糸と蜘蛛

犬若丸

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3章 死神が誘う遊園地

カンダタ、生前 1

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   記憶の端に残るのは朧げな風景と鮮明に蘇る感情。これらが織り成されて脳の奥深くに刻まれる。
   俺はまだ母親の手に引かれていないと迷子になってしまうほどに幼かった。いつもなら幼子の歩調に合わせて歩く母親の手、その時だけは強く握り、大股で山の斜面を下る。
   子供に合わない歩調は足が縺れて転びそうになる。そのたびに母親が腕を引っ張り引きずるようにして俺を走らせる。
   親子を追いかけるのは暴力と強奪に狂った獣だった。奴らは松明と刃を手にして狩りを楽しんでいた。
   奴らに捕らえられ連行された先、焚き火が灯す薄暗い洞窟の中で獣が俺の細い首に刃を当てた。無慈悲で冷たい刃に身体が硬直して、母親が泣きながらに訴える。
   口角を醜く吊り上げて獣が笑う。獣が母親に命令する。幼くともその言葉の意味が理解できた。
   獣は何人いただろうか。3人くらいだったか。順番を話し合い、それが決まると2番目の獣が母親の両手を抑え、1番目の獣が足に触れる。物を扱う乱雑な仕草だった。
   喉に当たる刃が俺を縛る。声を荒らげて抵抗す ることも出来ない。
   甲高い悲鳴が洞窟内で響く。その反響を獣たちは面白がり、暴行を加えては誰が1番高く上げられるか競い始めた。俺の喉に刃をたてる獣は早く自分に回せと急かす。
   鮮明な記憶が刻まれているのはここまでだ。そこからは曖昧ではっきりとしていない。どうやって脱走したのか、獣は母はどうなったかは覚えていない。
   気が付けば山の斜面をひたすらに無我夢中で走っていた。母親から譲ってもらった念持仏を握りしめて涙を流し、どこにもいない母親に謝罪を繰り返し、何度も自分自身を呪う言葉を唱えた。
   朧げな記憶から推測できるのは、俺が母親を見捨てて逃げてきたということだ。
   手の中の念持仏が俺を責めているようだった。
   それからは一日を生き抜くので精一杯だった。馬糞を食わされていじめられた日々、川に投げられて溺れた夜。痛みの記憶は鮮明だ。対してそれと真逆となる記憶が俺にはなかった。
   幸福は痛みの記憶に繋がっている。幸せは続かず、その先にあるのは悲劇だと人生を解釈した。だから、忘れようとした。幸福を忘れてしまえば自分の身に起きた痛みの記憶を思い出して、惨めな思いしなくて済むようにした。
   しかし、俺に刻まれた痛みはふとをした瞬間に蘇る。馬の臭い、山間を流れる川の音、焚き火。忘れろ、思い出すなと記憶を塞ごうとしてもこの痛みだけは一生涯、俺を苦しませ続けた。
   そうして生きていくうちに念持仏を捨て、母親の顔さえも思い出せなくなっていた。
   生きる為には食物が必要であり、食物を得るには盗みしかなかった。汚い親なし子では誰も見る向きはしない。道を歩けば品性が悪いと水をかけられ、裏道を行けば俺より品性の悪い奴らに憂さ晴らしの相手にされた。
   生き延びてこれたのは知識を貪欲なまでに取り入れたからだろう。盗みには技術がいる。技術と知識を得るには人をよく見る必要がある。
   どれだけ技識を盗んで生きる術を見ているだけでは得られないものがあった。その1つが文字だ。
   俺に文字を教えたのは物好きな遊女だった。彼女は文字以外にも無償で世の物事を教えてくれた。人との接し方、女の触れ方、制度、ご法度。何でも知っている遊女は畑の耕し方までしていた。
   そんなものが役に立つのかと文句をつけたことがある。俺は文字さえ教えてもらえればそれでいいのだ。
   遊女はおかしく笑うと「無駄になる知恵はない」と俺に説いてはその次に役に立たななそうな歌を教える。
   俺が心許せた数少ない人だった。師であり、初恋だった。俺を人にしてくれた人だった。そんな彼女を梅の毒が連れ去った。
   彼女が教えた知識は俺が生きる術となった。彼女が説いた言葉は俺を人にした。だから、彼女の事は忘れてはいけない。
   盗みしかない人生だったとしても、俺が生き続ける限り彼女もまた生き続けるのだと聞かせてきた。
   俺が青年と呼ばれるくらいになった年頃、俺は紅柘榴と出会った。
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