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王都へ
夜の図書室
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「今夜はお一人で夕食をお願いします。」
そう従者のバトラに言われて、今日は兄上がいらっしゃられないのだと思った。仕事で屋敷と別邸を行き来すると本人も言っていたのを思い出して、正直がっかりしてしまった。
広いテーブルで独りぼっちで食事をとりながら、兄上は本当に仕事なのだろうかと余計な事を考え始めてしまっていた。もしかしたら誰かと夜一緒に過ごしているのかもしれない。
そうしても当たり前なくらい兄上はすっかり大人だ。
「…兄上は頻繁に別邸で泊まってくるの?」
僕の質問に、食事の面倒を見てくれている侍女のメアリが微笑んだ。
「お一人ではお寂しいですわね。お忙しい時期は一週間ほど屋敷を空ける事がございますけど、通常は週に1~2日程度ですわね。今夜は夕食には間に合わないだけで、お戻りになられる筈ですわ。」
そうか。帰ってくるんだ。
僕は急に元気を取り戻して、さっさと食事を終わらせた。もっとも何時に戻られるか分からないから、結局会えないかもしれないけど。そう思いつつも、誰か別の相手と泊まってくる訳じゃないとはっきりしたせいで、気分が上がったのは本当だ。
僕の独占欲は、少し兄上に優しくされたせいで馬鹿みたいに増幅してしまっている。
自分でも愚かだと思いながら、僕は湯浴みを終えるとガウンを纏ってベッドに腰掛けた。ああ、そうだ。帰ったら屋敷の図書室で何か本を物色しようと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
僕は召使い達の詰める棟の方から、侍女達の騒めきを微かに感じながらゆっくりと静まり返った廊下を進んだ。こんな夜に誰も居ない廊下を歩くと、かつてのアランとの指南の夜を思い出してしまう。
あの時も僕とアランしかあそこに居なかった。
アランとの指南以降、結局僕は誰とも肌を触れ合わせていない。指南の終わった同級生達からあからさまに誘われたこともあったけれど、あんな事は特別過ぎて、誰でも良い訳じゃなかった。
ローレンスの帰省中、嘘っぽい言い訳ばかりで避けてしまったせいで、あの日ローレンスは屋敷に立ち寄って、僕を外に連れ出して吐き捨てる様に言った。
『アンドレ、私を避けているのかい?私とはもうボードゲームはしないと言う事なんだね?』
率直に言われて、僕は誤魔化すのは無理だと思ったんだ。
『…僕、指南を受けたんだ。最後まで。でもあんなに特別な事だって知らなかった。以前の様に気楽な暇つぶしで出来る様な事じゃないんだ。だから、僕は全てを封印する事にしたんだ。…ローレンスだけじゃない。誰ともしないよ。』
僕の言葉を聞いたローレンスは、イライラした様子でしばらく周囲を歩き回ると、足を止めて僕をじっと見つめた。それは時々感じた事のある怖い眼差しだった。
『アンドレの痴態を知っている私にそれを二度とさせないのは、随分な罰だね。最後までじゃなくても封印したんだろう?年上の私に言わせれば、これからますます大人の身体になるアンドレがそれを我慢出来るとは思えないけどね。
言わなくても良いことまで言ってしまったかもしれない。アンドレに逢えるのを楽しみにしていたせいで、ムカついたんだ。済まなかった。…でも避けるばかりで何も言ってくれなかったアンドレも悪いよ。」
そう言うと、馬車に乗って帰ってしまった。それから直ぐに王都へ戻ってしまったので、そもそもあまり時間もなかったんだろう。だから僕らは仲直りもしないままだった。僕も逃げるばかりで卑怯だったと思い始めてたけれど、今更言い訳する事も出来なかった。
