糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
585 / 644
7章 赤い珠が映す空想未来

白い鬼、幼い記憶 10

しおりを挟む

 夜の暗闇に目を閉じて朝の光の眩しさに目を覚ました。
 隣で寝ていたはずの兄がいなくなっている。兄の分の布団 は畳まれていた。
 私より先に起きて顔だけでも洗ったのかな。
 そう思って布団を頭まで被せて朝の光を断つ。すると、乳母さんが兄の名を呼び叫んでいるのが聞こえた。
 心の底から避けるような叫び声だったから私も不安になって布団から出てきて着物に袖を通して帯を巻く。
 縁側の戸は開けてあって、庭には乳母さんが歩き回って兄の名を呼んでいる。
 縁側に立つ私に気づくと乳母さんは顔に多くの皺を作って私を睨む。
 「どこにやったのっ私の子供をっどこにやったのよっ」
 耳を裂くような金切り声は私に向けられたものだとわかり、彼女の威圧に足腰の力が抜けて尻餅をついた。
 怯えていても乳母さんは構わずに鬼の顔のまま私に迫ってきて、髪をひっつかんで縁側から引きずり落とす。
 ろくに受け身も取れずに冷たくなった地面の上に落ちたせいで手首と肩に経験したことのない痛みが走り、叫びそうになった。
 「答えなさい化け物っ私の子はどこなのっ」
 私が痛いと言う前に乳母さんが叫んだから気持ちを伝える間はなかった。
 「あの子は外だよ」
 ずっとそこに立っていたかのように蝶男がいたから泣いてた私も興奮していた乳母さんも目を丸くして庭の真ん中に立つ彼女を見る。
 「夜のうちにね、一人で塀を登って行ったんだよ」
 驚いている私たちに対して蝶男は呑気に塀を眺めていた。
 乳母さんは青褪め言葉を失い、その間私は昨夜の兄を思い出していた。
 何度も「ごめんな」と言っていたのは私を置いていくつもりだったからだと理解して冷たい地面より深く冷たいところに落とされた気分になった。
 呆然と絶望している私と違い、乳母さんは青褪めた感情が熱を持ち始めた。
 「連れ戻して」
 人の心をしてたような鋭利な言葉を私に言い放った。
 「連れ戻しなさいっ今すぐにっ」
 「でも外は危ないって」
 「化け物なら平気でしょっ」
 私は弱々しく言ったものの乳母さんは関係ないと言い放った。髪と襟首を掴んで私を引き摺って塀の壁の前に連れて行く。
 塀の外なんて出たことがない。今まで「行くな」と口うるさく言い聞かせてきたのにいきなり行けと言われて、しかも乳母さんは行かないと許さないと私を睨んでいた。
 乳母さんは怒り狂って、私は助けて欲しくて泣いてるのに蝶男は微笑したまま観察していた。
 独りなんだとその時初めて気づいた。
 私は大切じゃないから兄は私を置いていった。乳母さんは兄のことしか考えられなくて、私を娘だと思ってくれてなかった。蝶男は私たちを観察の対象でしかなかった。
 誰の心にも私はいない。
 そう思うと更に泣きたくなって、涙に同情しない乳母さんが「早く行け」と叫ぶから、頭が真っ白になった私はその命令をあっさり聞き入れた。
 泣きながら帯を解いて裸になり、鬼へと変貌すると塀の瓦屋根よりも高く飛んだ。
 兄を探しに行かないと、戻ってもらわないと。
 私の頭はそれでいっぱいになっていた。兄が戻ってくれば乳母さんは私を好きになってくれるかもしれないし、兄も思い留まってくれるかもしれない。
 きっとそうなる。絶対、そうなる。
 塀の外は中よりも寒くて雪で白くなった地面に降り立つと見慣れない景色に私は戸惑った。
 雪原の草木は眠るように枯れていて、夢から覚めてしまいそうになるほど白く眩しい。
 人の気配もないし、鳥の鳴き声もしない。この地の生物は私しかいないと思い知らされるているようで怖くなった。
 安全な塀の中に帰りたかったけど、乳母さんは許してくれない。
 兄を追いかけたくても壁のない外は制限のない自由そのもので、自分がどこに行きたいのか分からなくなる。
 そんな中、見つけた足跡に思わず歓喜した。
 純白を汚す足跡は私にとっては蜘蛛の糸のような希望で、嗅いででみれば馴染みのある兄の匂いがした。
 そこに行けばいいと示す足音に従い、どこにでも好きに行けばいいと言ってくる雪原の中を走った。
 足跡を辿っていって戻ればいい。
 だから深くは考えずにいた。それよりも焦りが強くなっていて、兄を見つけて帰りたいと願っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...