糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
24 / 644
1章 神様が作った実験場

邂逅するまで 11

しおりを挟む
 牙では届かないとやっと学習した鬼は乱暴的な鉤爪であたしへと伸ばしてくる。鉤爪の切っ先が首筋に触れたかと思うとあたしから引っ張られるように離れていく。触れた爪先は首に掠り傷とつけて獲物を逃す。
 溝と線路の間から鬼の脚と誰かの脚が交互に足踏みをして砂と踊る。血が弾け、生臭さが蔓延し、怒声と悲鳴が飛び交う。
 この血は誰のもの?この悲鳴の持ち主は?
 声も上げられず、血も流さないあたしはホームの溝の中で小さく惨めに震える。
 しばらくして、舞っていた砂は落ち着きを取り戻し、再び静寂やってきた。
 少しだけ迷ったあたしは溝から出ることにした。
 小さな戦場の跡には横たわる鬼の残骸があった。そして、ホームに腰を下ろして息を整えていたのはあの黒い男だった。
 男は疲れた顔で笑うと自分の首筋に手を当てる。それはあたしの首についた掠り傷を示していた。
 「掠り傷よ」
 男が持つバールの先端は錆びた茶色と新鮮な赤色とが混じり、肉片がこびりつく。
 静寂が訪れた今も男の肩は大きく上下に揺れて呼吸はまとまらずにいた。それでも男の目は真っ直ぐに曇天から差した光柱へと向けられる。
 それは海を眺めるように穏やかで思い人を馳せるような悔しさで、彼から滲んだ感情は表現のしようがなく、複雑だった。
 彼の横顔を眺めていたら首に細く光る物が首に巻かれていた。蜘蛛の糸のように伸びている。なんとなく、白銀の糸を目線で辿ってみればあたしの手首にまで続いていた。
 いつの間に?
 あたしに巻かれてある糸に触れてみれば、ふっ、とそれは姿を消す。
 なんだろうと首を傾げるもすぐに目線を彼に戻した。
 「あそこに何かあるの」
 「あー、くぅ」
 喋るのに慣れていないのかしら。違うわね。言葉を使っていなかったから喉が錆びたのかもしれない。一度、声を出すと錆びはとれていき、声量も先程よりは聞き取れるようになっていた。
 あたしもホームに寄りかかって世界を照らす光柱を眺めることにした。
 近くにいたハクは男をまじまじと観察して、反応をみようと頭に触れたり、肩に触れたりするもすり抜けてしまう。地獄でもハクは透明でその姿は男にも見えていないようね。
 一先ず、あたしは彼に話しかけて喋らせようとした。
 声の出し方を忘れてしまったのなら思い出せばいい。習慣化されたものは思い出すのも早いはず。
 だからあたしはたくさん話しかけた。名前、年齢、いつからここにいるのか、なんでここにいるのか。
 どれも生産性のない会話で一方的に話す場面もあった。それで漸く、ちょっとずつ話せるようになってきた。
「りゃ、くそ」
 そう言っても彼の滑舌は最悪なもので発した単語が「約束」だと理解するのに少しだけ時間がかかった。
  それでも、こいつの言っていることは理解できない。さっき言ったのは約束、よね?何よそれ。
 あたしもホームに寄りかかって世界を照らす光柱を眺めることにした。
   近くにいたハクは男をまじまじと観察して、反応をみようと頭に触れたり、肩に触れたりするもすり抜けてしまう。地獄でもハクは透明でその姿は男にも見えていないようね。
 「ここにはあなたしかいないの?」
 情報が欲しかった。あたしが地獄にいる限り知っておかないといけない最低限の知識を彼から得ようとする。
 「きい、が、はじ、め、て」
 「どのぐらいいるのよ」
 これはちょっとした興味本位で聞いた。彼の身なりからして現代の人ではなかった。
 「なま、えもわ、すえる、ほどなが、く」
 「名前も?鶏だってもっとマシな記憶力を持ってるわよ」
 あたしの悪癖がでた。男は眉をひそめる。突然言われた罵声に戸惑っていた。
 「生まれつき口が悪いの。気にしないで」
 詫びもしないあたしに男は不快になりながらも、この世界について拙い言葉使いで教えてくれた。
 彼が指す空の穴には仏とやらがいて、あたしたちを見ていること。あそこに行けばこの世界から抜け出せること。そこには彼の待ち人もいるのだと、どうでもいいことまで話した。
 まぁ、あたしの感想としては“何言ってんのこいつ”だ。
 そう思うのは2度目ね。
 この世に仏がいるなら与えられる試練は全て乗り越えられるし、努力は報われる。人が作る世だからこの世は地獄なのに。哀れな奴、頼る記憶もなくなって、孤独が言葉を上書きされて、空の穴とやらに待ち人を妄想した挙げ句、それを現実だと思い込む。可哀想すぎて笑えてくる。
 男は空の穴へ共に行こうと提案していた。
 誰かと行動するなんて疲れるだけだわ。でも、危険が多いのも確かで情報不足でもある。それに彼は鬼を撃退できて、長くいるから知識もある。特にやることもないし少しだけ付き合ってあげましょうか。
 「そうね。行ってみようかしらね」
 そう言ったあたしは手を差し出す。
 「あたしは瑠璃よ」
 男は差し出された手に戸惑う。そうか、握手の文化も知らないのね。だいぶ、古代人のようね。
 「握手よ。よろしくって意味。あんたが生きていた時代や文化は語り草になっているみたいね」
 男からしてみれば新しい文化の出会いになる。戸惑いながらも手を握り返して異文化に触れる。
 「しゅき、に、よべ」
 「そう、じゃあ、カンダタでいいかしら」
 芥川龍之介の作品からとった名。現国は得意な分野ではないけれど教科書に載っていたあの話は印象的に残っていた。
 神がいると信じて天国に行けると信じて切れる糸を辿って行くその姿はカンダタの名に相応しい。
 名前の真意も知らずにカンダタは笑った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

処理中です...