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第2話 ここで働く
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屋敷群の左奥にある大き目の建物へ近づくように言われると、扉の左右で兵士が無愛想な顔つきで警備に当たっているのが見えた。
その姿を見ると若干むくれそうになってしまうが、何かあるのだろうと推察すると、綺麗に消えた。
「……怒ったりしないのか?」
右側の耳元でささやかれると、少しだけ肩が跳ねた。
「何が、ですか?」
「いや、あの兵士達……やる気なさそうだっただろ」
「ああ、確かにそう見えましたが。でも何かあったのかもしれませんし」
「……やっぱりやめておく。気にするな」
兵士達の前に出ると、彼らはどちら様ですか? と間延びした声音で尋ねてきた。
「皇后様付きの医者・朝日だ。通してほしい」
「了解いたしました~」
扉がゆっくりと金属音を立てて開かれる。すると中は全体的に薄暗く、薄い緑色の衣に袖を通した女性達が衣服を運んだり畳んだりせっせと働いている様子がうかがえた。
「誰か!」
朝日の声に反応し、こちらへ駆け寄ってきたのは、向かって右側で衣服を畳んでいたひとりの若い女性だった。黒い髪を後頭部で三つ編みにしており、顔は丸くて純朴そうな印象がある。年は朝日よりも下のようだ。
「あの、いかがなされました?」
緊張気味に笑う彼女を見て美雪は宮女だろうか? と残されている知識を頼りに推察した。
宮女は後宮内の雑用、例えば水汲みや料理などから妃の世話を担う女性達を意味する。なお後宮入り出来る男性は朝日のような医師か薬師。それに按摩師鍼灸師などの医療従事者と警備を担う兵士が少数。他は去勢を施された宦官に限られるのが後宮の掟だ。
「確かえぇと。朝日様でございますか?」
「あぁ、そうだ。この者をしばらくここに置いてほしい」
「そういえば……この前の話の事でございますか?」
「そういう事だ。では、頼む」
朝日はくるりと美雪に背中を向けて去っていこうとする。一体2人が何を話しているのか理解できないので美雪は慌てて朝日の背中に手を伸ばした。
「朝日さん! 待ってください!」
「美雪?」
「一体その、どう言う事なんですか? 私がここで働くって言われてもよくわからないです! お二方は一体何を……」
「説明した方がよかったな。君は今日からここで宮女として働く事になったんだよ。ここは見ての通り洗濯場だ。仕事はそこにいる宮女の花音が教えてくれる」
目を細め、複雑そうな表情を浮かべる朝日にほかに聞きたい事はあるか? と尋ねられる。どうしていきなりここで働く事になったのか、自分は一体どのような人物なのかなど、聞きたい事は山ほどあるがうまくまとめられない。
「えっと……その……」
「俺は今から仕事があるのでな。大丈夫。またすぐに会えるさ」
「あ、あの! 私……一体誰なんですか?! なんでここにいるんですか?! それに寝間着姿だし……!」
「美雪」
「知っているなら教えてください!」
朝日の口元は何かを紡ごうとしたが、数秒後に硬く閉ざされる。
「――君は美雪。それだけだ」
踵を返して去っていく朝日の背中は、どこか寂しさを背負っているように美雪には見えた。これ以上引き留める気にもなれない美雪は、花音のいる方へと視線を移す。
「えっと、花音さんでしたっけ?
