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3章 死神が誘う遊園地
カンダタ、生前 2
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雨の日だった。だが、雨の静寂はない。
けたたましい人の怒声が俺を探している。人の足音と怒声。偉くお高い奴らは自分を害する者を許さない。当然、奴らの金袋をくすねれば斬り捨てられるのは当然なのだ。
前科があるせいか、今度こそ縄で括ってやろうと躍起になっている。
今回の仕事も楽勝のはずだった。なのに、たった一つの判断を誤り、ここまで追い詰められた。
背中につけられた刀傷。この傷さえなければ足を走らせ、川を渡り、山の岩場まで逃げられた。
壁を登り、屋根を伝い、追手たちを撒く術もあった。しかし、屋根を登り、跳ねる度に背中の刀傷が身体を痺れさせた。挙句の果てには足を滑らせて、地面に転がって落ちたのだ。その際に足首を捻り、更に歩調を遅くさせた。
「足跡があったぞ!」
「遠くには行けないはずだ!」
雨で濡れた草木の向こう側から追手たちの騒ぎ声が聞こえてくる。
まずい。
人気を避けて林の中へと逃げたが、すぐにでも追いつかれそうだ。
肩にかかる黒髪が頰に張り付く。何度払っても黒い毛先は跳ねて口内や肌に戻ってくる。そんなものを気にしてはいられないのに嫌に主張してくる邪魔者にますます、苛立ちが膨らむ。髪結いは刀傷を負った際に切れてしまった。
声を潜めて、痛みを堪えて、林の中を進む。呼吸を荒らげ、流血が続き、片足がまともに動かなくなったとしても生にしがみつく本能だけは強くはっきりと残っていた。それは追い詰められれば追いつめられるほど強くしつこく身体を動かす。
そういった執着心が提示した逃げ場所は人食い塀と呼ばれる人は近づこうとしない奇妙な塀だ。
その塀に出入り口はない。白く固められた壁と高い瓦屋根が四方を囲むだけで塀の中が見えない。白の真新しさはなく、蔓が壁を伝って繁殖し、罅が入っている箇所も多い。
そうした古い見た目が気味悪がらせた。門のない塀が「人食い」と呼ばれているのには理由がある。
門のない塀の中に侵入するのは意外と簡単だ。
そばに立っている梅の木を登り、瓦屋根に取りに移ればいいだけだ。ただ、中に入ったものは二度と出て来れないという噂がある。
実際に盗人が侵入し、外で待っていた仲間は彼の悲鳴を聞いたという。
だからか、そこには山姥が住んでいるとか、人食い鬼の巣とか、様々な噂があった。
死にかけの俺が逃げようとしていたのはそこだった。
危険ではあった。まず、この傷で木に登れるか、人食い塀に逃げ込んだとして俺は無事でいられるか。
しかし、追手と権力を持った人間、奴らと比べれば妖でも鬼でも恐るに足らないと思った。俺が恐れているのは未知のものではなく、よく知った人間だ。
そのせいか、人間が近づこうとしない人食い塀が唯一の極楽に見えた。
目印の梅の木が近づいてきた。秋の枯葉が全て落ちた梅の木は老いぼれた憂いを細い枝から漂わせていたが、触れられる程に近くに寄れば樹木の内側から静かに流れる生命力が俺の指先に伝わる。
「血痕だ!赤眼も終わりだな!」
背後から俺の最後を望む歓喜が聞こえてくる。
捕まったら終わりだ。俺の人生をこんなところで終わらせたくない。
僅かな余力を使い、梅の木を登り始める。
幹を登り、太い枝を伝う。手先の震えが止まらない、身体の痛みが遠のいていく。視界も定まらず、自身の足や枝が何重にも重なって見える。追手に捕まる前に俺の人生はここで終わるかもしれない。
それは邪念だ。そう言い聞かせ、梅の木から瓦屋根へと跳ぶ。
けたたましい人の怒声が俺を探している。人の足音と怒声。偉くお高い奴らは自分を害する者を許さない。当然、奴らの金袋をくすねれば斬り捨てられるのは当然なのだ。
前科があるせいか、今度こそ縄で括ってやろうと躍起になっている。
今回の仕事も楽勝のはずだった。なのに、たった一つの判断を誤り、ここまで追い詰められた。
背中につけられた刀傷。この傷さえなければ足を走らせ、川を渡り、山の岩場まで逃げられた。
壁を登り、屋根を伝い、追手たちを撒く術もあった。しかし、屋根を登り、跳ねる度に背中の刀傷が身体を痺れさせた。挙句の果てには足を滑らせて、地面に転がって落ちたのだ。その際に足首を捻り、更に歩調を遅くさせた。
「足跡があったぞ!」
「遠くには行けないはずだ!」
雨で濡れた草木の向こう側から追手たちの騒ぎ声が聞こえてくる。
まずい。
人気を避けて林の中へと逃げたが、すぐにでも追いつかれそうだ。
肩にかかる黒髪が頰に張り付く。何度払っても黒い毛先は跳ねて口内や肌に戻ってくる。そんなものを気にしてはいられないのに嫌に主張してくる邪魔者にますます、苛立ちが膨らむ。髪結いは刀傷を負った際に切れてしまった。
声を潜めて、痛みを堪えて、林の中を進む。呼吸を荒らげ、流血が続き、片足がまともに動かなくなったとしても生にしがみつく本能だけは強くはっきりと残っていた。それは追い詰められれば追いつめられるほど強くしつこく身体を動かす。
そういった執着心が提示した逃げ場所は人食い塀と呼ばれる人は近づこうとしない奇妙な塀だ。
その塀に出入り口はない。白く固められた壁と高い瓦屋根が四方を囲むだけで塀の中が見えない。白の真新しさはなく、蔓が壁を伝って繁殖し、罅が入っている箇所も多い。
そうした古い見た目が気味悪がらせた。門のない塀が「人食い」と呼ばれているのには理由がある。
門のない塀の中に侵入するのは意外と簡単だ。
そばに立っている梅の木を登り、瓦屋根に取りに移ればいいだけだ。ただ、中に入ったものは二度と出て来れないという噂がある。
実際に盗人が侵入し、外で待っていた仲間は彼の悲鳴を聞いたという。
だからか、そこには山姥が住んでいるとか、人食い鬼の巣とか、様々な噂があった。
死にかけの俺が逃げようとしていたのはそこだった。
危険ではあった。まず、この傷で木に登れるか、人食い塀に逃げ込んだとして俺は無事でいられるか。
しかし、追手と権力を持った人間、奴らと比べれば妖でも鬼でも恐るに足らないと思った。俺が恐れているのは未知のものではなく、よく知った人間だ。
そのせいか、人間が近づこうとしない人食い塀が唯一の極楽に見えた。
目印の梅の木が近づいてきた。秋の枯葉が全て落ちた梅の木は老いぼれた憂いを細い枝から漂わせていたが、触れられる程に近くに寄れば樹木の内側から静かに流れる生命力が俺の指先に伝わる。
「血痕だ!赤眼も終わりだな!」
背後から俺の最後を望む歓喜が聞こえてくる。
捕まったら終わりだ。俺の人生をこんなところで終わらせたくない。
僅かな余力を使い、梅の木を登り始める。
幹を登り、太い枝を伝う。手先の震えが止まらない、身体の痛みが遠のいていく。視界も定まらず、自身の足や枝が何重にも重なって見える。追手に捕まる前に俺の人生はここで終わるかもしれない。
それは邪念だ。そう言い聞かせ、梅の木から瓦屋根へと跳ぶ。
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