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四章
竟(つい)の記憶3 南波
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南波は少し目を細め、言った。
「はて、お前は――忠頼の? まだ、生きていたか」
俺は俺は床にうつ伏せに抑えつけられ、喘ぎながら言った。
「大公殿。丹波守殿は、どこへ――」
「いくら有事とはいえ、無礼にもほどがある。わきまえなければ、斬るぞ!」
従者が極めた腕が、ますます捩じられて、俺は呻いた。
そのとき、南波の低い声が、頭上から降ってきた。
「この期に及んで、お前はまだ、そんなことを聞くのか」
落ち着いた声だった。しかし、俺はその瞬間、自分がしでかした事の大胆さに、ぞっとした。
――俺は、馬鹿だ。
この切羽詰まった状況で、南波様が、俺のような小物一人に構っている暇などないのは、わかりきっているはずなのに。きっと、傷のせいで、頭が少し回らなくなってしまっていたのだろう。
「ほら、向こうへ行け」
南波の従者が、俺の腕を捩じり上げて、立たせる。
「待ってください! 俺」
「まだ言うか!」
その刹那。
からからと明るい笑い声が辺りに響き、皆がぎょっとして顔を上げた。
顔をあげると、南波が笑っていた。
と、思いもかけないことが起きた。南波は、従者たちが止めるのも顧みず、俺の前に歩み出た。俺の腕を極めていた従者が驚き、俺の腕を緩める。
茫然としている俺の前に、南波が膝を突いた。
俺は、こんなに近くで南波と顔を合わせたのは初めてだった。
真正面から、目が合う。
その途端、鳥肌が立ち、身体の震えが止まらなくなった。
南波は俺の瞳をじっと見、そして――
「阿呆な男だ。今更になって」
と言って、にっと笑った。
驚いたことに、南波の目は柔和で、死に際にあっても、目に光を携えていた。
五月の陽の光のように、どこまでも朗らかな南波の気に、俺はただ言葉を失う。
――天下を動かす者のみが、携える、光だ。
「なぜ泣く? そんなに緊張せずともよい」
「え……」
俺は自分の頬に触れた。ようやく、自分が泣いていることに気が付く。
南波は軽い調子で、千切れかけた自分の胴当てを指さして見せる。
「ほら、俺とてもう、ぼろぼろだ。威厳などかけらもあるまい」
そう言って、南波はわはは、と笑う。
俺はただただ、そこに平伏した涙がとめどなく溢れ、止まらなかった。何の涙かも、よくわからなかった。
「――間抜けに免じて教えてやる。あいつは――忠頼は、俺に向けられた矢をその身で受けた。そして負傷したまま、部下たちとともに、後衛をつとめ、俺たちを逃がしてくれた――それが俺があいつを見た最後だ」
俺の心臓は張り裂けんばかりに鳴っていた。
「それはどこですか。どうか、教えてください。俺」
今更、本当にいまさらだった。
だが、本当は、ずっと、身がちぎれそうなほど、忠頼が心配だった。
自陣で忠頼がいるのを見つけるたびに、言いようのない安堵と、恐怖があった。
そして、その恐怖が現実になった今、俺は自分を抑えることができなくなった。
忠頼の傍に行きたい。それは狂おしいほどの思いだった。
従者が再び前に出た。
「おまえ、いい加減に――」
「よい。こいつは仲間だ。親族にさえ見捨てられた我々と、志を分かち、ここまで戦ってきた間柄だ。もはや位など関係ない」
南波は、穏やかに語った。
「この森の中に入る直前に、ひとつ小川を超えたろう?あいつと別れたのは、そこだ。もし、奴が生きているなら、きっと、山裾のその辺りに、身を隠しているだろう。もしあいつが、追いついてこれそうであれば、お前が連れてこい――そうでなければ――わかるな?」
俺はつばを飲み込み、頷く。
そうでなければ、敵に首を取られる前に、首を切って隠せ、ということだ。
南波は満足そうに頷くと、最後に言った。
「……弥次郎、と言ったか。お前は、年若いうちに、我が軍に入り――前線で戦い続けていたな。口には出さずとも、皆、お前のことは気にかけていたぞ」
俺は地に額を擦り付けた。
「ありがとうございます。俺、丹波守殿がいなくても、必ず、戻ってきます。どうか、ご武運を……!」
俺は鼻をすすった。涙が止まらない。
――やっぱり俺は、この世で、この人たちと戦えてよかったのだ。この人たちに会えたこと。それは何千万回生まれ変わっても、きっと宝だ。後悔などするはずはない。
