4 / 34
第一章 日常の中の憂鬱
健からの提案-2
しおりを挟む
健に案内されたマンションは事前に聞いていた以上に良い物件だった。駅近で築浅。設備も新しい。2LDKの間取りは各自の個室もきちんと確保されている。
そして何より、広々としたリビングと開放的なキッチンが、直人の住んでいるアパートとは雲泥の差だった。リビングには大きな窓から春の柔らかな陽射しが差し込んでいる。家具もシンプルだが使い勝手の良さそうなもので揃えられていて、ごてごてした内装ではないのが直人の好みだった。
五階建ての最上階の部屋は、周りに高い建物があまりないためか、窓を開けると風が心地よく吹き抜けていく。
「こっちが先輩に使っていただく予定の部屋です。南向きで日当たりがいいですよ」
ドアを開けて中に入ると、がらんとして何もない部屋が広がっていた。八畳はあるほどの広さで、かすかに以前住んでいた人の気配が感じ取れた。
「広いね。今住んでる僕のアパートの部屋よりもずっと広いかも」
くすくすと笑いながら言うと、健がにこにこと楽しそうに笑いながら首を傾げて「そうですか?」と聞いてきた。
「リビングも自由に使ってくださいね。キッチンも一緒に使いましょう。自室でもリビングでも、先輩が過ごしやすい場所で過ごしてもらっていいですから」
健はウキウキした様子でキッチンやリビングの説明をしてくれた。キッチンにはおしゃれな調理器具がいくつもあり、エスプレッソマシンやフードプロセッサーまで置いてある。
「健は料理できるの?」
この調理器具を見る限り、相当な腕前なのだろうと推測していた。
「はい。一応、基本的な洋食は作れますけど。先輩は?」
「……がんばる」
直人がそう答えると、健はケラケラと笑った。
「無理しなくていいっすよ。当番制とかにしてもいいと思うんですけど、できないことを無理にやるのは大変ですし。俺、結構料理は好きなので俺が作りますから、先輩は掃除を担当するっていうのはどうですか?」
健の提案に、それくらいならできそうだと頷いた。
部屋を見て回りながら、直人は考えていた。今までの人生で、何かを自分で選んだという記憶がない。すべてが「なんとなく」で決まったものばかりだった。
だが、今回は違う。プライベートはきちんと確保されている。条件もいいし、健とも良好な関係を築けそうだ。そして何より、初めて自分から「ここに住んでみたい」と思った。
「先輩、どうです? ルームシェア。俺とやってみませんか?」
これはいい選択だと思えた。いや、選択というより……初めて「こうしたい」と思える決断だった。
「よろしくお願いします」
直人は健に向かって丁寧にお辞儀をした。顔を上げると、健の顔が太陽のようにぱあっと明るくなっていた。
その夜、直人は自分のアパートで一人、天井を見上げていた。六畳一間の狭い部屋。必要最低限の家具が置かれた、まるで自分の人生みたいな部屋だった。
「今日は……流されなかった」
『自分の人生を生きていない』。そんな感覚が最近特に強くなってきていた。
大学の専攻も、一人暮らしも、アルバイトも。すべてが『なんとなく』の積み重ねだ。周りに流されて、適当に選択肢を選んできただけ。
でも今日は違った。健からの提案に対して、自分なりに考えて、自分なりに答えを出した。
小さな一歩かもしれないが、確実に自分で選んだ一歩だった。
ルームシェアをすると決めてすぐに、大家さんに退去の連絡を入れた。直人のアパートの大家さんは七十代で、とても世話焼きだった。まるで直人のことを孫のように思ってくれていて、引越しの段取りも色々と手伝ってくれた。
健も直人の引越しに精力的に協力してくれた。やるべきことをリスト化したり、新しい生活に必要なものの買い出しに付き合ってくれたりと、今まで以上に一緒にいることが多くなった。
「先輩、転出届とか出しました?」
「大学の住所変更も必要ですよ」
「段ボール足りてます? 足りなかったら引越し業者に俺から連絡しますよ」
まるで自分が引っ越しするかのように、健はいろんなことに気を回してくれた。こうやって効率よく準備を手伝ってくれるところも、好感が持てた。
引越しの準備を進めながら、直人は少しだけ胸が躍るのを感じていた。新しい生活への期待。そして、初めて自分で選んだ道への、小さな誇らしさ。
これが「選ぶ」ということなのかもしれない、と思った。
