糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
215 / 644
3章 死神が誘う遊園地

カンダタ、生前 13

しおりを挟む
   早朝に目を覚ますと布団の中にいた蝶男はどこにもいなかった。蝶男が私を寝床まで運んだ後であちら側に帰ったようだ。
   暖かい布団の隙間から冷たい外気が忍び込む。私はまだ素裸のままだった。
   だらだらと布団に包まっていたいが、いつまでも裸のままでは風邪をひく。
   私は布団を剥ぎ、冷徹な寒さに身を震わす。身体を起こしただけで至る所の骨が軋み、痛んだ。昨晩のあれが後味となって身体に残っている。
   赤い花丸文の着物を着付けて朝餉の準備をする。といっても吐いて疲れた胃袋は芋粥ぐらいしか入らなかった。
   離れの小屋を掃除するように命じられている。しかし、軋む身体に気怠い心。削られた精神を回復させるにはもう少し時間が必要だ。
   私は白塗りの塀に凭れてはまたあの赤い瞳を思い出していた。
   彼がまたこの塀を登ってこないかと期待している。
   自分が強欲な人だとは思わなかった。来るべきではないと関わってはいけないとわかっているはずなのに彼を求めている。
   命を尊ぶ純粋さ、切なそうに笑う表情、珠玉のような瞳。儚くも強かな人。
   思い馳せると仕草や声が鮮明に蘇る。彼と別れてから一晩しか経っていない。彼が遠く昔の人のように思えて寂しい。
   天を仰ぎ、塀の瓦を眺める。思想だけで時間が経つ。その日は珍しく風が暖かい。居心地のいい温度がその場に留まらせていた。
   そうしていると瓦の屋根を飛び越える白い石があった。塀の外側にいる誰かが投げたそれは塀を越え、漠然とした私の額へと落ちていく。
   「いたっ」
   避けようともしなかったが小さな衝突に声を上げてしまった。
   「すまない」
   私の小さな悲鳴は塀の外側の誰かに聞こえてしまったらしい。即座に返ってきた声は赤い瞳の彼のものだった。
   「待って」
   行かないで、続けて言いそうになって口を塞ぐ。会いたいという本能と会ってはいけないと言う使命感が葛藤していた。
   しかし、彼は私の一文さえも聞く余裕がなかったのか忙しない足音を立てながら塀を去っていく。
 なんだったのだろうか。私は足元に転がる球体が視界に入った。それは彼が投げたもので、彼もまた投げた先に私がいるなんてことを思ってもみなかったのだろう。 
 それを拾う。彼が投げたのは黄ばんだ手拭に包まれた柘榴石だった。それは昨日、私が乱雑に手渡した赤い珠玉だ。
 やはり、あの言動は彼を酷く傷つけたのだ。わざわざ返したのは私に対する当て付けだろう。
 思惑通りだが、憂鬱だ。
 手拭に字が書かれている。どんな罵り言葉が書いてあるのかと広げて読んでみる。
 「月夜に赤い珠玉を盗みに来るので大事に隠しておくように。又、手にするまで幾度か訪ねるのでご了承ください」というのが大体の内容であった。ご丁寧に「赤目の盗人より」と文を終わらせている。
 赤い珠玉とは柘榴石のことだろう。私ではないとわかっていても同じ名を持つ石を盗みに来ると言われると自分のことのようだ。
 一人勝手に舞い上がり、弾む身体を抑える。それでいて恥じらう心は手拭で頭を埋もらせて赤面する顔を隠す。
 月夜に来ると書いてあった。今晩の事だろうか。そうに決まっている。そうあって欲しい。
 そうだ、身体を清めないと。昨晩はたくさん汗を流して、反吐も酷かった。髪も梳いていないから乱れている。夕食はどうしようか、食べてくれるだろうか。
   まだ太陽が頂点に着いたばかりで、下ってもいないのに、私は彼の言う月夜に備えようと屋敷へと戻る。
   ふと、足を止めた。
   これでいいのだろうか。彼が会いに来てくれるのは嬉しい。だが、目敏い蝶男が私の隠し事にいつ気付くだろうか。悟られる前に別れなければならない。
   それに私は彼とは不釣り合いだ。私の手はひどく穢れている。
   私は強欲で身勝手な人なのだろう。迎える未来は決まっているのに彼に会う覚悟を既にしてしまっている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...