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2. 不満だらけの結婚生活 side.ケヴィン
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「ようやくあの女と縁が切れたか」
離縁届が無事に受理されたという報告を受け、俺は叫び出したい気分になった。やっと不本意な結婚生活より解放されたのだから、はしゃいでしまうのも無理ないだろう。
俺の母は麗しい人だ。
いつだって母は誇り高く、また美しい。艶やかなドレスに身を包んだ姿は社交界で注目の的だった。
だからといって家庭に手を抜く事も無い。俺のことは慈愛深く、時に厳しく育ててくれた。妻にするなら、母のように高貴で美しく賢い女性にしようと心に決めていた。
父の事も尊敬はしている。
だが母は時折「あの人は優秀なのだけれど、少しお金に厳しい所があるのよね。伯爵家の体裁を整えるために仕方のない出費だと言っているのに、渋い顔をするの」と愚痴っていた。
サージェント伯爵家の血を引いているのは母であり、父は係累の子爵家からの入り婿だ。この国では女性に継承権が無いため、父が伯爵位を継いだに過ぎない。育ちが違うのだ。伯爵家の家風が理解できない所もあったのだろう。
そんな父が連れてきた婚約者、アイリス・メイランド男爵令嬢と初めて会った時には、ひどくがっかりしたことを覚えている。
細目でぱっとしない顔立ち。着ているのはシンプルな柄のドレスで、彼女の地味さをより際立てている。きっぱりした物言いも気に喰わない。
メイランド男爵も好きにはなれなかった。態度は柔らかいが、俺を見定めるような目つきがひどく癇に障る。
「父上、俺はあんな地味な女を妻にしたくありません」
「そうよ。それにメイランド男爵家は、たかだか先代が叙爵された程度の家柄。誇りあるサージェント伯爵家には相応しくないわ」
「我が家の事業が傾いていることは知っているだろう。ケヴィンには悪いと思っている。しかし財政を立て直すためには、この婚約が必要なのだ」
「裕福な高位貴族なら他にもあるでしょう?」
「メイランド商会は王国全土に販売網を持っている。それにアイリス嬢は才があると評判で、アルフォード侯爵からの推薦でもあるんだ。分かってくれ」
アルフォード侯爵は我が家の寄り親だ。侯爵から勧められた縁談とあらば断ることはできない。俺は渋々この結婚を受け入れた。
「ケヴィン、子供は作らないようになさい。事業が軌道に乗ったところで離縁して、ふさわしい令嬢を娶ればいいのよ」
「では白い結婚に」
「それじゃあ駄目よ。向こうから離縁を言い出すかもしれないじゃない。離縁のタイミングを決めるのはこちらじゃなきゃ」
本当はあんな女を抱くのも嫌だった。
だが母の言う通り、二年間白い結婚を続ければ、妻と夫どちらでも離縁を申し立てることが出来る。
その時にわが家の財政が持ち直しているとは限らない。
一度限りの我慢だと自らに言い聞かせて初夜を済ませ、その後はいっさい妻に触れなかった。
それが我慢できなかったのか、アイリスは父を通して閨事をせがんできた。
なんてはしたない女だろうと呆れた。
自分で言うのも何だが、俺は容姿には恵まれている。学院時代、俺にアプローチしてくる令嬢は多かった。しかし母に比べれば皆劣って見えて、結局誰とも縁談は結ばなかったのだ。
今となっては、あの中の誰かと婚約しておくべきだったと思う。そうすれば、アイリスなどを妻にすることはなかったのに。
父や執事は「メイランド商会の支援の重要性を理解していないのか。妻を大事にしろ」と煩かったが。
「メイランド男爵は、我が家と縁戚になることで箔をつけたいのよ。商人の考えそうなことだわ。平民上がりのくせに、図々しい」
母の言葉の方が腑に落ちる。双方にメリットがあるのなら、俺だけがアイリスへ阿る必要はない。
それに彼女だって一時的とはいえ名門サージェント家の一員になれたのだから、それで十分だろう。
名目上とはいえ妻なのだからと家政は任せてみたが、あの女はそれすらロクにこなせなかった。
帳簿も付けられない為、ほとんど母がやっていたらしい。
父はアイリスに何やら仕事を言いつけていた。何も出来ない彼女を見兼ねて、手伝いでもさせていたのだろう。
しかも妻は、使用人と度々トラブルを起こしていたらしい。侍女長が「奥様は、伯爵家の家風がお気に召さないようで……」と言葉を濁すほどだ。
母が若い頃から仕えている彼女はこの家で一番のベテランであり、信頼できる侍女だ。侍女長がそこまで言うのだから、妻の素行はよほど悪いのだろう。
嫁いだ身だというのに、いつまでお嬢様気分なんだと怒鳴りつけてやった。
使用人すら上手く使えないなんて。何が才ある令嬢だ。アルフォード侯爵の目は節穴か?
夜会には仕方なく妻を伴う。あんな女に時間を使うのは惜しいので金は出すからドレスは自分で選べと指示したら、ひどく地味なドレスを着てきた。
恥ずかしくて、夜会の間はなるべく傍から離れるようにした。
結婚して三年が経ちようやく事業が軌道に乗り、財政が黒字になった所でアイリスに離縁を申し渡した。父はもう天の国へと旅立ったが、生きていたとしても反対はしなかっただろう。もうメイランド男爵家の助力は不要なのだから。
アイリスにごねられたり縋られたりしたら少々やっかいだなと思っていたが、すんなり了承したのは拍子抜けだった。
結婚してから購入したものは持ち帰って構わないと伝えたところ、「この家で買える程度のものなど要らない」と全て置いていったらしい。
せっかく餞別代りに与えてやったのに。どうせ悔し紛れの虚勢だろう。最後まで不快な女だった。
離縁届が無事に受理されたという報告を受け、俺は叫び出したい気分になった。やっと不本意な結婚生活より解放されたのだから、はしゃいでしまうのも無理ないだろう。
俺の母は麗しい人だ。
いつだって母は誇り高く、また美しい。艶やかなドレスに身を包んだ姿は社交界で注目の的だった。
だからといって家庭に手を抜く事も無い。俺のことは慈愛深く、時に厳しく育ててくれた。妻にするなら、母のように高貴で美しく賢い女性にしようと心に決めていた。
父の事も尊敬はしている。
だが母は時折「あの人は優秀なのだけれど、少しお金に厳しい所があるのよね。伯爵家の体裁を整えるために仕方のない出費だと言っているのに、渋い顔をするの」と愚痴っていた。
サージェント伯爵家の血を引いているのは母であり、父は係累の子爵家からの入り婿だ。この国では女性に継承権が無いため、父が伯爵位を継いだに過ぎない。育ちが違うのだ。伯爵家の家風が理解できない所もあったのだろう。
そんな父が連れてきた婚約者、アイリス・メイランド男爵令嬢と初めて会った時には、ひどくがっかりしたことを覚えている。
細目でぱっとしない顔立ち。着ているのはシンプルな柄のドレスで、彼女の地味さをより際立てている。きっぱりした物言いも気に喰わない。
メイランド男爵も好きにはなれなかった。態度は柔らかいが、俺を見定めるような目つきがひどく癇に障る。
「父上、俺はあんな地味な女を妻にしたくありません」
「そうよ。それにメイランド男爵家は、たかだか先代が叙爵された程度の家柄。誇りあるサージェント伯爵家には相応しくないわ」
「我が家の事業が傾いていることは知っているだろう。ケヴィンには悪いと思っている。しかし財政を立て直すためには、この婚約が必要なのだ」
「裕福な高位貴族なら他にもあるでしょう?」
「メイランド商会は王国全土に販売網を持っている。それにアイリス嬢は才があると評判で、アルフォード侯爵からの推薦でもあるんだ。分かってくれ」
アルフォード侯爵は我が家の寄り親だ。侯爵から勧められた縁談とあらば断ることはできない。俺は渋々この結婚を受け入れた。
「ケヴィン、子供は作らないようになさい。事業が軌道に乗ったところで離縁して、ふさわしい令嬢を娶ればいいのよ」
「では白い結婚に」
「それじゃあ駄目よ。向こうから離縁を言い出すかもしれないじゃない。離縁のタイミングを決めるのはこちらじゃなきゃ」
本当はあんな女を抱くのも嫌だった。
だが母の言う通り、二年間白い結婚を続ければ、妻と夫どちらでも離縁を申し立てることが出来る。
その時にわが家の財政が持ち直しているとは限らない。
一度限りの我慢だと自らに言い聞かせて初夜を済ませ、その後はいっさい妻に触れなかった。
それが我慢できなかったのか、アイリスは父を通して閨事をせがんできた。
なんてはしたない女だろうと呆れた。
自分で言うのも何だが、俺は容姿には恵まれている。学院時代、俺にアプローチしてくる令嬢は多かった。しかし母に比べれば皆劣って見えて、結局誰とも縁談は結ばなかったのだ。
今となっては、あの中の誰かと婚約しておくべきだったと思う。そうすれば、アイリスなどを妻にすることはなかったのに。
父や執事は「メイランド商会の支援の重要性を理解していないのか。妻を大事にしろ」と煩かったが。
「メイランド男爵は、我が家と縁戚になることで箔をつけたいのよ。商人の考えそうなことだわ。平民上がりのくせに、図々しい」
母の言葉の方が腑に落ちる。双方にメリットがあるのなら、俺だけがアイリスへ阿る必要はない。
それに彼女だって一時的とはいえ名門サージェント家の一員になれたのだから、それで十分だろう。
名目上とはいえ妻なのだからと家政は任せてみたが、あの女はそれすらロクにこなせなかった。
帳簿も付けられない為、ほとんど母がやっていたらしい。
父はアイリスに何やら仕事を言いつけていた。何も出来ない彼女を見兼ねて、手伝いでもさせていたのだろう。
しかも妻は、使用人と度々トラブルを起こしていたらしい。侍女長が「奥様は、伯爵家の家風がお気に召さないようで……」と言葉を濁すほどだ。
母が若い頃から仕えている彼女はこの家で一番のベテランであり、信頼できる侍女だ。侍女長がそこまで言うのだから、妻の素行はよほど悪いのだろう。
嫁いだ身だというのに、いつまでお嬢様気分なんだと怒鳴りつけてやった。
使用人すら上手く使えないなんて。何が才ある令嬢だ。アルフォード侯爵の目は節穴か?
夜会には仕方なく妻を伴う。あんな女に時間を使うのは惜しいので金は出すからドレスは自分で選べと指示したら、ひどく地味なドレスを着てきた。
恥ずかしくて、夜会の間はなるべく傍から離れるようにした。
結婚して三年が経ちようやく事業が軌道に乗り、財政が黒字になった所でアイリスに離縁を申し渡した。父はもう天の国へと旅立ったが、生きていたとしても反対はしなかっただろう。もうメイランド男爵家の助力は不要なのだから。
アイリスにごねられたり縋られたりしたら少々やっかいだなと思っていたが、すんなり了承したのは拍子抜けだった。
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