後宮に咲く毒花~記憶を失った薬師は見過ごせない~

二位関りをん

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第37話 新たな出会い

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 あれから青才人は容疑が晴れて解放された。拷問を受けずには済んだが、身体が弱っている為しばらくは治療が必要な状態らしい。
 楓才人は取り調べにも素直に応じたと児永から聞かされた。そのせいか拷問を含めて身体を痛めつけられる事はなかったらしい。結果的に彼女はその後、望み通りに死罪を言い渡され、斬首された。
 だが、彼女の姉が暁月国の兵士に殺されたと言う、いわば復讐心から発せられた動機は皇帝に衝撃をもたらしている。彼女の家族には謝罪の印として金品が与えられたと聞いた。
 すっかり日常が戻ってきたが、美雪の記憶は全て戻った訳ではない。断片を取り戻しつつあるが、自分がなぜ後宮で働き始めたかなど、核心に迫る部分にはまだ至れていないのだった。

「今日は一段と冷え込んでいますね……」

 午前中は新たに支給された秋・冬用の上着を着用して仕事に当たっている。この上着も薬師の服装である淡い桃色の衣と同じ色合いをしているが、厚手なので触ってみると違いが分かりやすい。

「美雪さん、すまないが、こないだの発注の件で朱彩丸しゅさいがんの在庫がかなり余っているんだ。廃棄するのももったいないし治療院へ分けようと思うのだが」
「なるほど。ではこれから運搬でございますかね?」
「そうとも。任しても大丈夫かな?」
「もちろんでございます!」

 同僚の男性薬師から手渡された木箱の中には、朱彩丸がぎっしりと収められている。

(わっ見事につまってる)

 この赤茶色の丸薬は全身の血の流れをよくする作用を持つ。しもやけなど手足の末端症状から、腹部……婦人科系臓器や胃腸にも良い効果があるのだ。
 そのため常飲している妃も多い。当然冬場になるとしもやけに悩まされる者達が数多く出てくる為、これからの季節は特に需要が高まる薬の一種だ。需要の多さから朱彩丸は後宮内では製造されず、後宮のすぐ近くの街中にある大規模な製薬工場にて製造されている。
 だが、この薬を宦官が発注数の桁を間違ってしまい、いつもの10倍の量が届いてしまった。

「では行ってまいります~」
「美雪さん重いから気を付けて!」
(言われてみれば確かに重い……こんな時朝日さんがいたら)

 途中まではそう考えていたが、彼に重い荷物を持たせるのはかわいそうだと彼女の理性が歯止めをかけた。

(良い運動にもなるでしょうし、ここは自分の力で頑張らないと)

 木箱を両手で抱えて治療院へ歩く途中だった。

「わっ」

 突如目の前に誰か女性が通りがかったと思いきや、気がつけば石畳の床の上に叩きつけられていた。

「ぐっ……」

 背面に鈍い痛みが襲い掛かり、身体を動かすのに時間がかかる。身を起こすと木箱は無事だった。

「申し訳ございません! 大丈夫でしょうか?!」
「あ、えっと……」

 目の前で右手を差し出しているのは、赤みがかった髪色をした美雪と同年代位の女性だった。
 二重のぱっちりとした瞳は黄色く、きらきらと輝いていて可愛らしい容姿をしている。薄い黄色の衣服は姜皇后が普段着用しているような豪華な装いだが、どこか薄幸めいた雰囲気を漂わせていた。

「どうぞ捕まって。さっきはごめんなさい。前をよく見ていなかったから……」
「あ、お気遣い感謝いたします……」

 差し出された手を両手で握り、立ち上がった瞬間、彼女がいたっ……! と顔を歪ませたのを見逃してはいなかった。

「どこか怪我でもされたのですか?! すぐに手当てを……!」
「あっ……! ごめんなさい、ちょっとこっちの物陰に……!」

 今度は彼女に右手首を掴まれて、建物の影に引っ張られていきそうになる。ついでに何とか木箱も回収し、彼女と共に身を隠した。
 おびえたような表情を見る限り、訳ありらしい。

「静かに……」
(何かあったのでしょうか? まるで逃げているよう……)
「あの、あなたは……おそらくお妃様であらせられますよね?」
「そ、そうなのです。でも位までは内緒でお願いしますね?」

 黄色い瞳の妃と話していると、若い男性が視界に映し出される。淡い桃色の衣服を身にまとう彼は鎖骨までの長さに切りそろえられた茶髪に茶色い瞳をしていた。

(薬師の方? もしかして、何か治療を受けるのがお嫌なのでしょうか……)

