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3章 死神が誘う遊園地
ミラーハウス 9
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カンダタの歩幅とあたしの走る速度を計算する。いくら計算しても出る答えは逃避不可能。
蜘蛛の脚が一歩進む。距離は充分にあったはずなのに1歩だけ進んだ足はあたしの右隣に降とされた。
蛍光灯が点滅して光が散って消える。
反射的に目を瞑った。破壊された鏡の破片が あたしを切りつけようと飛んでくる。
蜘蛛の脚が降ろされた衝撃と鏡の破片と共に来る風圧が体勢を崩す。
鋭利な破片が散りばめられた床の上に転ぶ。ハクは破片や蜘蛛の脚から守ろうと腕を伸ばしていたけれど、カンダタばかりに意識を向けていたせいで反応が遅れた。
床に転がった あたしの真上に巨大な脚が伸ばされる。ハクが覆い被さり、迫る危機を身一つだけで受けようとしていた。
それも不可能だと恐怖よりも先に結論が出ていた。あの巨大な脚はハクの胴を貫き、あたしの身体に大きな穴を開ける。その未来が容易に想像できた。
それが訪れたのは諦めよりも先だった。
身体を揺らす地震が起きる。的がブレた蜘蛛の脚は誰もいない床に落ちた。
地震は次第に大きくなり、立ち上がるのも困難となっていた。そして、 あたしの前方で鏡と共に床が崩れ裂かれる。
鏡も床も突然空いた空洞に落ちていく。その空洞から手を伸ばし、現れたのはもう1体の怪物だった。
怪物の容姿を例えるなら捨てられた熊のぬいぐるみだ。ふわふわだった生地は雨風に晒されて、汚い柿茶色と梅鼠色に染められていた。5mほどの巨躯、非常に肥大した腹部。熊に似た顔の中心には長い鼻が垂れている。片手には巨躯と同じくらい巨大な棍棒があった。
醜悪な印象を与えたのは腹部から脇まで裂かれたように開く口腔だ。雑食性の平らな歯が並び、赤黒い舌が粘つく唾液を撒き散らす。
崩れた床から這い上がるようにして現れた怪物にあたしは呆気にとられていた。
後方には蜘蛛の脚があり、前方には醜悪なぬいぐるみ。
ぬいぐるみは一歩踏み出すと丸っこい生地の足が床にめり込み、その振動が伝わってくる。腕を伸ばし、棍棒を振り回す。
あの巨躯では鏡の通路が狭く感じるだろう。そうした場所もお構い無しで、棍棒は障害であるはずの鏡を砕き、薙ぎ払う。
桜吹雪の破片が空中の至る所に飛び散る。ハクは凶器となった鏡の桜吹雪からあたしを守ろうと身体を密着させて、あたしもまた身体を最小限に縮めていた。
そんなあたしたちの真上を棍棒が通り過ぎていく。棍棒の脅威に晒されたのはカンダタだった。
8本中3本が棍棒によって払われて床に倒れる。巨大なぬいぐるみが跳ぶと横たわる蜘蛛の脚の上に落ちた。
カンダタの咆哮が大気を揺らす。今までと変わりない声量。けれど、それは痛みからくる悲鳴だ。
怪物の桜吹雪が収まり、あたしは顔を上げる。
ぬいぐるみの視界にあたしたちは入っていなかった。道端の小石と判断され、蜘蛛の脚に向けて歓喜と憤怒とも捉えられるような雄叫びで棍棒を振り回す。
一方的な暴力。棍棒は足を砕き、ぬいぐるみの手がカンダタを鷲掴みにして2度、床に叩きつける。
あたしたちは隔離された静寂の中にいた。怪物同士の争いを傍目で見守り、喧騒があたしたちの静寂を破ってこないように祈る。
「瑠璃さん」
静寂を破かないよう優しく声をかける者がいた。
声の主は少女だった。10歳ほどの背丈をしていて、エメラルドが填められた簪が煌めく。
「こちらへ、安全なところまで移動しましょう」
感情のない声色。塊人だとすぐに気付いた。けれど、遊園地にいたキャストとは違う。少女は硬い表情のままあたしを案じていた。
「あなた、誰?」
見覚えのない少女が不思議と他人のように思えなかった。心の内に芽生えた親近感に戸惑う。
「私は翠玉をモデルにして作られた塊人です。戸惑うのも無理はありません。翠玉はあなたの前世に当たりますから」
「前世?」
「正確には前々世」
目紛しい出来事が立て続けに起きすぎた。混乱する頭を整理しようとすると怪物同士の咆哮がそれを妨げる。
「一先ず、離れましょう。ここは危険です」
あたしは小さな手に引かれて粉々になった鏡の迷路を駆ける。ハクは硬直し、カンダタに向けられる一方的な暴力を眺める。
「彼は心配せずに。もう死んでいますから」