「はい、美雪さん! 今日からよろしくお願いしますね!」
「とりあえずは宮女として働き始める。って事でいいんですよね?」
無意識に念を押すような視線を放つと、花音は笑ってそうです! と答えてくれたので美雪は少しだけ安堵の表情を浮かべる。
(……私、なんでここにいるんだっけ? 今日からここで働くって言われても、全然意味が分からないのに……)
だが、今の自分に後宮以外の居場所は知らないも同然。それに働かなくては生きていけないし、後宮に入れば死ぬまで外へ出られないのは覚えている。
「美雪さん、お部屋とか紹介しますね」
「はい花音さん。お願いします……」
これから自分はどうなるのか、もしかして己に関するものを失ったまま生きていくのか。自問自答しても答えは出ない。
花音の背中をついていく間、宵闇の中をさまよっているような気がしてならなかった。
その姿を見ると若干むくれそうになってしまうが、何かあるのだろうと推察すると、綺麗に消えた。
「……怒ったりしないのか?」
右側の耳元でささやかれると、少しだけ肩が跳ねた。
「何が、ですか?」
「いや、あの兵士達……やる気なさそうだっただろ」
「ああ、確かにそう見えましたが。でも何かあったのかもしれませんし」
「……やっぱりやめておく。気にするな」
兵士達の前に出ると、彼らはどちら様ですか? と間延びした声音で尋ねてきた。
「皇后様付きの医者・朝日だ。通してほしい」
「了解いたしました~」
扉がゆっくりと金属音を立てて開かれる。すると中は全体的に薄暗く、薄い緑色の衣に袖を通した女性達が衣服を運んだり畳んだりせっせと働いている様子がうかがえた。
「誰か!」
朝日の声に反応し、こちらへ駆け寄ってきたのは、向かって右側で衣服を畳んでいたひとりの若い女性だった。黒い髪を後頭部で三つ編みにしており、顔は丸くて純朴そうな印象がある。年は朝日よりも下のようだ。
「あの、いかがなされました?」
緊張気味に笑う彼女を見て美雪は宮女だろうか? と残されている知識を頼りに推察した。
宮女は後宮内の雑用、例えば水汲みや料理などから妃の世話を担う女性達を意味する。なお後宮入り出来る男性は朝日のような医師か薬師。それに按摩師鍼灸師などの医療従事者と警備を担う兵士が少数。他は去勢を施された宦官に限られるのが後宮の掟だ。
「確かえぇと。朝日様でございますか?」
「あぁ、そうだ。この者をしばらくここに置いてほしい」
「そういえば……この前の話の事でございますか?」
「そういう事だ。では、頼む」
朝日はくるりと美雪に背中を向けて去っていこうとする。一体2人が何を話しているのか理解できないので美雪は慌てて朝日の背中に手を伸ばした。
「朝日さん! 待ってください!」
「美雪?」
「一体その、どう言う事なんですか? 私がここで働くって言われてもよくわからないです! お二方は一体何を……」
「説明した方がよかったな。君は今日からここで宮女として働く事になったんだよ。ここは見ての通り洗濯場だ。仕事はそこにいる宮女の花音が教えてくれる」
目を細め、複雑そうな表情を浮かべる朝日にほかに聞きたい事はあるか? と尋ねられる。どうしていきなりここで働く事になったのか、自分は一体どのような人物なのかなど、聞きたい事は山ほどあるがうまくまとめられない。
「えっと……その……」
「俺は今から仕事があるのでな。大丈夫。またすぐに会えるさ」
「あ、あの! 私……一体誰なんですか?! なんでここにいるんですか?! それに寝間着姿だし……!」
「美雪」
「知っているなら教えてください!」
朝日の口元は何かを紡ごうとしたが、数秒後に硬く閉ざされる。
「――君は美雪。それだけだ」
踵を返して去っていく朝日の背中は、どこか寂しさを背負っているように美雪には見えた。これ以上引き留める気にもなれない美雪は、花音のいる方へと視線を移す。
「えっと、花音さんでしたっけ?
「はい、美雪さん! 今日からよろしくお願いしますね!」
「とりあえずは宮女として働き始める。って事でいいんですよね?」
無意識に念を押すような視線を放つと、花音は笑ってそうです! と答えてくれたので美雪は少しだけ安堵の表情を浮かべる。
(……私、なんでここにいるんだっけ? 今日からここで働くって言われても、全然意味が分からないのに……)
だが、今の自分に後宮以外の居場所は知らないも同然。それに働かなくては生きていけないし、後宮に入れば死ぬまで外へ出られないのは覚えている。
「美雪さん、お部屋とか紹介しますね」
「はい花音さん。お願いします……」
これから自分はどうなるのか、もしかして己に関するものを失ったまま生きていくのか。自問自答しても答えは出ない。
花音の背中をついていく間、宵闇の中をさまよっているような気がしてならなかった。
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