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1章 神様が作った実験場
魂のプログラム 16
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今度こそ牙はあたしを食らうと向けられて、倒されたままのあたしは尻餅を尽きながら後ろへと後退する。
「ハク!」
無意識にその名を呼ぶ。なぜか確信していた。ハクは近くにいる。鬼はあたしへと近づき、大きな顎を開く。
「ハク!」
もう一度、叫ぶ。
そうよ、いつだって、あの子は近くにいた。
「ギャアアア」
あたしの強い呼びかけに答えるみたいにもう一つの金切り声が聞こえてきた。
ヘドロの底から這い出たハクは鬼の牙が届く前にあたしを拾い上げると逃げていく。
鬼は追っては来なかった。その理由をあたしたちは推測できない。もしかしたら、この状況を作った光弥の単なる気まぐれなのかもしれない。
「もういいわ。降ろして」
走り続けていたハクを止めて、あたしは白い肩から降りる。
「で、あんたはどこからでてきたわけ?」
あたしの視認が正しければこいつは床から生えてきた。走って跳んでとかではなく、下からきた。
ハクは首を傾げてあたしを見る。やっぱり、わかっていないみたいね。
「さて、ハクも来てくれたし、あとはカンダタだけね」
するとハクは嬉しそうに飛び跳ねて、尾を振りながら落ち着かずにあたしの周りを駆けまわる。鬼より犬に似ているわね。
「やっぱり、理解できないよ」
再び聞こえてきたのは光弥の声だった。
「自分本位の君が友情でも愛情もないのに、なぜそこまであの男に執着するんだ?」
挑発でもない、ただの疑問符がついた質問だった。
「さあね。あなやたちには理解できない何かよ」
そう言ってみるもあたしが一番に理解できていなかった。
光弥の言う通り、白鋏が空間をも切って、越えてしまえるのならカンダタを見捨ててさっさと現世に帰ればよかった。それをしなかった理由を考えてみたけれど、カンダタに仲間意識やましてや恋愛対象だなんてものはない。きっと、それ以外の名前のない感情にあたしは突き動かされていた。
「まぁ、いいさ。もう知れることはないだろうしね」
光弥がそう言うと今まで固い感触をしていた床が泥沼の感触に変わって、あたしは底なし沼に沈むようにして再び暗闇の中に落ちていく。
目を覚ますとあたしは汚い部屋の床に寝ていた。部屋にこびりついたスナック菓子の臭い。光弥の作業室に戻ってきたみたいね。いや、眠らせていただけ?
身体を起こして周囲を確認すると、光弥はいなくなっていた。カンダタはすぐそこにいたけれど、変わらずに電池の抜かれたロボットみたいに眠っていた。
あたしがどのぐらい寝ていたかはわからないけれど、いい加減に起きて欲しいものね。
カンダタと対峙して、この後のことを考える。叩いても起きなかったし、あたしじゃカンダタを持って運ぶのは無理。ハクにお願いしてみようかしら。
「君の言う通りだ」
あれこれと考えているとカンダタから声がした。彼は起きていた。なのに、動きもせずにただそこに力なく座っている。
無気力な人形が無気力なまま喋る。
「仏もいなかった。誰かの幻を信じて作られた使命感で俺のものはなくなっていた。死んだときに失っていたんだ。何もなかったんだ」
あたしはカンダタの言い分を黙って聞く。
「何しに来たんだ。憐れみにきたのか、笑いに来たのか。俺の不幸は甘いか?」
呆れた。光弥と同じことを聞くのね。でもあいつと違うのは、カンダタは自分自身を探している。それを見つけられなくて、嘆いてあたしに問う。
だとしても、あたしはカンダタの探し物は持っていないし、求めている答えは返さない。
「カンダタの不幸自慢に耳は貸さないわよ。そういう話ほどつまらないものはないんだから。ねぇ、あんたが空っぽの魂なら喋るわけ?落ち込むわけ?何もない人間って言うのは墓に埋められても文句ひとつ言わないわよ。さすがに抵抗するでしょ?」
「手足を縛られていなければね」
「なら、できるわね。縛ってるものはないもの。カンダタって文句ばかりで何もしないのね」
無気力だった人形が弱く微笑む。人形にはない疲れた笑みだった。
「まさかとは思うけど励ましてるのか?」
「そう聞こえるならもう一度プラグを刺してもらった方が良いわね。おかしい部分を治してもらいなさいよ」
あたしは指先で自身のこめかみをトントンと叩いて笑い返す。カンダタの弱々しい笑みに苦さが混じってほんの少しだけ気力が戻る。
「不幸者の愚痴を聞く暇はないわよ。あんたを迎えにきて無駄に時間を消費したんだから」
「驚いたな。瑠璃は誰かを助けるような人じゃないだろ」
「あたしが一番驚いてるわよ。食物とお金以外は持たないと決めたのにね」
ようやく、カンダタが顔をあげた。死んでいるくせに生き生きとした赤い瞳。あたしとは正反対の瞳。
あたしは手を差し出して言う。
「助けてやるんだから文句はなしよ」
「場所による」
そう言って差し出された手を握り返した。
あたしは現世にある自身の身体を思い浮かべる。今頃、ベッドの上で寝ているあたし。誰かが待っているわけでもないのに無性に恋しくなった。
