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花枯れた箱庭の中で
懐古の憧憬
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見飽きた光景。
目の前に広がる庭園など、そう称する他に何を言えたものか。 王妃様には申し訳ないが、長く不変の光景に感じ入るものなど、いったい何があろうものか。
そも、この庭園など所詮は贋作に過ぎず、評するに値しない自己満足でしかなく、瞼の裏に浮かぶ光景に及ぶべくもない。
眼を閉じれば、今だってはっきりと思い浮かぶ記憶。
かつて在った王妃様の美しき庭園は、移り変わる季節にその表情を変え、小さき命の変遷に満ちていた。
芽吹き、咲き、枯れ、朽ち、巡る。
命とは、そうあるもの。
故に、かの庭園は世界の縮図のようであると王妃様に話せば、彼女は笑って……何かを、言ったのだった。
それは、何であったか……ああ、また忘れてしまった。
もう、どれだけ忘れただろう。 あと、どれだけ彼女との思い出が残っているだろう。
些細な出来事はとうに思い出せず、彼女の声は記憶の内にさえ残っていない。
未だ残る記憶は彼女と見た光景と、些細な出来事に微笑む彼女の姿くらいのもの。
それは、出来事から切り取られたほんの一瞬、脳裏に焼き付いた笑みであった筈だ。 それはいったい、いつの事だったか……。
ああ、そうだった。
思えば、あの日も今の庭園の空模様と同じ天気だった気がする。
確か彼女は宮の中で、誰かが泣いているかのようにシトシトと降り始めた雨空を眺めていたのだった。
雲は薄くて、陽光が透けていて、それはほんの些細な通り雨程度のもの。
すぐに過ぎ去り、泣き止んだかのように雨は止み、辺り一面を濡らすくらいの雨でしかなかった。
けれど雲は隙を生まず、直接の陽光だけは庭園を照らし出しはしない。
晴れの日よりは薄暗く、陽光の照る下よりも肌寒い中、それでも、彼女は宮を出ると散歩を始めた。
その表情は柔らかな笑みも、弾むような無邪気さも無い無表情。
ただ淡々と歩き、時に立ち止まっては花壇の花に視線を落とす。 それを繰り返して、吐息を一つ漏らしては、また歩く。
そして……そして、その後はどうだったか。
また一つ、思い出を忘れている事に気付いて、記憶の中の彼女と同じく吐息を漏らす。
思い出を忘れていた事に気付けば、連鎖的にあれはどうかこれはどうかと記憶を探り、しかしその全て、消えてはいないにせよ燻んで色の抜け落ちた写真の如く劣化していた。
そのまま完全に朽ちる時も、きっと近いのだろう。
その事実に、願望はより大きく膨れ上がる。
あぁ……せめて、せめて一目でもいい。
もう一度会いたい。 全てを忘れていつまでも罪を重ね続けるだけの遺物と化すその前に、これまでの罪と犠牲の全てが無駄に終わってしまわないように。
会って、いつかの日に見た筈のあの笑顔を、もう一度だけでも、この目で……。
「うぅ、ああぁぁ……」
日がな、そう願い、祈っていた。
けれど願いは届かぬままに、気付けば数百年。
それは、いくら嘆き啜り泣こうとも、覆る事の無い現実。 救いも、報いさえも無い、そんな探求の果てであった。
それこそが、かつては賢者とまで呼ばれた男の無様な末路………。
「……泣いているの?」
ーーー漏れ出た嗚咽が、ヒュッと止まった。
その声は、聴き慣れぬもの。
けれども、発せられたその言葉の雰囲気は、よく知るものであった。
背後から足音が近付いて、やがて白い服を着た銀髪の誰かが私を追い抜いて、前方にまわる。
その誰かは、庭師として居る生贄の少女の姿をしている。 けれども顔を合わせ、その眼を見れば、目の前に立つのが庭師の少女本人でない事は感じ取れた。
それに、この懐かしい気配は……。
「お久し振り。 そういえば貴方と最後に会った日も、こんな曇り空の日だったわね」
ああ、ああ……!