だから王都の屋敷に届いていたローレンスからの手紙が、僕のために骨を折ってくれた事が分かる内容だったせいで、僕は彼とあの時の事をお互いに水に流して友人に戻れたんだ。…言質を取った訳じゃないけど。
図書室の前まで来て、僕は手元のランプを頼りに扉を開けた。真っ暗だと思っていた見通しの良い部屋はぼんやりと灯りがついていた。そしてそこのソファでシモン兄上がソファに座ってお酒を飲んでいた。
驚きを隠せない表情をしたシモン兄上が、苦笑して僕を手招きした。
「ああ、驚いた。そうか、アンドレも住んでるのだからこう言う事もあるのか。」
僕はシモン兄上の邪魔をしてしまったと申し訳なく思ったけれど、兄上はランプの灯りを強くして部屋を明るくしてくれた。急いで適当な本を二冊選ぶと、僕は部屋を出て行こうとした。
「少し話さないか。」
そう兄上に誘われて、僕は兄上の隣に座った。窓際に造り付けになった大きなソファは座り心地が良くて、僕の身体は沈み込んだ。兄上は僕の選んだ本を検分すると良い本だと言ってからグラスを傾けた。
「…ここで飲むのが好きなんだ。アンドレ、学校はどうだった?誰か友人は出来たか?」
白いブラウスのボウタイを解いて、しどけなくソファに寄りかかっている兄上はどう見ても大人の男だった。僕は急に落ち着かなくなって口籠もりながら、ローレンスを介してジェラルドと知り合ったと報告した。
「ジェラルドか。ジャンバリ侯爵家の後継だったか?悪い噂は聞かないが…。アンドレは相変わらずローレンスと仲が良いのだな。辺境に居た頃、ローレンスがしょっちゅう屋敷に遊びに来ていた様だが…。
一体二人で何をしていたんだ?」
学校の話をしていただけなのに、なぜか以前のローレンスとの秘密の時間を聞かれている気がして、僕は心臓がドキドキしてきた。ああ、何て答えるのが正解なんだろう。
聡い兄上がローレンスとのあの事を知らない筈がない気もして、僕は身動きひとつ出来ずに兄上の赤らんだ目元を見つめることしか出来なかった。
そう従者のバトラに言われて、今日は兄上がいらっしゃられないのだと思った。仕事で屋敷と別邸を行き来すると本人も言っていたのを思い出して、正直がっかりしてしまった。
広いテーブルで独りぼっちで食事をとりながら、兄上は本当に仕事なのだろうかと余計な事を考え始めてしまっていた。もしかしたら誰かと夜一緒に過ごしているのかもしれない。
そうしても当たり前なくらい兄上はすっかり大人だ。
「…兄上は頻繁に別邸で泊まってくるの?」
僕の質問に、食事の面倒を見てくれている侍女のメアリが微笑んだ。
「お一人ではお寂しいですわね。お忙しい時期は一週間ほど屋敷を空ける事がございますけど、通常は週に1~2日程度ですわね。今夜は夕食には間に合わないだけで、お戻りになられる筈ですわ。」
そうか。帰ってくるんだ。
僕は急に元気を取り戻して、さっさと食事を終わらせた。もっとも何時に戻られるか分からないから、結局会えないかもしれないけど。そう思いつつも、誰か別の相手と泊まってくる訳じゃないとはっきりしたせいで、気分が上がったのは本当だ。
僕の独占欲は、少し兄上に優しくされたせいで馬鹿みたいに増幅してしまっている。
自分でも愚かだと思いながら、僕は湯浴みを終えるとガウンを纏ってベッドに腰掛けた。ああ、そうだ。帰ったら屋敷の図書室で何か本を物色しようと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
僕は召使い達の詰める棟の方から、侍女達の騒めきを微かに感じながらゆっくりと静まり返った廊下を進んだ。こんな夜に誰も居ない廊下を歩くと、かつてのアランとの指南の夜を思い出してしまう。
あの時も僕とアランしかあそこに居なかった。
