売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹

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過保護な主

過保護な主(6)

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 厩舎には、ラインハルトの姿があった。
 コートは着ておらず、黒い細身のトラウザーズに白いチュニックと、袖のない青いウエストコートのみ。チュニックの袖を捲り上げ、黒毛の馬の毛をブラシで梳いていた。

 ワーグナー夫妻によると、馬の名前は、黒毛がニゲル、白毛がアルバという。
 ブーツを履いた長い足も、丁寧にブラシを動かす逞しい腕も、ニゲルに注がれる優しい眼差しも、そのまま絵画になりそうなほどに美しく、厩舎の外で立ち竦み、ただぼーっと見惚れてしまっていた。
 なんだか恋人同士の逢瀬をこっそり覗き見しているようで、声をかけるのが無粋にも思えてくる。
 手伝いはいらなさそうだったので、戻ってきました、と言い訳して厨に戻ろうか……そんなことを考え、こっそり後ずさりしようとしていたら、急に厩舎から声が聞こえてきた。

「どうした? 馬の世話を手伝いに来たんじゃないのか?」

 ラインハルトの視線は馬の背に向いたままだが、人の言葉を喋れるのは彼しかいない。
 気付いていると思っていなかったユリウスは一瞬面食らったが、慌てて挨拶する。

「お、おはよう……ございます……。あの、今日から普通に体を動かしていいと言われたので……馬の世話を手伝おうと思いまして……」
「ならばさっさとこっちへ来い」

 馬との逢瀬の邪魔になるのではと心配したが、杞憂だったようだ。
 厩舎に入ったユリウスは、「やるか?」と櫛を渡されて、白毛の馬――アルバの毛を梳き始めた。櫛を毛に通すたびに、白いたてがみが滑らかな流れを作り、淡い光を受けて白銀色に輝く。アルバは静かに首を垂れ、気持ちよさそうに時折り目を細めていた。

 故郷にも馬がいたから扱いには慣れているし、もともと動物は好きだ。特に子供の頃は、何か気持ちの晴れないことがあるときは、馬小屋が避難先だった。
 馬がいるおかげで、普段より胸の鼓動や気恥ずかしさも落ち着いていた。ラインハルトの纏う空気もどこかやわらかい。
 おかげで、気負わずに、自分から会話を振ることができた。

「ライニ様は馬がお好きなのですね」
「人といるより馬といるほうが気楽でいい」

 その言葉に、ふと既視感を覚えた。
 同じ言葉を、どこかで聞いた気がする。いつ、誰が言ったのかは思い出せなかった。思い出せないくらい、遠い過去の記憶だということは、なんとなくわかる。

「今からニゲルこいつの散歩をする。アルバそいつの毛を梳き終わったら、ここはもういい」
「ライニ様。もしよろしければ、僕も一緒に散歩をしてもよろしいですか?」

 ラインハルトが、切れ長の眼を軽く見開く。
 彼は出仕の際に二頭の馬を日替わりで使い分けている。
 昨日はニゲルと出仕したから、今日はアルバの番だ。家でお留守番のニゲルは、運動のために朝夕、庭を散歩させる。
 アルバは騎士団の屯所まで歩くので、庭を散歩させる必要はないのだが。僕もアルバに乗ってライニ様と一緒に散歩をしたいと、ふと思い立ったのだ。

「背は、もう触れても大丈夫なのか?」
「はい。傷はもう瘡蓋になっているので。突っ張るくらいで触れても痛みはありません」
「なら先に乗ってくれ。俺が後ろに乗るから」
「え……、ええ? い、いや、ちがいます!」

 ユリウスは慌てて、顔の前でぶんぶんと手を振った。
 それぞれが一頭の馬に乗り、一緒に庭を歩くつもりだった。それが、一頭の馬に一緒に乗りたがっていると勘違いされたらしい。

「ライニ様がニゲルの散歩をされるから、僕はアルバに乗って一緒に歩きたいという意味で、申し出ただけです!」

 ラインハルトは特に気にしている様子もなく、ニゲルに鞍と手綱をつけ始める。

「傷が癒えたばかりの人間が一人で馬に乗るのは危険だ」

 ならば、馬に乗るのはもう少し先でもよかったが、今さら「また今度」とは言い出し辛い。
 それに、彼の言うことを聞かずに一人で馬に乗り、万が一落馬でもしたら、今度は一週間の休養では済まされない。
 ラインハルトがニゲルを厩舎から出し、ユリウスは覚悟を決めた。

 馬の背に跨るために、厩舎の柵に足をかけようとしたところ、腰を両側から掴まれ、ふわりと体が宙に浮く。

「わ、わわわっ!」

 ラインハルトはユリウスを軽々と抱え上げて馬の背に乗せた。
 馬体がわずかに揺れ、背後に彼が跨ってくる。肩越しに彼の息遣いを感じ、背中やお尻、太股が触れ合う。顔が熱を持ち、心の臓は落ち着かなくなった。
 ニゲルもアルバも、帝都で行われる武芸競技会にも出場できるような大型の馬で、男二人で乗っても嫌がるそぶりは見せなかった。

 ラインハルトが手綱を握り、ユリウスは馬のたてがみに手を添えた。
 触れあった太股がわずかに身じろぎし、ニゲルが歩き始める。
 そもそも、ラインハルトの仕事を減らすために厩舎に来たはずだったが。これでは仕事を増やしてしまっていることに、動き出してから気が付いた。
 頭がくらくらし、口から飛び出しそうなほどに心の臓が早鐘を打っている。きっとライニ様のアルファの能力が高いせいだろうと、ユリウスは思考のままならない頭で解釈した。

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