【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫

文字の大きさ
5 / 34
第二章 新しい生活の始まり

引越し当日

しおりを挟む
 五月第一週の朝、窓を開けると爽やかな春風が頬を撫でていった。空は雲ひとつない青さで、直人の心を軽やかにしてくれる。引越し当日だというのに、不思議と緊張よりも期待の方が大きかった。

「先輩、おはようございます!」

 朝七時。約束より三十分も早く、健が笑顔で現れた。

「健、早いね。ありがとう」

「いえいえ、手伝わせてもらうんで」

 健は軽やかにアパートへ上がり込むと、直人の部屋を見回して目を丸くした。

「えっと……先輩の荷物って、これだけですか?」

 六畳一間のアパート。本とノートパソコン、最低限の衣類とわずかな日用品。二年間の一人暮らしにしては、あまりにも殺風景すぎる部屋だった。

「あはは、僕、物欲ないから」

「これで本当に暮らしてたんですね……」

 健は呆れたような、それでいて少し心配そうな表情を浮かべた。直人は苦笑いでごまかす。

 必要最低限――それは聞こえはいいが、実際は「何にも興味が持てなかった」と言う方が正確だった。部屋を飾る気も、美味しいものを食べる気も、おしゃれをする気も起きない。そんな自分の無気力さを、健に見透かされているような気がして居心地が悪い。

「まあ、荷物が少ない方が楽でいいよね」

「そうですね! じゃあ、さっそく運びましょうか」

 健は持ち前の明るさで場を和ませてくれた。

 引越し業者が到着すると、二人で手分けして荷物を運ぶ。健の手際の良さもあって、作業は思いのほか早く進んだ。昼前には新しいアパートへの搬入まで完了してしまった。

「これで、全部ですね」

 八畳の部屋に、ローテーブルと本棚がぽつんと置かれているだけ。健の荷物と比べると、あまりの差に笑えてくる。

「先輩の部屋、すっきりしてますね」

「スカスカの間違いでしょ」

「いえ、ミニマルで素敵だと思います」

 健は否定しない。それが嬉しくて、直人は少しほっとした。

 午後、注文していたベッドが到着した。ダブルサイズの北欧製。今まで布団で寝ていた直人には、初めてのベッドだった。

「立派なベッドですね!」

 健が感嘆の声を上げる。窓際の明るい場所にベッドを設置してもらい、配送員が帰った後、直人は恐る恐るマットレスに腰を下ろした。

 ギシッ。

 程よい硬さのマットレスが体重を受け止める。今夜からここで眠るのかと思うと、なぜかわくわくした。

「今日から、ここで寝るんですね」

「うん。なんか、新しい生活って感じがする」

「そうですね。俺も先輩が喜んでいるのを見ると、なんだか嬉しいです」

 健の笑顔が、午後の陽射しでキラキラと輝いて見えた。

「これで今日の予定は全部終了?」

「うん、全部」

「じゃあ、この辺を案内させてもらえませんか? これから一緒に住むんですから、お店の場所とか知っておいた方がいいでしょう?」

「いいね。お願いします」

 健は目を細めて嬉しそうに微笑んだ。その表情が、なぜか直人の胸をくすぐった。


 駅から徒歩十分のマンション周辺は、生活に必要なものが全て揃っていた。スーパー、コンビニ、ドラッグストア、クリーニング店。ホームセンターこそないものの、大型スーパーが日用品も扱っているので困ることはなさそうだった。

「先輩、せっかくだから食材買いませんか?」

 健が直人の腕を軽く引っ張る。その仕草が自然で、まるで昔からの友人のようだった。

「ここのスーパー、安いけど品質もいいんですよ」

 健は慣れた様子で野菜売り場へ向かい、小松菜を手に取って品定めを始めた。葉の色、茎の太さ、みずみずしさを確かめる姿は、まるでベテラン主婦のようで、直人は思わず吹き出してしまった。

「なんですか?」

 健が振り返る。頬を少し膨らませて、むくれた表情がかわいらしい。

「いや、健って意外としっかりしてるんだなって」

「そ、そうですか?」

 健は恥ずかしそうに俯いた。耳の先が薄っすらと赤くなっている。こんな表情の健は初めて見る。いつもの人懐っこい笑顔とは違う、少し内気な一面を垣間見られて、直人の胸は温かくなった。

