糸と蜘蛛

犬若丸

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2章 ヒーロー活劇を望む復讐者

雨に潜む 17

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  「謹慎中のはずだろ。電話にも出ないで何してる」
   叱責の詰問。でも、あたしは道端の小さな石を転がして顔すら見ようとしない。
   「家に父親もいるのか。なら、中で」
   部屋の明かりを見た坂本は父親との対話を望んでいたが、あたしは急いで言葉を遮る。
   「親父とは後からでもいいじゃん」
   「でもな」
   「いいから、さっさと言えよ」
   今、帰るわけにはいかない。あの男は狡猾残忍だ。外では怒りを抑え、優しく笑って装う。そうして溜めた苛立ちの行き場は決まっている。
   坂本が自宅に上がるだけでもストレスの要因になる。
   坂本にその事実を知られないようにしないと。 
   「反省文ともう二度としないと宣言文を書けば退学はないと決まった」
   「ふぅん」
   関心のない声だった。
   もう、退学でいいや。学校に戻っても同じことを繰り返す。清音を見たら、彼女の彩られた弁当を見たら、壊したくなる。破壊衝動が抑えられない。
   「お前、わかっているのか。書かないと退学なんだぞ。それでいいのか」 
   大人は何もわからず、理解しようとしないで良い未来とやらを押し付ける。
   「なんかさぁ、学校ってつまんなくてさ」
   「何を」
   「そしたらさ、バイトをやってゲーセン通ってた方が有意義だなって」
   「本気で言ってるのか。いいか、学校での学びは大事なんだ。学習は塵を積むと同じで」
   「はいはい。素晴らしい説教、アリガトウゴザイマス」
   学校を辞めるのなら坂本の説教も聞かなくてもいい。
   「どこに行く」
   先生からアパートからの背を向けて歩き出す。夕刻が夜に変わろうとしていた。あたしは夜の闇へと溶けようとしていた。
   「待つんだ」
   坂本からの叱責を聞く耳は持たない。
   「待て」
   声を荒らげた坂本は咄嗟にあたしの肩を掴む。「放せ」と反射で出た言葉。掴んだ手を振り払い、パーカーがはだける。
   あたしと坂本は向き合う。坂本は言葉を失い、自分の生徒を見つめる。驚いて丸くした目はある一点を見つめていた。
   煙草を押し付けられた火傷痕。まだ鎖骨のあたりに残っていて、汚く茶色くなった肌の上に冷たい雨が落ちる。
   「誰にやられた?」
   見られた。
   悪くもないのに罪悪感が身体を絞めつけて声が出ない。
   「まさか、父親か?」
   顔を上げて坂本と目が合う。その仕草が図星だと悟られる。
   あたしは根性焼きの痕を隠すようにパーカーの襟を首元まで引っ張り、坂本から逃げる。
   背後からあたしを呼ぶ声がしたけど、構わずに走る。
   夜の静寂に包まれた道で雨があたしを強く叩く。脚は止まらず、動悸は激しくなる。あたしを走らる燃料は恨み妬みといった醜い感情で、あたしではその感情を抑制できない。道標もない夜道をひたすら走り続けた。
   家には帰れない。学校には居場所は無い。金がなければどこにも行けない。
   逃げて走ってもあたしはどこにも行けない。
   現在、冷たい雨の中、脅威からひたすら逃げている16歳はあたししかいない。18時以降の女子高生は自宅や塾とかで親から貰った居場所で身を温める。
   なんで、なんであたしには何もない?
   父から貰うのは痛みだけだ。
   あたしの脚は名前のない寂しい公園に着いて、泥水の上に膝をつく。
   酷使した脚はしばらくの間使えそうになかった。あたしの中にあるどす黒い燃料がまだ燃え続けていてそれは目頭を熱くさせた。
   「なんで!なんで!」
   その熱は涙だけでは収まらなくてうまく出せない言葉がつかえながらも、身に受けた理不尽を訴える。
   「あたし、だって!あたしにも!」
  毎日、弁当を作ってもらいたい。最新モデルのスマホじゃなくてもいい、プレゼントをもらいたい。連休には旅行に行きたい。
   殴る父親でもなく、蒸発した母親でもなく、幸せな家族が良かった。
   涙が地面に落ちて雨粒と区別がつかなくなり、嗚咽は雨音に消える。
   あたしを包む静寂の中で異音が混じった。葉と葉が擦れ合い、枝が折れる音。 
   顔を上げて雑木林に視線を向ける。暗闇の雑木林では奥にあるものは見えない。でも、誰かいる。気配がある。
   「いるんだろ!ででこい!」
   泣いていたあたしはいなくなっていた。そこに人がいるなら強く振舞うしかない。これ以上虐げられたくない。
   「じろじろ見てたのか!のぞきか!キメェぞ!」
   どれほど荒げて罵倒しても雑木林に潜む者は身動きもしない。夜の雨が更に不気味さを演出して肩が強張る。
   「だんまりかよ!姿ぐらい見せたらどうだ!」
   震えている指先を抑えて、啖呵を切る。
   相手からの返答は無い。代わりに葉と茂みが動いて、金属音に近い、畝るような声がした。雑木林の闇からぼやけた影が浮かぶ。人の形をしていない、大きなの影。
   人じゃない。ニュースで流れていた怪異事件が脳裏を過る。
   危険を察した時には遅かった。暗闇に浮かんだ金色の眼光があたしを射る。
   雑木林から現れたそれに悲鳴が上がろうとしたが、叫び声は夜の住宅街に響かず、喉の中で消えた。



   曇天が見下ろし、朝露が滴る公園で山崎  千秋の遺体が発見された。
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