 茶髪の男性薬師は首を回して辺りを探している様子を見せると、背中を見せて姿を消していった。

「……ふう~……」

 黄色い瞳の妃がここで安堵の顔を見せる。彼女の顔をじっと横目で眺めていると、あっ気を抜いてごめんなさい。と謝罪してきた。

「お気になさらないでください。何かございましたか?」
「いえ……でも、何でもないと言えばうそになります。その、誰にも言わないと言う約束を守っていただけるなら……」
「お約束いたします。誰にも申し上げません」
「ではお話します。っ……」

 彼女の話も気になるが、どこか痛めている様子も気になってしまう。

「先に治療を致した方がよろしいかと……。どこか痛めておいででしょうか?」
「あっ、そ、そうですよね……実はさっき、右足をくじいちゃって」
(それなら何かで固定した方がいいんですよね、えぇと、髪留めの布なら……)

 美雪は髪を束ねている布を解き、それを黄色い瞳の妃の右足首へ頑丈に巻いた。

「どうでしょうか? なるべく固定して動かさない方が良いかと存じます」
「ん……良い感じです。手当してくださりありがとうございます。じゃあ、お話に戻っても?」
「あっはい。遮ってしまい申し訳ないです」

 黄色い瞳の妃がいえいえ! と言いながら首を横にぶんぶんと振る。

「実は、ちょっとここでの暮らしが嫌になって……」
「え?」
「でも一度後宮に入れば基本死ぬまで出られないじゃないですか。だから……もうどうにでもなれって思っちゃってその……家出、したんです。そしたら道に迷ってしまいまして」
「……」

 こんな時、どういう対応をすれば良いのだろうか? もちろん元居た場所、妃からすれば屋敷へ帰ってもらうのが正しいのは理解しているが、彼女の意に反して無理やり返すのはかわいそうだと同情の気持ちもある。

「あの、あなたはどうされたいですか?」
「どうされたい、とは……」
「だって、無理やりお屋敷へお戻り頂くのもどうかと考えましたので……」
「そうですね……」

 黄色い瞳の妃は腕組みをして考え始める。どうやら家出は突発的なものでこの後どうするかまでは考えていなかったようだ。

「その、よろしければ……どこか暇をつぶせる場所などが、ありましたら……」
(それなら暁華殿近くにある小さな庭園はいいかもしれないですね……東屋が何個かあって、食事をする事も出来る……)

 思いついた提案を彼女に向けてみると、黄色い瞳を満開の花のように開かせて食いついてきた。

「ではそちらに参りとうございます!」
「かしこまりました、ご案内いたします。あっ、もしよろしければおんぶいたします!」
「えっ、よ、良いのですか? 薬箱が……」

 彼女の事に夢中で木箱の存在をすっかり忘れてしまっていた。木箱を両手で抱えていると、黄色い瞳の妃は美雪の右肩を借りて歩くと言い出す。

「そちら、どちらに?」
「あっ治療院へ持っていく途中でして」
「で、でしたら私ここで待ってます! 治療院、色んなお方がいらっしゃるから、私が言ったら多分騒ぎになるでしょうし……」

 確かに妃が治療院に顔を覗かせばそうなるのは想像に難くない。急ぎ足で治療院へ朱彩丸を送った美雪は彼女の元へ飛ぶようにして駆け戻る。

「お待たせいたしました!」
「じゃ、じゃあ……おんぶして、くださいますか?」
「はいっ!」
「よいしょっ……と。あったかいお背中ですね。こうしていると落ち着けます」

 妃の可愛らしい声が美雪の背中に降りかかる。鈴のようなころころとした声を間近に受けながら庭園へと移動した後は、東屋にて互いの好きな食べ物などを話し合ったのだった。
 帰り際、彼女の屋敷まで送り届けようかと提案したがすぐに断られる。自分の足で帰れるとの一点張りだったので、怪我が回復するように、そして再び彼女に会えますように。と心の奥で願いながら背中を見送る。

「美雪、そんな所にいたのか」
「あっ朝日さん。お疲れ様です」
「よかった。今から皇后様のお子様方の診察なんだが、人手が足りなくて君にも手伝ってほしいんだ。いけるか?」
「すぐに参ります!」

 冷たい風が顔に当たるが、心は温かいまま。

(面白いお妃様だった。妃であると言うのを忘れてしまう位、距離が近かった……)

 黄色い瞳ところころした声を何度も思い返しながら、朝日の後をついていく。

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