【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫

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第二章 新しい生活の始まり

前兆

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「先輩、今日はバイトとか用事ありますか?」

 土曜日の昼下がり。ソファでくつろいでいた直人に、健が声をかけてきた。

「夕方からバイトだから、それまでは特に何も。どうしたの?」

「よかったら、スーパーに買い出し付き合ってもらえませんか?」

 食材の買い出しは、いつも健に任せっぱなしだった。たまには付き合って、荷物持ちくらいはしないと申し訳ない。

「うん、いいよ。行こうか」

「やった!」

 健は、まるでデートの誘いを承諾してもらったかのように、満面の笑顔を見せた。

 スーパーに着くと、健は慣れた様子で売り場を回り始めた。直人はカートを押しながら、その後ろをついて歩く。

「いつも買い物、任せっきりでごめんね」

「全然構いませんよ。俺、食材を見ながらどんな料理を作ろうか考えるの、好きなんです。それに――」

 健は振り返り、少し照れたような笑顔を見せた。

「食べて喜んでくれる先輩の顔を想像するだけで、幸せな気持ちになるんです」

 その言葉に、直人の胸がドキリと跳ねた。まるで恋人同士のような会話に、頬が熱くなる。

「そ、そうなの? ありがとう……」

 健と一緒だと、食材を買うだけの単純な作業が楽しく感じられる。健は料理のレパートリーが豊富で、同じ食材でもいくつもの料理法を知っている。

「先輩、何か食べたいものありますか?」

「うーん、特には……。健に任せるよ」

「そう言わずに、何かリクエストしてくださいよ。先輩の好きな食べ物、もっと知りたいです」

 こんな他愛のない会話も、健と一緒だと新鮮で楽しかった。

 結局、直人は「ハンバーグが食べたい」とリクエストした。普通にお皿に盛られて出てくるのかと思っていたら、小さな鉄製のスキレットにベイクドポテトとコーンが添えられて登場し、驚いた。

「スキレットで焼くと、ふっくらジューシーに仕上がるんですよ。最後はオーブンで仕上げるんですけどね」

 健がさらりと説明する。本当に料理が得意なのだと、改めて感心する。

 ハンバーグの他に、ベビーリーフを使ったカラフルなサラダと、野菜たっぷりのスープも添えられている。

 ナイフを入れると、中から肉汁がジュワッと溢れた。直人は思わず唾を飲み込み、一口頬張った。

「おいしい!」

 健の言う通り、ふっくらジューシーで、口の中に肉汁が広がる。健はニコニコしながら、直人の表情を眺めている。

「よかった! 先輩はいつも美味しそうに食べてくれるので、作り甲斐があります」

 笑いながらそう言うと、健も自分のハンバーグを頬張った。


 同居生活が始まって三週間。毎日が驚くほど快適だった。

 健に教わりながら、直人も簡単な料理ができるようになった。毎晩の食卓には、美味しい手作りの夕食が並ぶ。一人になりたい時は自室に籠り、誰かと過ごしたい時はリビングで健と語らう。付かず離れずの、絶妙な距離感。

 だが最近、気になることが出てきた。

 健の様子が、微妙に変わってきたのだ。相変わらず気は利くし、直人に対して丁寧に接してくれる。普段通り明るく振る舞っているのに、時折見せるぼんやりとした表情が、どうしても引っかかった。

「健、なんか疲れてる?」

 それとなく声をかけてみたが、返ってきたのは「そんなことないですよ」という言葉だった。いつも通りの笑顔を添えられると、それ以上は何も言えない。

「もし家事で僕にできることがあったら、遠慮なく言ってね。健に負担をかけてるかもしれないから」

「そんなこと全然ありません。逆に先輩にはよくやってもらっていて、ありがたいと思っています」

 手をぶんぶん振りながら、大きなリアクションで答える健。

 ――本当に?

 そう聞きたい気持ちをぐっと抑えた。

「ありがとう。何か僕にできることがあったら、本当に遠慮なく言ってよ」

「はい、そうさせてもらいます」

 いつも通りの笑顔を見せる健。直人は自分の思い過ごしだったのかとホッとした。

 しかし、健の様子は一向に変わらなかった。むしろ、気になることが増えていく。

 スマートフォンに着信があっても、相手を確認して着信拒否することがある。知っている人からの電話らしいが、それに出ないというのが妙に気になった。そういう日は決まって、ベランダに出て遅くまで夜空を見上げ、物思いに耽っている。

 声をかけるべきなのだろうか。

 でも、健のプライベートに土足で踏み込んでいいものか、躊躇してしまう。同居人である以上、一定の距離感を保たなければ、共同生活も破綻してしまう。

 直人は適切な距離を取るという選択をして、結局何も言うことができずにいた。
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