公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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生きているこの世界で

現実逃避

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 ーーーどうして。

そう問い続ける日々に、彼女は疲れ果てていた。
涙はとうに枯れ果てて、生きる意味すら見失って、それでも生きている。 ただ、何となく生きているだけだった。
生きて、狭くて悪趣味に華美な部屋のベッドの上で犯されていた。 
今宵の相手は知らぬ男。 昨夜の相手も知らぬ男。 それより前も、ずっと同じ。
そして事を終えて、相手の男が疲れて寝入ってから、彼女は身体を起こして床へと這い蹲る。 身体が痛くてヌメヌメして気持ちが悪いけれど、それでも構わずベッドの足に傷を1つ付けた。
習慣を終えて、彼女は部屋の窓 ーー逃亡防止のための嵌め殺しの窓から夜天を仰ぎ見る。
今宵は、彼女にとっての最後の日だった。
彼女は明日、ようやくこの狭くて悪趣味な部屋から解放される。
しかし彼女の表情に喜びの色は浮かばない。 ただ彼女にあるのは虚しさだけだった。 ベッドの足に刻んだ傷が、彼女の心情の表れだった。

彼女は犯される度、知らぬ誰かに買われて夜を重ねる度に、奴隷娼館で貸し出された一室のベッドの足に『一』の字を刻んでいた。
日々増えていく『一』の字を、買われ、犯され、汚される度に、夜な夜なそこに刻み続けた。
始めた当初は小さな傷が1つ付いただけだったのが、夜を重ねては両手の指の数を越え、朝を迎えては身体の指の数だけでは足らなくなり、彼女が部屋を去る前夜となった今ではいくつ刻まれたか数えられないほどにベッドの足はズタズタに傷付けられていた。
それでも、彼女だけにはそこにどれだけの傷が刻まれているのかが分かっていた。

241。

忌まわしい数字だ。 けれど、忘れるわけにはいかない数字だった。
3年間、彼女は自らを買うために奴隷娼館で働いた。 
始めに売りに出された奴隷商館で買われ売られを繰り返し、最後に流れ着いた先は見知らぬ誰かに金で身体を売る奴隷娼館。 
娼婦として働き、夜毎に客をとっては犯されて、給金の殆どを自らを買うために貯め続けた。
彼女は、かつて社交界の花と呼ばれたほどに見目麗しく、故に付けられた値は高かった。 
客の中には彼女に惹かれて、身体を求めるほどの金が無くとも茶の湯だけでもと持ち金を投げ出した者もいた。
そんな者が一定数いたからこそ、高値であった彼女が自らを僅か3年で買えるほどの金が貯まったというのもある。 犯された数が3年で241回と、他の娼婦と比べて少ない部類にあるというのにそれだけ稼げたというのは異例だった。
しかし、彼女にとってそんな事実はどうでも良く、最後の給料を受け取って、それからすぐに自らを買って、娼館を去った。 
奴隷の身から、ようやく普通の尊厳ある人間として自由の身となれたのだ。
娼館で許された偶の外出の際に色々と動いていた彼女はこれから住む場所を確保しているし、次に働く先も小さな食堂のウェイトレスと決まっている。 娼館で稼いだお金も少しは手元に残っていて、暫く生活に困ることもない。
さすがに、娼館から遠くの土地へ行ってそこで家を買うなんてできなかったから居を王都に構えたけれど、またお金が貯まったら、どこか遠い田舎町にでも移り住もうと考えている。
彼女にはもう縋り付けるものも無く、そして孤独にも慣れていた。 だから何処かで独りで生きて、何処かでひっそりと独りで死ぬ。 
彼女にとって、意味も価値も無い自らの人生など、死ぬまでの余暇でしかなかった。
なればこそ、余暇を何処で過ごして何処を終の住処とするかこそが重要だった。
幸いにして、彼女は既に罪人に非ず。 国よりその身の消息不明から死亡しているものとして扱われ、かつて公爵令嬢だった彼女はもうこの世にいない者となっていた。 だから、彼女が何処に行こうとも、住もうとも、誰も気に留めはしない。 だって彼女は死んだ人間なのだから。
それでも、今住んでいる王都だけは駄目だった。 
彼女の元の家も、かつて愛した者の家も、かつての彼女を知る者達が多く居る王都に根付くわけにはいかない。 
自らが惨めだとか憐れだとか、そういう事ではない。 かつての彼女を知る者達に、この身の存在を思い出してほしくなかったからだ。
彼女はもう死んだ人間。 亡霊の姿など、今さら誰も見たくなんてないだろう。
幸い、彼女が働く食堂は平民街の奥まった場所にある。 貴族街から遠いそこに、貴族であるかつての知人が訪れる事などありはしないだろう。

