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辿り至ったこの世界で
開花
しおりを挟む再び記憶が消えたと言っても、それでも私の現在の日常に、特別にこれといった支障は無いままであった。
朝に目覚め、食事を摂り、庭園で芽が出たばかりの花の世話をするか書架で本を読んで市井について調べ、時たまやって来るジークと話をして、ジークが時間が取れる時には街へと連れて行ってもらう。 そして、一日が終われば床に着き、また同じように朝を迎える。
何の事は無い、ごく普通のサイクルであった。
特別な事は何も無く、強いて言うならば王城を去った後の生活を少々不安に思う程度。
時々、聞かされただけでまるで覚えていない自らの過去を想像したり情報を纏めて調べたりするけれど記憶に触発されるような物事の一つも無い。
それに、ジークがあれだけ気にしている様子の私が忘れた記憶には確かに多少は興味も唆られるが、しかし、それもまた物見遊山以上の意味など無い事。
過去を思い出そうがこのまま思い出せなかろうが、私がこの先歩む道程に一切の変化があろう筈も無く、また思い出す必要もない。
せいぜい、後年のいつかに「結局、何だったのだろう」とふと気になって、けれども再び忘れるくらいの些事と落ち着くのが関の山であるだろう。
要は、さして必要でも無く、また遊楽的興味の対象以上の意味を持たない事柄に固執する事などないということ。
ジークにも言ったが忘れたものは仕方なく、思い出せない事もまた仕方がない。
それに、聞くだに不吉で不穏で、そして不要な記憶である故にわざわざ率先して思い出そうとする必要もなく、私自身が思い出せない過去に思い悩むような事もない。
ならば、やはり考えるべきは未来である。
具体的に言うと、もうそろそろ新しい住まいを確定させなければならない。
「前回見に行った物件も悪くはなかったのだけれど、ちょっと大き過ぎるかしらね。 掃除が大変そう」
「でしたら、こちらはいかがです? ほら、周辺の治安も良いし、何より家賃もお安い!」
「確かにそうだけれど、その区域は大通りから遠いし、買い物に出るのに不便なのよね。 貴族街も近いし、もし知った顔と遭遇なんてしたら気まずいなんてものではないわ……というか貴女、前から持ってくる物件の情報がやたらと貴族街に近いのは何なの? もしかして、私を自宅の近くに住まわせようと誘導していないかしら?」
「な、何を仰いますか! 確かにそんな思惑もちょっとはあるかなーと言ったところですが、だったらそもそも、お姉様を我が家に永遠にご招待するに決まっているじゃありませんか!」
「少しは本性を隠しなさいよ」
身の危険を感じるから、頬を紅潮させて寄らないでいただきたい。
吐息を乱しながら擦り寄るサリーを左手で押し返し、右手で机の上に広げられた複数枚ある物件情報紙の内の一枚を手に取って吟味する。
希望としては小さく部屋数も少なめの一戸建てで、大通りなどの商店の並ぶ場所が近い立地、或いは、乗合馬車などの交通の弁もある程度良い、敷金家賃共になるべく安めの物件。
しかし、世の中そう上手くはいかず。
私の希望全てに添った物件なんて易々と転がっていなかったため、こうして資料を集めて検討中なのだ。
サリーに幾つかの資料を集めてもらい、たまにジークに連れ出してもらって実際の物件を見て回る。
それで候補として何件か考えているけれど、それでも決まらずに未だ悩んでいるという訳である。
新居が決まるか、決まらぬか。
いずれにせよ、そう遠くないうちに私は王城を去るのだ。 そう悠長に構えてもいられないところまで、刻限は迫っている。
だからこうして検討に検討を重ねているわけだけれど、決まらぬままにここまで来てしまったのだ。
本当、いい加減に、選り好みしてないで決めなくては。
この際、多少の不便は妥協しよう。
予算も……まあ、ほんの少しならば許容する。
家具とか、当面の食費とか、あとは少しでも貯金しておきたいし、本っ当に予算面はギリギリのところを攻めたい。
そうして、ある程度の目星を付けていた物件を吟味と妥協を重ねてなんとか3件まで絞り、後は実物を再度見物してから決定、というところまでようやく決められた。
見物に関してはジークに連れ出してもらう関係上、彼の都合に左右されるため未定ではあるけれど、これでやっと王城を去ってからの行く先の見通しに最低限の目星は付いた。
これで、人間の生活に必要な『衣・食・住』のうちの一項目が達成である。
後の残りである『衣』は今ある高い服を売って平民用の安いものに買い替えれば長く保つであろうし、一番の鬼門である『食』も……まあ、最低限食べられて栄養が摂れさえすれば最初のうちは不慣れでも構わないだろう。
新生活では贅沢なんて言っていられないのだから、何事も妥協だ。
……ともあれ、料理に関しては王城滞在期間の残りで、最低限を習っておきましょう。
とりあえず、そこまで。
今後の展望に関してこなすべきタスクは多少あるけれど、今はまだ考える事もないだろう。