アランとの指南以降、結局僕は誰とも肌を触れ合わせていない。指南の終わった同級生達からあからさまに誘われたこともあったけれど、あんな事は特別過ぎて、誰でも良い訳じゃなかった。
ローレンスの帰省中、嘘っぽい言い訳ばかりで避けてしまったせいで、あの日ローレンスは屋敷に立ち寄って、僕を外に連れ出して吐き捨てる様に言った。
『アンドレ、私を避けているのかい?私とはもうボードゲームはしないと言う事なんだね?』
率直に言われて、僕は誤魔化すのは無理だと思ったんだ。
『…僕、指南を受けたんだ。最後まで。でもあんなに特別な事だって知らなかった。以前の様に気楽な暇つぶしで出来る様な事じゃないんだ。だから、僕は全てを封印する事にしたんだ。…ローレンスだけじゃない。誰ともしないよ。』
僕の言葉を聞いたローレンスは、イライラした様子でしばらく周囲を歩き回ると、足を止めて僕をじっと見つめた。それは時々感じた事のある怖い眼差しだった。
『アンドレの痴態を知っている私にそれを二度とさせないのは、随分な罰だね。最後までじゃなくても封印したんだろう?年上の私に言わせれば、これからますます大人の身体になるアンドレがそれを我慢出来るとは思えないけどね。
言わなくても良いことまで言ってしまったかもしれない。アンドレに逢えるのを楽しみにしていたせいで、ムカついたんだ。済まなかった。…でも避けるばかりで何も言ってくれなかったアンドレも悪いよ。」
そう言うと、馬車に乗って帰ってしまった。それから直ぐに王都へ戻ってしまったので、そもそもあまり時間もなかったんだろう。だから僕らは仲直りもしないままだった。僕も逃げるばかりで卑怯だったと思い始めてたけれど、今更言い訳する事も出来なかった。
だから王都の屋敷に届いていたローレンスからの手紙が、僕のために骨を折ってくれた事が分かる内容だったせいで、僕は彼とあの時の事をお互いに水に流して友人に戻れたんだ。…言質を取った訳じゃないけど。
図書室の前まで来て、僕は手元のランプを頼りに扉を開けた。真っ暗だと思っていた見通しの良い部屋はぼんやりと灯りがついていた。そしてそこのソファでシモン兄上がソファに座ってお酒を飲んでいた。
驚きを隠せない表情をしたシモン兄上が、苦笑して僕を手招きした。
「ああ、驚いた。そうか、アンドレも住んでるのだからこう言う事もあるのか。」
僕はシモン兄上の邪魔をしてしまったと申し訳なく思ったけれど、兄上はランプの灯りを強くして部屋を明るくしてくれた。急いで適当な本を二冊選ぶと、僕は部屋を出て行こうとした。
「少し話さないか。」
そう兄上に誘われて、僕は兄上の隣に座った。窓際に造り付けになった大きなソファは座り心地が良くて、僕の身体は沈み込んだ。兄上は僕の選んだ本を検分すると良い本だと言ってからグラスを傾けた。
「…ここで飲むのが好きなんだ。アンドレ、学校はどうだった?誰か友人は出来たか?」
白いブラウスのボウタイを解いて、しどけなくソファに寄りかかっている兄上はどう見ても大人の男だった。僕は急に落ち着かなくなって口籠もりながら、ローレンスを介してジェラルドと知り合ったと報告した。
「ジェラルドか。ジャンバリ侯爵家の後継だったか?悪い噂は聞かないが…。アンドレは相変わらずローレンスと仲が良いのだな。辺境に居た頃、ローレンスがしょっちゅう屋敷に遊びに来ていた様だが…。
一体二人で何をしていたんだ?」
学校の話をしていただけなのに、なぜか以前のローレンスとの秘密の時間を聞かれている気がして、僕は心臓がドキドキしてきた。ああ、何て答えるのが正解なんだろう。
聡い兄上がローレンスとのあの事を知らない筈がない気もして、僕は身動きひとつ出来ずに兄上の赤らんだ目元を見つめることしか出来なかった。
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