姿形は違えども、そこにいるのは間違いなく、長き探求と願いの果てより、そのずっと先までも私達が待ち望んだ人に相違無かった。
王妃様がーーーアイリーン様が、ようやく私達の元に帰ってきたのだ……!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼は私の手を取り、声無く咽び泣く。
その嗚咽は嗄れていて、握る手は細くて皺くちゃで、彼が生きてきた途方もなく長い年月を如実に感じさせた。
彼はすごく、変わってしまっていた。
だってアイリーンとしての記憶に残る彼は、普段から固い表情ではあったが、それでも、その心根の如き優しさの滲む柔らかな貌の青年だったのだから。
……年月にして、どれだけの時間であろうか。
老いた彼の姿は、とうに過ぎ去った時を残酷なまでに示していた。
在りしあの日はとうに遠き昔、今となっては記憶の中にしか存在せず、あの頃になど戻れはしない。 無慈悲にも時は進み続けて先を行き、やがて全ては終わりを迎える。
彼は命の在り方から逸脱する事無く年老いて、けれども命の果てを超えて今の今まで在り続けた。
私は、歪な形で命を渡り歩いてきた。 今のこの身の姿は私自身のものに非ず、故に生者に寄生して此処に在る。
それはどちらも、正しい在り方ではない。
私達は、もうとっくの昔に終わっている、過去の存在なのだ。
「少し、お散歩しましょう。 大丈夫よ、私が車椅子を押すから、お話でもしながらゆっくり歩きましょうか」
けれど、私達が今此処に在る事もまた事実。
たとえ、キコキコと鳴る車椅子を押しながら、昔とは2人ともすっかり変わってしまっていたとしても。 今だけは、隣あって共に庭園を歩いたあの頃のように。
彼の未練は懐古の情。
それさえ満たされず消える事なんて出来ない程に、強い想いを抱いたままで今まで在り続けてきたのだろうから。
だから今は、こうして昔を懐かしむ。
ここまで続いてしまった不当な命を終わらせるために。
今この時だけでも、懐かしきあの頃を求めて。
目の前に広がる庭園など、そう称する他に何を言えたものか。 王妃様には申し訳ないが、長く不変の光景に感じ入るものなど、いったい何があろうものか。
そも、この庭園など所詮は贋作に過ぎず、評するに値しない自己満足でしかなく、瞼の裏に浮かぶ光景に及ぶべくもない。
眼を閉じれば、今だってはっきりと思い浮かぶ記憶。
かつて在った王妃様の美しき庭園は、移り変わる季節にその表情を変え、小さき命の変遷に満ちていた。
芽吹き、咲き、枯れ、朽ち、巡る。
命とは、そうあるもの。
故に、かの庭園は世界の縮図のようであると王妃様に話せば、彼女は笑って……何かを、言ったのだった。
それは、何であったか……ああ、また忘れてしまった。
もう、どれだけ忘れただろう。 あと、どれだけ彼女との思い出が残っているだろう。
些細な出来事はとうに思い出せず、彼女の声は記憶の内にさえ残っていない。
未だ残る記憶は彼女と見た光景と、些細な出来事に微笑む彼女の姿くらいのもの。
それは、出来事から切り取られたほんの一瞬、脳裏に焼き付いた笑みであった筈だ。 それはいったい、いつの事だったか……。
ああ、そうだった。
思えば、あの日も今の庭園の空模様と同じ天気だった気がする。
確か彼女は宮の中で、誰かが泣いているかのようにシトシトと降り始めた雨空を眺めていたのだった。
雲は薄くて、陽光が透けていて、それはほんの些細な通り雨程度のもの。
すぐに過ぎ去り、泣き止んだかのように雨は止み、辺り一面を濡らすくらいの雨でしかなかった。
けれど雲は隙を生まず、直接の陽光だけは庭園を照らし出しはしない。
晴れの日よりは薄暗く、陽光の照る下よりも肌寒い中、それでも、彼女は宮を出ると散歩を始めた。
その表情は柔らかな笑みも、弾むような無邪気さも無い無表情。
ただ淡々と歩き、時に立ち止まっては花壇の花に視線を落とす。 それを繰り返して、吐息を一つ漏らしては、また歩く。
