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act18. 勝負の行方――second half
しおりを挟むチャンスはごくごく限られている。
膝に手をつくとその手が汗にぬるついていた。久々に味わう感触。ボールを蹴る感触も久しぶりだ。
ディフェンスの裏を狙って飛び出す動きも久しぶりだ。
彼はジョギングを日課にしているが、やはり、ボールをチェイシングする動きとはまるで違う。遣う筋肉が違う。
膝の調子は、それほど悪くない。彼は、頷き、ディフェンスとの駆け引きに応じた。からだの入れ方が甘い。ボールさえ来れば彼は、自分をマンツーマンで見ているディフェンスに勝てる自信があった。
問題は、ボールだ。ボールが来なければ得点など取れない。
自分から仕掛けた以上、勝負には勝ちたかった。例えそれが、ごくごく内輪の、じゃんけんみたいな些細な勝負事であっても。
彼の視界の隅に女性が映る。後輩と、友人と、観戦している模様。
誰のために仕掛けた勝負だったろう。
ふと、なんのためにこんなことをしているのかと思った。恋愛沙汰など馬鹿馬鹿しいと思い込んでいた。ましてや、同じ会社に務める女性を相手に。いまは勤務外の時間だ。出来ることなら彼女のプライベートになど関わりたくないはずだった。知らず、思考の隅に入ってくる存在。
考えたくないと思うほどに考えてしまう。
彼自身のモラルを問うているのか、はたまた単なる恋愛の一種なのか。
(――来る)
追って、走っていれば必ず千載一遇のクロスがあがってくると信じて、彼は、走っては止まり、止まっては走る動きをひたすらに繰り返した。
* * *
「あ、あ、ああーっ」竹田の悲鳴めいた声が響く。
右サイドを崩したサイドバックのボールがあがり、綺麗な弧を描く。そのボールを高くジャンプし蒔田一臣が捕らえる。テレビで見るような、見事なヘディングだった。それはゴールキーパーの伸ばす手を越え、ゴールに吸い込まれていく。1-0。試合開始から十分経過したところだった。
榎原は喜び叫びながら後輩の道林とハイタッチをした。竹田薫が恨めしそうにそれを見ている。彼女は、蒔田樹を応援するつもりにはあっても、弟を応援するつもりにはないようだ。
恨めしそうに見ている人間がもう一人。桐沢遼一だ。苛立たしげに土を蹴り、唾を吐く。
一方、蒔田一臣は喜びを表に出すことなく、淡々と元の位置に戻った。
「あ。樹さんが指示出してる」椅子に座っていた蒔田樹が、マッチョなディフェンスになにか言っている。立てた人差し指二本をくっつけたり離したり。
「蒔田さんがボール持ったら二人つけって言ってますよ」
「……便利だよね、その能力……」榎原は、感心しつつもちょっと呆れた。
* * *
その後。桐沢の所属するチーム蒔田は、試合を圧倒的に優位に運びつつも、なかなか前線までボールを運べない。FKやCKでは、蒔田の身長の高さにボールを外にはじき出され、苦戦した。
「あ。チャンス……」ピィーッと審判の笛が鳴る。ペナルティエリアの外でのフリーキックのチャンスだ。直接決めるか、……
「蒔田さん、狙うかもね」道林がそう言う一方で、ああーもうやめてーと竹田は絶叫している。
うるさい。と思ったものの、相手が大切な友人であるから黙っていた。
「あ」審判の笛が吹かれる。ボールを蹴る、と見せた側がちょん、とボールの位置をずらしてみせた。直接。
ではなく、走りこんだ蒔田の頭を狙ったボール。
沢山の男たちが群れ走るなかを、頭ひとつ飛び出た存在。
ボールを捕らえ、そして、
「決まった!」
彼女は、大声を出し、立ち上がっていた。わーっ、と道林と手を取り合って喜ぶ。2-0。試合開始からちょうど二十分が過ぎていた。
「いい時間に取れましたねー」と、竹田を気遣う目線を送りつつも、道林は座る。「まあでも、2-0が一番怖いスコアですから」
「そうそう、こっからこっから!」日本代表戦でお馴染みの解説者を彷彿させる、根拠の無い自信とともに竹田は胸を張る。「がんばれー樹さーん! ニッポン! ニッポン!」
「……代表戦じゃないんだから薫……」
「でも、蒔田さん、……足、気にしてません?」
「へ?」
彼女は、蒔田一臣の動きを目で追う。
言われてみれば、試合開始直後ほどスピーディに走れていない。
時折、膝を擦る仕草。
(……怪我? それとも試合中に痛めたとか……?)
