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#90 会談、二 〈神子様の唯一の望み〉
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「神子よ…」
威厳のある重い声が真っ直ぐに神子様に呼びかけた。
「愚弟を始め、前政権があなたを蔑ろにしてきたことは、心から謝罪する。…だが、生まれ変わった政権では、心からあなたに感謝し、この先些かの不自由もさせないことを誓おう。あなたを傷つけ失望させた者達の罪滅ぼしをさせて欲しいのだ。…どうか、戻って来て欲しい」
コモ王国国王バスティアン陛下は、神子様を見つめながら穏やかに懇願した。
神子様は見つめ返すのみで何も答えない。言葉を探しているようにも見える。
バスティアン陛下はもう一度言い募る。
「もう一度、やり直すチャンスを我々に与えて欲しい」
確かに神子様は、真摯な懇願に弱い。
宰相補佐やカイル・エムゾード卿のような、強気の恫喝などよりは上手いやり方なのかも知れない。
長い沈黙。あからさまに宰相補佐とエムゾード卿が苛立ってきている。
「今度こそ、あなたの望みを可能な限り実現して、しあわせに過ごしてもらえるように全力を尽くすと約束しよう」
「いえ、お構いなく。この世界でのしあわせは既に手に入れておりますので」
コモ王国の新国王に、やっと与えられた神子様の言葉はそれだった。嫣然と微笑みながら。
あちら陣営の息が一斉に止まった。
意識を取り戻すように一度深呼吸して、宰相補佐が俺に目線を向けた。
「その男が…マクミラン・デスタスガス元騎士が…お気に入りでしたら、お連れになっても構いません」
俺を見つめるその目は、到底受け入れ難しと告げている。
コバス・ベンヤミンは、書簡を届けるだけで無く、言われたとおり、見聞きしたことを具に報告したようだ。
「確かそちらでは、彼を大罪人と断じていたようですが…」
神子様がカイル・エムゾードをチラ見して、不思議そうに言う。エムゾード卿の唇が歪む。
「神子が戻るならば、何よりの慶事だ。恩赦という形にすれば問題ない」
「つまり、陛下にとっても彼は大罪人という認識なのですね。エムゾード卿は陛下のご判断を代弁しただけですか」
バスティアン陛下とエムゾード卿が同時にハッとした。
神子様はわざとらしく小首を傾げてアーノルド様を見た。
アーノルド様は胸に手を当て、頷くように頭を下げて敬意を表した。
「どうぞ、神子様のなさりたいように。我が国をお選び頂ければこの上ない誉れですが、もしコモ王国をお望みならば、心を込めてお見送り致します」
コモ王国側の面々が、何かを堪えるような顔をした。
神子様は顎に指を添えて暫し考えた後に、両陛下に視線を廻らせた。
「…では、両国の国王陛下に同じ質問をしましょう。…今の私の、一番の望みとはなんだと思いますか?…実現出来る出来ないは…まあ、置いておいて」
その直後に俺を見て、なぜか、大丈夫だよとでも言うように微笑みながら頷いた。
神子様は最初にバスティアン陛下に、目線で返答を促した。
それは…と、少し間をおいてから応える。
「そこのマクミラン・デスタスガス元騎士と、これからも共に暮らして行くこと…できれば伴侶となり、不自由なく暮らしたいということだろうか」
黙って微笑んだあと、神子様は目線をアーノルド様に向けた。
「おそらく、ですが…。元の世界に戻りたいと言う事では無いかと。但し、一旦」
驚愕に目を見開いたのは、コモ王国の面々だけでは無かった。
おそらく、その場で最も固まったのは俺自身だ。
予め打ち合わせしてあったけれど、やはり直に言葉で聞くとキツい。
その瞬間、椅子の腕を握っている俺の手に、神子様の手が重ねられ、力が入った。
色々な感情に押しつぶされそうになりながらも、やっとの思いで神子様を見ると、心配そうに微笑みながら、緩やかに首を振り酷く小さな声で「最後まで聞いて」と囁いた。
「…あくまで“一旦”。またこちらに帰る事も含めてがご希望だと思うのですが、いかがでしょうか」
