貴方の知る私はもういない

藍田ひびき

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9. 自由と責任(1) side.エルフリーデ

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 ――好きな人が、いた。
 泣いている私に寄り添ってくれた、優しい優しいひと。
 だけど彼が望んだようには生きられない。私に、そんな自由はないから。

 
「はぁ……本当にごめんなさいね、ローゼマリー。ヘンリックは賢い子だと思っていたのに、どうしてあんな風になっちゃったのかしら」
「エルフリーデ殿下、もう気にしておりませんから。ほら、湖が見えてきましたわよ」
 
 向かいに座るローゼマリーから促され、馬車の窓から流れる景色に目をやる。

 彼女は先日、弟のヘンリックから婚約を解消されたばかりだ。
 聡明で芯が強く、公女という立場に奢ることなく努力家なローゼマリー。
 彼女と私は気が合うのか、公私を越えた付き合いがある。婚約が無くなった今でも、こうやってファインベルグ公爵家の別荘へ誘ってくれるくらいに。

 ローゼマリーが義妹になる日を楽しみにしていた。
 ヘンリックは何を考えているの?あの子爵令嬢は確かに愛らしいけれど、それだけだ。
 あんな娘がローゼマリーの代わりなれると本当に考えているのだとしたら、正気を疑うわ。

 幼児の頃のヘンリックは本当に可愛かった。くりくりの瞳に艶々とした髪。聞き分けの良い子だけど甘えん坊な所がまた愛らしくて、母や私だけでなく、侍女たちも夢中になったものだ。見目だけでなく頭も良く、彼につけた教師陣は「殿下の理解の早さは驚異的です」と絶賛するほど。
 
 お母様は溺愛するヘンリックを王太子に推しているけれど、お祖母様は私こそが王太女になるべきと言ってはばからない。私がお祖母様の若い頃に似ているからと皆は言うけれど、あれは単にお母様に反発してるだけだと思う。そこに貴族たちの派閥が絡んで混戦状態になっている。
 
 お父様もお父様よ。
 嫁と姑、どちらにもいい顔をしようとしていつまでも決めないから混乱に拍車をかけているというのに。

 しかも当のヘンリックはといえば、「姉上が王位就くくべきですよ」とヘラヘラしている。
 
 以前はその微笑みも愛らしいと思っていたけれど、最近では薄気味悪いと感じるようになった。
 高位貴族の次男三男で優秀そうな者――つまり私が女王となった際の配偶者候補たちを、ヘンリックが裏で追い落としたことは知っている。実行犯はヘンリックの取り巻きらしいけど、それを黙認しているということは彼の意図と見ていいだろう。

 当人は私が知らないと思っているらしく「姉上の婚約者はまだ決まらないのですか?僕の方でも探しましょうか?」なんてヌケヌケと言ってきたっけ。
 
 姉を舐めすぎじゃないかしら。王女たるもの、諜報を司る取り巻きくらい抱えているに決まっているでしょう。
 
 野心を持って私を追い落とそうとするのなら別に構わない。そのくらいの奸計が出来なくては国王など務まらない。
 ヘンリックが真に国を思っているのなら、私は駒として外へ嫁ぐのも構わないと思っていた。

 それがここへ来てローゼマリーとの婚約解消だもの。
 頭を抱えてしまったわ。いったいあの子は何がしたいんだろう。

 私はそっと、懐にしまってあったブローチを握りしめた。
 羽根飾りのついたそれは、から貰ったものだ。
 
 あの人――王弟アレクシス、つまり私たちの叔父様。
 

「どうしたんだい、可愛い僕の姪っ子ちゃん?」

 厳しい王女教育が辛くて、庭園の隅で泣いていた私に声を掛けてくれたのが彼だった。アレクシス叔父様はぐずぐずと要領を得ない私に付き合って、根気よく話を聞いてくれた。

「どうしてこんな辛い思いをしてまで、勉強しなきゃならないの?」
「それは仕方ないんだ。僕たち王族や貴族は、民が汗水垂らして働いて得た収入を吸い上げて生きているんだ。いわば生かしてもらってるんだよ。だから彼らのためにこの国を守り、より良くしていかなきゃならない。勉学により知識を高めることはそのために必要なんだ」
 
「……民の、ために」
「そう。エリィが頑張ってるのは皆知ってるよ。講師だって、君なら出来ると思うから厳しく接するんだろう。どうしても辛くなったら僕の所へおいで。君の好きなお菓子をいっぱい用意しておくから」
「ホント?フルーツの乗ったタルトもある?」

 目を輝かせた私に叔父様は笑って「ようやく元気になったね。タルトを作るよう、料理長にこっそり頼んでおくよ。フルーツと、クリームもたっぷり乗せようか」と頭を撫でてくれた。

 それから時折、私はアレクシス叔父様の所を訪れるようになった。
 叔父様は王宮の離れで暮らしている。離れには身の回りの世話をする年老いた侍従と使用人が数人いるだけ。
 結婚していないのは「身体が弱いから」だと叔父様は言っていた。
 その割には、いつもお父様の執務を手伝っていて忙しそうにしているのが不思議だったけれど。

「エリィ。これをあげよう」
 
 叔父様が私へ差し出したのは、羽の飾りのついたブローチだった。

「ニェリア国で手に入れたものでね。これを持つ者は災いを避けられるというお守りなんだ」
「わあっ、綺麗!ありがとう!叔父様はニェリア国へ行かれていたの?」
「元気なころは外交を引き受けていたからね。旅はいい。行ったことのない場所を訪れるのは、本当にワクワクするものだ。もし僕が自由な身だったら、もっと色々な国を回ってみたかったなあ」
 
「私も旅がしてみたい!」
「エリィなら、行ける機会があるかもしれないね」
「叔父様だって、今からでも行ったらいいじゃない」
「そういうわけにはいかないよ。僕には王族としての責務がある。私利私欲で行動できる身ではないんだ」
「それなら私が、叔父様の分も執務をやるわ!叔父様なんて要らないくらい、私がやっちゃうから。そうしたら叔父様は、好きなだけ旅に出られるでしょう?」

 それを聞いて笑った叔父様の、どこか諦めたような目を今でも覚えている。
 
 あれが初恋だったと気付いたのは、叔父様が亡くなった後だった。
 葬儀は王族とは思えないほど小規模なものだった。後から知ったことだが、元々お母様は叔父様の婚約者だったらしい。だけどお父様と恋仲になり、婚約が白紙になったんだそうだ。

 私宛てだと渡された手紙には『望むならば、大空を羽ばたく君でいて欲しい』とだけ、書かれていた。
 
 叔父様はどんな気持ちであの離れにいたのだろう。誰にも省みられないのに、ただ王宮に縛り付けられて。

 それから私は恋をしたことはない。
 熱心に口説いてくる殿方もいたけれど、ちっとも心が動かなかった。叔父様が亡くなってから、心の扉は閉じたまま。
 
 国外から縁談が来たこともあったが、私の容姿だけを望み側室にしたいという者や、小国と見て横暴な条件を付けてくる者ばかり。勿論「舐めてんじゃないわよ二度と来るな」という内容を丁寧な言葉で飾りたてて返したわ。
 
 本当は、叔父様が望んだように自由に旅をしてみたかった。
 だけどいずれは婚姻を結ばなければならない。
 女王になって王配を迎えるか、あるいは王の駒として嫁ぐか……。
 夢なんて諦めて、どんなに辛くても進むしかない。それが私の、責務だから。
 
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