恋は、やさしく

美凪ましろ

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act25. 居酒屋でラブラブトーク

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 戻ってくると、どういうわけだか、父親が机に突っ伏して寝ていた。


「遅くなってすみません」少なからず彼女はその状況に面食らった。「うちの父、どうしたんですか」言いながら蒔田の横の席に座る。
「見ての通り」蒔田は、顎をしゃくって彼女の父親を示す。「お疲れのご様子だ」
「お父さん最近仕事忙しいって言ってたし……、疲れがたまってたのかもしれません」と、彼女は蒔田に向き直り、「蒔田さん。今日はせっかく時間作って貰ったのに、申し訳ないです」と頭を下げた。
「構わないさ。こうして誰かを待ちながら眠る人間を見守る時間も有意義な時間に違いない」
「嫌味のつもりですかそれ」彼女は、麦茶に口をつける。氷が溶けて既にぬるくなっている。「蒔田さん、なにか頼まれます?」
「僕は、……聞いていいのか分からないけども、聞いてしまったんだ」おもむろにメニュー表をめくっていた蒔田が、短い沈黙ののちに、彼女のことを見据えて言った。


「きみの、出生のことを」



 * * *


 片親に育てられ、不自由したことなどない。


 と言ったら厳密には嘘になる。例えば。

 一般的な女児が母親に頼るべき場面で、全然頼れなかった。

 ひとりで生理用品を買いに行って、近所のひとに初潮がばれて気恥ずかしかった。

 卑猥な本は、本屋で買うとその親にばれるから友達から借りた。

 でも。

 父親は、彼女のプライバシーにほどよく無頓着だったから、例えば日記など読まれる心配もなかった。

 部屋に入られるようなデリカシーに欠けた行為とも無縁だった。

 その自由は、勿論、部屋を自分で掃除する責任とも引き換えだが。

 父親は、ある意味、自由人だった。

 一介の勤めびとで、未婚のシングルファーザーという特殊な存在だが、どこかそういう枠組みを超えた、奔放な雰囲気が父親にはあった。

 ところで、榎原紘花は、自分のことを『欠落した人間』だと感じないほどには、自由気ままに、育ってきたつもりだった。

 父は、彼女のことを可愛がってくれた。

 大切な一人娘として育て上げてくれた。

 そのことに勿論、彼女は感謝をしている。

 けれども、ときどき彼女が不満を感じるのは、父親が、父親の顔しか見せてくれないこと。榎原俊之の『自由な雰囲気』の所以たるものをひとかけらも見せてくれなかったこと。

 不満があるとしたらそんなところだ。それから。


 娘が、家柄を気にする相手と結婚を考えた場合に、打ち明けなければならない責任を背負わせたこと。


 その一場面に、現在、彼女は出くわしている。

「……蒔田さんにとって、親は、どんな存在ですか」
「権威のある存在、少々とっつきにくい存在、かな」問われた蒔田は肩をすくめ、そして、目線を下げる。「……親からすると、扱いにくい子だったと想像がつく。昔から無口だったから、なにを考えているかよく分からないとは言われた。兄貴とは仲が良かったが……」

 お兄さんのことじゃなくて、両親のことを聞いているのに。

 と、彼女は思ったが、指摘せずにおいた。兄の存在が、それだけ、蒔田一臣にとって重大なのだろう。

「お兄さんと仲がいいんですね」
「昔っから、兄が憧れで、ライバルでもありよき友だった。兄貴がいなければいまのおれはいない」
「ご両親も、お兄さんのことを可愛がってくれたんですか」
「まあな。長男だからな」
「次男て扱いが低いんですか」
「まあ、……そこそこにな」と蒔田は言葉を濁した。「きみにとってお父さんは、どんな存在だ」
「父は、……父以外のなにものでもありません。だから、違う姿も、ちょっと見せて欲しいとも思っています……」彼女は、テーブルに突っ伏して眠る父親に目を向けた。「だから……、蒔田さんには悪いですけども、ちょっと満足しています。お父さんのこんな姿、見たことがなかったから……」
「愛娘の一大事に生きた心地がしなかったろうな」
「ほんと……、飛んできたって感じでした。急でしたし……。あ、娘じゃないって知ってるんですよね? 蒔田さん」
「さっき聞いた。……ひとを騙すのには、多少の罪悪が伴うものだな」
「ええ、まあ……」
「お父さんは、ぼくのような人間になら娘を任せられるとは言っていた。一方で、ぼくの両親が家柄を気にするのかを懸念されていた。……因みに、過去に、お父さんに彼氏を会わせたことはあるのかい」
「ええ。一度だけですけど……」