心臓が変にバクバクして、少し呼吸が荒くなる。でも、妙に鮮明にその言葉を耳が拾った。
重ねられた神子様の掌が、軽く俺の手の甲を叩いてから離れた。
「実は私は欲張りなので。注文は細かいのです」
神子様は徐に立ち上がる。何かを決意している横顔だった。
「そう。ただ、元の世界に戻るので無く、“一旦”。つまり再びこちらに帰る事を望みます。それは先ほどバスティアン陛下が仰った通り、彼、マクミランと未来を共にしていきたいから。ですが、それ以前に、どうしても元の世界に心残りがあって、それだけが今も私を苛んで仕方が無いのです」
穏やかな声音に気持ちが少し落ち着いてきて、周りを見る。
グレイモスの顔色がいやに悪い。
辛そうな顔をしていた。小刻みに震えて居るようにすら見える。
「元の世界には一度、戻りたい。
けれど、いつでも良いわけじゃ無い。私がこの世界に召喚されたまさしくその瞬間に戻りたい。その時間、その場所にです」
「は?…そ、そんな事…」
宰相補佐が言いかけたのを神子様が遮る。
「勿論、できっこありません。分かっています。
だから私は先ほど『実現出来る出来ないは、置いておいて』と言ったのです」
微かな苦笑がこぼれた。
「私はあの時、そう、この世界に転移する直前、とても急いでいました。
元の世界で、私はあの時、本当に大切な責務を負って目的地に向かっていたのですよ。
元の世界で私は、医療機器を製造する会社…こちらで言えば、医療に使う精巧な魔道具を開発製造する工房…に務めている一員でした。私の与えられている職務は、皆が心血を注いで何年もかけて創り上げたその機械を、役人に説明し認可を貰ったり、販売するためのルートを確保し、契約を成立させる役目でした。
私も仲間達もそれを実用化させる事が、それはもう、長年の悲願だったのです。
その悲願がやっと達成出来る、その最終仕上げを任された私は、やっと…やっと、仲間達が心血を注いで創り上げたプロジェクトを完遂させる為に、強い使命感を持って取引現場に向かっていました。
…なのに、まさしくその途上でこの世界に強引に召喚され、目的を果たせなかった。
いえ、それどころか、全てを台無しにしてしまった…」
咳払いさえ憚られるほど、その場がしんと静まりかえった。
威厳のある重い声が真っ直ぐに神子様に呼びかけた。
「愚弟を始め、前政権があなたを蔑ろにしてきたことは、心から謝罪する。…だが、生まれ変わった政権では、心からあなたに感謝し、この先些かの不自由もさせないことを誓おう。あなたを傷つけ失望させた者達の罪滅ぼしをさせて欲しいのだ。…どうか、戻って来て欲しい」
コモ王国国王バスティアン陛下は、神子様を見つめながら穏やかに懇願した。
神子様は見つめ返すのみで何も答えない。言葉を探しているようにも見える。
バスティアン陛下はもう一度言い募る。
「もう一度、やり直すチャンスを我々に与えて欲しい」
確かに神子様は、真摯な懇願に弱い。
宰相補佐やカイル・エムゾード卿のような、強気の恫喝などよりは上手いやり方なのかも知れない。
長い沈黙。あからさまに宰相補佐とエムゾード卿が苛立ってきている。
「今度こそ、あなたの望みを可能な限り実現して、しあわせに過ごしてもらえるように全力を尽くすと約束しよう」
「いえ、お構いなく。この世界でのしあわせは既に手に入れておりますので」
コモ王国の新国王に、やっと与えられた神子様の言葉はそれだった。嫣然と微笑みながら。
あちら陣営の息が一斉に止まった。
意識を取り戻すように一度深呼吸して、宰相補佐が俺に目線を向けた。
「その男が…マクミラン・デスタスガス元騎士が…お気に入りでしたら、お連れになっても構いません」
俺を見つめるその目は、到底受け入れ難しと告げている。
コバス・ベンヤミンは、書簡を届けるだけで無く、言われたとおり、見聞きしたことを具に報告したようだ。
「確かそちらでは、彼を大罪人と断じていたようですが…」
神子様がカイル・エムゾードをチラ見して、不思議そうに言う。エムゾード卿の唇が歪む。
「神子が戻るならば、何よりの慶事だ。恩赦という形にすれば問題ない」
