後宮に咲く毒花~記憶を失った薬師は見過ごせない~

二位関りをん

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第8話 記憶の断片

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 薬棚に並ぶ薬達へ懐かしさを感じていると、持っていた白布をうっかり落としそうになった。

「ああ、どの薬も知ってる。触った事があります……」

 ずっと薬棚を眺めていたい気持ちがどこからともなく表れて、美雪の胸を満たしていく。白布を所定の位置……右側の下から4段目の棚の中に収納してから、改めて棚に収められた薬の数々に目を通した。

「この大きな白瓶に収められているのは……木札には陳皮ちんぴって書いてありますね」

 陳皮が収められている白瓶は子供位の大きさがあり、ひときわ目立つ。
 試しに瓶の蓋を開けて、中に収められている橙色の陳皮の粉を取り出して右掌の上に乗せた。その柑橘系の香りを嗅いだ瞬間、また美雪の脳内に閃光が走る。

(そうだ。これ……後宮内で作ったものじゃないですか)

 炊事担当の宮女からみかんの皮を貰い、天日干しして乾燥させてからすりこぎで粉末状にする。後宮内と思わしき屋内で陳皮を砕く己の手が、脳内にありありと映し出されていた。

「出来上がったものは、この瓶に入れた……」

 香りを嗅いだ陳皮を、自分が作った――。その記憶はすぐに美雪の全身へと浸透していく。

「思い出せた。ここへ来てよかった」

 取り戻した記憶を何度も脳内で振り返りながら、自分の両手に目を落とした。確かにこの手で陳皮を外へ並べて、渇いたものをすりこぎで粉々にした。その事実が腕に宿って来たような感覚を覚える。
 それと同時に、来なければこうして思い出せる事も無かったかもしれないと考えると、背筋がぞくりと震えあがった。

「よかった……少しだけだけど、思い出せてよかった……」

 ほっとした安心感が全身を包む。まだ全ての記憶を取り戻せたわけではない。むしろ後宮に来た理由や己の出自などと比べると微々たるものかもしれないが、それでも失ったものを取り戻した事は皆平等にありがたい事だ。美雪はそう感じていった。

(朝日さんは、焦るなって言っていましたね)

 少しずつで良いから、早く自分の事を取り戻していかなければ。美雪は右手をぎゅっと握りしめ、胸の上に置く。

(失ったものを取り戻せるのは嬉しいし、安心する。とはいえ、私は洗濯担当の宮女。この先こうした機会がまたあるとは限らないですからね……)

 これからも己の失った記憶のかけらを取り戻すにはどう行動したら良いか……彼女は頭を動かして思案する。

「……やっぱり、薬師として働く他、ないですよね」

 薬師か、薬師に近い環境で働き、きっかけを得る。それが美雪の出した答えだった。しかしながらこの事をどうやって花音達に伝えればいいのか、具体的な方法が浮かんでこない。
 いきなり辞めたいと告げるのは、彼女がかわいそうな気がする。そしてそもそも働く場所を変えるなんて出来るのだろうか? と言う疑問も出てきた。
 しかし、話してみないとわからないのも否定できない。

「帰ったら花音さんに伝えてみましょう」

 倉庫から出た美雪は警備担当の兵士へ頭を下げる。仏頂面な彼らはじっと美雪を数秒程見つめた後、視線を前へと移した。

「美雪か? また会ったな」
「!」

 左側から通りがかったのはなんと朝日だった。誰かを引き連れている様子はない。
 ひとりでふらりと現れた彼の顔には、少し疲れの色があるように見えた。

(いっそ、朝日さんに打ち明けてみますか)

 これはまたとない機会。彼に迷惑をかけるのは申し訳ないが、花音より朝日の方が融通が利きそうだと美雪の直感が反応する。 

「朝日さん、少々かまいませんか?」
「なんだ?」

 朝日は首を傾げながら、こちらへと数歩歩みを進めてくる。美雪はすっと息を吸い込んだ。

「私、自分が薬師として働いていた事を思い出したんです」
「なんだと?」

 目を丸くさせながら、眉間に皺を寄せる朝日の姿が目に飛び込んでくる。

(予想通りな反応……)
「結論から言うと、私を薬師として働かせてもらえませんか? 薬に近い宮女でも構いません」
「……もし。駄目だと言ったら?」
(これは…試されている気がしますね)

 少し間を置き、諦めたくないです。と思った感情を口にする。
 朝日は首を何度か小さく縦に振ると、やっぱりそうだろうなぁ。と含みのある呟きを漏らした。

(畳みかけてみますか)
「どうでしょうか、朝日さん? 薬を見たら、作り方を思い出したんですよ。と言う事は」
「その環境下にいた方が、思いだしやすくなる。そう君は言いたいんだな?」

 ずばりと的中させてきたのには、説明の手間が省ける。少々思考を読まれているようで、薄気味悪さも覚えたが。

「そうです。いかがですか?」
「……君は、記憶を取り戻したいのか」
「はい。取り戻したいです!」
「もしも思い出さない方が良い記憶があったとしても?」

 朝日の言葉が冷たい氷の刃となって、胸の真ん中に突き刺さる。
 美雪の心は揺らぎ、さらには思い出さない方が良い記憶が己にはあるのか? と疑いも生まれた。
 
(……確かに、嫌な記憶のひとつやふたつ、あるかもしれないけど……)
「……その点について、朝日さんはどう思いますか?」

 朝日の真っ青な瞳を芯まで射抜くつもりで見つめる。視界に映る彼の顔は戸惑いと寂しさなどがごちゃまぜになった、複雑な表情だ。
 眉間の皺は更に深みを増している。

「……」
「思い出さないのと、思い出すの。その2択なら……どちらが朝日さんにとっては、その、嬉しい事ですか?」
「美雪……」

 口をごもごもと動かしても言葉は吐き出さない朝日の姿は、美雪の脳内に深く刻み込まれていく。

(一体、どんな反応が返って来るでしょうか……)
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