公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

現実は報いず

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頭の中の靄が晴れるような、記憶の海の底へと沈んで封じられた扉の先が開くような、実に不可思議で不明瞭な感覚の中を揺蕩っていた。
けれどその感覚も長くは続かず、やがては平常を取り戻すように意識は明瞭になっていく。
そうして気付けば私は、劇場の客席のような場所でたった1人の観客として着座をし、まるで影絵の如き要領を得ない意味不明な舞台をただ眺めていた。 何の脈絡も無いままに、それはもう唐突に。
それは微睡むようでいて、しかし同時に、誰かに眼をこじ開けられて何かを見せ付けられているかのような感覚であった。
やがて眺めている演劇はより過激に、より凄惨に、そして悍ましき『何か』を描写していく。
朧げな意識ながらも、まるで縫い付けられたかのように舞台の上から目を離す事の出来ない私は、眼に焼き付けられていく光景の全てに悪寒を覚えながらも抗う術さえ無く、ただ眺めている事しか許されない。
其の『当事者』でありながら、しかし、全てを傍観者であるかの如く俯瞰する。
その事を妙に感じ、そして違和感も1つ。
……『当事者』とは、何の事であろうか。
繰り広げられる、舞台の上の演劇。 
その演目は、どれもこれも私にとっては何一つとして覚えの無い。
覚えなど、ある筈が無い……だというのに。
ならば何故、私はこんなにも不安なのだろう。
何故、私は「これ以上見たくない」と怯えているのだろう。
知らない、知らない。 何も知らないし、何も知りたくない。
……何も、誰にも、知られたくない。
目を背けたいのに、まるで縫い付けられたように身じろぎの一つさえ出来ない私は、先へ先へと容赦無く流れていく演劇から目を離せないまま。 何か、或いは誰かの物語らしいそれを眺めていた。
そうして、物語が佳境に入る頃。
この身の怖気はより強く、私の心はまるで幼子の如くその全てを拒絶していた。 
けれど、演劇は無情にも続く。
まるで影絵のようで、しかし物語の体はかろうじて成していたような演劇は、ここにきて急にその悍ましさをより露わにしていった。

先ずは、鈍色があった。 
それは凶悪な鈍色。 誰かの弱さと、信念と、決意と、あとはほんの少しの狂気を入り混ぜたような、そんな歪んだ凶刃である。
そして、暗転。
凶刃は案の定、朱に染まったのだ。
それはもう、そうなる事が必然であったかのように、真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に。
凶刃の担い手は、その上で嗤う。
凶刃を振るい、凶行を犯し、その手を刃と同じく真っ赤に染めておきながら、真っ赤になって転がっているモノを蔑んで、さも当然の結末であるというように嗤っていた。 
嗤い、愉悦していた。
だって、ようやくーーーー

そこまでと、誰かが演劇に待ったをかける。
それで演劇は幕を下ろし、影の如き演者も悍ましい朱に染まる鈍色も、見たくもないし聞きたくもない光景も、ようやく全てが終わりを迎えた。
お腹の中が締め付けられて既に喉元にまで上っていた『全て』を吐き出してしまいそうな程にまで膨れていた嘔吐感も少しずつ治まり、安堵と共に落ち着いて、やがて安定感を取り戻していった。
演劇を止めてくれた誰かの姿は見えない。
けれど、まるで呼ばれているかのような感覚を覚えてその方を見れば、劇場の出入り口は開かれていて、まるで「此処から早く帰りなさい」と言われているよう。 
そうして、言われるがままに出入り口へと寄れば、その先には暗い暗い空間だけが広がっていて、けれどその先からは声が聞こえてきた。

「………嬢。 起きてくれ………嬢」

ああ……呼ばれているなら、今行こう。
私はもう、此処に居たくなんてないのだし。
何よりも、私を呼ぶこの声は……『彼』のものであるのだから。
そうして私は、劇場を去り暗闇の先へと足を運ぶ。
この場所は、まさしく悪夢。
これより先は、きっと現実。
ならば私が戻るべきも、行くべきも、正道はただの1つだけであるのだから。
だからこそ、彼の待つ現実へと向かって、私は夢より覚めるのだった。


………そう、無意識の内に嘯いていた。
心の底の、ずっと底。
廃棄された心の残骸に下敷きにされ、そして誰かに覆い隠され封じられし自らの『真実』から目を逸らしながら。
夢であると切り捨てようとしているそれが、あまりにも醜くかったから。
でも、仕方がない事なのだ。
だって、誰だって自らの醜さからは目を背けたいものでしょう。 
誰にだって自らの醜さを知られたくはないものでしょう。
忘れられているのなら、思い出さない方が良い事だってあるのです。 知らない事こそが、救いになる時だってあるのです。
だから全ては、忘れたままに。
……いつかその全てから、どうしても逃げきれなくなると分かっていても。 
それでも人は、逃れたいものなのですから。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「エリーナ嬢。 起きてくれ、エリーナ嬢」

