糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

改変 12

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 なぜあの時斬らなかったのだろう。
 あの場から離れずこの男を斬ればよかった。
 白い刀の切っ先を蝶男に向ける。
 50年越しの後悔が遅れながらにやってきた。その後悔は50年分の恨みを爆発させる。
 白い刀を構え、瞬発的に飛躍した。狙うのは蝶男の首だ。
 後先を考えない白い切っ先が下から上へと弧を描く。
 弧の線に奴の血が混ざるのを願ったが、線が首に届く前に蝶男の身体は黒く染まると無数の蝶となって霧散した。
 黒蝶の群れはケイから離れ、通路の奥へと逃げる。
 「ケイ待って」
 飛躍から着地し、蝶の群れとなった蝶男を追いかけるつもりでいた。だが、呼び止めながらケイの背中に抱きついてきた。それと同時に強い衝撃があった。
 振り返ればケイの背中を刺した清音がいた。
 身体の痛覚は生者と比べれば少ない。このぐらいでは致命的な傷には至らない。なのにケイを刺したのが清音だと認識した途端、自然と手の力が抜けた。
 「刀を!」
 床に刀が落ちると清音が叫んだ。
 そして驚き、呆然としていた赤眼の少年が指示した通りに動き、夢見草の効果がきれたケイに近づくのは恐ろしかったが、落ちた刀を拾う。
 「ごめんね」
 眉を垂らし、微笑みながらナイフを抜く。身体に空いた穴から血が漏れる。
 蹌踉めき、そのまま倒れそうになる。脚の力も抜けつつあった。しかし、前のめりになると白い刀を持った少年が目に入り、倒れそうになった脚は力強く踏みとどまった。
 あれは影弥の形見だ。影弥がケイに託し、ケイが瑠璃に託すように影弥が頼んだものだ。影弥の形見でもあり、遺言でもあるのだ。
 中腰になりながら離れようとする少年の首根を掴み、シャッターが降りた壁に叩きつけた。こうした暴力に対して少年は恐怖しかない。痛みではなく、恐怖により身体が固まる。
 折角手に入れた白い刀を手放す。早く取り返せねばとケイは焦り、刃を掴んだ。
 清音はケイの背中に飛び移った。右腕はしがみつくように首に巻きつき、ナイフを持った左手でケイの胸を貫く。
 そこはケイの急所とも言える場所でもあった。そこを清音が狙ってきた。
 ナイフを抜き、清音は一度目よりも深く刺そうとナイフを掲げる。新しくできた穴から血が漏れる。精力が失っていくのを感じる。
 大きく息を吐き吸いながら清音の頭を鷲掴みにする。腰を屈め、背中にしがみつく清音を床へと引きずり下ろした。激しく背中をぶつけられた清音だったが、つかさず白い刀の柄にしがみつく。
 清音を蹴って剥がそうと考えた。
 「やめてっ!」
 必死にしがみつき、泣きながらも訴える清音はケイの闘気を下げ、蹴ろうとして足が下がってしまう。
 この清音は別人だ。本人そっくりに乞うてもそれは蝶男が操って動く清音だ。
 下りかけた脚がまた上がり、力強い脚は白い刀の身幅に当たる。白い刀は上身の半ばで2つに折れた。清音は柄、ケイは刃先の方を得る。
 「すまない」
 操られた清音を見つめ、清音本人に対して伝える。
 清音はもう現世では生きていられない。彼女の魂はこちら側のものになり死者となった。
 黒蝶に支配され、本人の自覚がないままに黒く侵食された魂を救う術はない。
 助けてもらった恩を返したいと守りたいと思えた少女は守れずに死んだ。
 柄にしがみついていた清音は身体の支えを失い、床に倒れる。
 それを横目にケイは背を向け走り出した。
 蝶男は追わない。ケイがやるべきことは復讐でも懺悔でもないと己の存在理由が告げていた。
 清音が狙って刺した左胸は僅かに核を外した。塊人に「死」はない。身体が欠損したとしても代わりのものを接げば良い。だが、核を失えば身体も思考も保てない。これが塊人の消滅だ。
 走りながらも感じるのは核から流れる精力みたいなものが漏れる感覚。空いた穴を埋めるものを探したほうが良いが、残念ながら時間がない。
 疲労を感じないケイの身体が重い。恐らくこれが「怠さ」と「疲労感」と言うものだろう。
 ケイを追いかけるものはいなかった。しかし、地下の出口である階段を前にした時、扇風機女子が立ちはだかる。
 「どけ」
 息切れの低い声が鼓膜に響く。折れた白い刀の刃を強く握った。
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