糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

改変 11

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 地上の掃除がそろそろ終わった頃だろうか。そういったことを考えていると足音が闇から現れる。
 光弥と少年は同時に立ち上がり、2人の影を見遣る。
 1人は蝶男、もう1人は清音だった。彼女の訴えは蝶男には聞かなかったようで不服そうな顔をしている。
 「失敗したんだな」
 揶揄する光弥を清音は忌々しそうに睨む。その顔が怖く
、光弥を睨んでいるはずなのに責められているのは少年なのではないかと錯覚しそうになる。揺らぐ脚を踏ん張る。
 「口論は全てが終わってからにして欲しいな」
 まるで鶴の一声だ。蝶男が口から音を出せば喧嘩しそうな2人が黙ってしまう。2人の感情をこの男はいとも容易く潰す。
 これからのことを話そうとした蝶男だったが、不意に振り返る。
 彼は表情が変わらない。振り返ったその先に何があるのかその意図は何かを読み取りたくでもできない。
 蝶男が見つめる通路の闇の奥を見つめる。
 目を眇めて蝶男が見つめる闇の奥を捉えようとした。
 先に認識したのは音だ。カン、カンと一定のリズムで床を叩く。最初は優しく聞こえていたものは段々と強くなり、耳に威圧的な響きを残す。
 「ここまでのようだ」
 蝶男が静かに呟いた。
 床を叩いて鳴らし、闇から現れたのはケイだった。仮面で表情が隠れてもわかる。手が赤くなるほど強く握り、少年にも聞こえてしまうほどの歯軋りをしている。そして、何より刀で強く叩くことにより現れる意思。
 怒っているんだ。少年を含めた4人全員に。
 記憶を取り戻したからだ。記憶を改竄した清音にも協力者の光弥にも少年にも言い訳は通用しない。そして、最も怒っている相手は蝶男だ。
 それを知っているのか蝶男は変わらない笑みで怒り荒ぶりそうなケイを見つめていた。
 怒り一色で睨むケイの目線の先には影弥そっくりの顔を持った男が立っている。
 この顔だ。この顔ではっきりと思い出した。
 影弥と同じ顔を持ったこの男が影弥を殺したのだ。


 桂の木々に囲まれた古い民家をケイは今の今まで忘れていた。
 身に染みこんでいた桂の匂い。寒い季節と共ににやってくる渡り鳥が羽休めする水面の風景。安心できる膝上の心地よさ。忘れてはいけなかった大切な思い出だ。
 清音の改竄のせいではなく、50年と言う月日が忘れさせた。
 水鳥の土産を咥え、草木を駆け、そして着くのはケイの暖かな記憶が詰まっているあの民家だ。
 影弥はケイにとって主人であり、命の恩人であり、ぬくもりをくれた人だ。だから与えられたものを返したい。片脚がない影弥の生活を支えるのも水鳥の土産をもっていくのもケイなりの恩返しだ。
 温かい家が冷たい記憶に上書きされてしまった。大切な思い出を踏み躙られた。
 民家に入り、水鳥を自慢しようと下駄の横に置く。それから自分の帰宅を知らせようとしたが、家内に充満する臭いにケイは身体が凍りついた。
 血の臭い、景弥のものと混ざっている。覚えのない侵入者の臭いも。
 玄関の下駄は1人分。外出する時はあの下駄しか履かない。客人が来るという話も聞いていない。
 だからこそ、ケイは大声で影弥を呼ぶことはせず、足音を立てずに2階へと上がった。
 いつだったか影弥はケイを造った理由を語っていた。
 いつの日かわからない未来で影弥の大切な人たちが危険に立ち向かう。
 そうした時、ケイが力になるのだと影弥が話してくれた。その話をした時に白い刀を託された。これを次の子にもう渡してほしいのだと言われた。ケイが初めて与えられた存在理由だ。
 「あの子たちを助けてあげてね」
 そう言って頭を撫でてもらった。
 今にして思えばあれは影弥の遺言だったのかもしれない。
 家具や書物を整理し、ケイに日本地図や地理を覚えさせたのは影弥が悟っていたのかもしれない。ケイの嗅覚が鋭いように影弥も「死」に関しては敏感であるようだった。
 ケイは静かに段差を上る。同時に臭いが強くなる。
 見たくないという意思が強くあった。慎重になって上がらないといけないのに4本足が震えている。
 2階に上がり、半開きになったドアから光が漏れている。黄昏時の僅かな光だ。
 半開きの隙間から頭だけを出す。
 室内には充満した血の臭いがあり、もうすぐ夜になる黄昏時の風景の中にはケイが否定したかったものがあった。
 血溜まりの中で倒れている影弥だ。そのそばで立っているのは影弥だ。影弥が2人いる。
 片方が本物で片方が偽物だと一目でわかる。立っているほうが別の人物であり、影弥のお気に入りの椅子で死んでいるのが影弥だ。
 影弥と同じ顔を待つ男は死んだ男を見下げている。ひたすらに見つめている為、黒猫の存在には気付いていないようだった。
 ケイは後ろ向きで退き、自身の存在を悟られないように階段を降りた。
 4本足が震えていた。縛られて動けないと叫ぶ身体に鞭を打つ気持ちで民家を出た。
 あの場には戻りたくないと家に帰りたい気持ちが2つ混在していた。
 いい例えられないような渦が家の中を支配し、桂の木々を逃げるようにして駆け抜けた。
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