不安が彼女の胸をよぎる。
「あっ」
言っているうちに、高く上がったボールをヘディングに行った蒔田と相手ディフェンスが交錯。蒔田を下にし、相手が乗っかる形でもつれ込んで倒れた。冷やりとする。サッカーは、こういう接触プレーがあるから怖い。こういうのが怖くて彼女はあまり見ないのだ。
相手は起き上がったが、蒔田は、上半身を起こしたものの、座り込んだまま……
「あ。バツ出ました……」残念な気持ちがその声音にこもる。
「えっ怪我!?」彼女は思わず叫んだ。
「歩けるみたいですけど……」目を向ければ、びっこを引く歩き方で蒔田がピッチをあとにしている。
「たぶん、……元々悪いんじゃないかな」
「えっ」彼女は竹田を見た。頬杖をつく竹田は、思いのほか真剣な顔をしている。
「だってなんか、……鬼気迫るっていうか、スタミナ考えない走り方してた。あれじゃ後半持たないだろうなって思って見てた……」
ピッチの外で試合を見守るチームSEに加わった蒔田は、座って、膝をアイシングしている模様。
「……知らなかった。だって蒔田さん……」
『構わんが、白黒はっきりつけられるものがいいな……』
自分から持ちかけた勝負だ。
「相当うまいよね。……さっすがプロの樹さんの弟って感じ。もしかしたらプロになるつもりで学生時代頑張ってたのかもしれないね」
「蒔田さん、学生時代サッカー部だったみたいですよ」
「よく知ってるね」彼女は知らなかった。
「あ。樹さんが動いた。……3バックにするっぽいね」見れば、蒔田樹が指を三本立ててなにか指示を送っている。こうやって、監督は試合を動かすのかと、なんとなく感心して彼女は眺めた。
一方、蒔田一臣は三角座りをして試合を引き続き観戦している様子。怪我がすぐさま病院に向かうほど酷いわけではなさそうなので、彼女は、すこし安心し、試合よりも彼のほうを見続けた。
* * *
「……紘花ちゃーん」
げっ。
と言いたいのをこらえ、彼女は振り返った。「なにか、用……?」
「用ってわけではあらへんけど、見た見た? おれのゴールシーン」
「……蒔田さんのゴール、すごく綺麗だった。二点とも綺麗なヘディングで」
「……」
珍しく無言で桐沢が俯くので、彼女は、気の毒になってフォローに入った。「でもでも、桐沢の、すごいゴールだったじゃない。後ろから来たボールを直接ダイレクトボレーって、あれ難しいシュートだよね」友人から聞きかじった台詞をそのまま言ってみる。
「直接ダイレクトって被っとるやんどっちかだけでええやん……」
「もう、とにかく。……二人ともすごかったよ」
試合は2-3で終了し、チーム蒔田(樹)が勝利を収めた。グラウンドに残っている者は、仲間たちと喋ったり、サッカーをしたりと様々だ。竹田は、蒔田樹が遊びでサッカーをしているのを眺め、道林は蒔田一臣に声をかけている。ひとびとの様子を見つめていると、
「……完敗やな」
ぼそりと桐沢が言う。
「あのひと、最初の二十分だけしか出られんて分かっとってこの勝負に臨んだんや。……おれにはよう分かる」
「桐沢……」
「膝、たぶんめっちゃボロボロやで。あんなんでよう持ちかけたもんや、こんな対決。……おれやったらこんな勝負持ちかけん」
「でも、蒔田さん……、すごく幸せそうだったよ。会社じゃ見たことない顔してた」
「はいはいごちそうさん」言って桐沢は持っていたバッグを背中に引っ掛ける。「あのな、紘花ちゃん。……これだけは言っておかなと思ってな。
おれら。なんもなかったで」
反射的に彼女は桐沢の顔を見た。
「……ほんとに?」
「手ぇ出す気も起きんくらいぐーすか寝とった。……言っておくけど、自分から脱いだんやで。酔うと脱ぎグセあるんどうにかせなな自分」
「……ガッデム」
「ははは」声を立てて桐沢は笑う。「まあいい。なんか、……吹っ切れたわ。頑張ってな紘花ちゃん」
「え、えと……」どうしたのだろう。
気持ち悪いくらいに桐沢が優しい。
会うたびにあの夜をネタにゆすりをかける嫌な男だったはずが。
疑心暗鬼の眼差しを彼女は桐沢に向ける。「急に優しくなって気持ち悪い。……なにか、裏があるんじゃない?」
「おれは愛が向くほうの味方やで」
「まあいいじゃあそういうことにしておく。……じゃあね。あたし、蒔田さんのところ言ってくる」見れば、ちょうど道林が榎原のほうを指さしているところ。蒔田と目が合う。
おめでとうって思いきし言いたい。
彼女は顔が綻ぶのを抑えられない。
大きく手を振り、蒔田さーんと言ってみた。
珍しく蒔田は、小さく手を振って答える。
声でけえぞ、と。
* * *
週末があけた月曜日。珍しく午前半休を取って出社した蒔田は、
「おはよう」
……松葉杖姿だった。
といっても、右の片方だけだが。足首にも包帯が巻かれた様子はない。膝を悪くしたのだろうか。
「痛そう、ですね、……蒔田さん」
「大したことはない」慣れた動作で松葉杖を立てかけ、蒔田は椅子に座った。「午前中電話はあったか」
「あはい。二件です。メモに残したとおりですけど、緊急のものはありません」
「そうか」
「蒔田さん、……その足、土曜の試合のせいですよね……」
「だとしてもおまえには関係ない」メールチェックをしながら冷たい声色で蒔田が答える。
「責任感じます。だって桐沢に絡まれてたのを助けてくれたの、蒔田さんですし」
「助けたわけではない」
「じゃあ言い方を変えます。助けてもらったように感じたんです。はい」無言でどうやら蒔田はメールの返信を始めている。すっかり仕事モードだ。
これ以上なにを言っても蒔田には届かない。
そう感じ、彼女は「もういいです」と言って席を立った。
「あたしが勝手に責任を感じてるだけで、蒔田さんには関係ありませんからっ。ちなみにこれからコーヒーを取ってくるところですけど、蒔田さんいりますか? ブラック」
彼女を見ずに蒔田は短く答える。
「ああ。頼む」
公私混同を嫌うくせに、こういうときにはちゃっかりひとのことを利用する。
蒔田のそういうところが、彼女が蒔田を嫌いになりきれない要因だった。
そして、コーヒーを置くときも、あてつけに黙って置いてもいいのに、「はい、どうぞ」と声をかけるのもやめられないし。
なにより、蒔田のためにコーヒーを持っていく、ただそれだけのことが彼女の気分を浮き立たせる。
それが、彼女の責任の在り方を証明していた。
(やっぱり……、好きだなあ、蒔田さんのこと)
*
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