白鋏で空間を裂いて現世を繋ぐ。
さあ、帰ろう。
2人は同時に光へと飛び込んだ。
「ハク!」
無意識にその名を呼ぶ。なぜか確信していた。ハクは近くにいる。鬼はあたしへと近づき、大きな顎を開く。
「ハク!」
もう一度、叫ぶ。
そうよ、いつだって、あの子は近くにいた。
「ギャアアア」
あたしの強い呼びかけに答えるみたいにもう一つの金切り声が聞こえてきた。
ヘドロの底から這い出たハクは鬼の牙が届く前にあたしを拾い上げると逃げていく。
鬼は追っては来なかった。その理由をあたしたちは推測できない。もしかしたら、この状況を作った光弥の単なる気まぐれなのかもしれない。
「もういいわ。降ろして」
走り続けていたハクを止めて、あたしは白い肩から降りる。
「で、あんたはどこからでてきたわけ?」
あたしの視認が正しければこいつは床から生えてきた。走って跳んでとかではなく、下からきた。
ハクは首を傾げてあたしを見る。やっぱり、わかっていないみたいね。
「さて、ハクも来てくれたし、あとはカンダタだけね」
するとハクは嬉しそうに飛び跳ねて、尾を振りながら落ち着かずにあたしの周りを駆けまわる。鬼より犬に似ているわね。
「やっぱり、理解できないよ」
再び聞こえてきたのは光弥の声だった。
「自分本位の君が友情でも愛情もないのに、なぜそこまであの男に執着するんだ?」
挑発でもない、ただの疑問符がついた質問だった。
「さあね。あなやたちには理解できない何かよ」
そう言ってみるもあたしが一番に理解できていなかった。
光弥の言う通り、白鋏が空間をも切って、越えてしまえるのならカンダタを見捨ててさっさと現世に帰ればよかった。それをしなかった理由を考えてみたけれど、カンダタに仲間意識やましてや恋愛対象だなんてものはない。きっと、それ以外の名前のない感情にあたしは突き動かされていた。
「まぁ、いいさ。もう知れることはないだろうしね」
光弥がそう言うと今まで固い感触をしていた床が泥沼の感触に変わって、あたしは底なし沼に沈むようにして再び暗闇の中に落ちていく。
目を覚ますとあたしは汚い部屋の床に寝ていた。部屋にこびりついたスナック菓子の臭い。光弥の作業室に戻ってきたみたいね。いや、眠らせていただけ?
身体を起こして周囲を確認すると、光弥はいなくなっていた。カンダタはすぐそこにいたけれど、変わらずに電池の抜かれたロボットみたいに眠っていた。
あたしがどのぐらい寝ていたかはわからないけれど、いい加減に起きて欲しいものね。
カンダタと対峙して、この後のことを考える。叩いても起きなかったし、あたしじゃカンダタを持って運ぶのは無理。ハクにお願いしてみようかしら。
「君の言う通りだ」
あれこれと考えているとカンダタから声がした。彼は起きていた。なのに、動きもせずにただそこに力なく座っている。
無気力な人形が無気力なまま喋る。
「仏もいなかった。誰かの幻を信じて作られた使命感で俺のものはなくなっていた。死んだときに失っていたんだ。何もなかったんだ」
あたしはカンダタの言い分を黙って聞く。
「何しに来たんだ。憐れみにきたのか、笑いに来たのか。俺の不幸は甘いか?」
呆れた。光弥と同じことを聞くのね。でもあいつと違うのは、カンダタは自分自身を探している。それを見つけられなくて、嘆いてあたしに問う。
だとしても、あたしはカンダタの探し物は持っていないし、求めている答えは返さない。
「カンダタの不幸自慢に耳は貸さないわよ。そういう話ほどつまらないものはないんだから。ねぇ、あんたが空っぽの魂なら喋るわけ?落ち込むわけ?何もない人間って言うのは墓に埋められても文句ひとつ言わないわよ。さすがに抵抗するでしょ?」
「手足を縛られていなければね」
「なら、できるわね。縛ってるものはないもの。カンダタって文句ばかりで何もしないのね」
無気力だった人形が弱く微笑む。人形にはない疲れた笑みだった。
「まさかとは思うけど励ましてるのか?」
「そう聞こえるならもう一度プラグを刺してもらった方が良いわね。おかしい部分を治してもらいなさいよ」
あたしは指先で自身のこめかみをトントンと叩いて笑い返す。カンダタの弱々しい笑みに苦さが混じってほんの少しだけ気力が戻る。
「不幸者の愚痴を聞く暇はないわよ。あんたを迎えにきて無駄に時間を消費したんだから」
「驚いたな。瑠璃は誰かを助けるような人じゃないだろ」
「あたしが一番驚いてるわよ。食物とお金以外は持たないと決めたのにね」
ようやく、カンダタが顔をあげた。死んでいるくせに生き生きとした赤い瞳。あたしとは正反対の瞳。
あたしは手を差し出して言う。
「助けてやるんだから文句はなしよ」
「場所による」
そう言って差し出された手を握り返した。
あたしは現世にある自身の身体を思い浮かべる。今頃、ベッドの上で寝ているあたし。誰かが待っているわけでもないのに無性に恋しくなった。
白鋏で空間を裂いて現世を繋ぐ。
さあ、帰ろう。
2人は同時に光へと飛び込んだ。
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