「ジーク……様? あれ、わたくし……確か、何か嗅がされて………」

声が聞こえたと思って目を開ければ、目覚めてすぐに目に映ったものは心配そうに表情を歪めて私の顔を覗き込んでいるジークであった。
ズキズキと痛む頭で何とか何が起きているのかと気を失う前の事を思い出せば、先ず浮かんだのは王族専用の隠し通路、その薄暗闇の中で突然口元を布のようなもので抑えられたかと思えば、妙な香りと共に眠気が襲ってきた……とおおよその事態の把握には十分な程の記憶が浮かんできた。
それで、私の両手が後ろ手に縛られているという状況を加えて考えれば、理解までには簡単である。
要するに、私とジークは何者かに誘拐されたという事だ。

「待っていてくれ。 今、縄を切る」

「ありがとうございます……しかし、ナイフをお持ちとは周到ですね。 いつも持ち歩いておられるのですか?」

「最近はずっとな。 件のパーティー以降、常に靴底に仕込んでいるんだ。 まさか、こんなにも早く使うタイミングが来るとは思っていなかったが」

「パーティー……ああ。 私が……したという」

一時期は罪に問われ、しかし不問となった『例の事件』の時の話であろう。
前にジークから聞いた話では、襲撃によるパーティー会場内の混乱に際して、私は自らの護身用のナイフをジークに差し出して自衛を促したのだとか。 それで、その後に私が、その、致したと…。
そしてそれ以降、ジークはずっと護身用のナイフを持っていると。 
まあ、持っているだけ身に降り掛かる危険を払うのには有効であるのだから、特段おかしな話でもあるまい。 
そう思考を切り替え、今さっき脳裏に過った以前には感じなかった不安を振り切って、これより先の展望へと話をシフトさせる。

「ジーク殿下、これからどうしましょうか……とは言っても、この場所から逃げるより他に術は無いのですが」

「まあ、そうなる。 だが、問題もあってな。 あの隠し通路なんだが、王族がいつ利用しても害の無いよう、常に近衛から腕の立つ者が何人か潜んでいる。 しかし、俺達はこうして拐われているし、何よりあの時あの場所には」

血の匂いが充満していた、とジークは語った。
王城の近衛が潜む場所で誘拐犯らはあっさりと誘拐を成功させた上に、その時の隠し通路内には血の匂いが充満していた。 それはつまり、誘拐犯らが腕の立つ王城の近衛を、空間中に充満する程に多くの血が流れるまで殺傷した可能性を示唆している。
それ程までに、腕の立つ集団である可能性が高いという事だ。

「だから逃げる事に変わりはないが、奴らに見つからないよう慎重に動く必要があるだろう。 それに、首魁らしき男が言っていたが、奴らの目的は君だ」

「私、ですか……? それはまた、何故…」

「分からない。 だが、このままでは間違いなく碌な事にはならないだろう」

ああ、それは確かにと、ジークの言葉に私は心の底から同意する。
ああいう手合いは、人を人とも思わずにいとも容易く略奪し、尊厳を奪い、喰い物として貪るような輩である。 そんな獣のような人間ばかりの、悍ましい者どもなのだから……!

「………?」

ジークの言葉に無意識の内に浮かんだのは、なぜか憤りであった。 
それも、相手を糾弾するかのような責め句でもって訴えるような言葉の羅列。 軽蔑し、己が心に傷を与えた者達を咎めるような、苦痛を訴える悲鳴のような怨嗟の声だ。
故に、何故にと首を捻る。
知らないのに、ジークから聞いた話にだって此度の誘拐犯のような真性の悪党に巻き込まれたというエピソードは無かった筈なのに、どうしてそんな事を思うのか。

「どうした、エリーナ嬢」

考え込んで、しかしジークから声を掛けられて思考の底より現実へと浮上する。
…まあ、今は構わないだろう。 
それに、今最も重要なのは目の前の現実であり、如何にしてこの危機的状況下より逃れるかである。 ほんの少し気にかかった事なんて、安全を確保してから後で考えればよろしい。

「いいえ、なんでもありません。 それより、ジーク殿下は……とても落ち着いていて、なんだかこんな状況に慣れてらっしゃるみたいですね」

「ああ、昔はよくあったからな。 誘拐だけに留まらず、他にも毒を盛られるとか。 色々あったよ、本当に……まあ、何度危険な目に遭ったかなんてもう忘れたが。 なにせ、立太子してからずっとだったからな、エリーナ嬢の言うようにもう慣れたのかもしれないな」

そう冗談めかして言うと、ジークは拾った木の棒を片手に持って、早速索敵を開始する。
その様は本当にこの状況に慣れているようで、故にこそジークがこれまで生きてきた世界の、その過酷さを、それ故の彼自身の強さを示しているようで……私は、心底その背を見ている事が堪らなくなってしまった。
格好良い人、強い人、恥じる事の無い人。
そう、畏敬の念を持たずにはいられなかった。
だって、私とはまるで違うのだから。
だから、酷く堪らなくなった。
隠す事など無いとばかりの自信に満ちたその背中に心底からの、妬心を抱いて。
その背を追うより他に無い憐れで醜い私には、やはりジークは遥か遠くの存在であるのだと思い知らされているようで。
堪らなくて、本当に堪らなくて……故にこそ、どこまでも愚かであると、自覚させられてしまうのだから。

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