不可思議カフェ百鬼夜行は満員御礼

一花カナウ

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夜桜・不可思議カフェ百鬼夜行の業務“外”日誌

夜桜三昧

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 店長のセーフハウスでサバサンドと白ワインをいただいて、俺はバルコニーで風に当たっていた。
 少し飲みすぎたな……。
 カフェ百鬼夜行が早い時間から営業しているため、就職してから飲酒を控えていたのを思い出す。しばらく飲んでいない間に弱くなったのかもしれない。

「飲ませすぎてしまったかね?」

 食事の片付けを終えたらしい店長が俺の隣に立った。彼の癖の強い黒髪が風でなびく。流れる水の中に墨を落としたみたいに髪が揺れた。
 ああ、よくねえな。

「辛口の好みのワインだったからな。もう少し考えて飲むべきだった」
「そう」

 魅入られてしまいそうだ。
 俺は黙って夜桜に視線を移す。二十一時を過ぎているからか、宴を解散して撤収が始まっている。大きな袋を持った人間が公園を出て行くのが見えた。

「獅子野くんはもう少し僕を警戒するべきじゃないのかね?」
「なにをいまさら」

 胸のうちを読まれてしまったような気まずさがある。俺は鼻で笑ってごまかした。

「俺の恩人ではあるから信用しているし、悪くはしねえだろ」
「信用、ね」

 店長はそう呟いて、バルコニーの柵に背中を預ける。静かだ。

「なんだよ」

 俺が尋ねると、彼の鋭い視線を感じた。

「獅子野くんは最近よく眠れているのかな?」
「普通に眠れていると思うが。夜明け前に起きることになってるのも、別に負担とは思っちゃいねえよ」
「でも君は、昼休憩中によく仮眠をとるよね。それは昔からかい?」
「ん……いや。眠ってはいなかったな」

 冬だったり春だったりは眠いものだと認識していたから、特に不調であるという感覚はなかった。
 俺が首を傾げていると、店長は苦笑する。

「それはおそらく、僕の邪気にあてられているからだ」
「あ……」

 俺は言葉を詰まらせた。
 店長からカフェの仕事をしないかと誘われたときに説明があったはずだ。普通の人間が店長のそばに長くいると正気を失ってしまうのだ、と。だから怪異である俺のような存在が仕事を手伝ってくれると助かるのだとかなんだとか。

「ん? となると、勤務時間外に一緒にいるのはよくないんじゃね?」
「確かに」
「じゃあ、そろそろお暇するか」

 遠回しに帰れと言われたのだろうと判断した。酔いすぎていないかと尋ねられたのも、帰宅を促すために違いない。
 俺が部屋に戻ろうとすると、店長に腕を掴まれた。ぎゅっと、強く。

「獅子野くん」
「なんだ? 怪異でも湧いたか?」

 店長は首をゆるりと横に振った。

「なんだよ……そんな顔をして」

 今にも泣きだしそうに見えたのはどうしてなのだろう。
 俺はわざとらしく笑う。

「今夜は一緒にいてくれないだろうか」
「何か起きるのか?」

 店長にどんな能力があるのかすべては把握していないが、除霊や退魔以外にもいろいろできることは察している。予知ができても別に驚かないし、彼の洞察力ならば異変を察知することもできよう。
 俺の問いに、店長は切なげに笑った。

「君にそばにいてほしいんだ」
「急だな……」

 どうにも言葉どおりには受け止められない。

「じゃあ、俺を引きとめておきたくて、サバサンドを作ったのか?」

 鯖は好物だ。店長の作るサバサンドはかなりの美味である。
 俺がおどけて告げれば、店長はやわらかく笑った。まだ腕は掴まれたままだ。

「そういうことで構わないよ」
「店長の邪気にあてられた影響が俺に出ているなら、帰ったほうがいいと思うんだが」
「その影響の範囲を確かめたい。一晩くらいで君が自我を失うことはないだろうし……いや、深い関係に伴う行為をすれば、無事ではいられないが」
「取って食わない約束だろ」

 そこ、真顔で考え込むなよ。
 俺が苦笑いをすると、店長は話がそれたことに思い至ったようだ。軽く頭を振って俺を見つめた。

「とにかく、今夜は泊まってくれないだろうか」
「あんまり必死に引きとめねえでほしいんだが――」

 絶対に嫌だと思っているわけではない。風呂や着替えはどうするかと考えて、面倒だから家に帰ったほうが都合がいいと合理的な判断をしただけだ。
 俺は店長の様子を観察する。掴まれたままの腕から彼の気配に俺自身の気配を忍ばせて、異変を探る。
 なんか変なんだよな……。間違いなくこの店長は俺が知っている百目鬼店長で、偽物ではないんだが。夕方あたりからいつもと様子が違うな、って……いや、変だったのは俺のほうか。モーニングの時間帯はすっげえ眠くてきつかったのに、昼休憩では寝られなかったし。
 そこまで今日の出来事を遡って、俺はあることに思い至った。

「――なあ、店長」
「なんだい、獅子野くん」

 目が合う。まる眼鏡の向こうの瞳がかすかに揺れている。

「あまり無理をしてくれるな。俺にできることでしてほしいことがあるなら、ちゃんと言ってくれよ」
「…………」

 口がぱくぱくと動いたが、声はなかった。

「玄関、札が貼ってあったんだろう? 結界を作るためのやつ。今夜は何かから身を守る必要があるんじゃねえのか?」
「獅子野くん……」
「あまり力になれねえかも知れねえけど、そばにいるだけじゃないことをさせてくれよ」