「つまり、陛下にとっても彼は大罪人という認識なのですね。エムゾード卿は陛下のご判断を代弁しただけですか」
バスティアン陛下とエムゾード卿が同時にハッとした。
神子様はわざとらしく小首を傾げてアーノルド様を見た。
アーノルド様は胸に手を当て、頷くように頭を下げて敬意を表した。
「どうぞ、神子様のなさりたいように。我が国をお選び頂ければこの上ない誉れですが、もしコモ王国をお望みならば、心を込めてお見送り致します」
コモ王国側の面々が、何かを堪えるような顔をした。
神子様は顎に指を添えて暫し考えた後に、両陛下に視線を廻らせた。
「…では、両国の国王陛下に同じ質問をしましょう。…今の私の、一番の望みとはなんだと思いますか?…実現出来る出来ないは…まあ、置いておいて」
その直後に俺を見て、なぜか、大丈夫だよとでも言うように微笑みながら頷いた。
神子様は最初にバスティアン陛下に、目線で返答を促した。
それは…と、少し間をおいてから応える。
「そこのマクミラン・デスタスガス元騎士と、これからも共に暮らして行くこと…できれば伴侶となり、不自由なく暮らしたいということだろうか」
黙って微笑んだあと、神子様は目線をアーノルド様に向けた。
「おそらく、ですが…。元の世界に戻りたいと言う事では無いかと。但し、一旦」
驚愕に目を見開いたのは、コモ王国の面々だけでは無かった。
おそらく、その場で最も固まったのは俺自身だ。
予め打ち合わせしてあったけれど、やはり直に言葉で聞くとキツい。
その瞬間、椅子の腕を握っている俺の手に、神子様の手が重ねられ、力が入った。
色々な感情に押しつぶされそうになりながらも、やっとの思いで神子様を見ると、心配そうに微笑みながら、緩やかに首を振り酷く小さな声で「最後まで聞いて」と囁いた。
「…あくまで“一旦”。またこちらに帰る事も含めてがご希望だと思うのですが、いかがでしょうか」
心臓が変にバクバクして、少し呼吸が荒くなる。でも、妙に鮮明にその言葉を耳が拾った。
重ねられた神子様の掌が、軽く俺の手の甲を叩いてから離れた。
「実は私は欲張りなので。注文は細かいのです」
神子様は徐に立ち上がる。何かを決意している横顔だった。
「そう。ただ、元の世界に戻るので無く、“一旦”。つまり再びこちらに帰る事を望みます。それは先ほどバスティアン陛下が仰った通り、彼、マクミランと未来を共にしていきたいから。ですが、それ以前に、どうしても元の世界に心残りがあって、それだけが今も私を苛んで仕方が無いのです」
穏やかな声音に気持ちが少し落ち着いてきて、周りを見る。
グレイモスの顔色がいやに悪い。
辛そうな顔をしていた。小刻みに震えて居るようにすら見える。
「元の世界には一度、戻りたい。
けれど、いつでも良いわけじゃ無い。私がこの世界に召喚されたまさしくその瞬間に戻りたい。その時間、その場所にです」
「は?…そ、そんな事…」
宰相補佐が言いかけたのを神子様が遮る。
「勿論、できっこありません。分かっています。
だから私は先ほど『実現出来る出来ないは、置いておいて』と言ったのです」
微かな苦笑がこぼれた。
「私はあの時、そう、この世界に転移する直前、とても急いでいました。
元の世界で、私はあの時、本当に大切な責務を負って目的地に向かっていたのですよ。
元の世界で私は、医療機器を製造する会社…こちらで言えば、医療に使う精巧な魔道具を開発製造する工房…に務めている一員でした。私の与えられている職務は、皆が心血を注いで何年もかけて創り上げたその機械を、役人に説明し認可を貰ったり、販売するためのルートを確保し、契約を成立させる役目でした。
私も仲間達もそれを実用化させる事が、それはもう、長年の悲願だったのです。
その悲願がやっと達成出来る、その最終仕上げを任された私は、やっと…やっと、仲間達が心血を注いで創り上げたプロジェクトを完遂させる為に、強い使命感を持って取引現場に向かっていました。
…なのに、まさしくその途上でこの世界に強引に召喚され、目的を果たせなかった。
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