
何を驚くことがあるのかしら。
とっくに私たちの夫婦関係は破綻している。いつ離縁を言い出されても、おかしくないと思っていた。
「ですが、良いのですか?メイランド男爵家からの援助が無くなりますわよ」
「構わん。もう赤字からは回復した。新しい事業も順調だ」
気を取り直したのか、夫は椅子にふんぞり返って薄笑いを浮かべた。
「お前はただでさえ容姿が地味な上に、家政を取り纏めることも出来なかった。そんな無能な女にいつまでも居座られては困るんだ。メイランド男爵の助力が無くてもやっていけるようになった今、お前はもう必要ない」
あまりの言い様に、頭に血が上る。
しかし隣に立つ侍女メイベルが鬼の形相で彼を睨みつけているのを見て、逆に頭が冷えた。
「分かりました」とだけ答え、私は離縁届にサインをする。
私がどれだけこの家のために努めてきたのか。
メイランドからの支援が無くなればどうなるか。
教えてやる気などない。無能な妻の言葉なんて、要らないでしょうから。
「なんて恩知らずな……!困窮していたサージェント家が立ち直ったのは、アイリス様とメイランド家のおかげですのに」
メイベルはぷりぷりと怒りながら荷物を纏めている。
主人の前で感情を見せるなど本来ならば侍女失格なのだろうが、先程は彼女が先に怒ってくれたおかげで冷静になれた。
サージェント伯爵家は古くは王族が降嫁したこともあるという、由緒正しい家柄だ。領地には宝石を産み出す鉱山が多数有り、それを使った宝飾品で財を成した。
しかしその栄華も今は昔。
採掘量は変わらないものの売り上げは落ち込み、凋落の一途を辿っている。
それを打開すべく、サージェント伯爵は息子ケヴィンとの縁談を裕福な我が家へ持ちかけた。
しかし当のケヴィンはそれが大層不満だったらしい。
「俺は、もっと美しく高貴な家柄の女性を妻に迎えたかったんだ」
初夜を迎えようとするその時に、顔を歪めた夫にそう言われた。
その後は一度も床を共にしていない。
見かねた義父が注意したらしいが、「君が父に頼んだのか?なんとはしたない……これだから下賤な男爵家の娘など嫌だったんだ。抱いて欲しいなら、せめてその陰気な見た目をなんとかしろ」と心底見下すような目を向けられた。
私は何も頼んでいない。思いやりのかけらもない男との閨事など、私だって願い下げだ。
夫からは顔を合わせる度に難癖を付けられる。
「いつも陰気な顔で鬱陶しい。視界に入るのも不快だ」
「顔が地味なんだから、せめてもう少し着飾れば良いものを。少しは母上を見習え」
「帳簿もロクに付けられないらしいな。母上にばかり負担を掛けて、申し訳ないと思わないのか」
それでも義父が生きているうちはマシだったと思う。
伯爵が病に倒れ亡くなり、ケヴィンが伯爵位を継ぐと私への当たりはさらに強くなった。
義父の手前大人しくしていた義母も、ねちねちと嫌味をぶつけてくる。
「ケヴィンには、もっと良いところのご令嬢をと思っていたのに」
「食事の作法がなってないわ。男爵家ではどんな躾をされてきたのかしら」
当主とその母親がそんな態度なものだから、使用人たちも私を軽んじるようになった。
侍女は私に関する仕事だけ雑。冷め切った料理を出され、部屋の掃除もおざなりだ。
「ケヴィン坊ちゃんに岡惚れして、金の力で妻の座を手に入れた悪女」と聞こえよがしに言われたこともある。
夫にどうにかして欲しいといっても無駄だった。
むしろ「我が儘ばかり言って使用人を困らせるな!」と怒鳴られる始末。
だから私は父を頼り、実家の侍女メイベルを寄越して貰った。
それを知った夫が「俺へのあてつけか?お前の分の予算を増やすつもりはないからな」と言ってきたから、メイベルの給金は父が出していると答えたら言葉に詰まっていたわね。
我ながらこんな生活を三年も、よく続けていられたと思う。
だけど、それももう終わり。
今となっては子供が出来なかったのは幸いだったわ。
「奥様。嫁がれてから購入したものは、持って行っても良いと旦那様が」
ノックと共に入ってきた執事アンガスが、遠慮がちにそう伝えてきた。
「この家で買える程度の物など要らないわ。捨てるなり売るなり、そちらの自由にして頂戴」
「そう、ですね……。このような次第になってしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「貴方が悪いわけではないわ」
前伯爵が亡くなった後、メイベルの他はこの屋敷で彼だけが私の味方だった。
彼がケヴィンに何度も忠言していたのを知っている。夫が耳を貸すことはなかったけれど。
わずかの手荷物を持って馬車に乗る私とメイベルを見送り、老執事は深々と頭を下げた。
1,210
あなたにおすすめの小説
愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから
越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。
新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。
一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?