 必要だというなら、ちゃんと頼ってほしい。
 俺が告げると、店長の口元が好奇心を含んだ笑みに変わった。

「ふふ。僕の目に間違いはなかったようだね。でも、本当にそばにいてほしいだけなんだ。あと、ここからの景色を君に見せたかった」
「……そうかよ」

 こりゃあ口は割らねえな、と俺は諦めた。
 俺の腕からようやく手を放して、店長が空を見上げる。霞んだまるい月が浮かんでいる。朧月夜。

「花見の予定を聞かれたとき、ここを思い出したんだ。カフェ百鬼夜行から一番近いセーフハウス。フェアリーリングの経営者が使っていた場所で、彼から託されていてね。邪魔されずに花見をするならここはいい場所だと案内された」
「へえ」

 フェアリーリングとはバーである。カフェ百鬼夜行が閉まった後に、夜だけあの場所で開いていたという酒場の名だ。今は経営者が実家に戻っているためにフェアリーリングは閉店し、店舗は昼間だけカフェ百鬼夜行として使っている。

「――今宵は満月だ。空気の入れ替えついでに花見を、と思いついてしまった」
「別に店長に問題がねえなら、構わねえよ」

 今日の店長は饒舌だ。

「ってか、店長も酒に酔ってんじゃ……。匂いだけでもアウトなんだろ?」
「どうかな。そんなに酒くささは感じなかったが」

 彼は俺を見てふにゃりと笑う。見たことのない表情だ。

「どちらかというと、獅子野くんに酔わされているかのような気分だ」
「あー……」

 店長の言葉に、俺はひとつ思い当たることがあった。申し訳なさが胸の中に広がっていく。

「どうしたのかな」
「いや、多分それ、俺の影響なのは、そう、だから」

 どう説明したものか。
 俺が歯切れ悪く言葉にすると、店長の顔がずいっと近づいた。彼のまる眼鏡に顔を赤くした俺の顔が映っている。

「説明がほしいね」
「時季的に、その、は、発情期、みたいなやつなんだよ」

 身近なところに魅力を感じる相手がいなかったこともあってすっかり忘れていた。
 俺には発情期に準じた周期がある。俺の拠所(よりどころ)になっている存在に発情期が存在するため、その本能のようなものが俺自身にも否応なく表出するのだ。自分自身への影響は抑えられるが、周囲への影響のコントロールはあまり得意ではない。
 まさか、怪異として格上の店長が俺にあてられるとは思わねえだろ。
 だが、不自然な店長の言動はこれで説明できる。口説いてきたのも、妙に色気を感じてしまうことも、俺の発情期の影響に違いない。
 店長が軽く握った拳を口元に寄せてニヤリと笑った。

「ふむ……それは興味深い事象だ」
「だとしたら、俺は帰るべきだ。わりいが、これでお暇する」

 身の危険を感じて足を踏み切ったのに、店長に先回りされてバルコニーから脱出できなかった。
 本気出すなよ!

「獅子野くん」
「申し訳ねえけど、お互いのためだ。考え直せ、店長」

 部屋に戻れないならベランダから飛び降りようか。この高さなら着地できるが、落下しているのを見られると厄介である。
 説得をしながら後方に跳躍しようと試みたが、その前に店長に抱きすくめられてしまった。

「ちょっ、おいっ」

 こういうとき、自身が小柄であることを恨みたくなる。力で押さえ込まれているわけではないのに、身動きが取れない。
 耳元に店長の唇が近づいた。

「そう暴れないでくれ。僕は正気だよ」
「それはそれで問題があるんだよ。わかれ」

 どうにか脱出できないものか。俺はもがいて試行錯誤するものの、まったく歯が立たない。大抵の相手からは逃げきれたのに、店長相手だとどうも鈍るのだ。

「逃げ帰らなくていい。その状態で外を歩いたら、よからぬものを寄せつけてしまう。僕のほうが幾分かマシじゃないかね?」
「…………」

 ワインを飲んだのが間違いだったな。
 ざわざわする気配を鎮めることができない。これはなんなのだろう。
 俺は次第に暴れるのをやめた。

「――なあ」
「うん?」
「なんであんたは俺に優しくするんだ? 俺に世話を焼いても、なんもならんだろ」

 むずむずする。仕事で必要なこと以上の身の上話をしてしまうのは何故なのだろう。

「僕は君に興味を持っているからね。それだけさ」
「……怪異だから?」
「君がまだ若いから、かな」

 拗ねた言い方をしてしまったことを悔やむ。そういうところが青いのだろう。まだまだ俺は、店長には勝てそうにない。

「んだよ。仔猫を拾って育てている感じか」
「そういうことにしておいてくれ」

 その言い回しだと、裏に何かあるのかもしれない。
 胸中を探る言葉が出てこないのは、酔っているせいだろうか。眠くなってきて、俺はあくびをひとつする。

「そろそろ休むとしよう。着替えは用意してある」
「なんで――」

 言いかけて、俺は店長の真意を察した。
 すべて俺のためなのだ。自身の力をコントロールできない、未熟な俺のため。
 見上げた俺の目と、様子をうかがう彼の目とが合った。見つめ合う。

「どうかしたかい?」
「言葉に甘えておく」

 視線をはずすと俺はボサボサの頭を乱暴に掻いて、店長が招く部屋の中に入るのだった。

《終わり》
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