「食費とかはどうしよう?」

「食費は折半で。自分の嗜好品は自分持ちということで、どうでしょう?」

「オッケー、了解」

「基本的に俺が料理作りますから、食材選びは任せてください」

 健は話しながらも、次々と必要な食材をカゴに入れていく。その手つきに迷いがない。きっと、母親から仕込まれただけでなく、一人暮らしでも自炊を続けているのだろう。

 家に戻ると、もう夕暮れ時だった。健は買い物袋から食材を取り出し、冷蔵庫へ整理して入れていく。

「今日は引越し祝いってことで、ちょっと豪華にいきますね」

「ありがとう。何か手伝おうか?」

「いえいえ、先輩は座ってて」

 健はエプロンを着けると、手際よく調理を始めた。直人はソファに座ったものの、何もしないのは落ち着かず、そっとキッチンへ近づいた。

「見学してもいい?」

「別に大したことしませんけど……どうぞ」

 健の包丁さばきは見事だった。玉ねぎを薄切りにし、人参を拍子木切りにし、鶏肉を一口大に切る。無駄な動きが一切ない。

「上手だね」

 思わず感嘆の声が漏れた。

「母親が厳しい人で、家事全般は小さい頃から仕込まれました」

「いいなあ。僕は料理は全然ダメで。掃除洗濯はなんとかなるんだけど」

「じゃあ、今度一緒に作りましょうよ! 俺が教えます」

 健の顔がぱあっと明るくなる。その笑顔を見ていると、直人も自然と口元が綻んだ。

 三十分ほどで、豪華な夕食の出来上がり。チキンのトマト煮込み、彩り豊かなサラダ、コンソメスープ。一人暮らしでは絶対に食べられない、手の込んだ料理だった。

「すごいね、健。レストランみたい」

「そんな、大げさな」

 健は照れながらも嬉しそうにした。二人きりの引越し祝いが、こんなに特別なものになるとは思わなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

オレにだけ「ステイタス画面」っていうのが見える。

黒茶
BL
人気者だけど実は人間嫌いの嘘つき先輩×素直すぎる後輩の (本人たちは気づいていないが実は乙女ゲームの世界である) 異世界ファンタジーラブコメ。 魔法騎士学院の2年生のクラウスの長所であり短所であるところは、 「なんでも思ったことを口に出してしまうところ。」 そして彼の秘密は、この学院内の特定の人物の個人情報が『ステータス画面』というもので見えてしまうこと。 魔法が存在するこの世界でもそんな魔法は聞いたことがないのでなんとなく秘密にしていた。 ある日、ステータス画面がみえている人物の一人、5年生のヴァルダー先輩をみかける。 彼はいつも人に囲まれていて人気者だが、 そのステータス画面には、『人間嫌い』『息を吐くようにウソをつく』 と書かれていたので、うっかり 「この先輩、人間嫌いとは思えないな」 と口に出してしまったら、それを先輩に気付かれてしまい・・・!? この作品はこの1作品だけでも読むことができますが、 同じくアルファポリスさんで公開させていただいております、 「乙女ゲームの難関攻略対象をたぶらかしてみた結果。」 「俺が王太子殿下の専属護衛騎士になるまでの話。」 とあわせて「乙女ゲー3部作」となっております。(だせぇ名前だ・・・笑) キャラクターや舞台がクロスオーバーなどしておりますので、 そちらの作品と合わせて読んでいただけたら10倍くらい美味しい設定となっております。 全年齢対象です。 BLに慣れてない方でも読みやすいかと・・・ ぜひよろしくお願いします!

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~

上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。 ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。 「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」 そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。 完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか? 初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。

俺が王太子殿下の専属護衛騎士になるまでの話。

黒茶
BL
超鈍感すぎる真面目男子×謎多き親友の異世界ファンタジーBL。 ※このお話だけでも読める内容ですが、 同じくアルファポリスさんで公開しております 「乙女ゲームの難関攻略対象をたぶらかしてみた結果。」 と合わせて読んでいただけると、 10倍くらい楽しんでいただけると思います。 同じ世界のお話で、登場人物も一部再登場したりします。 魔法と剣で戦う世界のお話。 幼い頃から王太子殿下の専属護衛騎士になるのが夢のラルフだが、 魔法の名門の家系でありながら魔法の才能がイマイチで、 家族にはバカにされるのがイヤで夢のことを言いだせずにいた。 魔法騎士になるために魔法騎士学院に入学して出会ったエルに、 「魔法より剣のほうが才能あるんじゃない?」と言われ、 二人で剣の特訓を始めたが、 その頃から自分の身体(主に心臓あたり)に異変が現れ始め・・・ これは病気か!? 持病があっても騎士団に入団できるのか!? と不安になるラルフ。 ラルフは無事に専属護衛騎士になれるのか!? ツッコミどころの多い攻めと、 謎が多いながらもそんなラルフと一緒にいてくれる頼りになる受けの 異世界ラブコメBLです。 健全な全年齢です。笑 マンガに換算したら全一巻くらいの短めのお話なのでさくっと読めると思います。 よろしくお願いします!

無愛想な氷の貴公子は臆病な僕だけを逃さない~十年の片想いが溶かされるまで~

たら昆布
BL
執着ヤンデレ攻め×一途受け

【完結】まずは結婚からで。〜出会って0日、夫夫はじめました〜

小門内田
BL
ドケチで貧乏な大学生の瀧本 純也は、冷徹御曹司の諏訪 冬悟に交際0日、いや、初対面で結婚を迫られる!? 契約から始まった奇妙な結婚生活は、次第に互いの心を少しずつ変えていく。 “契約から本物へ―” 愛を知らない御曹司×愛されたがりの大学生の、立場も性格も正反対な二人が、不器用に心を通わせていく、ドタバタあり、じんわり甘い、ゆるやかな日常BL。 ※最初は少し殺伐としていますが、ゆっくりと変化していく物語です。 ※男同士の結婚が、一般的な世界線となります。 ※関係性をわかりやすくするため、「嫁」や「妻」といった表現を使用しております。 ※同タイトルのpixiv版とは、加筆・修正しておりますので、若干内容が変わっております。 予めご了承ください。 ※更新日時等はXにてお知らせいたします

処理中です...