 既に別れた彼氏、平松啓太だ。
 
 さきほどの吉報を聞かされた喜ばしい気分と、少々の苦い思いがこみあげる。人間の感情とは常に複雑だ。
 彼女は胸を押さえながらも答えた。「……そのときは、こんにちわ程度の挨拶しかしませんでした」
「じゃあ、初めてだったんだな……」蒔田が顎を摘まみ、考える仕草をする。
「あの。どうしたんですか蒔田さん」と彼女が首を傾げる。「うちの父がなにか?」

「いいや。ううん……」

 なにやら唸っていた蒔田は、結局こう言った。

「彼の気持ちは、彼にしか分からない」

「なに言ってんですか。あったりまえじゃないですか」と彼女は笑った。「それだったら蒔田さんのこと、もっと聞かせてくださいよ」彼女は、蒔田のグラスにビールを注いだ。「どんな学生時代を過ごされたんです? あ。そうだ。高校生のときどんなだったか、聞きたいです」
「あまり面白くもないし、暗い話だが、それでも聞きたいか」
「はい、聞きたいです」彼女は、両手を組んで祈るようなポーズで答えた。


「幾つかの、貴重な出会いがあった」


 蒔田が目を伏せる。過去を慈しむように。

 過去を愛おしむように。

 まつげの織りなす影を、彼女は美しいと思った。

 そしてこの切り取られた一瞬を、永遠のものにしたいと思った。

 居酒屋ならではの雑音など、妨げるものになりやしなかった。


「自分を、必要のない人間だと思ったことはあるか」唐突に蒔田が彼女に尋ねる。

「あります」と彼女は正直に答えた。「思春期の頃ですけど」

「まさに、そう」蒔田はすこし自虐的に笑った。「高二の夏のおれがそんなだった。自暴自棄ってのか、やりたいことをやれなくなってやけになっていた。そんなときに、ある男と出会い、考えが変わった」
「貴重な出会いをされたんですね」
「そう。ぼーっとしてなんも考えらんないで廃人みたくなってる頃に、一発殴られた。まあ、あれは、……面白かった」思い出すように蒔田は笑う。「女々しいだのなんだの言ってわざとおれを怒らせやがったんだ。一発殴らせといて、けろっとして、『ぼく殴れるくらいなら全然問題ないよ』と来た。この業界入っていろんなやつと出会ったが、あいつ以上に自虐的なやつはそうそういない」
「蒔田さんも結構自虐的な感じしますよ。自分追い込むの得意そうだし」
「すすんでそれをするのと、わざと相手に殴られるのとでは天地ほどに差がある。おれは誰かを救うために自分から殴られなどしない。

 多分、殴る」

「蒔田さんならそっちだと思います」彼女は笑った。「それでそのひとに救われて蒔田さんにどんな変化があったんです」
「高校生活が見違えるように楽しくなった。青春の一ページの開幕だ」
「あたし……蒔田さんと同じ学校で青春時代を過ごしたかったなあ……」
「いても学年が違うだろ。おまえその頃中学生だろ」
「ですけどぉ……、妄想するのは自由じゃないですか」彼女がビールを注ぐ。……会話に夢中なように見えて、手が動く辺り別のことに意識をしっかり働かせているのだ。「制服。ブレザーだったんですかそれとも学ランだったんですか」

「ブレザー」

「萌え!」急に彼女がうえを向いた。気分が悪いのかと思ったら、想像が爆発してしまっただけのことらしい。

「制服のブレザーもスーツも大差ないではないか」と今度は蒔田が彼女のグラスにビールを注ぐ。すみません、と会釈してそれを飲んでから彼女が鼻息を荒くして答えた。「ぜんっぜん違います。色が黒と紺とで違うじゃないですか。紺ブレ着た蒔田さんがあたしは見たかったんです」

「今度着てこようか」

「ふげ! っ」両手を挙げて彼女が後ろに倒れこんだ。と思ったら、頭をぶんと振って背筋を伸ばして堪えた。

 蒔田は、なんだかすこし可笑しくなって、彼女に手を伸ばした。「どうした。すこし飲み過ぎたか」

「冗談にしても言い過ぎですよ」差し伸べられた手を掴み、上体を立て直しながら彼女は片手で鼻をこする。「制服着てくるなんてどんなジョークですか」
「制服とは言ってない。紺色のスーツくらいならうちにもある。一着だが」

「約束ですよ」

 彼女が、目をきらきらさせ、蒔田に笑いかける。


 蒔田は、一瞬、目眩がした。


 自分に恋する人間を目の当たりにした人間の反応とは常に、こんなだ。


 そして蒔田は気がつけば彼女のペースに飲まれている。酒を二杯。飲んだほうだ。

 ごほん、と蒔田は咳払いをする。「まあいい。お父さんが起きたら、帰るぞ」

「はぁい」と答えつつ、このとき寝てくれた父親に、内心で彼女は感謝したのだった。


 父親の意識が覚醒しているとも知らずに。


 *
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