糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
438 / 644
4章 闇底で交わす小指

決断 1

しおりを挟む
 迫るキケイに焦りつつもカンダタはなんとかブドウコを登り着いた。
 欠損した脚でも登れるコツを覚えたのか
癇癪を起こしていたキケイはゆっくりと近づいてきていた。
 そんなキケイから逃れ、頂上に着いた時、目に入ったのは子取りの巨大な口に瑠璃たちが飲まれているところだった。
 貝紫色の泥から瑠璃と清音を守るように翼を広げた天鳥。
 あれが蝶男の仕業ならば瑠璃を殺そうとはしないはず。子取りを使って捕獲したのだろう。
 瑠璃と清音を助けに行きたくとも子取りの周囲には貝紫色の泥が浸り、近寄れない。
 どうするかと迷っているうちにキケイもブドウコを登りきり、カンダタに平手打ちを食らわそうと腕を振るう。
 身を屈めながら前方へと駆け、キケイの平手打ちを躱す。咄嗟の行動だった為、片足は貝紫色の泥に触れる。
 すぐに足を引かせたので草履の裏を溶かすだけで済んだ。そうしてキケイから目を逸らしてしまったのがまずかった。
 ほんの僅かな隙のうちにキケイは手の平を広げ、カンダタの胴を掴むと床に叩きつける。ブドウコの床は柔らかく、背中に伝う衝動は弱かった。
 しかし、横たわったカンダタの頭に貝紫色の泥が進行しており、その上じわじわと広がっていく。髪が溶かされていくのが臭いと音でわかる。
 起き上がらなければならないのにキケイの手の平がカンダタを床に抑えつける。
 瑠璃たちを飲んだ子取りは覚束ない足取りで立つと自らが裂いた天井へと戻ろうとする。
 「キケイ!落ち着いてくれ!」
 考えあぐねていた結果、暴走したキケイに話しかける。こうなる前は温厚だったのだ。宥めればきっと放してくれる。
 キケイはカンダタの声すらも苛立つようで、抑えつける手に力が篭る。脳裏に過ぎったのは裸体の女性がキケイによって叩きつけられ、潰される光景。
 「瑠璃を助けないと!このままだと約束も果たせないぞ!」
 怒りで歪む顔は赤子とは呼べないものだった。そこから溢れる癇癪は咆哮と例えたほうがしっくりくる。
 これでは何を言っても伝わらない。
 諦めがカンダタの心に染み渡る。
 キケイと目が合う。恨み辛みで染まった咆哮と違い、目蓋には悲しい雫が溜まっていた。
 不意にカンダタの力が抜けた。焦りや切迫が剥がれ、唇から言葉が漏れる。
 「すまなかった」
 か細い声はキケイの咆哮や女性の悲鳴などで掻き消されそうだった。
 「何もしてやれなくて、すまなかった」
 カンダタの口から自然と漏れた謝罪。恨み辛みと同等のの深い悲しみを目の当たりにし、謝罪せずにはいられなかった。
 「俺が悪かった。身勝手だった」
 キケイと同じようにカンダタの目にも涙が溜まっていた。カンダタが謝罪していたのは目の前のキケイではなく、自身の子に対してだ。
 「けど、嬉しかった。どんな形であろうと嬉しかったんだ。それは本当だ」
 紅柘榴にあやされる赤子を想像する。母親に身を委ね、次第に夢の中へと眠りにつく。その寝顔はどんな宝玉でも霞んでしまうほどに可愛らしいだろう。
 悲しむことなんて何一つないはずだった。これはずっと夢を見て、欲しがっていた幸福なのだ。
 この腕で抱けなかった。守ってやれなかった。 
 蝶男の暗示に負けなければ死なずに済んだのに、悔しくて堪らない。
 キケイの握力が抜けていった。赤子にあった憎悪は萎え、怒りが抜け落ちれば悲しみだけが残る。
 また、泣き出す。そう思うとカンダタ自身も冷静になれた。
 「恨まれても仕方がない。けど、瑠璃たちを助けに行かないと。それだけは許してくれ」
 癇癪でカンダタの声が聞こえなくなる前に手を退かしてもらうように乞う。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...