それ以上、言葉が上手く継げなかった。俺は最大限の感謝を示すために礼をすると、直ぐに走り出した。
俺を止める者は、誰もいなかった。
「はて、お前は――忠頼の? まだ、生きていたか」
俺は俺は床にうつ伏せに抑えつけられ、喘ぎながら言った。
「大公殿。丹波守殿は、どこへ――」
「いくら有事とはいえ、無礼にもほどがある。わきまえなければ、斬るぞ!」
従者が極めた腕が、ますます捩じられて、俺は呻いた。
そのとき、南波の低い声が、頭上から降ってきた。
「この期に及んで、お前はまだ、そんなことを聞くのか」
落ち着いた声だった。しかし、俺はその瞬間、自分がしでかした事の大胆さに、ぞっとした。
――俺は、馬鹿だ。
この切羽詰まった状況で、南波様が、俺のような小物一人に構っている暇などないのは、わかりきっているはずなのに。きっと、傷のせいで、頭が少し回らなくなってしまっていたのだろう。
「ほら、向こうへ行け」
南波の従者が、俺の腕を捩じり上げて、立たせる。
「待ってください! 俺」
「まだ言うか!」
その刹那。
からからと明るい笑い声が辺りに響き、皆がぎょっとして顔を上げた。
顔をあげると、南波が笑っていた。
と、思いもかけないことが起きた。南波は、従者たちが止めるのも顧みず、俺の前に歩み出た。俺の腕を極めていた従者が驚き、俺の腕を緩める。
茫然としている俺の前に、南波が膝を突いた。
俺は、こんなに近くで南波と顔を合わせたのは初めてだった。
真正面から、目が合う。
その途端、鳥肌が立ち、身体の震えが止まらなくなった。
南波は俺の瞳をじっと見、そして――
「阿呆な男だ。今更になって」
と言って、にっと笑った。
驚いたことに、南波の目は柔和で、死に際にあっても、目に光を携えていた。
五月の陽の光のように、どこまでも朗らかな南波の気に、俺はただ言葉を失う。
――天下を動かす者のみが、携える、光だ。
「なぜ泣く? そんなに緊張せずともよい」
「え……」
俺は自分の頬に触れた。ようやく、自分が泣いていることに気が付く。
南波は軽い調子で、千切れかけた自分の胴当てを指さして見せる。
「ほら、俺とてもう、ぼろぼろだ。威厳などかけらもあるまい」
そう言って、南波はわはは、と笑う。
俺はただただ、そこに平伏した涙がとめどなく溢れ、止まらなかった。何の涙かも、よくわからなかった。
「――間抜けに免じて教えてやる。あいつは――忠頼は、俺に向けられた矢をその身で受けた。そして負傷したまま、部下たちとともに、後衛をつとめ、俺たちを逃がしてくれた――それが俺があいつを見た最後だ」
俺の心臓は張り裂けんばかりに鳴っていた。
「それはどこですか。どうか、教えてください。俺」
今更、本当にいまさらだった。
だが、本当は、ずっと、身がちぎれそうなほど、忠頼が心配だった。
自陣で忠頼がいるのを見つけるたびに、言いようのない安堵と、恐怖があった。
そして、その恐怖が現実になった今、俺は自分を抑えることができなくなった。
忠頼の傍に行きたい。それは狂おしいほどの思いだった。
従者が再び前に出た。
「おまえ、いい加減に――」
「よい。こいつは仲間だ。親族にさえ見捨てられた我々と、志を分かち、ここまで戦ってきた間柄だ。もはや位など関係ない」
南波は、穏やかに語った。
「この森の中に入る直前に、ひとつ小川を超えたろう?あいつと別れたのは、そこだ。もし、奴が生きているなら、きっと、山裾のその辺りに、身を隠しているだろう。もしあいつが、追いついてこれそうであれば、お前が連れてこい――そうでなければ――わかるな?」
俺はつばを飲み込み、頷く。
そうでなければ、敵に首を取られる前に、首を切って隠せ、ということだ。
南波は満足そうに頷くと、最後に言った。
「……弥次郎、と言ったか。お前は、年若いうちに、我が軍に入り――前線で戦い続けていたな。口には出さずとも、皆、お前のことは気にかけていたぞ」
俺は地に額を擦り付けた。
「ありがとうございます。俺、丹波守殿がいなくても、必ず、戻ってきます。どうか、ご武運を……!」
俺は鼻をすすった。涙が止まらない。
――やっぱり俺は、この世で、この人たちと戦えてよかったのだ。この人たちに会えたこと。それは何千万回生まれ変わっても、きっと宝だ。後悔などするはずはない。
それ以上、言葉が上手く継げなかった。俺は最大限の感謝を示すために礼をすると、直ぐに走り出した。
俺を止める者は、誰もいなかった。
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