そして何より、広々としたリビングと開放的なキッチンが、直人の住んでいるアパートとは雲泥の差だった。リビングには大きな窓から春の柔らかな陽射しが差し込んでいる。家具もシンプルだが使い勝手の良さそうなもので揃えられていて、ごてごてした内装ではないのが直人の好みだった。
五階建ての最上階の部屋は、周りに高い建物があまりないためか、窓を開けると風が心地よく吹き抜けていく。
「こっちが先輩に使っていただく予定の部屋です。南向きで日当たりがいいですよ」
ドアを開けて中に入ると、がらんとして何もない部屋が広がっていた。八畳はあるほどの広さで、かすかに以前住んでいた人の気配が感じ取れた。
「広いね。今住んでる僕のアパートの部屋よりもずっと広いかも」
くすくすと笑いながら言うと、健がにこにこと楽しそうに笑いながら首を傾げて「そうですか?」と聞いてきた。
「リビングも自由に使ってくださいね。キッチンも一緒に使いましょう。自室でもリビングでも、先輩が過ごしやすい場所で過ごしてもらっていいですから」
健はウキウキした様子でキッチンやリビングの説明をしてくれた。キッチンにはおしゃれな調理器具がいくつもあり、エスプレッソマシンやフードプロセッサーまで置いてある。
「健は料理できるの?」
この調理器具を見る限り、相当な腕前なのだろうと推測していた。
「はい。一応、基本的な洋食は作れますけど。先輩は?」
「……がんばる」
直人がそう答えると、健はケラケラと笑った。
「無理しなくていいっすよ。当番制とかにしてもいいと思うんですけど、できないことを無理にやるのは大変ですし。俺、結構料理は好きなので俺が作りますから、先輩は掃除を担当するっていうのはどうですか?」
健の提案に、それくらいならできそうだと頷いた。
部屋を見て回りながら、直人は考えていた。今までの人生で、何かを自分で選んだという記憶がない。すべてが「なんとなく」で決まったものばかりだった。
だが、今回は違う。プライベートはきちんと確保されている。条件もいいし、健とも良好な関係を築けそうだ。そして何より、初めて自分から「ここに住んでみたい」と思った。
「先輩、どうです? ルームシェア。俺とやってみませんか?」
これはいい選択だと思えた。いや、選択というより……初めて「こうしたい」と思える決断だった。
「よろしくお願いします」
直人は健に向かって丁寧にお辞儀をした。顔を上げると、健の顔が太陽のようにぱあっと明るくなっていた。
その夜、直人は自分のアパートで一人、天井を見上げていた。六畳一間の狭い部屋。必要最低限の家具が置かれた、まるで自分の人生みたいな部屋だった。
「今日は……流されなかった」
『自分の人生を生きていない』。そんな感覚が最近特に強くなってきていた。
大学の専攻も、一人暮らしも、アルバイトも。すべてが『なんとなく』の積み重ねだ。周りに流されて、適当に選択肢を選んできただけ。
でも今日は違った。健からの提案に対して、自分なりに考えて、自分なりに答えを出した。
小さな一歩かもしれないが、確実に自分で選んだ一歩だった。
ルームシェアをすると決めてすぐに、大家さんに退去の連絡を入れた。直人のアパートの大家さんは七十代で、とても世話焼きだった。まるで直人のことを孫のように思ってくれていて、引越しの段取りも色々と手伝ってくれた。
健も直人の引越しに精力的に協力してくれた。やるべきことをリスト化したり、新しい生活に必要なものの買い出しに付き合ってくれたりと、今まで以上に一緒にいることが多くなった。
「先輩、転出届とか出しました?」
「大学の住所変更も必要ですよ」
「段ボール足りてます? 足りなかったら引越し業者に俺から連絡しますよ」
まるで自分が引っ越しするかのように、健はいろんなことに気を回してくれた。こうやって効率よく準備を手伝ってくれるところも、好感が持てた。
引越しの準備を進めながら、直人は少しだけ胸が躍るのを感じていた。新しい生活への期待。そして、初めて自分で選んだ道への、小さな誇らしさ。
これが「選ぶ」ということなのかもしれない、と思った。
26
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
唇を隠して,それでも君に恋したい。
初恋
BL
同性で親友の敦に恋をする主人公は,性別だけでなく,生まれながらの特殊な体質にも悩まされ,けれどその恋心はなくならない。
大きな弊害に様々な苦難を強いられながらも,たった1人に恋し続ける男の子のお話。
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる