糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
51 / 644
1章 神様が作った実験場

空の穴 12

しおりを挟む
 カンダタはひどい有様だった。頭から腰まで白く染められて、消毒液をかけられた目や瞼は赤くしみて充血している。折られた鼻も歪んでいる。おまけに消火器を投げられて、額からは赤筋の血が滴る。
 振り向けないのでその様を想像でしか拝めず、焦りながらも嘲笑する。それと同時にカンダタがどのくらいの速さで距離を詰めてくるかと考えた。
 あたしは化学室の出入り口まで来ていた。カンダタは教室の反対側、窓を降りたばかり。教室の端と端だとしても、あたしの速さでは校庭まで行けない。小細工な足止め案はもうない。
 打開案もなく、追い詰められた思考はハクの姿を思い浮かばせた。
  「ハク!ハク!」
 張り切れそうな声で叫ぶ。
  「助けて!」
 ハクはまだ化学室にいた。声が届くには充分な距離。ハクはまだ怯えて、教室の角で震えていた。この状況を救えるのはハクしかいないのに。
 化学室のドアを潜り、向かいの窓へと踏み込んだ矢先、背後から強く髪を引っ張られる。
  あまりにも強く引かれたものだからその力に抵抗しようもなく、カンダタはそのまま床へと落とす。
  「ハク!」
 もう一度、叫んで助けを求める。ハクは今のカンダタを恐れている。助けには来ないかもしれない。それでも叫ぶ。
 逆様の視界が逆様のカンダタを映す。覗かせてくるカンダタの顔から粉末や血、汗か降る。
  「見栄えがよくなったじゃない!滑稽だわ!」
 このまま殺されるとしても、情けなく死ぬのはプライドが許さなかった。あたしは強がりながらも抵抗していた。たった一本の腕なのにその手から逃れられず、踠いても足掻いても腕を引っ掻いても動じない。
 カンダタから荒い息がかかる。餌の前に興奮しているのかしら、それとも注ぐ光が彼を苦しめているのかしら。
 廊下の窓から注いだ空の光は直接、カンダタの頭上に降る。光の強弱に合わせて彼の息遣いが荒くなり、弱くなる。
  光。やっぱり、あの光が苦手なんだ。
 その事実が浮くとまた別の事実が浮き彫りになる。ハクは光に晒されても平気そうだった。なんでもないような、太陽の下に立つような、苦情した顔も鈍くなった仕草もない。
 色だけじゃない。ハクは鬼としても違いがあった。
  「ハク!」
  あの子が来てくれれば、光にも恐れないハクなら。
  声がある限り叫ぶ。つもりでいた。なのに、カンダタの両手はあたしの首に滑り込み、血脈、気管を塞ぐ。
 一気に締め付けられると声の出しようもない。
 食われるものかと考えていたけれどどうやら人は好みではないらしい。唾液で塗れたその口はあたしを食らうとしなかった。
 いや、それよりもこの状況を切り抜けないと。息が、苦しい。
 空気が循環されなくなった身体と脳はひとつの警報を鳴らす。死にたくない。
 そうか、あたしはまだ死にたくないのね。もう死んでいるだろうから死にようはないけれど。なぜだろう、まだ足掻ける気がする。まだ足掻きたい。
 気が付けば糸と針があたしの右手に現れる。白糸はあたしの意志に従ってくれる。なら、この意思にだって従う。 
 糸を強く握って一つの命令を伝える。針はあたしに従って蜂のように飛ぶ。白銀の糸を連れた針はカンダタの首回りを飛んであたしの左手に戻る。
 右手に糸を左手に針を握る。あたしは残る力を全て使い、糸を引く。白糸は引き締まり、カンダタの首皮に減り込む。
   ひどい消耗戦。あたしが力を入れれば入れるほど息が苦しくなる。カンダタも食い込む糸を無視してあたしの首を放さない。あたしが首の血脈を傷つけても、流血しても気にしない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...