彼女は真面目に働いた。
その麗しい見目から男性客に口説かれる事もあった。 けれど、かつての公爵令嬢だった時の技術でやんわりと躱し続け、男気も無く、友も作らず、毎日毎日働き続けた。 早くお金を貯めてもっと遠くの土地へ行きたかったのだ。
働いて働いて働いて………やがて店主から休暇を言い渡された。 
倒れられても困るし何より心配だからと、2日の休みを与えられた。
もっとお金を稼ぎたい彼女は不服に思ったけれど、話を聞いてもらえそうにないので諦めて休む事にした。
2日の休みの1日は終日寝て過ごし、2日目には久し振りに買い物に行く事にした。 生活用品が不足していたため、その補充が目的だった。
買い物をしに来ただけの彼女からしたら鬱陶しい事だが、見目麗しい彼女は、平民街を歩いているだけでもやたらと声をかけられる。 今日もそうだった。 主に軽薄そうな男が口説きにかかるというのが常なのだが、状況は同じでも、中身が大きく違った。
声を掛けられ、無視をしていると肩を掴まれて、身を反転させられると、正面には騎士が立っている。 気安く女性の身体に触れるなどと彼女は不快さに眉根を寄せたが、向かい合った顔を見て表情筋が凍り付いた。
その騎士は知った顔の人物で、かつて学園での同窓生であった青年だった。
彼は騎士団長の子息であり、特別な接点などありはしなかった。 お互いにすれ違えば会釈する程度の薄っぺらい関係性で、今となってはそれすらあり得ない、無関係の人物。
青年が声を掛けてきたとすれば、それは罪人である彼女を見つけたからか。 かつて罪を償う事なく姿を消し、死亡したものとして罪自体からすら逃れた彼女への義憤か。
何にせよ、公爵令嬢だった頃の人間関係に触れたくない彼女は青年による身分の追求を惚けきって回避し、何事も無く逃げのびた。
3年間ずっと知らない顔ばかりの中で生きてきて、久し振りの見知った顔の存在は彼女にとって脅威でしかない。 だから一刻も早くお金を貯めて王都から逃げなければと、彼女は帰路を走る中で考える ーーー走り去るその背を、青年が惜しむように見送っているとも気付かぬままに。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 久し振りのまともな休暇に選んだ一冊は、初めて教会を利用した際に読んだあの過激な小説の続編で、上・中・下巻とある内の中巻だった。
感想としては、やはり過激な描写が多くて気分が悪くなるシーンがいくつかあったのだけれど、それ以上に主人公に深く共感できる点が多々あった。 何となく応援したくなると同時に、私のこれまでを重ねてしまって、まるで私と主人公の彼女とで傷の舐め合いをしているような心地だった。
誰にも理解されない苦しみを抱える者同士。例え現実と紙面の隔たりがあろうと、似通った境遇を生きてきた同志を、私は応援したい。 つまり今ここに、この主人公が推しに決定した。

「あらラナちゃん、本は読み終えたの?」

小説を読み終えて、凝り固まった身体が反射的に伸びをすると同時にすぐ隣から声が掛かる。 
その優しい声音には聞き覚えがある。 久し振りの、親しい老婦人の声だ。

「ケリーさん! こんにちわ。 いらっしゃったなら声を掛けてくださればよかったのに」

「いえねぇ、ラナちゃんっていつも1人の時は本を読んでいるから、邪魔をしては悪いかとねぇ。 それに最近はここにもあまり来なかったから」

「あはは、そう言えばそうでした…。 最近は家の事情で忙しくて、あまり来る時間が取れなくて」

家の事情というか、規模的には公爵令嬢としての事情というか。 領地の視察と私的な起業の準備と、孤児院のピューラと子供達の所に遊びに行くのが最近の休日の時間の使い方だったために、王都の教会に通う頻度は激減していた。 せっかく仲良くしてくれるケリーさんにも申し訳ないので、帰ったら来週以降のスケジュールを練り直そうと決めた。

「でも明日は剣術大会の観戦に行く約束があるので、今週はお休みにしたんです」

実はとても不本意な事情も絡んでいるので切実に行きたくないのだけれど。 
そんな内面のげんなりした気分を表に出さないよう自然な会話を続行する。 本音としては愚痴を言って、明日の観戦は辞退したい。
そもそも今日だって、明日の剣術大会を観戦しに行くために普段ならば休日の2日を使って領地で働いたり孤児院に行ったりするところを王都に留まっている。 そのおかげで、特に用事も無く暇な休日と化した1日をユースクリフ邸で過ごしたくないから教会まで来たのだ。 
……それに、ケリーさんと話して癒されたいとも思っていたし、何より久し振りに会いたかったのだ。
だからこそ、ぐちぐちと嫌な話をする事は極力避けて癒されたい。

「あらあらまあまあ! ラナちゃんも、やっぱり女の子ねぇ~。 騎士様達は格好いいものねぇ。 私も去年までなら孫と観に行っていたのだけれど、今年はお友達と行くって言っててねぇ。 でも、去年まではね」

楽しそうに去年までの孫との剣術大会観戦の話を始めたケリーさんを見て、本当は剣術大会なんて観に行きたくないなど言わなくてよかったと内心胸を撫で下ろした。
実は、今日の私は少しやさぐれていたのだ。
それは主にジークのせいであり、明日観戦に行く剣術大会に関連する『ある事件』が原因だった。


 

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