まだ時間はあるのだし、追々でも十分だ。
「最低限の目処もたったし、今日はここまででいいかしらね」
「ではお姉様、この後はどのようにされます? ティータイムになさるなら、今日は快晴ですし庭園に行かれるのもいいと思います」
「そうね。 今日は花の様子も見ていないし、そうしましょうか」
考えるべき事柄も、一段落。
サリーを待つ間手持ち無沙汰になるのも何だからと共に準備をして、庭園に着くと2人でささやかなティータイムをする。
ティータイムと言っても、貴族が行う優雅なそれとは違う、花壇に腰掛けて2人並んで談笑しながら紅茶とお菓子を楽しむくらいの、軽いピクニックのようなもの。
片やメイドで片や身分が平民なので、形としては妥当である。
それでも、お堅いばかりで楽しくもなくてルールでがんじからめの貴族のティータイムに比べれば、気楽に楽しめて窮屈でないフリーな今の方が私は好きだけれど。
そうして一頻り談笑し、話題が庭園の花々に移った頃、陽が少し傾き始めた頃の事。
私が花の種を植えた一画。
そこには、未だ芽吹いたばかりの若芽が小さく芽生えているばかりであった。
「やっと芽が出たけれど、やっぱりまだ咲かないわよね」
「芽が出たのもつい最近ですらね。 開花までは、まだまだ時間がかかるでしょう」
「やっぱりそうよね……」
記憶を失って以降、以前の私について教えられる話の中に庭園の事もあった。
なんでも、当時は相当塞ぎ込んでいた私のためにジークが王妃陛下に頼んでその一画を自由にしていいとの許可を取ってくれたのだとか。
以降、私は花の種を蒔き、世話も欠かさなかったらしい。
なので、当時の私から引き継いで今の私も同じように世話をしている。
けれど全然成長せず、今になってようやく若芽を土の中から覗かせてきたのだけれど、残念ながら私は近いうちに王城を去るのだ。
きっと、開花の頃には私は市井で平民としての日々を送っていて、そうなれば王城に立ち入る機会なんて二度と訪れないだろう。 私がどんな花を植えていたかさえ、見る事は出来ないのだ。
せめてジークに頼めば、一輪でも摘んできてくれたりなんて……いや、さすがにそれは不遜が過ぎる期待か。
これもまた仕方のない事。 そう流すより、他に無い。
「でも、どんな風に咲くのか見たかったわね」
令嬢であった頃の生活に、特に心残りなどありはしない。 良い記憶もそんなに無いし、マルコと和解はしたけれど、それでも過去は変わらないのだから。
……まあ、強いて言うのであれば、ユースクリフ公爵令嬢であった頃の、ほんの些細な私の楽しみや癒しくらいのものだろうか。
それと、もはや見る事さえ叶わないこの花も。
若芽の側に寄り、指先で軽く撫でる。
この小さく可愛らしい若芽は時間が経てばどんな花を咲かせただろうかと、見る事の叶わぬ未来を想いながら。
これは、ほんの少しのセンチメンタルだ。
此度、私は冷たく苦しい公爵令嬢の枷より放たれて新たな未来を手にした。 けれど同時に、公爵令嬢だった頃に持っていた大切なものも全て失った。
失う事そのものは道理である故、抗う事に意味など無い。
けれど、理屈と感情は同居し得ようと相反するもの同士である事に変わりはない。
仕方なしと納得しようと、失う事はいつだって哀しいものなのだから。
そして、この若芽だって同じ事。
前の私が種を植え、今の私が芽が出るまで育てて、けれど開花を見る事無く離れざるを得ないのだ。
大切に育ててきて、けれど失う。
これもまた仕方なく、そして哀しい事……。
「……お姉様。 お身体が、何だか光って…」
若芽に手を添え、暫くぼーっとしていたところで、不意に困惑したようなサリーの声が聞こえてきて意識が覚醒した。
そして自身を見てみれば、ふわふわと緑色の光が周辺を漂っている。 その光達には覚えなんて無い筈なのに、まるでどこかで見た事のあるような感覚だった。
それらの光達は、やがて若芽に触れる私の手に収束していくと一際大きく輝いて視界一面を真っ白に染め上げて、やがて徐々に光は引いていく。
「エリーナ嬢、今のは……?」
光が引いて視界が戻ってきた頃、そんな風に驚いた様子のジークの声が聞こえてきた。
今のは、と問われようとも私にだって何が起きたのかなんてまるで意味が分からず、故に返答に困っていると、その瞬間に吹いた風の一陣と共に、ついさっきまで若芽に触れていた手に何かが触れるのを感じた。
返答も忘れて何だろうとそちらを見れば、若芽が植わっていた場所には、芽ではなく花が咲いていた。
それは、白く大きな花弁をした一輪。
品種としての名は『百合』である。
さっきまで若芽のあった場所に、なぜ、百合が咲いているのか。
「どうして…」
そんな疑問の言葉が思わず口を突いて出る。
無理もない。
だって、それはあまりにも不可解で理解不能な現象だったから。
そしてそれ以上に、この不可思議な現象自体が私の願いを叶える意思の元に成り立っているように感じたのだから。
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