あたしがハクを見つめていたから翠玉が別の解釈として捉えた。
ハクは後悔を残す足取りであたしの後を追った。
蜘蛛の脚が一歩進む。距離は充分にあったはずなのに1歩だけ進んだ足はあたしの右隣に降とされた。
蛍光灯が点滅して光が散って消える。
反射的に目を瞑った。破壊された鏡の破片が あたしを切りつけようと飛んでくる。
蜘蛛の脚が降ろされた衝撃と鏡の破片と共に来る風圧が体勢を崩す。
鋭利な破片が散りばめられた床の上に転ぶ。ハクは破片や蜘蛛の脚から守ろうと腕を伸ばしていたけれど、カンダタばかりに意識を向けていたせいで反応が遅れた。
床に転がった あたしの真上に巨大な脚が伸ばされる。ハクが覆い被さり、迫る危機を身一つだけで受けようとしていた。
それも不可能だと恐怖よりも先に結論が出ていた。あの巨大な脚はハクの胴を貫き、あたしの身体に大きな穴を開ける。その未来が容易に想像できた。
それが訪れたのは諦めよりも先だった。
身体を揺らす地震が起きる。的がブレた蜘蛛の脚は誰もいない床に落ちた。
地震は次第に大きくなり、立ち上がるのも困難となっていた。そして、 あたしの前方で鏡と共に床が崩れ裂かれる。
鏡も床も突然空いた空洞に落ちていく。その空洞から手を伸ばし、現れたのはもう1体の怪物だった。
怪物の容姿を例えるなら捨てられた熊のぬいぐるみだ。ふわふわだった生地は雨風に晒されて、汚い柿茶色と梅鼠色に染められていた。5mほどの巨躯、非常に肥大した腹部。熊に似た顔の中心には長い鼻が垂れている。片手には巨躯と同じくらい巨大な棍棒があった。
醜悪な印象を与えたのは腹部から脇まで裂かれたように開く口腔だ。雑食性の平らな歯が並び、赤黒い舌が粘つく唾液を撒き散らす。
崩れた床から這い上がるようにして現れた怪物にあたしは呆気にとられていた。
後方には蜘蛛の脚があり、前方には醜悪なぬいぐるみ。
ぬいぐるみは一歩踏み出すと丸っこい生地の足が床にめり込み、その振動が伝わってくる。腕を伸ばし、棍棒を振り回す。
あの巨躯では鏡の通路が狭く感じるだろう。そうした場所もお構い無しで、棍棒は障害であるはずの鏡を砕き、薙ぎ払う。
桜吹雪の破片が空中の至る所に飛び散る。ハクは凶器となった鏡の桜吹雪からあたしを守ろうと身体を密着させて、あたしもまた身体を最小限に縮めていた。
そんなあたしたちの真上を棍棒が通り過ぎていく。棍棒の脅威に晒されたのはカンダタだった。
8本中3本が棍棒によって払われて床に倒れる。巨大なぬいぐるみが跳ぶと横たわる蜘蛛の脚の上に落ちた。
カンダタの咆哮が大気を揺らす。今までと変わりない声量。けれど、それは痛みからくる悲鳴だ。
怪物の桜吹雪が収まり、あたしは顔を上げる。
ぬいぐるみの視界にあたしたちは入っていなかった。道端の小石と判断され、蜘蛛の脚に向けて歓喜と憤怒とも捉えられるような雄叫びで棍棒を振り回す。
一方的な暴力。棍棒は足を砕き、ぬいぐるみの手がカンダタを鷲掴みにして2度、床に叩きつける。
あたしたちは隔離された静寂の中にいた。怪物同士の争いを傍目で見守り、喧騒があたしたちの静寂を破ってこないように祈る。
「瑠璃さん」
静寂を破かないよう優しく声をかける者がいた。
声の主は少女だった。10歳ほどの背丈をしていて、エメラルドが填められた簪が煌めく。
「こちらへ、安全なところまで移動しましょう」
感情のない声色。塊人だとすぐに気付いた。けれど、遊園地にいたキャストとは違う。少女は硬い表情のままあたしを案じていた。
「あなた、誰?」
見覚えのない少女が不思議と他人のように思えなかった。心の内に芽生えた親近感に戸惑う。
「私は翠玉をモデルにして作られた塊人です。戸惑うのも無理はありません。翠玉はあなたの前世に当たりますから」
「前世?」
「正確には前々世」
目紛しい出来事が立て続けに起きすぎた。混乱する頭を整理しようとすると怪物同士の咆哮がそれを妨げる。
「一先ず、離れましょう。ここは危険です」
あたしは小さな手に引かれて粉々になった鏡の迷路を駆ける。ハクは硬直し、カンダタに向けられる一方的な暴力を眺める。
「彼は心配せずに。もう死んでいますから」
あたしがハクを見つめていたから翠玉が別の解釈として捉えた。
ハクは後悔を残す足取りであたしの後を追った。
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