貴方が要らないと言ったのです

藍田ひびき

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1. 要らないと言われました

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「アイリス、お前とは離縁する」
「そうですか」

 淡々と答えた私に、夫ケヴィンが驚いたような顔をした。

 何を驚くことがあるのかしら。
 とっくに私たちの夫婦関係は破綻している。いつ離縁を言い出されても、おかしくないと思っていた。

「ですが、良いのですか?メイランド男爵家からの援助が無くなりますわよ」
「構わん。もう赤字からは回復した。新しい事業も順調だ」

 気を取り直したのか、夫は椅子にふんぞり返って薄笑いを浮かべた。

「お前はただでさえ容姿が地味な上に、家政を取り纏めることも出来なかった。そんな無能な女にいつまでも居座られては困るんだ。メイランド男爵の助力が無くてもやっていけるようになった今、お前はもう必要ない」

 あまりの言い様に、頭に血が上る。
 しかし隣に立つ侍女メイベルが鬼の形相で彼を睨みつけているのを見て、逆に頭が冷えた。

「分かりました」とだけ答え、私は離縁届にサインをする。

 私がどれだけこの家のために努めてきたのか。
 メイランドからの支援が無くなればどうなるか。

 教えてやる気などない。無能な妻の言葉なんて、要らないでしょうから。



「なんて恩知らずな……!困窮していたサージェント家が立ち直ったのは、アイリス様とメイランド家のおかげですのに」

 メイベルはぷりぷりと怒りながら荷物を纏めている。
 主人の前で感情を見せるなど本来ならば侍女失格なのだろうが、先程は彼女が先に怒ってくれたおかげで冷静になれた。

 サージェント伯爵家は古くは王族が降嫁したこともあるという、由緒正しい家柄だ。領地には宝石を産み出す鉱山が多数有り、それを使った宝飾品で財を成した。
 しかしその栄華も今は昔。
 採掘量は変わらないものの売り上げは落ち込み、凋落の一途を辿っている。
 
 それを打開すべく、サージェント伯爵は息子ケヴィンとの縁談を裕福な我が家へ持ちかけた。
 しかし当のケヴィンはそれが大層不満だったらしい。
 
「俺は、もっと美しく高貴な家柄の女性を妻に迎えたかったんだ」

 初夜を迎えようとするその時に、顔を歪めた夫にそう言われた。
 その後は一度も床を共にしていない。
 
 見かねた義父が注意したらしいが、「君が父に頼んだのか?なんとはしたない……これだから下賤な男爵家の娘など嫌だったんだ。抱いて欲しいなら、せめてその陰気な見た目をなんとかしろ」と心底見下すような目を向けられた。

 私は何も頼んでいない。思いやりのかけらもない男との閨事など、私だって願い下げだ。
 
 夫からは顔を合わせる度に難癖を付けられる。

「いつも陰気な顔で鬱陶しい。視界に入るのも不快だ」
「顔が地味なんだから、せめてもう少し着飾れば良いものを。少しは母上を見習え」
「帳簿もロクに付けられないらしいな。母上にばかり負担を掛けて、申し訳ないと思わないのか」
 
 それでも義父が生きているうちはマシだったと思う。
 伯爵が病に倒れ亡くなり、ケヴィンが伯爵位を継ぐと私への当たりはさらに強くなった。
 
 義父の手前大人しくしていた義母も、ねちねちと嫌味をぶつけてくる。

「ケヴィンには、もっと良いところのご令嬢をと思っていたのに」
「食事の作法がなってないわ。男爵家ではどんな躾をされてきたのかしら」

 当主とその母親がそんな態度なものだから、使用人たちも私を軽んじるようになった。
 侍女は私に関する仕事だけ雑。冷め切った料理を出され、部屋の掃除もおざなりだ。
 「ケヴィン坊ちゃんに岡惚れして、金の力で妻の座を手に入れた悪女」と聞こえよがしに言われたこともある。
 
 夫にどうにかして欲しいといっても無駄だった。
 むしろ「我が儘ばかり言って使用人を困らせるな!」と怒鳴られる始末。
 
 だから私は父を頼り、実家の侍女メイベルを寄越して貰った。
 それを知った夫が「俺へのあてつけか?お前の分の予算を増やすつもりはないからな」と言ってきたから、メイベルの給金は父が出していると答えたら言葉に詰まっていたわね。
 
 我ながらこんな生活を三年も、よく続けていられたと思う。
 だけど、それももう終わり。
 今となっては子供が出来なかったのは幸いだったわ。

「奥様。嫁がれてから購入したものは、持って行っても良いと旦那様が」

 ノックと共に入ってきた執事アンガスが、遠慮がちにそう伝えてきた。

「この家で買える程度の物など要らないわ。捨てるなり売るなり、そちらの自由にして頂戴」
「そう、ですね……。このような次第になってしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「貴方が悪いわけではないわ」
 
 前伯爵が亡くなった後、メイベルの他はこの屋敷で彼だけが私の味方だった。
 彼がケヴィンに何度も忠言していたのを知っている。夫が耳を貸すことはなかったけれど。
 
 わずかの手荷物を持って馬車に乗る私とメイベルを見送り、老執事は深々と頭を下げた。
 
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