「仕方ないから君で妥協する」なんて言う婚約者は、こちらの方から願い下げです。
木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるマルティアは、父親同士が懇意にしている伯爵令息バルクルと婚約することになった。
幼少期の頃から二人には付き合いがあったが、マルティアは彼のことを快く思っていなかった。ある時からバルクルは高慢な性格になり、自身のことを見下す発言をするようになったからだ。
「まあ色々と思う所はあるが、仕方ないから君で妥協するとしよう」
「……はい?」
「僕に相応しい相手とは言い難いが、及第点くらいはあげても構わない。光栄に思うのだな」
婚約者となったバルクルからかけられた言葉に、マルティアは自身の婚約が良いものではないことを確信することになった。
彼女は婚約の破談を進言するとバルクルに啖呵を切り、彼の前から立ち去ることにした。
しばらくして、社交界にはある噂が流れ始める。それはマルティアが身勝手な理由で、バルクルとの婚約を破棄したというものだった。
父親と破談の話を進めようとしていたマルティアにとって、それは予想外のものであった。その噂の発端がバルクルであることを知り、彼女はさらに驚くことになる。
そんなマルティアに手を差し伸べたのは、ひょんなことから知り合った公爵家の令息ラウエルであった。
彼の介入により、マルティアの立場は逆転することになる。バルクルが行っていたことが、白日の元に晒されることになったのだ。
幸運を織る令嬢は、もうあなたを愛さない
法華
恋愛
婚約者の侯爵子息に「灰色の人形」と蔑まれ、趣味の刺繍まで笑いものにされる伯爵令嬢エリアーナ。しかし、彼女が織りなす古代の紋様には、やがて社交界、ひいては王家さえも魅了するほどの価値が秘められていた。
ある日、自らの才能を見出してくれた支援者たちと共に、エリアーナは虐げられた過去に決別を告げる。
これは、一人の気弱な令嬢が自らの手で運命を切り開き、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転の物語。彼女が「幸運を織る令嬢」として輝く時、彼女を見下した者たちは、自らの愚かさに打ちひしがれることになる。
「お前とは結婚できない」って言ったのはそっちでしょ?なのに今さら嫉妬しないで
ほーみ
恋愛
王都ベルセリオ、冬の終わり。
辺境領主の娘であるリリアーナ・クロフォードは、煌びやかな社交界の片隅で、ひとり静かにグラスを傾けていた。
この社交界に参加するのは久しぶり。3年前に婚約破棄された時、彼女は王都から姿を消したのだ。今日こうして戻ってきたのは、王女の誕生祝賀パーティに招かれたからに過ぎない。
「リリアーナ……本当に、君なのか」
――来た。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が冷たく凍るようだった。
振り向けば、金髪碧眼の男――エリオット・レインハルト。かつての婚約者であり、王家の血を引く名家レインハルト公爵家の嫡男。
「……お久しぶりですね、エリオット様」
能ある妃は身分を隠す
赤羽夕夜
恋愛
セラス・フィーは異国で勉学に励む為に、学園に通っていた。――がその卒業パーティーの日のことだった。
言われもない罪でコンペーニュ王国第三王子、アレッシオから婚約破棄を大体的に告げられる。
全てにおいて「身に覚えのない」セラスは、反論をするが、大衆を前に恥を掻かせ、利益を得ようとしか思っていないアレッシオにどうするべきかと、考えているとセラスの前に現れたのは――。
魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完
瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。
夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。
*五話でさくっと読めます。
とある侯爵令息の婚約と結婚
ふじよし
恋愛
ノーリッシュ侯爵の令息ダニエルはリグリー伯爵の令嬢アイリスと婚約していた。けれど彼は婚約から半年、アイリスの義妹カレンと婚約することに。社交界では格好の噂になっている。
今回のノーリッシュ侯爵とリグリー伯爵の縁を結ぶための結婚だった。政略としては婚約者が姉妹で入れ替わることに問題はないだろうけれど……
私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?
睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。
※全6話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる