白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき

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2. 鬱陶しい身内

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 翌朝、シルヴィアは大変気分よく目覚めた。一人になったおかげで快眠出来たし、も果たせたからだ。ふんふんと鼻歌を歌いながら朝食の席へ着いたシルヴィアへ「おはようございます、奥様」と執事が話しかけてくる。
 
「おはよう、フリッツ。離縁申請書はちゃんと隠した?」
「はい。金庫に仕舞ってございます。あの……エグモント様が『あれはお飾りの妻だから伯爵夫人として扱う必要はない。使用人たちにもそう伝えておけ』と」
「……無視していいわ」

 勘違いもここに極まれり。伯爵はシルヴィアであり、彼はその配偶者に過ぎないのに。

 それからも夫は毎日のように「どうだ、謝る気になったか?」「そろそろ我慢できなくなってきただろう」と絡んできた。シルヴィアは「いえ全く」「今忙しいので」とスルーしているのだが。暇なのだろうか。
 
「おい、寝室に鍵がかかっていたぞ!」

 ある朝、エグモントがぷりぷりと怒りながらシルヴィアの執務室へ突撃してきた。
 
「まあ、気付きませんでしたわ。申し訳ありません。私、寝つきが悪いたちで。睡眠を邪魔されたくないので、鍵を掛けるようにしておりますの」
「どういうつもりだ。妻ならば、いつでも夫を迎えられるようにしておくべきだろうが!」
「私が謝罪するまで房事は無しだったのでは?」

 自分で言ったことを忘れていたらしい。舌打ちをして去っていく夫を見送りつつ、シルヴィアは執事に「護衛の追加を。信頼できる者を4名用意して頂戴」と命じる。
 
 嫌な予感がするので、部屋の前に護衛を配置した。4名なのは2名ずつ交代勤務させるためである。
 案の定、夜中にエグモントが忍び込んできたらしい。手には釘抜きバールのようなものを持っていたから、鍵をこじ開けるつもりだったのだろう。「奥様はお休み中です。誰も入れるなと言われております」と護衛に追い払われ、怒りながら去っていったそうだ。

 
「シルヴィア様、エグモント様がお客人を連れて来られたのですが……」
 
 数日間の領地見回りから帰ったシルヴィアを待っていたのは、困り顔のフリッツだった。トラブルであろうことは察しが付く。叔父もそうだが、次から次へと厄介ごとを起こす者が身内にいるのは本当に面倒である。

「しばらく滞在させると仰ったのですが、その」

 いつもは明瞭に話す有能執事が珍しく口ごもっている。ようよう聞き出してみると……夫は愛人を連れ込んだらしい。知人だと言い張っているが、夜間に響き渡る嬌声を使用人たちが聞いている。しかも愛人は女主人気取りで「もっと良い食事を出せ」「ドレスを用意しろ、商人を呼べ」と偉そうに命じてくるとか。

「お客様がいらしてるそうですね」
「ああ。お前と違って愛らしい女性だ。嫉妬しているのか?」

 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる夫へ、シルヴィアは冷たい目を向ける。結婚してから今まで、彼女は一度だって彼の前でしおらしい態度を見せたことはない。どうして嫉妬して貰えると思うのか、その思考回路が謎だ。
 
「愛人を連れ込むのは構いませんが、離れを使用してください。本邸には来客がいらっしゃることも多いですから」

 シルヴィアは「貴方と一緒に過ごせるほうが愛人の方も喜ぶでしょう」とエグモントを離れへ追いやった。何やら騒いでいたらしいが、シルヴィアとしては夫がいない方が楽なので構わない。
 
 「いずれは当主になるんだ、仕事をさせろ」というから書類仕事をやらせてみたら、遅い上に間違いだらけ。却って手間がかかるのだ。愛人と共に離れへ引き籠っていてくれたほうがよっぽど手が掛からない。
 釣り書きによれば一応は貴族学院を出ていたはずだが……その結果がアレでは、学費をどぶに捨てたようなものだ。ちなみに愛人が飲み食いした食べ物や購入したドレスや宝石、増えた使用人分の給料は夫の予算から差し引いておいた。

 時折、二人がこれ見よがしに腕を組んで庭を歩く姿を見掛ける。それを見たところでシルヴィアは何も感じない。胸の大きい女性が好みなのね、と思うくらいだ。
 しかし何をするでもなく窓の下をうろうろされるのは流石に鬱陶しい。彼女の意を汲んだ執事が「今から庭の手入れをしますので」と丁重に彼らを追い出してくれた。


「旦那様、来月アードラー侯爵家の夜会に招待されておりますの。共に出席なさってくださいね」
「俺はドレスなど贈らんからな」
「構いませんわ。私の予算から出しますし、旦那様の分も作っておきますわね」

 当日のエグモントは上機嫌だった。

「なかなか良い服だ」
「気に入って頂けて何よりですわ」
「君も今日の装いはなかなか美しいぞ。ま、ドレスのおかげだろうが」
「それはどうも」
「ようやく素直になる気になったんだな」
 
 ドレスを新着したのは招待者への礼儀を示すであって夫のためではないのだが、何やら誤解しているらしい。
 しかも夜会の場では何故か彼は妻の傍を離れなかった。顔見知りの紳士へ挨拶をするたびに「夫のエグモントです」と自慢げに言うのだ。閉口したシルヴィアが「エグモント様も、お知り合いの方とお話すれば?」と言えば「俺がいない間に不貞相手と会うつもりか!」と怒り出す始末。
 愛人を連れ込んでいるお前が言うなと思ったが、シルヴィアは口を閉ざした。これ以上騒がれるとアードラー侯爵に迷惑が掛かるからだ。

 
「おい!開けろ!起きてるんだろう?明かりが見えたぞ」

 窮屈なドレスを脱いで自室で一息ついていたシルヴィアの耳に、騒ぎ声が聞こえた。夫が護衛と言い争っているらしい。今日は疲れているから早く寝たかったのだけれど……と溜め息を吐きながら彼女は夫を招き入れた。

「待たせやがって」と言いながら入ってきた夫はガウン姿だった。下には何も着ていないらしく、はだけた胸元から見たくもない肌が見えている。見せつけているつもりかもしれない。
 ニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべ、舌なめずりする夫に鳥肌が立つ。

「シルヴィア……」と近づいてきた夫に「まあまあ、まずはワインでも如何?」と酒を勧めた。
 
「君の気持は分かっている。恥ずかしがらずこっちへ来い」
「そんなに焦らないで。もう一杯如何です?」
 
 適当に相槌を打ちながらワインを飲ませているうちにエグモントは呂律が回らなくなり、ついにはソファに身体を預けてぐーぐーと寝息を立て始めた。念のためにと用意しておいた睡眠薬が効いたようだ。

「旦那様を寝室へ連れて行って頂戴な」
「はっ」

 護衛二人が夫を担ぎ上げる。ガウンがずれて一瞬汚いモノが見えたが、護衛が「申し訳ございません、奥様に見苦しいものを」と隠してくれた。そうして夫は護衛にえっさほいさと運ばれていった。

 
「エグモントとは仲良くやっているのかしら」
「ええ、まあ」

 そんなこんなで一年ほど過ぎたある日のこと、エグモントの実母ハグマイヤー子爵夫人が訪ねてきた。夫は離れにいる。呼びに行かせはしたものの、本邸に戻ってくる間義母を一人にするわけにもいかずシルヴィアは彼女の話相手をしていた。
 
「やはりね、女性は夫を支えるのが一番なの。貴方もずっと気を張っているから、なかなか子供が出来ないのではなくて?表向きのことはあの子に任せて、貴方は家の事だけを考えたらいいと思うのよ……分かるでしょ?」
 
 余計なお世話という話だが、義母はねっとりとしつこく話し続ける。イライラも限界だ。ようやくやってきた夫に義母を押し付けると、シルヴィアは執務室へ急いで戻った。手掛けている事業でトラブルが起きており、義母の相手どころではないのだ。

 
「受注先のリストだ。これだけあれば、在庫分は何とかなるだろう?」
「本当に助かったわ、クリストフ」
「お役に立てたのなら良かった」
 
 シルヴィアと話しているのは、クリストフ・アレント男爵令息だ。アレント家の次男である彼は爵位こそないが、数々の事業を手掛けているやり手である。シルヴィアとは学院時代の同級生であり、在学中は成績を競い合ったものだ。
 
「それにしても……本当に、叔父様ときたら」
 
 キースリング領は織物に使用する植物が名産であり、それを使用した織物や服飾品が主産業だ。
 最近シルヴィアは他国から導入した新しい染め方を導入し、大々的に売り出す予定で販売ルートも確保していた。そこへ横槍を入れてきたのが叔父バルドゥルだ。
 彼は同じ染め物を他国から輸入し、先んじて売り出した。シルヴィアに対する嫌がらせであることは明白である。この国にはない色味を武器に売り出すはずだった新製品はあまり売れず、キースリング家は多数の在庫を抱えてしまった。

 そこで相談した相手がクリストフである。
 彼の伝手を辿り、劇場の人気女優にキースリング産の新作織物を使ったドレスを着て貰ったのだ。また劇場のポスターにはキースリング産であることを明記。女優の熱狂ファンから注文が殺到したため、何とか在庫を捌くことができた。
 さらにクリストフの案により余り布で財布やポシェットを作って売り出したところ、「ドレスは買えないが小物なら」という平民の女性たちにバカ受けした。今後は生産ラインを増やすことも視野に入れている。
 
 今回は何とか対応できたものの、今後も似たような妨害工作を仕掛けてくることは目に見えている。
 面倒ごとは叔父だけではない。最近はエグモントからの攻勢も激しくなってきた。離縁期限の二年が近づいているからだろう。
 護衛に金を渡して「これをやるから一晩離れていろ」と命じたこともあったらしい。勿論、護衛たちは断った。金で主人を裏切るようなタチの悪い者は雇っていない。
 
「そろそろ消えて貰いましょうか。……叔父様も、あの人も」
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