そして……そして、その後はどうだったか。
また一つ、思い出を忘れている事に気付いて、記憶の中の彼女と同じく吐息を漏らす。
思い出を忘れていた事に気付けば、連鎖的にあれはどうかこれはどうかと記憶を探り、しかしその全て、消えてはいないにせよ燻んで色の抜け落ちた写真の如く劣化していた。
そのまま完全に朽ちる時も、きっと近いのだろう。
その事実に、願望はより大きく膨れ上がる。
あぁ……せめて、せめて一目でもいい。
もう一度会いたい。 全てを忘れていつまでも罪を重ね続けるだけの遺物と化すその前に、これまでの罪と犠牲の全てが無駄に終わってしまわないように。
会って、いつかの日に見た筈のあの笑顔を、もう一度だけでも、この目で……。
「うぅ、ああぁぁ……」
日がな、そう願い、祈っていた。
けれど願いは届かぬままに、気付けば数百年。
それは、いくら嘆き啜り泣こうとも、覆る事の無い現実。 救いも、報いさえも無い、そんな探求の果てであった。
それこそが、かつては賢者とまで呼ばれた男の無様な末路………。
「……泣いているの?」
ーーー漏れ出た嗚咽が、ヒュッと止まった。
その声は、聴き慣れぬもの。
けれども、発せられたその言葉の雰囲気は、よく知るものであった。
背後から足音が近付いて、やがて白い服を着た銀髪の誰かが私を追い抜いて、前方にまわる。
その誰かは、庭師として居る生贄の少女の姿をしている。 けれども顔を合わせ、その眼を見れば、目の前に立つのが庭師の少女本人でない事は感じ取れた。
それに、この懐かしい気配は……。
「お久し振り。 そういえば貴方と最後に会った日も、こんな曇り空の日だったわね」
ああ、ああ……!
姿形は違えども、そこにいるのは間違いなく、長き探求と願いの果てより、そのずっと先までも私達が待ち望んだ人に相違無かった。
王妃様がーーーアイリーン様が、ようやく私達の元に帰ってきたのだ……!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼は私の手を取り、声無く咽び泣く。
その嗚咽は嗄れていて、握る手は細くて皺くちゃで、彼が生きてきた途方もなく長い年月を如実に感じさせた。
彼はすごく、変わってしまっていた。
だってアイリーンとしての記憶に残る彼は、普段から固い表情ではあったが、それでも、その心根の如き優しさの滲む柔らかな貌の青年だったのだから。
……年月にして、どれだけの時間であろうか。
老いた彼の姿は、とうに過ぎ去った時を残酷なまでに示していた。
在りしあの日はとうに遠き昔、今となっては記憶の中にしか存在せず、あの頃になど戻れはしない。 無慈悲にも時は進み続けて先を行き、やがて全ては終わりを迎える。
彼は命の在り方から逸脱する事無く年老いて、けれども命の果てを超えて今の今まで在り続けた。
私は、歪な形で命を渡り歩いてきた。 今のこの身の姿は私自身のものに非ず、故に生者に寄生して此処に在る。
それはどちらも、正しい在り方ではない。
私達は、もうとっくの昔に終わっている、過去の存在なのだ。
「少し、お散歩しましょう。 大丈夫よ、私が車椅子を押すから、お話でもしながらゆっくり歩きましょうか」
けれど、私達が今此処に在る事もまた事実。
たとえ、キコキコと鳴る車椅子を押しながら、昔とは2人ともすっかり変わってしまっていたとしても。 今だけは、隣あって共に庭園を歩いたあの頃のように。
彼の未練は懐古の情。
それさえ満たされず消える事なんて出来ない程に、強い想いを抱いたままで今まで在り続けてきたのだろうから。
だから今は、こうして昔を懐かしむ。
ここまで続いてしまった不当な命を終わらせるために。
今この時だけでも、懐かしきあの頃を求めて。
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